《第1章/第3話》 白桜邸と不愉快な他人たち。
「なぁな! ニュースニュース大ニュース!」
大きな声で名前を呼ばれた森尾名奈『モリオ ナナ』が振り向くよりも先に他の女子が彼女の声に反応し顔を上げる。名前を呼んだ彼女は一目散に奈々の席に来るもんだから、他の女子達も一斉に集まってきてあっという間に奈々の席の周りは女子で固まってしまった。
「朝から何よ由帆?」
「アンタってば、進学したばっかなのに今日も相も変わらずミーハーねぇ」
「で、なになに? 大ニュースって何なのさ?」
集まったのは小中高と仲良く一緒に上がった同級生と、それから入学初日から気が合って仲良くなった女子数名。その悪気のないミーハーさや持ち前の明るさ、屈託のない人懐っこさなど人を惹きつけるのに十二分な素質を持つ幼馴染は、ドンッ、と奈々の机を叩いた。
「ひゃッ、ビックリした……朝からどうしたの、由帆ちゃん?」
「そりゃもうビッグニュースよ! アタシも学生生活長いけど、こんなの前代未聞なんだから!」
遠くから誰かの「まだ十年足らずだろー?」みたいな野次も聞こえてきた気がしたが、当の本人である姿見由帆『スガミ ユホ』は何処吹く風に受け流し満面の笑みで名奈に語り出した。
「何となんと! 入学式の翌日にいきなりの転入生! しかもオーストラリアからのだって! ほら、こういうの……帰国、男子!」
「……帰国子女?」
「男子だけどそれソレ! アタシが職員室に行った時は先生と何か話してて、まだ顔は見てないんだけど背はいい感じに高くてさ、後ろ姿はカッコ良かったよぉ!」
「その顔が大事なんでしょー? 毎度毎度アンタはそそっかしいわねぇ」
けらけらと友達と笑い合う中、名奈はそんな幼馴染が笑ったりおどけたりする様を羨ましそうに見つめていた。
名奈は、どちらかと言えば地味で目立たない側の人間で自分の容姿に自信を覚えたりするようなことは一切無いタイプの女子だ。学力も体力も平平凡凡、由帆に誘われればゲームセンターやカラオケに繰り出しはするものの、一人で何処かへ出かけようなどとはほとんど思わないインドア派。何か特徴があるかと言えば両親が喫茶店を営んでいるくらいで、名奈自体にはこれといった特徴のないごく普通の女子高生。イジメは受けていないが友達も指折り数える程度、クラスの中でも浮き沈みの無い存在だ。そんな自分に、幼少のころからずっと仲良くしてくれている親友の由帆はとても大切な存在で、そして同時に名奈にとっての密かな憧れや目標でもあった。
「……ん? どしたのなぁな?」
「うぅん。何でもない」
「あれ、もしかして気になっちゃった? だよねぇ、イケメンだったらそりゃ胸躍るよねぇ」
「ち、違うってばぁ」
頬を若干染めつつ否定する名奈を見て由帆は笑う。先述の通り、そんな地味な気質の名奈はこれまでも恋愛について意識したことは無い。無い、というより出来ないが正しいかもしれない。仮に気になる男子が出来たとしても、持ち前の性格故に行動に起こそうという気すら湧かないだろうし、そもそもまだピンとくる人に会ったことが無かった。特別意識が高いつもりも無いのだが、何かこう……ときめかないというか、何と言うか。
「でも、変なタイミングだよねぇ。普通入学式に合わせて入っちゃったりするんじゃないの?」
「そこは……飛行機の時間とか、何かトラブルとかかな? もしくは親の事情?」
「どんな人なんだろ? っていうか、本当にこのクラスなの?」
「担任の秋山センセが話ししてたしこのクラスで決まりっしょ」
そこから会話に熱が入り出して、由帆たちは見たことも無い転入生の話題で盛り上がり始める。こんな人だったらいいなだとか、こういうのは嫌だとか、勝手な理想ばかりがぽんぽんと浮かび上がっては消えていく。妄想というものは女子こそ強いものである。それから別の生徒も混じって、持ち掛けられた話題と転入生の話題が混ぜ合ってだんだん取り留めのない話に流れていく。部活は何処にするだとか、委員会はやるのかやらないのか。
