9話 検査の結果
翌日、7月の第三金曜日。夏休みまであと1日。
小林姉弟の両親は、7時ごろに仕事に向かった。
今は、玄関で宗人を送り出すところ。
「僕の教科書とか、忘れないで持ってきてね?」
「心配するな。じゃ、行ってくる。帰ったら検査の結果、見せてくれよ?」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
ドアが閉まったのを確認して、僕が使っている部屋に向かう。
今日も大学に行くので、その支度をしなければ。
午前10時、部屋で宗人から借りた漫画を読んでいると、廊下から由梨絵さんの声。
「真太郎、そろそろ行くよ~」
「あ、はい!」
服はすでに着替えてあるので、携帯と財布の入ったカバンを持って、廊下に出る。
「・・・ねえ、真太郎」
「なんですか?」
「もう少し派手な服にしたら?」
「・・・え、変ですか?」
今日の僕の服装は、青色のTシャツに紺色のジーパン、靴下は黒色。
僕的には、涼しそうでいいと思うのだが・・・。
「コーディネートも教えてあげないとね・・・」
「あの・・・変なんですか?」
「さ、大学に行きましょう」
「ゆ、由梨絵さん?」
そんなに変だったのだろうか。まあ、センスがあるほうではないということは分かっていたが・・・。
悪目立ちしないために、少しは服の勉強もしなければ。
大学へと向かう途中。
「あの、由梨絵さん」
「なに?」
ほんの少し、気になったことを訊いてみる。
「由梨絵さんの携帯に付いてるストラップって、何のキャラクターなんですか?」
「ああ、これ?」
ポケットから携帯を取り出し、僕に渡してくる。
「前に放送してたアニメに出てきた、猫のキャラクターよ」
「何てアニメですか?」
「えっと・・・忘れちゃった♪」
「そ、そうですか・・・」
この人の考えは、本当に読めない。
それにしても。
「可愛いですね、これ」
「え?・・・あ、うん、そうね、可愛いわね」
「・・・?どうかしたんですか?」
由梨絵さんの表情が、どこか暗くなったような気がする。
「・・・真太郎って、何の色が好き?」
「え?・・・あ、青色、です」
「本当は?」
「・・・・・・」
いや、確かに本当のこと──だった。『男の時は』好きだった。
今の僕が好きな色は──。
「・・・ピンク、です」
「・・・そう」
色の好みまで、変わってしまったのだろうか。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙ってしまった。そこまで変なことを言ったつもりはないのだが・・・。
結局、大学に着くまで、この沈黙が破られることはなかったのだった。
◆◆◆
午前11時、生物学科研究室前。
「いらっしゃい、二人とも」
「今日はよろしくお願いします、佳奈美さん」
「・・・あ、うん。よろしくね、由利ちゃん」
・・・やはり、昨日と同じくらい様子がおかしい気がする。
「で、佳奈美、結果は出たの?」
「ええ。・・・と、その前に由利ちゃんに質問してもいい?」
「はい」
僕に質問?どんなことを訊かれるのだろう。
「由利ちゃんって、お兄さんか弟さんがいる?」
「へ?・・・いえ、兄弟も姉妹もいないですけど」
「・・・そう、分かったわ」
どこか残念そうな表情。一体何なのだろうか?
「佳奈美、質問ってそれだけ?」
「うん。で、結果なんだけど・・・」
そう言って、1枚の紙を差し出される。
・・・見てみたが、内容がまったく理解できない。
「あの、これはどういったことを表しているんですか?」
「えっとね、これは由利ちゃんの検査結果。特に異常は見つからなかったわ」
「そうですか、よかった・・・」
異常、というのが何を指しているのかは分からないが、まあ、見つからなかったというのはいいことなのだろう。
「で、もう一人のほうだけど・・・由利ちゃん、もう一つだけ質問してもいい?」
「はい、もちろん」
一拍置いて。
「由利ちゃん、あなた一体、何を調べに来たのかしら?」
◆◆◆
なんでこう、俺にばかり困難が迷い込んでくるのだろうか。
──なんて言ったら、真太郎に失礼だな。
今はあいつの方が大変なんだ。──いや、それでもだ。
この状況は、無いんじゃないか?
「小林君、正直に言いなさい」
「・・・俺は正直なことだけを話していますよ?」
・・・学校が終わり、放課後。
俺、小林宗人は、クラスの担任の教師に呼び出されていた。
「昨日は君の言うことを信じて、石灘君の家には電話はしなかったけど・・・今日はするからね?」
「いや、ですから、今日も真太郎の親は旅行に行っていまして・・・」
昨日は、真太郎の親が旅行に出かけているから、という理由で電話させないことに成功したが、今日は通用しそうにない。
「だとしても、家に石灘君はいるだろう?」
「いや、真太郎は体調が悪いから、電話に出られないと思うのですが・・・」
・・・自分でも、苦しい言い訳だと思う。
「あのね、自分たちの子供が体調が悪くて寝ているのに、2日も連続で旅行に行く親なんていないんだよ?」
「よ、世の中の親全てがそういうわけではないと思いますが・・・」
「・・・小林君」
・・・物凄い眼光で、睨んでくる。
「何を隠しているのかは分からないけど、今日は石灘君の家に電話するからね」
「そ、そこをなんとか・・・」
そんなことになったら、真太郎の親に一連の出来事がばれてしまうじゃないか。こうなれば、担任にも伝えるしかないか?
