《第2章/第5話》 約束と軋轢と愚か者の匂い。
「……コーヒーメーカーぐらい、用意すればよかったか」
一度自室に入ってしまうと、部屋の都合上コーヒーを一杯を飲むのにも一苦労してしまう。給仕室は西棟の一階で、今御幸のいる部屋は東棟の最奥部。たかだかコーヒーの為だけに給仕室に向かうのは物凄く徒労に思えてならない。そのためにメイドや執事といった類の人物がいるのは承知しているが、そんな瑣末な事をいちいち頼みたくないし、御幸としては他人を頼りたくない。喉の渇きを我慢しつつ、特にやることもないため御幸はとりあえずPCを起動する。この部屋における、唯一の娯楽と言って差し支えない物体。脈絡もなくネットサーフィンを楽しむなり何なりして御幸は持て余した時間を潰す。意義の有無はともかく、少なくとも今の御幸はそれぐらいしかすることがない。
ニュースや動画サイトを適当に回って――十分ほどだろうか。
不意に、画面上にスカイプの着信画面が表示される。相手はシスター・アルマ。といっても、スカイプの連絡リストにはシスター・アルマしか登録されていないのだが。
「……シスター?」
『ハーイ、ミユキ。彼女たちとのハーレム生活はドゥーですか?』
「ええ、大変順調ですよ」
『ミユキがそういう風に即答する時は大抵ウソっぱちデースね。まーだ何かご不満デモ?』
「不満しかありませんよ……」
そもそも、一人暮らしをしようとしたら一人暮らし出来なかったという状況。
その上、同居人の胡散臭さと言うか微妙にハッキリしない素性の所為で信用も何もあったものではない。泣くと家を揺らすメイド、月を見ると狼になる執事、黒い翼が生えるご令嬢。口に出しても信じてもらえる気がしない事柄を切り捨てつつ御幸は一応の現状を報告する。
『フゥム……ところで、ミユキは彼女たちがどうしてアナタの幸せを守ろうとするのか気にならないんですか?』
「……いえ、別に」
『何の理由もなく、面識もナイ人の面倒なんテ、頭のネジがイッポンか二本抜けたようなよっぽどのオヒトヨシさんしかしようとなんて思いマせーん。彼女たちは、彼女たちなりに歴とした理由がアルんですよ?』
「……」
シスターの言い分を完全に頭から否定しようとは御幸も思っていない。が、それを聞いて御幸が納得するかどうかはまた別問題だ。シスターの言葉を無言で反芻してる間も、イヤホンからはシスターの甲高い声は止まない。
『彼女たちも、それカラ、そのマンションのコトもそーデース。私だって、何の理由も無シに御幸をそこに誘導したりしまセンし』
「……? ちょっと、待ってください。誘導って、どういう……?」
『オ、オー? ちょと、回線悪くて聞き取れマセーンでした。ワンモア、願いまーす?』
「……シスター」
『こほん。……アナタもアナタですよミユキ? 小さい頃はもっと素直で、優しくて、ぶすーっとした見た目の割にそこそこ面倒見も良くて、聞き分けもいい可愛いコでしたのに、ココ最近はちょっとひねくれ過ぎてマース』
「そりゃ、十年も歳をとったらこうもなりますよ」
『十年も経てば、普通はもう少し大人になるんですケドね』
「……どういう、意味です?」
イヤホン越しの声のトーンが急に落ち、シスター・アルマの言葉に引っ掛かりを感じた御幸は思わず体を前のめりにする。今の彼女の言葉は、まるで御幸がまだ子供であると言いたげな――否、言っている。十五歳、それも高校生になったばかりの齢だが、それでも自分を子供だと自覚なぞしないし御幸とて不服だ。
『ミユキ、アナタはまだ拗ねてるんですよ。お父さんに約束を破られたという、そのたった一つの事実に。あなたのお父さんがどんな人かはお話したと思いますが』
「拗ねてなんかいません。別に、もうアレは僕と無関係の人間です。僕は僕で」
『あの日を境に、それを原因にして他人を拒むようにもなって』
「……シスター」
物心ついた時からの、長い付き合いだからこそ、知っている。
シスター・アルマは基本的に物怖じせず言う時にはハッキリと言うタイプだ。相手の核心を狙い澄まし、根本だけを的確に突いてくる。だから口喧嘩で勝てた試しなどないし、今だって、御幸は奥歯を噛みしめている。
『ミユキ、いつまでもそんなままでは虚しいだけですよ。隣人を愛せ、とまでは言わないにしろ、アナタの隣には必ず誰かが居る方がずっといいと私は思います。だから――』
