《第2章/第6話》 約束と軋轢と愚か者の匂い。
雨音は弱まることを知らず、雷鳴と一緒くたになって静かな食堂を遠慮なしに響かせている。
本日の夕食はハンバーグに始まり、具材感たっぷりのオニオンスープに焼きたてのバケット、トマトサラダ、カットフルーツの盛り合わせと全力で洋食。御幸はそれらを黙って食べていた。料理の感想は一切口にせず、クラリッサも静かに食を進め、フランヴェルは時々マリエルにちょっかいを出したりしている。
「しかしアレじゃの、ピーマンが嫌いっていうヤツの心理がわからんのぅ。そりゃそのまま食えば苦かろうが、一度料理されてしまえば味なんぞ変わってむしろ美味しくなるというのに」
「じ、じゃぁ……お嬢様も、タマネギ、食べ、てくださひぃ」
「こんなん食わなくともわらわの血液はサラサラなんじゃい! じゃーから、代わりにマリエルが食ってもよいぞ? ほい、もひとつほい」
「ふ、ぅえぇ……」
てんやわんや繰り広げている合間に御幸はそそくさと料理を口に運んでは咀嚼、運んでは咀嚼という無味な作業を繰り返す。
早く済ませてシャワー浴びて寝たい。
今の御幸の頭の中はその思考に完全に支配されていた。決して愉快とは思えない状況は御幸の思考をマイナスへマイナスへと一方的に陥れ、いつまでこんな生活が続くのだろうかという不満や苛立ちをじりじりと積もらせていく。
「……む? 御幸よどうした? 手が止まっておるぞ?」
そして、自分でも気付かないうちに手を止めてしまったらしく、それを見たフランヴェルが怪訝そうな顔を浮かべた。そんな些細な行動が、御幸の苛立ちの矛先を無意識のうちに彼女へと向けさせる。鮮やかな紅色の瞳に、御幸の険しい表情が映り込む。
「…………質問しても、いいか?」
「お、おぅ……ッ!?」
思わず狼狽えた声を上げるフランヴェルに、合わせて二人の従者も驚きの表情を浮かべる。彼女たちからしてみれば予想外とも言える御幸からのアプローチに、フランヴェルは身構え、クラリッサは固唾を飲み、マリエルはその場でフォークを手にしたままあたふたと手をバタつかす。
「おお、おぅ、おぅッ、っとと、ごほッ、ごほん……ん、んんッ!」
「お嬢様、落ち着いてください。マリエル、お水を」
「ひゃ、ひゃわい!」
「よ、よい! ……やっぱ、ちょっと一口……んぐ、ふぅ。で、質問って何じゃ御幸? わらわのスリーサイズか? そりゃちょっと国家機密なんで口には出せんが、まぁほら、こんな場所じゃなくてしか、然るべき場所で」
「どうして、こんなコトをするんだ?」
「…………は? こんな、コト……とな?」
御幸の言う“こんなコト”の意味が分からず、フランヴェルも、クラリッサもマリエルも、互いの顔を見合わせる。
「えー……っと、すまぬ。何のコトを言っておるのかの?」
「どうして僕なんかの世話をするんだよ。別に頼んだ覚えもないし必要もないし、アンタら全員僕とは何の関係もない他人じゃないか」
「……お、おぉ! そのコトか! なーんじゃ、ビックリして損したぞ。というか、わらわも話そう話そうと思っておった所なんじゃ。やー、実に間の良い質問じゃの。はっはは……」
そう朗らかに笑って返すフランヴェルだったが、御幸の目の色は変わらず冷やかで揺るがない。食器の類を手元に置き、小さな咳払いをしてからフランヴェルは紅色の瞳で御幸を見据えた。
「……息子の幸せを守ってやってほしい。これはお主の父親、白桜御鷹が死ぬ間際に残した遺言で、わらわがヤツと交わした約束なんじゃ。わらわ達は皆御鷹には色々と恩義があっての。その恩に報いるべく、こうして今日まで白桜邸を守り、そしてお主が来るのを待っておったのじゃ。御鷹と契った、この約束を果たすためにの」
「……」
「……んで、そそ、その時に、じゃなぁ。モノは試しにと、御鷹に息子を婿にもらってもいいかのと聞いたら快諾を貰ったんで、つまり、その、御幸は親公認のフィアンセで」
「馬鹿じゃないの」
「……何じゃと?」
轟々と夜を震わす雷音。雨脚はさらに強まり、嵐のような勢いで窓を打ち鳴らす。
御幸の一言は、ただただ静かだった食卓の雰囲気に亀裂を招き、二人の間に剣呑な気配が渦を巻いていく。
しばし、無言。
ややあってから、フランヴェルは落ち付けと胸の内に念じながら口を動かす。
「馬鹿……とは、なかなかに酷い言い草じゃのう。して、何を以てお主はわらわ達を“馬鹿”と称するのかの?」
「全部。僕の幸せとか、遺言だとか約束だとか……全部だよ」
「……何処にも馬鹿と思える要因は見当たらないのじゃがの。わらわ達は、ただ御鷹との約束を」
「それが馬鹿だって言ってるんだよ……!」
静かに、御幸のその瞳に威圧や怒りが滲んでいく。
静寂と雨音、雷鳴と、小さな嗚咽。
クラリッサは震えるマリエルを抱き寄せつつ、御幸と対峙するフランヴェルを見守る。
