5話 これからの予定
デパートを出て、小林家に帰る途中。
「・・・あ!忘れてた!」
「え、ど、どうかしたんですか?」
何かに気付いたのか、いきなり大きな声を出す由梨絵さん。一体何事だ?
「そういえば、アレも来るのかしら?」
「アレってなんですか?」
『アレ』?誰かのことか?
「え、生理のことよ?」
「なんだ、生理のことでしたか・・・っていきなり何を言っているんですか!?」
まるで知ってるのが当たり前みたいな態度で言われたので、一瞬反応が遅れた。女になっても僕の心は男のままなんだから、さすがにそういうことは話してはいけないのでは・・・。
「あのね・・・何度も言うけど、今のあなたの身体は女の子なのよ?心が男でも、来るものは来るわよ」
「いやしかし、あのですね・・・」
駄目だ、動揺して言葉が全く出てこない。『少しは言い返せるようにならないと』なんてデパートで思ったばかりなのに。僕ってホントに突然の状況に弱いな。
「まあ、すぐ来ると決まったわけじゃないからね。来たら私に言いなさい。分かった?」
「はあ・・・はい、分かりました」
来るまでに元の身体に戻れればいいのだが、いつ来るか分からないからなあ。そもそも、この身体に生理は来るのだろうか?・・・不安だ。
こうして、僕の心配事がまた一つ増えたのだった。
◆◆◆
・・・俺、小林宗人は現在、今までの人生の中で最大の危機に瀕していた。
「あら、いないのかしら・・・」
チャイムが鳴ったので2階の窓から外を見てみると、玄関の前に、俺もよく知る人物が立っていた。
・・・今は、一番来てほしくない人物だ。
(な、なんでこの時間に・・・?)
今は、午後4時を少し過ぎたところ。俺の父さんと母さんが帰ってくるのは基本的に6時過ぎだし、俺だって普段は部活をやっている時間だ。なんで今日はこんなに早く来たんだ?
どうしよう、出るべきだろうか。このまま居留守を使えば帰るだろうけど、また来る可能性もある。
「いないみたいだし、帰ろうかな?」
悩んでいてもしょうがないので、1階に行き、鍵を開け、ドアを開ける。
「あ!久しぶり、宗人君!」
「お、お久しぶりです・・・真太郎のお母さん」
真太郎のお母さん──石灘美佐子さん。
真太郎とは小さいころからの付き合いなので、真太郎のお母さんともよく話をしたことがある。
それにしても、なぜ来たのだろうか。真太郎が女になったことは知らないはずだし・・・。
「肉じゃがを作ったから、持ってきたの。今日は部活がないって真太郎が言ってたから、もしかしたら宗人君がいるんじゃないかと思って来たのよ」
「あ、そうだったんですか・・・」
「・・・?どうかしたの?」
「いえ、なんでも」
そういえばそうだった・・・今日は部活がないんだった。色々あり過ぎてすっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ、これ、お夕飯にでも食べてね」
「はい、ありがとうございます」
「それじゃ、帰るわね。これからも真太郎と仲良くしてね~」
「はい、もちろん」
よし、鉢合わせはなんとか回避できそうだ。
あれ、駐車場に赤い車が入ってきた──って、あの車はまさか!
「あ、由梨絵ちゃんじゃない!ナイスタイミング!」
・・・バッドタイミングです、いやマジで。
◆◆◆
「お久しぶりですね、美佐子さん!」
「本当に久しぶりね、由梨絵ちゃん!」
じょ、冗談でしょ・・・なんでお母さんが小林家に?
いや、いたらおかしいわけじゃない。こば・・・宗人とは保育園のころから一緒に遊んだりしていて、親同士も仲が良いのだ。何かの用事でお互いの家を訪ねることは結構ある。
「あら、そっちの子は?」
「親戚の子です。今日一緒に買い物に行ってきたんですよ」
上手い具合に誤魔化してくれた。さすが由梨絵さん、突然の状況でもすらすらと言葉が出てくるのが、すごく羨ましい。
「へえ、そうなの。名前はなんて言うの?」
「あ、え、えっと・・・」
なんて言えばいいのだろうか。『真太郎だよ』なんて言えるわけがないので、適当な偽名を・・・何か、何か・・・。
「い、いし・・・石橋、です」
「石橋さんね、下の名前は?」
・・・まずい、誤魔化しきれそうにない。
芸能人の名前とか、漫画の登場人物の名前とか・・・ああ、全く思いつかない!
