《第3章/第9話》 それは急転直下に、颯爽と。
状況はゆっくりと、フランヴェル達の方へと傾いていた。
加勢に入ろうとしてドスに阻まれたクラリッサは、怒涛の体術と蹴り技の応酬で彼を圧倒している。ほとんど防戦一方の彼は彼女の攻撃を受けるかかわすかが精々のようだ。クラリッサ自身は相も変わらずクールに、一挙手一投足の一つ一つが冴えわたり、その動きはまるで達人の域に達した武道家だ。燕尾服も相まって非常に頼もしく見える。ギリギリとはいえ、それと相対出来るドスも十分に凄いのだが。
そして、フランヴェル側も攻勢だ。
驟雨の如き剣戟の嵐に、クアーロの巨体が壁際へと押し込まれ始めている。一撃が軽いとはいえ手数の多さが段違いで、迂闊に攻撃に出ようものなら隙を晒してしまう。そのジレンマの所為かクアーロの動きもまた防戦一方。呻き声を上げ退いていく様に、好機見たりとフランヴェルは二階のフェンスを蹴飛ばし、加速させた切っ先で容赦なく彼の腕を貫く。怪獣映画のような咆哮が上がり、フランヴェルは彼の腕を蹴って二階フェンス上に華麗に着地。蝶のように舞い、蜂のように刺す。正しくそんな動きだ。
「これ以上続けるのかの? ぶっちゃけ、わらわが本気出せばお主らなんぞ蒸発させることだって容易いんじゃが」
「おいおい……どっちが悪役なんだかわっかんないっすね……うッ、づ!?」
ドスが軽口を叩いた一瞬にクラリッサの回し蹴りが彼の右腕にクリーンヒットし、何かが軋むような、ギシ、という音が小さく聞こえた。彼は腕を庇いながらよろよろと後ずさって、額からは汗がびっしょりと浮かび始めていた。
「失礼、折れましたか?」
「づ、つぅ…………ど、どうだろね。もしかしたら、ヒビくらいは入ったかも」
彼とは対照的に、クラリッサは涼しい顔をしながら中指で眼鏡の位置を直す。首を動かし、フランヴェルの方へと視線を向けるも、気が付けば彼女は加勢の必要性を感じないほどに優位に立ち振舞っている。真紅のドレスが風にゆられる花弁のようにはためき、流れる剣戟は暗闇の中で時折火花のように光が散り、金色の髪が現実離れした美しさを放つ。
命の奪い合いは、やがて幻想的な舞踏へと転化していく。
怪物を退治する剛毅な姫君の舞踏会。
黒い剣を振るい、ドレスよりも紅い雫が飛び散り、既にズタズタな怪物の腕を執拗に、隙を見せようものなら鋭い刺突を見舞う。腕や身体を幾度と貫かれ、その巨体からはドバドバと、おびただしい量の赤黒い血が流れていく。床に付着するたび粘着質な音を立て、鉄錆と生ゴミが混ざったような悪臭が遠く離れている御幸の下へまで漂う。
「……ふん、不毛な争いもこれぐらいで終いにしてやろうか」
「あぁ、そう願いたいね」
カチン、と小さな音が御幸のこめかみで響き、次いで何かがぐいと押し付けられる。
いつの間にか移動していたトレスが、御幸に銃を突きつけている。
こんな短期間に何度も銃を突き付けられる高校生というのは世の中でも御幸だけのような気がする。動こうにも動けず、抱えたマリエルは相も変わらず意識を失っている。本当にただの気絶だろうか。打ち所が悪かったのではないかと心配になるほど一向に目を覚ます気配を見せない。
「……一応、訊ねておくかの。何の真似じゃ?」
「クアーロへの攻撃を止めなさい。でないと……ここから先は、言わなくても分かるわよね?」
「お主自慢の旦那なんじゃろう? わざわざそんな下種な手を取る必要があるのかえ?」
「黙れ……ッ! さぁ、その剣も捨てなさい! さもないと」
「……あー、はいはい。わかったわかった。ほれ」
フランヴェルといえど、御幸に銃を突きつけられていては好き勝手に戦うわけにもいかず、トレスの言葉に大人しく従い両手の剣を床に放り投げる。カラン、コロンと軽い音を立てたかと思うと、黒い細剣はやがてしゅわしゅわと炭酸が弾けるような音を立てながら霧散して消えていく。両腕を広げ、フランヴェルはお手上げのポーズを取って見せた。
