悪魔と召喚士の半額セール
「何故悪魔らをセールに参加させたんだ」というツッコミは無しの方向で(笑)
買い物はなるべく安く済ませたい。主婦でも一人暮らしの若者でも、それは多くの人が同じように考えている事ではないだろうか。それは、この魔法の世界でも、庶民の中では共通の思考であるのだ。
ある朝。寝起きのマオの部屋の窓をつつく伝書鳩が。騒がしいなと悪態をつきながら乱暴に窓を開けてやると、鳩がくれたのは露店のチラシだった。
『卵二十個パック 本日限定で五割引!』
マオが狭い広間の上にかけられたハンモックを、下から思い切り蹴り上げると、悲痛な叫び声と共に少年が落ちてきた。
「痛え…朝からなんだよマオ!」
「喜べデイビット。隣町で卵が大安売りだ。早く仕度をしろ」
堅い木の床に落ちて痛む背中をさすりながらチラシを受け取る。
「半額かぁ~。そりゃ超お得…。って、隣町って言っても山一つ超えた所じゃんか!」
「わかっている。だからさっさと仕度しろと言っているんだ。急がないと売り切れる!」
話しながらも、彼女はそそくさと銅貨の数を確かめ、袋を手に持ってきている。準備の早さに、デイビットも苦笑に顔を引きつらせる。
「…近くの店で買えばいいじゃんか。粘れば二割引くらいは…」
「だめだ。節約のためには手段は選べん。何せ既に財布が軽くなってきてるからな」
そう言うとマオは、しゃがんでずいと顔を近づけてきた。白い肌に映える黄色と紫のオッドアイが彼を見つめる。一瞬とまどいそうになったが、その視線が孕むものは、そんな美貌に相応しくない、脅迫じみた言葉だった。
「それとも何だ?主である私に超下級悪魔のキサマが逆らえるとでも思っているのか?」
彼女は立ち上がると、デイビットの額に生えた角を掴んでそのまま壁にたたきつける。後頭部がじんじん痛む。
「いってえぇ……わかりましたよ行きますって!」
半ばやけくそで小さなツリーハウスを降り立った。振り返ると、マオの目が、満足そうに輝いているように見えた。
デイビットは、あの悪魔の王サタンの、下の下のそのまた下の…要するにヒラの『下級悪魔』である。そんな彼は、今はこの美少女守銭奴によって召喚された召使い。マオはデイビットを『下級悪魔』と小馬鹿にするが、そう言うアンタは鬼だよと言い返したい衝動に、何度駆られたことか。なんで自分を召喚した魔法使いがこんなのだったのだろう…。
悶々としながら林道を歩くデイビット。いつの間にか前にいたマオはそんな悩みは露知らず。目の前の洞窟の中へ、颯爽と入ろうとした。
「あれ。山登るんじゃないのか?」
「そんなことしたら半日はかかるだろうがアホ。ここには親切にもトンネルが掘ってある。まあ、真っ直ぐではないがな。木の根をよけたら、中心地以外がかなり曲がった道になってしまったようで、山賊が潜んでることもあるらしい。いいか、お前の肩の角に代えてでも、金は守れ」
「自分の忠実な下僕より金かよ…」
さすがに我慢ならず愚痴を吐いたら、刃のような視線にさらされてしまった。心臓どころか直接胃に刺さった気がしたデイビットだった。
そんな様子にも頓着しないマオは、曲がりくねった洞窟の道を、何の迷いもなく歩き続ける。前に通ったことがあるのか、というデイビットの憶測は、その数分後に打ち砕かれた。
「おいデイビット。方位磁石か地図は持ってきたよな?」
「いや。買い物に持って行く物でもないし…」
「この無能!」
いきなりその辺の小石を投げつけられた。彼がひ弱な人間だったら、額から出血して、しばらく動けなかっただろう。
「いっつ~…何かどんどん暴力がエスカレートしてないか!」
「お前が役立たずなのが悪い!このままじゃ卵どころじゃない!」
「いきなり何言って…」
言いかけて、ハッと辺りを見回すと、マオが進もうとした方向が行き止まりだったことに気づく。
そういえば、自分たちはどこをどう歩いてきたのだろうか。デイビット自身はマオの背中を睨みながら「おのれ鬼め」と呪っているのに必死だったため、周りの様子なんてろくに見ていなかった。そして今、彼女は進行方向を確認する道具を要求した。つまり……。
「マオ、アンタ…道、迷った?」
マオの顔が強ばるのを認識するや否や、もう一度小石をぶつけられた。さすがに今度は軽く出血した。
「っ~~!…図星?」
「黙れ!お前がよく見てないのが悪い!」
心なしか、さすがのマオも焦っているように見えた。肝心なところが抜けている彼女が、また恨めしいデイビットであった。
「あぁ~、こんな洞窟ン中で迷うか…。参ったなぁ」
この際小石事件のことは気にしないデイビット。とりあえず来た道を戻ろうとする。しかし、その足はすぐに止められた。
突如、屈強そうな男が十人ほど、二人の目の前に現れたのだ。
「山賊だと!チッ、よりによって今…」
