《第2章/第1話》 約束と軋轢と愚か者の匂い。
御幸が目を覚ますと、セピア色に暮れなずんだ孤児院が見えた。
「……孤児院? 何で、だって僕は」
あり得ない状況に驚き、そしてすぐさま、御幸はこれが夢だと気付いて顔を歪める。
昔、何度も見ていた夢。
しかし、もう何年と見ていなかった夢。
御幸が憎しみ嫌っている父親との、唯一の繋がり。
「おとう、さん?」
そんな声が聞こえたかと思うと、孤児院の入り口にはいつの間にかシスター・アルマと幼い御幸が手を繋いで並んでいた。まだその言葉の意味も曖昧な御幸は、これから来る人物がどういう人なのかをシスターから聞かされている。
父親は、仕事がとてつもなく忙しいから滅多に会えないということ。
母親は、御幸が生まれて間もなく死んでしまっているということ。
当時の御幸が断片的に記憶していたのはその二つ。その時のシスター・アルマの表情は、どんなだったろうか。今ではぼやけてしまっていて思い出せない。
やがて、取り留めもない話をしたりシスターと遊んだりをしているうちに大きな黒い車が孤児院の正面に見えてくる。ロクに整備もされていない道を獲物を狙う黒豹のように突っ切ってくると、運転席から黒い礼服を着込んだ男性が現れる。
「……」
サングラスを外し、獰猛な獣のような鋭い眼光を放ちながら小走りに二人の方へと向かっていく。父親、と予め知っていたとしてもその出で立ちの所為で威圧感ばかりが溢れ出ている。御幸は一瞬シスター・アルマの足元に身を隠して、それからシスター・アルマが一歩前に踏み込んだ。
「……」
「……」
何かを、話している。
だが、何を話していたのかだとかそういうことは覚えていない。二人の話が終わると、シスター・アルマは御幸の頭を一度撫でてから孤児院の方へと戻っていく。
残された二人は、家族のように接するでもなければ話をするでもなくただ待つのみ。
ふわ、と突如御幸に訪れた浮遊感。
そしてそれを見計らったかのようにシスター・アルマがカメラを片手に戻ってきて――光が奔る。
「必ず、迎えに来る。約束だ」
「……え? う、うん……わか……った……?」
それだけを言い残して、父親はまるで突風のように身を翻し黒い車を飛ばしてあっという間に消えていく。呆然とそれを眺めて、それから御幸は意味の分からぬまま契った約束を胸に抱いて生きてきた。
一年……二年……四年……。
時を経る度に言葉の意味を知り、約束の意味を知り、唯一の家族の存在を知った御幸は孤児院の中に居ても胸を高鳴らせ生きてきた。
そして八年、十年と過ぎた頃には、その経てきた時と現実が全て無意味だった悟った。
――約束。
それは、この世界において最も信用ならない言葉になった。
※
悪夢を見たとなれば寝覚めは最悪。
片手で顔覆い、陰鬱な空気を晴らそうと窓を開けたその先で広がる――鬱陶しく圧し掛かる分厚い灰色の雲。天気予報は曇りのち雨、雨はそのまま明後日まで続くらしい。本日の降水確率四十パーセント。本当に降るんだか降らないんだか中途半端なライン。
「……空き巣に、消えた死体?」
もののついでにと開いたニュースのトップに表示された奇妙な見出しを御幸は何となくタップ。
一つは、この雪霧町で二週間ほど前から多発しているかなり強引な手口の空き巣事件。御幸が目にした記事は一昨日に起きた、民家の壁を強引にぶち砕いて家に侵入して金品をありったけ盗んでいくという強引なモノ。もうほとんど強盗な気がしないでもないが、派手な手口の割に重機や爆弾等の使用痕跡が無く詳細は今もなお不明とのこと。
