《第3章/第8話》 それは急転直下に、颯爽と。
小競り合い、というものはいつの世でも何処にだって必ず生じる。
小さな競り合い。
その字の如く、当事者は皆一様に心の小さいものたちばかり。
所謂、トレスたちのグループのような寄せ集められた小悪党。
その日彼女たちは、とあるヤマを巡ってのトラブルを抱えていた。
「だから、この場所は俺たちが先に目星を付けて――」
偶然、彼女たちが狙った家を別の空き巣グループも目を付けていて、間の悪いことに同タイミングに犯行に及んでしまった。結果、財産の詰まった金庫一つを巡っての論争が勃発。先に目を付けたのは自分たちだ、というのが彼らの言。だが、最初にそれを見つけて持ち出したのは自分たち、というのがトレスたちの言い分。言ってしまえば五十歩百歩の言い争い。が、互いに生活が掛かっているし安易に退くのもプライドというモノがある。
キッチリ決着を付ける必要がある。結果がどうであろうと恨みっこなしに。
結論を先に言えば、彼女たちがそのヤマを手にすることとなった。
……それで全てが終われば、彼女も白桜邸の遺産など想起することは無かったかもしれない。
「姐さん、旦那が……!」
やられたら、やり返す。
子供の喧嘩のような理屈ではあるが、それもある種一つの道理。逆恨みの矛先はあろうことに彼へと向けられ、彼女が連中の下へと駆け付け、徹底的に痛めつけ、遺棄した場所を聞きだした時には既に――彼は街外れのゴミ処理場で変わり果てた姿になっていた。
今日のような、激しい雷雨の日だ。
彼女たちが見つけた時は既に、彼の身体はかろうじて人の形だけを留めた肉塊だった。
泣き崩れ、頬を伝うモノが涙なのか雨なのかわからないまま、泣き続けて、彼女は真夜中の黒天を仰ぐ。
閃光と、轟音が、彼女の視界を真っ白に染め上げる。
最初は、彼女にも他の部下たちにも何が起こったのかわからなかった。目の前に、雷が落ちたのだと気付くのにでさえ数分の猶予を要したほどに。
そして、彼が目を覚ました。
ぐずぐずに崩れた皮膚が、肉が、まるで本来の機能を取り戻したかのように蠢き、脈打ち、ゆっくりと動き出す。腐敗が進んで機能しない部位には、そこら中の廃品を繋ぎ合わせて代わりのパーツとして、それは人間の形を取ろうとしていた。
「あ……ぁ……!?」
それは奇跡なのか、それとも奇異か、あるいは、異変か。
死んだはずの彼はナメクジが這うような速度で、だが確実に人間であった頃の姿を取り戻そうと必死に蠢く。
動く、ではなく、蠢く。
あまりにもおぞましい彼の形相に、一度は彼女も恐怖に身を退いた。ベタベタと何か糸を引くような彼の身体はとても普通の人間ではなかったし、地獄の奥底から生を求め唸るような声、繋ぎ合わせて出来上がった歪み切った巨体、何もかもが異常だった。
身体の形成が終わった彼は、泣きじゃくる彼女に気付くと、雑草の入り混じったぐずぐずの腕を差し出してきた。
「姐さん下がって! コイツは、俺が――」
トレスを庇おうと前に出たドスが拳銃を構えた瞬間――彼女は、彼の目を見て我に返った。
身体こそ歪み切ってはいたが、彼女に向けられたその眼差しは生前のそれと全く同じだった。
放っておけない、と駈け出しの彼女を助けてくれたあの時の眼差し。
温かさと、ちょっと不器用な優しさが混ざり合った柔らかい色。
「待って!」
ドスの握りしめていた拳銃を叩き落とし、彼女は異形と化してしまった彼の前に両手を広げた。身なりは変わり果ててしまっても、その中身は未だ彼なのだと彼女は確信した。
「姐さん、どうして?」
「……コイツは、うぅん。この人は大丈夫よ。ちょっと、イメチェンに失敗して、元に戻そうとしたのも失敗して……それだけ。それだけよ。慣れないことするから、バチが当たったのよ」
「で、でも」
「……ドス、一つ頼まれてくれない?」
「この状況でっすか? …………別にいいっすけど、何をです?」
「腕の良い闇医者をありったけ当たるのよ。彼を治療してもらうわ」
「本気で言ってるんすか!? もう旦那は」
「死んでない! ……こうして、生きてるのよ。アタシだって、わかってるのよ。だから、アタシは」
「……」
その真摯な眼差しと頑なな言葉にドスは何か言いかけた口を閉じ、そっとスマートフォンを取り出して知っている医者の連絡先へ片っ端からコールを入れる。
冗談はやめてくれ、と取り付く島もなかったのがほとんど。
診てみないとわからない、と一人だけ返してくれたが、法外な闇医者の中でも殊更高額を請求することで有名な奴だった。ひとまずの目処が立つと、彼女の目尻にまた別の涙が浮かんでいく。
「今すぐ来てくれても大丈夫、だそうっすよ。ちっと遠いっすけど……旦那は適当なトラックの荷台にでも乗せるしかないっすね」
「時間が惜しいわ、すぐに行きましょう。……あぁ、ドス」
ウノに頼んでキーを受け取ったドスの背中にトレスが声を掛ける。ドスが振り返ると、びっしょりと濡れた前髪越しに彼女の柔らかな表情が見える。優しい顔だ。
「……いつも、悪いね。無茶ばっか頼んでさ」
「べーっつに……まぁ、慣れてますし」
「アタシの我儘に振り回されっ放しだっていうのに、アンタは何だかんだついて来てくれてさ。長い付き合いだけど、本当に感謝してる。ありがとう」
「何も今改まって言わんでもいいじゃないっすか。ガラじゃないし、まだ何も解決にもなってないし」
「思った時に思ったこと言わないと、言えなかった時に損するじゃない? アタシは、そういう風に生きてるの。そういうの……ほら、刹那主義ってヤツ?」
訪れる一瞬一瞬を大事にしたい。
こんな状況の中で彼女は、ドスに笑ってみせた。
「…………んん、そんな言葉が姐さんから出るとは驚き……わわ、変なトコ小突かないでくださいよ。純潔な身体なんすよ?」
「ウーソばっか。その歳で彼女まで居て純潔とかないない」
けらけら笑いあって、それから彼女は旦那の下へと駆け寄っていく。
そんな後ろ姿を、彼はやれやれといった風の表情で見てから振り返って――ほんの少しだけ、眉根を寄せる。
「一瞬一瞬を大事に……っすか」
じゃあ自分は、その一瞬一瞬を何度後悔しただろうか。
「……ま、いいや」
濡れたポケットの中から煙草の箱をつまみ、辛うじて難を逃れていた一本に火を点ける。
舌の先がチリチリするような、湿っぽい味がした。
えぇっと……第3章は11話までで、エピローグが3つ、んで最後にあとがき……となってマスです。
こっちもすんげー雨でしたが、皆さまのトコは大丈夫だったでしょうか……?
次回更新は明日の22時。
では、待て次回。