「もういない人間の約束なんて、とっくに無効だろ。それなのに今までこの家を守って、律義に僕を待ってただって? 頭がおかしいんじゃないのか? しかもそんなくだらないコトに僕を巻き込んで、何がしたいんだよ。僕はアンタら何かに頼りたくもないし、一人でだって生きていける。だから」
「……一人で、か? ……ぷふッ、ふふふ……くっくく、くく……」
怒りを滲ませる御幸の口から出たその言葉に、不意を突かれたフランヴェルは思わず吹き出し、そのまま堪え切れなくなって大笑いをする。
「っく、はっはははははははは! そうかそうか、一人でか! なるほどのぅ。方向性こそ違えど、そういう所は御鷹と似るんじゃな。これは愉快で」
「……何が、おかしいんだよ」
「ふふッ、すまんすまん。何だかんだでお主と御鷹は親子なんじゃなぁと思っての。つい懐かしくなったわ」
「アレと比べるのは止めろ。……不愉快になる」
「それは遺伝というモノじゃし、仕方なかろうよ。……さて、話を少しまとめるかの」
用意された料理の数々は既に冷め切っていて、もう食事どころの雰囲気ではなくなっている。卓の上で両手を組み、フランヴェルは改めて御幸を見据える。紅色の瞳の中、まるで御幸は拗ねた子供のようだ。思い通りに事が進まず、憤りと不貞腐れが混じったような顔をしている。
「……わらわ達は御鷹との約束を守るべくここにいる。その約束はお主の幸せを守るということ。じゃが、当のお主にその必要性はない、と」
しかめっ面と無言で、小さく頷く御幸。
フランヴェルはそのまま続ける。
「そして、お主の希望は一人になりたい……というコト。それが御幸の幸せになるというのであれば、わらわ達も御鷹との約束に従い行動せねばならんの」
「お、お嬢……さ、さま?」
「クラリッサ、マリエル。先に行って身支度を済ませておけ。……わらわ達はこの屋敷を出ていくぞ」
「……かしこまりました。マリエル、行きますよ」
「ふぇ……で、みょ、あぅ、あ……あい……っぐ、ひぅ……」
異論を言うでもなくクラリッサは従者らしくフランヴェルの言葉に従い、小さく頭を下げてから泣きべそをかくマリエルと一緒に食堂を出ていく。ゆっくりと席を立ち、フランヴェルも彼女たちと同じように歩き出す。
「まぁ、短い付き合いじゃったが、それなりに楽しめたぞ。寂しくなったら、いつでもわらわの名を呼ぶがよいぞ。飛んで駆けつけてやるわい」
「嫌いなヤツの名前なんて、いちいち呼ばない」
「………………それも、そうじゃのぅ」
ドアノブを回す音、蝶番が響き扉が開く。
去り際、フランヴェルは一度足を止める。
「あぁ、最後にひとつだけ言っておこうかの」
「……」
フランヴェルの方を見向きもしない御幸の姿に、彼女はシニカルな微笑を浮かべる。
「人間とはの、決して独りでは生きれぬ生き物なんじゃ。……何故か分かるか?」
「興味無いよ」
「……さいで」
ドアが閉まる音がして、それから――雨音が延々と静寂に降り注ぐ。
「……独りが、一番楽に決まってる」
誰にだって迷惑を掛けない。
生きようが、死のうが、関係無しに。
冷め切った料理を見つめる御幸の目は幾許か冷静さを取り戻していて、それから少し、潤んでいた。
※
「……それでお嬢様? この屋敷を出ていくのはともかくとして、何処に行くというのですか? 我々も御幸様と同じようにほとんど行く宛てがないと思うのですが」
「……にょ、にょじ、ぅぐ……ひぃにゃ!?」
相も変わらずクールで動じていないクラリッサと、雨に濡れてるんだか涙で濡れてるんだか全く判別できないほどに顔面をびしょ濡れにするマリエルとに見つめられたフランヴェルは、彼女たちの手を掴み颯爽と上空へ飛翔。屋根の上に二人を連れると、ふんすと鼻息を一つ吐く。
「案ずるでない。わらわの予感が正しければ、今夜にでも彼奴等が動き出す」
「きゃ、つ……ら? だだ、誰、です……か……?」
「……わざと襲わせるつもりですか? 少々危険では」
「わらわ達に危険なぞあるものか。ここには人狼とバンシーと吸血鬼がおるのじゃぞ? ただの人間程度に後れは取らんわ…………が」
ニヤリと笑みを湛え、たかと思うとフランヴェルは急にがっくりと肩を落とし、不敵だった表情が一気にしょぼくれていく。
「……わらわ、やっぱ嫌われとったか……ぃやいや! ショックなんかじゃない! ショックなんかじゃない……んじゃ、ぞ……」
だんだんと背中が丸く曲がっていくフランヴェルに苦笑いと心配そうな表情の従者たち。
……雨は止まることを知らない。
激しく打ちつける雨音の中、何処からか近づいてくる何者かの気配をその身に感じ、フランヴェルはもう一度口の端を釣り上げた。
これにて第2章終了です。
次回から少々長めの第3章が始まります。
……んで、新作はちょーっと悩み始めてます。
次回更新は7月17日。
……誤字とか、大丈夫だろうか;
では、待て次回。