「ほれ、これでいいじゃろ? まだ何かあるか? 流石に服を脱げとは言うまいな?」
「…………やれ、クアーロ!!」
彼女の言葉に、巨体が一度震え、一拍を置いてから咆哮。無抵抗なフランヴェルの背後で剛腕を振り上げると、轟々と凄まじい風切り音を響かせ彼女の小さな身体を真一文字に吹き飛ばす。声を上げる間もなく白桜邸の壁をぶち壊し、彼女の小さな身体が瓦礫と煙の中に埋もれる。
「フランヴェルッ!!」
「お嬢様……ちッ!」
飛び出しかけたクラリッサだが、人質となった御幸の所為もあって迂闊に動くことが出来ない。フランヴェルは、瓦礫の中からのそのそと抜け出すと全身についたホコリやらコンクリートの破片やらを払って立ち上がる。額からは血が流れ、瀟洒なドレスも今は見る影もないほどに千切れ華奢な白い腿が露わになっている。
「ったたた……ふぅ。後ろからぶん殴るのは大いに好きじゃが、ぶん殴られるのは好かないの」
「しぶといわね……なら、死ぬまでぶん殴る他ないようね」
「……幼気な美少女を嬲って楽しいか? いい趣味しておるの」
「幼気な美少女は自分でそんなこと言わないでしょう? ……クアーロ!」
彼女の声が飛び、そして、巨体が震え、唸り、丸太のような腕でフランヴェルの後頭部を叩き付ける。小さな身体が、ゴムボールかのように跳ねて転がっていく。
状況は、一変してしまった。
それまで圧倒的な優位に立っていたフランヴェルは、御幸が人質に取られたと言うだけで一瞬で立場が逆転されてしまった。その気になればあの大男も、いや、トレスたちを含めた空き巣集団だって一網打尽に出来たであろうに、御幸に危害が及ばぬようにと彼女は無抵抗の道を選んだ。
「がッ……くぅ……ッッ」
御幸は、目を反らした。
彼女の惨状を、見ていられなかった。
何も出来ない自分の為に戦って、その自分の所為で彼女は酷い目にあっている。
一人で生きていける。
なら、一人でこの状況をどうにかしてみせろ。
その竦んだ足を、打ち震える両腕を、怯えきった思考を、少しでも前に動かしてみせろ。
「…………ッ」
噛みしめた奥歯だけが、ギリギリと悔しさの音を立てる。
何も、出来なかった。
「くふふ、そんな顔も、するもんなんじゃなぁ……御幸よ」
「ふ……フランヴェル!?」
「……本当に、しぶといヤツだね」
か細い声が聞こえ御幸が視線を奔らせると、左腕を庇いながら立ち上がるフランヴェルの姿が見えた。庇っている腕は折れてしまっているのだろうか、ふらふらと覚束ない足取りで、それでも彼女は御幸に小さく笑んで見せる。満身創痍の彼女の、何処にそんな余裕があるのか。見ているだけで、涙が浮かんでいく。
「も……もう、いいよ! お前は僕なんか見捨てて、逃げればいいのに! どうして……!」
「御鷹との約束じゃと何度も言っておろうに……やれやれ」
「だから、そんな約束は――!」
「お涙頂戴なイイお話ね。もう虫の息でしょうし、冥土の土産に何かお嬢様のお願い事でも一つ叶えて差し上げましょうか? あぁ、命乞い以外でね」
「……ほう? それはそれは、魅力的なご提案じゃの」
乱れた髪を、まだ動くらしい右腕で整えてから、フランヴェルは顎に手を当て思案し始める。傷だらけの身体で、なおも彼女は悩ましげな顔をする。あれは、真面目にお願い事を考えているようだ。
ややあって、彼女は指を一つ立てた。
「ならば、わらわは死ぬ前に御幸とキスがしたいのぅ」
「……は……ぁッ!?」
「あらあら。それはそれは、ずいぶんとオマセなお願い事ねぇ? キスだけでいいの?」
「そーんなにたっぷり時間をくれると言うのなら組んず解れつしっぽりと…………う、想像したら全身から鼻血出そうになるの」
「こんな時まで、ふざけるなよ!? お前、もう、死ぬかもしれないってのに……!」
「何を言う、死ぬかもしれないからこそ、じゃろ」