もう一つはほとんどゴシップというか三面記事というか、該当するページにも詳しく記載されていない。記事自体も少々古く、かいつまんで言うと、三週間ほど前に真夜中に郊外のゴミ捨て場で男性の腐乱死体を発見して警察に通報したのだが、警官が来るころには見つけた死体が何処かへと消えてしまっていたという話。単純に酔っぱらいか浮浪者が寝てて、起きてどっかに行っただけでは? というコメントが相次いでおり、御幸としてはそんな時間にゴミ捨て場で何やってんだという感想。場所が場所なので、所謂心霊現象なのではと恐いもの見たさで行く人間が後を絶たない、と記事は締めくくられている。
「……行こう」
携帯の画面をブラックアウトさせ、御幸はそそくさと身支度を済ませる。部屋の中に居ても少々寒い。安易にマフラーをあげてしまったのは失敗だったかと思いながらドアを開くと、
「お、おおっ、おっ、ふぁ、ようごじゃいま、まま……す、っすす……」
マリエルが立っていた。白いヘッドドレスにエプロン……まではごくごく普通なのだが、何故か今御幸の目の前にいるマリエルは、エプロンの下に紺色で滑らか生地の、決して服とは呼べないようなものを着用していた。その小さな外観からは想像も出来ないほど大きく膨らんだ胸元に、ひらがなで名前が書かれた名札がついてて、初雪のように薄白い彼女の小枝のような腕と、ムニッと程良い肉付きの太ももが非常に寒そうに震えている。
一言で言うと、スクール水着を下地にエプロンを着用したスク水メイドバージョンのマリエル。
大きなお友達が、こんな格好の彼女を真夜中の路上で見掛けたならば辛抱堪らんと突撃ラブハートすること必至。屋内とはいえ裸足で、しかもそんな格好もすれば、
「っくちゅ!」
くしゃみも出る。
「…………」
「ぅあ゛、ぃ゛、え゛っと、ごれ、わ゛、ぞ、の、あの、その……お、おじょ、じょ嬢様か゛ら その゛、ご命令で、ご主人さ、さまに会って、ちょ、ちょ、とぅらぶる起こひッ……こい゛っで、っでで、あ゛の゛……ひっぐ……ぇぅ゛う……」
疑惑というか、半ば蔑むような御幸の視線に、もうほとんど半泣きのマリエルは涙をぼろぼろ流しながらその身に降りかかった何とも理不尽な業務内容を力説。翻訳すると、お嬢様からの命令で、その格好でちょっとトゥラブル起こしてこい、と言われたらしい。完全に呆れかえってもはや言葉も出ず、御幸は踵を返して部屋に戻ってドアを渾身の力で閉じる。
ぽつーん…………と朝冷えが包む廊下の中でひとりぼっちになるマリエル。
心細さは言わずもがな、命令とは言え無理やり着せられたスクール水着に寒さが加わって彼女の不憫さといったらない。しかも当の御幸の歯牙にも掛けられずピシャリと扉も閉められマリエルのメンタルゲージは崩壊寸前。
涙が出ちゃう、いや、もう既に滝のように出てる。
「う゛……う゛ぅ゛……えぐっ……う゛わ゛あ゛あ゛ばびゃふ!?」
「……それでも着てろ」
臨界寸前のマリエルが大口を開けた瞬間、何かが頭から覆い被さってきて思わず尻餅をつく。ごそごそと覆い被さってきたモノを退けて何かと見てみると、それは御幸の通う雪霧第一高校指定のジャージだった。
「ふぇ……あ、あのごっ、ご御主人しゃ……あ」
マリエルが顔を上げた時には既に御幸の姿は無く、再び廊下にぽつんとひとりぼっちになるマリエル。冷え冷えとした空気だが、今は御幸のジャージのお陰でいくらか温かい。
御幸の匂いがほんのり残るジャージをきゅっと羽織りながら、マリエルはしばしぼんやりとその温もりに浸っていた。
……そのちょっと後、フランヴェルに物凄く怒鳴られた。
めげない!
……や、そりゃ気にならないって訳が無いんですけども;
そして今日から第2章のスタートです。
次回更新は6月12日。
では、待て次回。