「由利ちゃんっていうんですよ、名前が似てるから、話しかけたら面白い子で・・・それで、一緒に遊ぶようになったんです」
僕が困っているのを感じ取ってくれたのか、由梨絵さんが助け船を出してくれた。
「石橋由利ちゃん・・・うん、いい名前じゃない!私は石灘美佐子、よろしくね!」
「は、はい!よろしくお願いします!」
「礼儀正しくて、いい子じゃない。・・・宗人君の彼女?」
「何を言ってるんですか!?」
家の中にいた宗人が、今まで見たことのないような表情でツッコミを入れる。
僕も『僕は男だ!』と心の中でツッコんでおく。・・・女だったら付き合いたいと思うのだろうか。
身体は女だが、そういう気持ちはやはり理解できないままだ。・・・出来たら出来たで(戻れなくなる的な意味で)色々とまずいと思う。
「じゃあ、私は帰るわね」
「あ、真太郎のお母さん、ちょっと待ってください」
「ん、どうかしたの?」
宗人が僕のお母さんを呼び止める。
「今日、真太郎が泊まりに来ることになったんです」
「あら、そうだったの?真太郎からまだ連絡が来ていないけど・・・」
「まだ学校にいると思います。終わったら連絡が行くと思いますよ」
「そう?じゃあ、今日はよろしくね、宗人君、由梨絵ちゃん。また料理を持ってくるわね。じゃあね~」
そう言って、お母さんは車に乗って帰って行った。
全く、来るなら連絡くらいするべきだと思う。いくら石灘家と小林家の仲がいいと言っても、電話くらいはするべきではないだろうか。
・・・という話を以前小林姉弟にしたところ、『真太郎は礼儀正しすぎだ』と言われたので、もう二人には言わないことにする。
小林(宗人)を名前で呼ぶことについては、『確かにややこしかったもんな』と言って快諾してくれた。やはりそう思っていたのか。
「ただいま」
「帰ったわよ~、あら、由梨絵が帰ってきてるのかしら?」
少し早目に宗人の両親が帰ってきたようだ。リビングを出て、玄関に行く。
「ただいま、二人とも。・・・おや、その子は誰だい?」
「あの、お久しぶりです」
「あら?前に会ったことがあったかしら?」
当然の反応。・・・信じてもらえるだろうか。
「雰囲気がどことなく、真太郎君に似ているね」
「「「え?」」」
思いがけない言葉に、家にいた三人が一斉に反応する。
「そうね、優しそうなところが似ているわね」
「あの、・・・僕、石灘真太郎、本人です」
「「・・・え?」」
◆◆◆
「確かにこれは、真太郎君の保険証だ・・・」
「こっちの生徒手帳も、本物ね」
宗人の時より時間が掛かると思っていたが、予想外に早く終わった。宗人の疑い深さは誰の影響なのだろうか・・・。
「うん、信じよう」
「あの、なんでそんなすぐに信じてくれたんですか?」
どうしても気になったので、聞いてみる。僕が宗人の親と同じ状況に立たされても、そう簡単には信じないと思ったから。
「真太郎君とそっくりだから、だろうか」
「・・・そんなに似ているんですか?」
「似ているなんて次元じゃない。本当にそっくりなんだよ。外見は変わってしまっているが、仕草や表情、言葉遣いなどが同じなんだよ、真太郎君と」
「仕草、ですか」
仕草、表情、言葉遣い──そんなこと、気にしたことなかったな。そんなところを見られていたのか。・・・何だろう、変な行動をしたことがないか、少しだけ不安になってきた。
「でも、いくらそっくりだといっても、外見が変わってるんですし・・・ほかにも理由があるのでは?」
「理由ならある。な、志奈?」
志奈──宗人のお母さん。
「ええ。一番の理由は、由梨絵と宗人がそう言ったから、ってことね。私たちの愛する子供が、嘘を吐くはずがないもの」
・・・宗人たち、愛されているなあ。
で、その宗人たちはというと。
(宗人)「あ、愛する!?何を言ってるんだよ母さん!」
(由梨絵さん)「お母さん、大好き~♪」
・・・ここは姉弟でも似ていないんだな。
◆◆◆
午後7時。
宗人の両親にしばらく泊まることを許可してもらい、お母さんへのメールも終えて、今は用意してもらった部屋で三人でくつろいでいた。
「なあ、明日遺伝子検査を受けてみないか?」
突然、宗人が提案してくる。
遺伝子検査・・・どういう事をするのだろう。
「真太郎の血液を採取して、それを調べる、ってことしか俺も理解できていないんだ。できれば髪の毛で調べてもらいたかったんだけど・・・検査してくれるところが近場になかったからな」
「なんで髪の毛のほうがいいの?」
「男の時のお前のことも、検査してもらえるからだよ」
「ああ、なるほど」
検査は由梨絵さんが通う大学で受けることができるとのこと。値段が五桁以上もするらしく、そこが一番の問題なのだが・・・。
「あ、私の友達ならたぶん、髪の毛でも遺伝子検査できると思うよ?」
「え、ホントですか!?」
「うん。高校の時の友達が別の科にいて、遺伝子の研究をしているから、頼めば髪の毛でもやってくれるはず。タダってわけにはいかないだろうけど、多少は安く済むと思うわ」
「よかった・・・」
できれば男の時の自分と今の自分、両方とも調べたいからな。
「じゃあ、明日は三人で大学に・・・」
「あ、悪いんだけど、俺は明日は学校に行くことにするよ」
「え、そうなの?」
「ああ。今日配られたプリントなら神林が持ってきてくれたんだが、まだ教科書とか辞書とか、持ってこなきゃいけない物がたくさんあるからな。ああ、真太郎のは明後日持ってくることにするよ」
明日持ってくると、クラスメートや先生に不審に思われるから、とのこと。
・・・あれ、そういえば!
「僕の家にもプリントを届けに来たんじゃ・・・!」
「ああ、それなら心配いらないぞ。お前の分のプリントも受け取っておいたからな」
「ありがと・・・助かるよ」
宗人って、ここまで気が回る奴だったんだな。
「じゃあ、明日は私と真太郎の二人で大学に行こう!時間は・・・10時ごろに出発するってことでいいかな?」
「はい、その時間でお願いします」
明日も由梨絵さんと出かけることになった。
遺伝子検査か。一致しているのか、それとも──。
どんな結果になっても、きちんと受け止めないとな。