ニヤけるトレスと火が出そうなほど赤面する御幸に、フランヴェルは淀みなく、非常に真剣な顔で返した。呆れ果ててそれ以上の言葉を失くした御幸は、不意にトンと背中を押され前のめりに倒れそうになる。
「最期くらい一緒に迎えさせてあげようじゃないか。……行きな」
「う……ッ」
トレスの粋な計らいのお陰で一蓮托生。
火の出かかっていた顔は一気に青ざめ、胸の奥から吐き気や絶対絶命の不快感がせり上がってくる。恐怖で震える足をどうにか動かし、まるで瀕死の老人のような足取りでフランヴェルの下へと向かっていく。死ぬ直前だと言うのに、彼女の顔は何時になく柔らかで、何時になく輝きを見せている。
喋らなければ、絶世の美少女だよな。
どうせ最期なら、いっそ口に出してもよかったかもしれない。
そう思った頃には、既にフランヴェルの真正面に辿りついてしまっていた。
「なんじゃい、折角わらわとキス出来ると言うのにシケた面じゃの」
「……もう死ぬってんだぞ。どういう顔していいのか……分かるわけないだろ」
「普段通りにしておれば、それでよい。……あ、キスするときは目を瞑るんじゃぞ? わらわとて初めてじゃし、そりゃ恥ずかしいしの」
「……僕だってな」
ほんのりと赤く染まるフランヴェルの顔。
熟れた林檎のような鮮やかな紅い瞳には、最期の瞬間を迎える緊張しきった自分の顔が映り込んでいる。
たかだか十年弱、お世辞にも長いなどとは言えぬ生涯に今あっさりと幕が降りようとしている。
笑え、と言われれば笑えるか?
泣け、と言われれば泣けるか?
どちらも、ノーだ。
あまりにもあっさりとし過ぎていて、喜怒哀楽といったカラフルな感情は、御幸の胸の内から忘れ去られてしまったかのように失せてしまっている。
コツン、と革靴が踏み込む小さな音。
フランヴェルの顔がぐっと近づき、端正な顔が、少女の甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐる。
「御幸よ、二つほど頼みがある」
「……いいよ、どうせ最期だし何でも言ってくれ」
「一つ。まずゆっくり目を閉じてくれ」
彼女の言葉に従い、御幸はゆっくりと瞼を閉じる。
閉ざされた視界。
もう二度と世界を拝めないと思うと涙が出てきそうになる。
「二つ。…………ちぃとばかし、痛いぞ。我慢せい」
「あぁ、わかっ……え? 痛い? それは」
頬を過ぎった小さな風。
身構えていた御幸の顔とフランヴェルの顔はすれ違い、彼女は薄桃色に色づいた唇を、御幸の首元へ。
――ぷつッ。
「いっ……ぅッ!?」
熱した針で刺されたような鋭い痛みが御幸の首筋に奔る。
突然の痛みに身体が強ばるも、次いで薄らと御幸の身体から力が抜けていくような錯覚を覚える。貧血を起こした時のように、何となく頭がぼーっとしてしまう、あの時のような。
恐る恐る、御幸は両目を開く。
「……ずいぶんと猟奇的なお嬢様だこと」
口の端から紅い雫を垂らすフランヴェルは、人差し指でゆっくりとそれを拭い、舐め取る。
やがて、ニィ、と小さく微笑むと、彼女は紅色の瞳で御幸を静かに見据えた。
それまで少女然としていた双眸は、とろんと、夢の中でまどろんでいるような、それでいて何処か妖艶な色香を漂わせている。
御幸の目の前に居るフランヴェルは、少なくとも御幸の知っているフランヴェルではないような、気がする。
「お、お前何して……」
「もう思い残すこともないだろう! くたばりなッ!!」
トレスの檄が飛び、次いでクアーロの荒々しい咆哮が御幸の耳朶を打つ。
ハッとなって見上げたその先で、巨人の剛腕が容赦なく振り下ろされていくのが見えた。
「……わらわの勝ちじゃな」
「え――?」
不意に聞こえた、幾許かトーンの落ちた声での勝利宣言。
次の瞬間、御幸の視界は夜の闇を更に濃く塗りつぶしたような暗黒の中に飲み込まれた。
完結した後、また活動報告を書く予定です。
今後……というか、新作のことについてですね。
次回更新は……言わずもがな。
では、待て次回。