・・・やめておこう、元に戻る方法があるかもしれないし、話さないほうがいいだろう。
「そういうわけだから、小林君はもう帰って大丈夫だよ」
「は、はい・・・失礼します」
仕方ない、覚悟を決めるか。
◆◆◆
「え、それはどういう・・・」
「佳奈美、何を訊いてるの?」
『僕が何を調べに来たか』──?
「あなたが知ろうとしていることが何なのか、教えてほしいのよ」
「・・・え?」
僕は──今の身体と男の時の身体に、何かしらの共通点があればいいな、とは思っているけど・・・。
「すみません、言えないです」
「・・・そう」
上手い言い訳が思いつかなかったので、そう言ってその場をやり過ごすことにした。
「ねえ佳奈美、そろそろもう一人のほうの結果を教えてもらえないかしら?」
「・・・ええ、そうするわ」
もう1枚の紙を、僕らの目の前に置く。
「もう一人のほうも、遺伝子に異常は見つからなかったわ」
「そうですか・・・」
「で、由利ちゃんともう一人のほうの検査結果を、見比べてみたんだけど・・・」
・・・・・・。
「ど、どうなったの、佳奈美?」
「・・・由利ちゃんのお兄さん、或いは弟さんの可能性が高いわ」
・・・え?
「ちょっと佳奈美、どういうことなの?ちゃんと説明して・・・」
「今言った通りのことよ。由利ちゃんともう一人の間柄が、姉と弟、もしくは妹と兄──の可能性が高いのよ」
「そ、そうですか・・・」
男の時の僕の身体と、今の身体は、兄弟姉妹の可能性が高い──?
僕に姉妹はいない。──つまり、手掛かりがなくなったということか?
「あの、この紙はもらっていってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「えっと、お金は・・・」
安くなると言っても、4桁はかかるはずだ。
「お金はいらないわ。正規の手順で調べたわけじゃないから、今回の検査は無料ってことにしといてあげる」
「いや、そういうわけには・・・」
「私がいいと言ったんだから、それでいいでしょ?」
・・・苛立っているのか、口調が少し荒くなっている。
「あの、由梨絵さん・・・」
「佳奈美がいいって言ってるんだから、それでいいじゃない。さ、私たちは帰りましょう。佳奈美、ありがとね。今度何か奢るわ」
「気にしないで。・・・ねえ、由利ちゃん」
「は、はい」
僕の目を、じっと見つめてくる。
「事情は知らないけど、──頑張ってね」
「・・・はい。検査、ありがとうございました」
佳奈美さんにエールをもらい、僕らは駐車場へ向かったのだった。
◆◆◆
「・・・・・・はあ」
結局、訊けなかった。
最後、口調が荒くなっちゃってたの、気付かれたわよね・・・少し困らせちゃってたみたいだし、気を付けなくちゃ。
「・・・石橋由利ちゃん、か」
先輩と、そっくりな子。
性格はあまり似ていなかった。先輩は元気いっぱいって感じだけど、由利ちゃんはすごく大人しい感じだった。
──伝えるべき、なのかな。
由利ちゃんが何を隠していたのか、それさえ分かれば伝えてもよかったんだけど・・・話してはくれなかったな。
「・・・ま、他人の空似かもしれないし、ね」
というか、そっちの可能性の方が高い。
でも、先輩が意識を失っていることと、私の前に石橋由利という存在が現れたことに、関係があったとしたら──。
「・・・今日もお見舞い、行っておくか」
行けるときに、お見舞いに行こう。
『♪~♪~♪~』
・・・着メロ。電話のようだ。
知らない電話番号だが・・・。
「はい、網走です」
『もしもし、佳奈美ちゃん!?』
「その声は・・・先輩のお母さん?」
昨日も病院で会った、先輩のお母さん。
──声が震えている?
「・・・何かあったんですか?」
『由美が、由美が・・・』
かなり、混乱しているようだ。
「落ち着いてください、何があったんですか?」
『・・・お医者様から、言われたのよ』
・・・嫌な予感。
「・・・今は病院ですか?」
『ええ、旦那と一緒に・・・』
「私も病院に向かいます。15分くらいで着くと思うので、待っていてください」
『え、ええ、待ってるわ』
・・・電話を切り、支度をする。
大学へは車で通っているので、移動方法の心配はいらないと思うが・・・。
「・・・先輩」
頑張って、ください。
◆◆◆
俺、小林宗人は、今までの人生の中で最大の危機に瀕していた。・・・一昨日もこんなことがあったような気がするが。
──だが、この間よりも状況が悪い。
「宗人君、どういうことなの?」
「宗人君、うちの真太郎はどこにいるんだ?」
・・・真太郎のお母さんだけでなく、お父さん──石灘隆さんまで、俺の家に来てしまったのだ。
すでに『真太郎が学校を休んでいる』という事情を知ってしまっている。
「もう少し待ってもらえば、真太郎と姉ちゃんが帰ってくるので・・・」
「・・・本当だろうな?」
思いっきり睨んでくる。・・・やっぱり、真太郎のお父さんは苦手だ。
「帰ってきてから説明しないと、信じてもらえないと思うので・・・」
「宗人君、本当なのね?」
「はい、本当です。姉ちゃんからの連絡だと、あと少しで来ると思うので・・・すみませんが、それまで待っていてください」
「・・・仕方ないな、分かったよ」
今の俺が説明したところで、証拠がないから説明のしようがないからな。
『真太郎の記憶』が一番の証拠になるだろうから、帰ってくるまで待つしかない。
早く帰ってきてくれ、真太郎!