「察しが良いなぁ嬢ちゃん。さあ、有り金全部置いてけ!そうすれば命は助けてやろう!」
賊のリーダーらしき男が短剣をこちらに向けてきた。他の男達もじわじわ寄ってくる。
「マオ!なんか出来ないのか?」
「馬鹿を言え!私は今こいつらを撃退できるような魔法の呪文を覚えていない!なぜなら私が覚えなくてもドラゴンや悪魔を召喚すれば済むからだ!」
「それじゃあ早く召喚してくれよ!この際何でも良いから!」
「言われずとも!」
ローブの裏ポケットから小さな紙を取り出すと、それを地面に思い切りたたきつけた。すると、奇妙な魔法陣が描かれた紙はぐんぐん大きくなり、やがてまばゆい光を放った。
山賊達が目をつぶっているうちに現れたのは、ネグリジュ姿の、黒い翼を持った悪魔だった。
「…ちょっと、何よ急に~。せっかく勤務が終わって寝ようと思ってたのにぃ」
悪魔は呑気にあくびなんてしながら言った。
「…うわぁ。そりゃ何でも良いとは言ったけど、何もここでミーシェさん召喚することはないだろ。そりゃ今俺らは危険な状況だし、何でも良いとは言ったけど…」
「あんら!デイ君じゃな~い!こんな薄暗い洞窟の中でマオちゃんとデート?んもう、セレクト微妙じゃな~い?」
がっしりした腕でデイビットの肩を掴むミーシェ。真っ赤な紅を塗った口がよく喋る様子に、マオはかなりイライラしているようだ。
「カマ悪魔、私らは忙しいんだ。さっさとそこの山賊共を退治してくれ。もれなくデイビットの卵焼きが食えるぞ」
「あら!デイ君の手料理頂けるのぉん?契約した召喚者の命令は元々絶対だけど、だったら尚更頑張っちゃおうじゃなーい!」
「…ハイハイ。俺が作ればいいのね。わかったよ…」
すると、山賊共はしびれを切らしたのか、リーダーの大声と共に、こちらに突っ走ってきた。デイビットは情けない悲鳴を上げてしまったが、ミーシェは呑気な顔をほとんど崩さず右指をぱちんと鳴らす。
瞬間、赤紫の波が、恐ろしいほどのスピードで山賊共を押し流した。波はミーシェの浮いた足下で生まれたようだ。近くの岩の上に避難していたマオには見えた。
波は数秒で消えたが、山賊共を倒したり、追っ払うのには十分すぎたようだ。味方も一人(?)巻き込んだくらいだから。
「あら、デイ君逃げ切れなかった?ごめんなさ~い。卵焼きはよろしくね」
「…ホント、死んでないのがおかしいくらいだよ。全身痛い」
「トンマに付き合っている時間はない。いざ卵を買いに」
相変わらず目的以外のことには無頓着なマオ。さすがにデイビットも無視することにしたようだった。
「喜べ悪魔共。ついに着いたぞ」
何ともご満悦そうな笑みを浮かべるマオ。真昼の太陽に真っ直ぐ照らされて輝いている。
「えぇハイ、うれしそうで何よりです」
「フフフ、マオちゃんったら、可愛いんだから」
マオはさっそく目当ての店まで他の客を押しのけて進む。顔をしかめる人もいたが、彼女の視界には全く入っていないだろう。なんだか頭が痛くなってきたデイビットであった。
デイビットが二回あくびをした辺りで、ようやくマオが帰ってきた。右手にしっかり卵を入れた袋を握りしめている。すぐにデイビットに手渡したが。
「卵買うだけで結構時間かかったわねぇ」
「さらに二割引させた。もちろん元の値段でな」
「ハァ?実質七割引じゃねーか!向こう大損じゃねーか!」
ふとさっきの店を見ると、店の人がこちらを睨んで「二度と来るなー!」などと怒鳴っている。下級悪魔の顔も青ざめた。
「さあ帰るぞ。用は済んだ」
「帰りはアタシの魔法でテレポートしましょ。デイ君の卵焼き食べたら帰るわねん」
やれやれと溜息をつくデイビット。だがまあもう不安はない…。
「おーいアンタらぁー!」
さっき来た方向から、四十代くらいの男性が走ってきた。
「あの、どちら様ですか…?」
「うわ角ッ!…あ、獣人か」
もちろんデイビットは獣人ではなく悪魔だが、それを言うと面倒そうなので黙っていることにした。そしてそれは実際良い判断だった。
「私はあの山の上にある町の者だ。さっき町の一部が突然爆発でめちゃくちゃになったんだ!原因を調べたらトンネルの中で強すぎる魔力が発生したようで…山賊に話を聞いたらアンタらだそうだな!町は大変な騒ぎだ!損害賠償を要求する!」
たちまち身を強ばらせるマオ。こちらに振り向いた彼女の目はうっすら涙ぐんでいる。とりあえず目をそらした。
ある朝。寝起きのマオの部屋の窓をつつく伝書鳩が。騒がしいなと悪態をつきながら乱暴に窓を開けてやると、鳩がくれたのは露店のチラシだった。
『マンドラゴラ五本束 午前中限り八割引!』
マオが狭い広間の上にかけられたハンモックを、下から思い切り蹴り上げると、悲痛な叫び声と共に少年が落ちてきた。
「痛え…朝からなんだよマオ!」
「喜べデイビット。前と反対の隣町でマンドラゴラが大安売りだ。早く仕度を…」
「こりねぇなアンタは!」