《第1章/第6話》 白桜邸と不愉快な他人たち。
御幸が越してきたこの町の名前を『雪霧町』という。
人口はおおよそ三百万弱、歴史的にも観光的にも特にこれと言って目立つエピソードや建物も無く、アニメの聖地にもならなければゲームの舞台に因んだようなあだ名も無い、こうして改めてみると地味さに拍車の掛かる町だ。町の南側は海に面していてやや温暖な気候ではあるものの、その名前の所為なのか四月を過ぎてなお冬のような冷え込みが続く今日のような日もある。御幸はマフラーをしっかりと巻き、ポケットに両手を突っ込みながら一人家路を往く。足取りは、言わずもがな重い。
「……」
疲れた。
いちいち口にはしなかったが、マフラーから覗かせる仏頂面がそれを雄弁に物語っている。引っ越し早々のアクシデントもそうだったが、学校という集団の中に居るだけでも相当な疲労度である。家に帰れば普通は気が休まって疲れも取れるだろうが御幸の場合そうもいかない。帰ったら帰ったで泣きべそかきっ放しの鬱陶しいメイドと、何故か突然狼に豹変する執事、それと鼻持ちならない小娘が我が物顔で跋扈している。跋扈している分には何の問題は無いのだが、そこに帰らなくてはならないというこの状況が御幸にとって一番辛い。
それに、あの屋敷の名前が、まるで喉につっかえた魚の小骨のように引っ掛かってしょうがない。もしかしたら、いや、十中八九御幸の予想通りとは思うのだが……
「……?」
そんな道中、ふと視界の中にランドセルを背負った小さな女の子が入る。電柱の傍で同級生と思しき女の子が寄り添って何やら声を掛けているものの、件の女の子は右ひざを抱えて泣いている。
「ほら、家までもうちょっとだから頑張ろ?」
「い、痛いよぉ……ひぐ、うぅ……ぇえん……」
街灯がチカチカと明滅を始め、ゆっくりと夜が近づいていく。そんな折に女子二名の姿を見、御幸はそっと視界から外して先を急ごうと決め込む。女の子の泣き声が、ゆっくりと遠ざかってきたところで、足を止める。踵を返し、歩きながら溜息を吐いた。
「怪我したのか?」
「ふぇ? う、うん……」
「……待ってろ」
突然声を掛けられ驚く少女の前に屈み、御幸は鞄の中から今朝買ったミネラルウォーターのボトルを取り出す。ハンドタオルに湿らせてなるべく刺激しないように優しく傷口を洗ってやると、最初は痛みに小さな声を漏らしていたが、だんだんと女の子の顔色が和らいでいった。
「最低限の応急処置だ。後は家でやって。……気を付けて、早く帰りなよ」
「う、うん! ありがと、おにいさん。……へっくち!」
「……」
最後に自分が巻いていたマフラーを女の子に巻いてやってから、御幸はくるりと踵を返し再び家路に着く。何か後ろで声が聞こえていたような気がするが気にはしない。そして、道をいくらか進んでから「男子高校生が女児を手当てしてマフラーを巻く事案」なんてのが明日のニュースで流れたらどうしようかと別方向で懸念していた。
「へーぇ? 転入生君ってば、優しいトコあるんだねぇ」
「……」
そんな声がしたかと思って振り向いてみると、御幸に真っ先に声を掛けてきた姿見由帆と、ついさっきまで一緒に居た森尾名奈の二人が並んでこちらを見つめていた。由帆は含みのあるニヤついた顔で、名奈は何かこう、ちょっと感動してますよー的な感じの顔で。
御幸はすぐさま視線を進行方向に向けて歩き出す。何故かその後ろを二人がついてきた。
「やー、鬼の目にもティアドロップ! まさか白桜君にそんな一面があるとは思わなかったよ」
「優しいんだね、白桜君って」
「しかも自分のマフラーまで渡しちゃうなんて! ……まさか、白桜君ってロリコン?」
「……」
チクチクと背中を突っついてくる視線に鬱陶しさを覚えながら、しかし御幸の頬はしっかりと赤くなっていた。状況も状況だが、よりによって女子に見られたというのが一番恥ずかしい。あれやこれやと勝手な言葉が後ろで飛び交っている中、御幸は肩をすくめながら歩みを進める。御幸の、家、と呼びたくはないが、この近辺はひっそりとした住宅街で人通りはあまり多くない。大きな街道が現地点より南側にあって、そこまで降りていけばスーパーなどを始めとする商店街があるはずだ。バスの窓から適当に眺めていただけであまり詳しくとは覚えていないが。
「でさ、二年生の図書委員にすんごいイケメンがいるらしいんだよ! 見なかった?」
「見てない……けど。というか由帆ちゃん、今日はさっさと帰るんじゃなかったっけ?」
「んにゃー、教室にうっかり忘れ物しちゃったもんで戻ってきたんだよ。そしたらなぁな見つけたんで、一緒に帰ろうってワケで」
御幸の後ろから二人の声が止むことは無く、早く道を違えてくれないかと歩きながら思い続けるも効果などあるはずも無く、女の子に声を掛けたことを物凄く後悔していた。
「転入生くーん、よかったらなぁなのお店一緒に寄らなーい? 初回なら、なぁなのお父さんが御馳走してくれるわよー」
そういえば、店はあの屋敷から五分と掛からない距離にあったことを思い出す。つまり途中で道を違える可能性はほぼゼロとなったというわけである。御幸は小さく息を吐いた。
無言の背中を見、由帆は柳眉を寄せる。
「……よくわかんないなぁ。ちっちゃい子には優しくてアタシらじゃダメ? ほーんとにロリコンじゃないでしょうね……」
「そ、そういうの大きな声で言っちゃダメだよ由帆ちゃん……」
「だーってさー……」
唇を尖らせる由帆の小脇をかなり控えめに突っつきながら、名奈は何も言わぬ御幸の背中をまじまじと見つめる。背丈は名奈や由帆に比べれば断然高い。単純に十センチぐらいは高いのだが、名奈にはどこか寂しそうに縮こまっているように見える。ぼーっとしていると、今度は名奈が小突かれて一瞬よろける。
「……やっぱり、気になるんじゃん」
「そんなこと…………や、うん。ちょっとだけ、気になるかも」
「んまッ!?」
奇声を上げて固まった由帆に釣られて名奈の足が止まり、御幸は無視してさっさと進んでいく。
「……なぁな、熱とかある? 変なモノ食べた? アタシの誕生日言える? ほら、まずはアタシの指の数を数えてみ?」
「ね、熱も無いし変なモノなんて食べてません! ……というか、由帆ちゃんは私がちょっと気にしたぐらいで大袈裟だよ」
「大袈裟も何も、なぁなと一緒に居てかれこれ十年以上よ? 今まで一度だってそういう話に見向きもしなかったなぁなが、高校入学して、転入生クンの登場でこうなっちゃったんだから、幼馴染兼相棒のアタシもそりゃ流石に驚くって……」
「そういう話……に、直結はしないんだけどなぁ」
「だってだって気になるって言ったじゃん! 相合傘に自分の名前書かれようがラブレター貰おうが反応見せなかったあの名奈が!? むしろアタシも気になっちゃうってば!」
「そ、それどっちとも幼稚園の話で……あ」
気が付けば御幸の姿は消えていて、二人は喫茶店「フォレスト・テイル」の真正面に辿り付いていた。
ちょいと遅れそうになりましたがギリギリセーフ。
何かこう、きっちり定時で更新できると個人的に嬉しいです。
次回は5月29日更新予定。
では、待て次回。