「……高校生、かぁ」
中学を卒業したばかりで、まだ自分がはっきりと「高校生」となったような気がしない。
名奈は何となく、窓の外に視線を泳がせた。
四月の青空は雲一つなくて何処までも青く、見ているだけで吸い込まれそうになる。ぼんやりと蒼穹に見惚れていると教室の中がざわつき始め、クラス担任の秋山先生がぱたぱたとやや慌て気味に現れた。
「あーい、皆席に着いてくれ。ホームルームを始める前に転入生を紹介するからさ」
途端に、ざわ、とざわめきが強くなるも先生が「静かになー」と慣れた風に嗜める。
「このタイミングでってのは俺もビックリしてるんだが、諸々の都合ってヤツらしくてな。んじゃ、入ってこい」
先生の言葉の先に生徒の視線が集中していく。無論、名奈も。生徒たちの興味関心が高まる中、引き戸が音を立てて開き一人の男子生徒が現れる。一部の女子が控えめに黄色い声を上げて、男子が溜息吐いたのが聞こえる。
「じゃ、自己紹介頼むぞ」
「はい」
件の転入生は小さな返事をしてからチョークを手に取りスラスラと名前を書いていく。コツコツと小気味のいい音が止むと彼は振り返り会釈して見せた。
「……白桜御幸です」
艶のある黒髪に線の細い面持ち、黒檀を思わせるような堅く冷たい双眸。細身ではあるが全体的にスラリとした長身で、ただ華奢というのではなくて、例えるなら名のある劇団員のような優雅で洗練された雰囲気を醸し出している。白桜、という彼の名字を耳にした途端一部の生徒たちはひそひそと声を漏らす。が、名前を名乗ったきり言葉が出てこないのを見て先生が口を挟む。
「お? それだけか? もっとこう自己紹介的なのをだな」
「……特に必要性を感じませんので」
「おいおーい、気取ってんじゃねーぞーへへ……」
その一言に反応して少々柄の悪い男子生徒が野次を飛ばす。へらへらと小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた彼だったが、次の瞬間、何故か表情をギョッとさせて固まってしまった。
「……ひッ」
彼の、殺気じみた眼光がからかった生徒を貫いている。睨まれた生徒は見る見るうちに青ざめていって、雑に着崩していた制服が肩からずり落ちる。そんな物騒な転入生なぞ誰が想像したか、次いで誰かの小さな悲鳴が聞こえ、転入生の登場で浮かれていた教室のムードが一変して永久凍土のように凍り付いていく。あのミーハーな由帆でさえ隣の席で苦笑いを浮かべ、その他生徒も一様に気まずい表情か、もしくは抱き合い涙さえ浮かべる者まで現れる始末。
「……お、おーしわかった。そういう質問とかの続きは各自休み時間でだな……ご、ほん! 白桜、お前の席はそこの」
「見れば分かります」
先生の助け船をも潰すような勢いで彼は何喰わない顔でローファーの音を響かせて空いている席に向かっていく。机と机との間を、まるで海をかち割ったモーゼかのように確固たる足取りで――名奈の左隣の席に着く。
こ、こっわー……
何だアレ……ヤクザとかの跡取りってか?
でも、カッコイイ……
白桜……やっぱ、あのお屋敷の……?
殺し屋みたいな眼をしたぞアイツ……俺は詳しいんだ……
こそこそと聞こえる感想は三者三様だが、教室の雰囲気は一瞬に殺伐として入学ムードなぞ雲散霧消。春爛漫な気候とは裏腹に冷え冷えとする中、名奈だけは他とほんの少しばかり違う感想を抱きながら彼の姿を横目で見ていた。
「……」
手持ち無沙汰に頬杖をつき窓の向こうを見つめる御幸の後ろ姿に、名奈は何処か途方も無い寂しさのようなものを感じていた。
ゴールデンウィーク到来!
……まぁ、俺は普段と変わりませんけど。
次回更新は5月8日の22時。
では、待て次回。