「お説教痛み入ります。……もう、切りますよ」
その言葉の先を待たず御幸は通話を一方的に切断しPCの画面を閉じた。徐に立ち上がり、窓際へと向かってカーテンを開く。いよいよ本降りになってきて、雨粒が窓を叩く音が激しくなってきている。予報を見るまでもない。明日も雨、だろう。
「……はぁ」
嫌になってくる。
他人も、自分も、何もかも。
※
「趣味の話をすれば誰だって多少なりとも乗るかと思ったわらわが浅はかじゃったな……」
ソファに身体を預け、フランヴェルはううむと唸る。そして、内心では慣れるだの慣れさせるだの従者たちに言う割に自分が一番慣れてないんじゃないかと焦っていたりもする。何か打開策は無いか、事前にグー○ル先生に訊ねても明確な回答は得られず、思い切って自分の趣味を肴にしてみれば手応えは一切無し。フランヴェルはソファにべったりと倒れ込み天井を見上げ小さく息を吐く。
「約束、したんじゃがの……」
御幸の父親、白桜御鷹が亡くなる寸前。
フランヴェルは彼とある約束を交わしていた。
それは、彼の息子――御幸の幸せを守ってほしいという約束。
幸せを守る、そんなあまりにも漠然とした願いだったが、フランヴェルはそれを快諾し、御幸と出会うその日を待ち続けた。
当初、フランヴェルにとっては滅茶苦茶カンタンな約束で、しかも物のついでに自分の玉の輿までゲットできる千載一遇のチャンス……なんぞ、思ったり思っていなかったりしていたが、実際に御幸と出会い、その歪み切ってしまった性格に衝撃を受け現在に至る。
「……御鷹よ、お主ならどうするのかのぅ? 孤児院に十年以上預けられ、寂しさに擦り切れてしまった者の心を動かすにはどうしたらよい? わらわが笑っても笑わない相手を、どうすれば笑わせられる? ……や、所詮ヒトではないわらわでは果たせぬモノじゃったという……」
考えれば考えるほど、まるで砂に埋もれていくかのように自分の思考がずぶずぶと沈んでいくのがハッキリと感じる。動いても、動かずとも、流砂に踏み込んでしまった足は飲み込まれていくばかり。それと同じだ。考えても考えても埒が明かない。歓迎会然り、御幸との接し方然り、ままならない状況にフランヴェルも頭を抱える。
「んにゃああ!? 悩んでも埒が明か…………あん?」
ふと、誰かの気配を感じフランヴェルはハッと身体を起こし窓辺へと向かいカーテンを開け放つ。
暗い闇の中から響く雨粒の音。
白桜邸の裏手は森となっていて、フランヴェルの紅色の瞳にはただただ鬱蒼と黒が広がる。気配は、その奥底から、じとり、とねっとりと舐めるように伝わってくる。が、程なくして消え失せてしまう。
「ふむ……?」
別段、珍しいことでもない。
フランヴェルたちがこの白桜邸で生活を始めたころからも時折似たような視線や気配の類を感じることは何度もあった。視線の見当はついている。が、どれもこれも実行に移ることはなく、放っておけば何の事も無し。
ただ、今回だけはどうも様子がおかしかったような気がする。……や、単純に久々なだけだろうか。
「…………む? これ、もしかしたら使えるんじゃなかろうか……?」
フランヴェルのピンク色の脳細胞に突如として閃いた一つのアイディア。
展開としては在り来たりというかオーソドックスというか、今の御幸にもちゃんと効果があるのか多少なりの不安も感じるし不確定要素が強いモノだが。
「ちぃとばかし様子を見てみるとするかの……」
「お嬢様ぁ。お夕飯、準備、出来ましたよぉ」
「む、もうそんな時間か。しかも今日の飯はクラリッサが作った……と。ふふ、楽しみじゃの」
控えめなノック音とマリエルの蚊の鳴くような小声はしっかりと耳に挟みフランヴェルはソファから立ち上がる。部屋を出る前、彼女はもう一度と窓際へ向かい夜の中へと視線を向ける。
「じゃが……妙な、感じじゃったの」
人、以外の気配を感じたような気がする。
気のせいだろうと首を振り、フランヴェルはカーテンを閉めてから部屋を出ていった。
雨が凄い……;
まだ梅雨明けてないってのもありますが、こっちの方は台風並みで朝がヤバかったです……
次回更新は7月10日。
そこで第2章は終了となります。
では、待て次回。