2話 当面の問題
僕の家から小林の家までは、歩いて10分ほどで着く。
今日は色々と話しながら歩いたので、15分ほどかかってしまった。
まあ、それはいいとして。
「・・・えっ」
着く直前、見覚えのある車が小林家の駐車場から出て行った。
「小林、あの車って──」
「・・・父さんの車だ」
「助手席に小林のお母さんも乗ってたよね」
「・・・ああ」
つまり、これって──
家に二人っきり?
いやまさか、いくら僕が女になったからって友達を襲うような奴ではないと思う。でも万が一ということもあるわけで・・・って、何を考えてるんだ僕は!
想像しただけで吐き気がしてきた。考えるのはやめよう。
「どうした、入らないのか?」
小林はすでに鍵を開け、家の中に入っていた。
仕方ない、もうどうにでもなれ!
「お、お邪魔しまーす・・・」
◆◆◆
小林家には現在、小林宗人とその両親の3人が暮らしている。
姉もいるが、大学に通っているので一人暮らしをしているとのこと。
何度か会ったことがあり、元気なスポーツマンタイプの人だったのを憶えている。
家にはやはり誰もいないようだ。助かったような、そうでもないような・・・。
今は、リビングで小林を待っているところだ。
「麦茶でいいかー?コーヒーとかはないんだがー!」
「いいよー!」
リビングに隣接している台所から声が聞こえたので、返事をしておく。
しかし、綺麗な部屋だ。
壁には大きな振り子時計、テーブルはガラス製、正面には大きな薄型テレビ。リビングと言うより、応接間と言ったほうが分かりやすいかもしれない。
フローリングの床には、ほこり一つ落ちていない。『姉の綺麗好きに影響を受けた』と小林は言っていた。
「はい、麦茶。と、菓子」
「ありがと。・・・なあ、ホントに学校休んで大丈夫なのか?」
夏休みまであと三日。持ち帰らなくちゃいけないプリントとかがあるだろう。
「大丈夫だよ。調子が悪いから休むって電話してきた」
「そうか。・・・僕が休むって連絡は?」
小林が学校に行けないんだから、その連絡ができていないはずじゃ・・・。
「お前と今朝病院で会ったことにしておいた。『石灘も休みます』なんて言ったら疑われるだろうから、適当に誤魔化しておいたよ」
「ああ、ありがとう」
病院で会って、かなり調子が悪そうだったことにしてくれたらしい。
「パソコンを持ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って、小林は2階の自分の部屋へ向かった。
さて、暇だ。
カバンの中を見てみたが、財布と携帯のほかは入っていなかったので、することがないのだ。音楽プレーヤーくらいは持ってくるべきだっただろうか。
「ただいま~」
・・・へ?
◆◆◆
「ちょ、姉ちゃん!?」
「あれ?宗人、あんた学校は?」
おいおい、嘘でしょ・・・?
玄関の方で、小林とその姉の会話。クーラーをつけるためにリビングの扉を閉めていたので、それが幸いしたようだ。僕の存在にはまだ気付いていない。
「あれ?この靴あんたの?」
・・・訂正しよう、気付かれそうだ。
というか、親に話すつもりで来たんだから、姉にばらしてしまえばいいんじゃないのか?
・・・よし。
リビングの扉を開け、もわっとした蒸し暑い空気を全身に浴びながら、廊下に出る。
「いや、その靴俺のだから!」
「嘘つけ~、あんたもっと派手なのを・・・つけ・・・」
「どうしたの、姉ちゃん?・・・って!あ、いや、これは・・・その!」
小林が動揺してどうするんだ、まったく。
「お久しぶりです、由梨絵さん」
「え、えっと・・・」
「姉ちゃん、こいつ真太郎だよ、石灘真太郎。何回か家に来たことあったでしょ?」
「いや、でも、え?」
・・・また説明しなければいけないのか。
「・・・ホントに真太郎なんだね」
「はい、信じてもらえましたか?」
「まあ、私たちしか知らないこと、知ってるとなるとね・・・信じるしかないわ」
「よかった・・・」
小林に説明した時のように、携帯や生徒手帳を見せた後、3人で遊んだ時のことを話したら信じてもらえた。まだ驚いてはいるが。時間が掛からなくて本当によかった。
由梨絵さんが通う大学ではほとんどの生徒が夏休みに入っているらしく、家で一人でいるのもなんだし、ということで実家に帰ってきたとのこと。
朝早くに来れば親もいるだろうと考えてのことだったらしいが、小林の両親はすでに仕事に行ったようだ。リビングのテーブルの上に置いてあった紙にそう書いてあった。
「これからどうするの?」
「ネットで何か手掛かりがないか調べてみます。さすがに親には知られたくないので、今日はこっそり帰ろうかと・・・」
信じてもらえるとしても、親には知られたくないことなんだよなあ。
「元の姿に戻れるまで、そうやって夜遅くに家に帰るの?」
「え・・・はい、そのつもりですが」
「不審に思われない?」
「・・・そうですかね」
そう言われれば、そうかもしれない。さすがに夜の10時までには家に戻らなければいけないし・・・一日くらいなら平気だろうが、それが何日も続くとなると、不審に思われても仕方ないか。
だが、他に方法があるだろうか?
「うちに泊まれば?」
「・・・はい?」
全く予想していない言葉を耳にして、思わず間抜けな声が出てしまった。
「姉ちゃん、色々問題があるんじゃないか?」
「そうですよ、この姿にはまだ慣れていませんから、色々と迷惑をかけてしまうと思いますし」
「一人で慣れることができるの?」
「え、えっと・・・」
さっきと打って変わって、真面目な顔になる由梨絵さん。少し怒っているのだろうか、僕の目をじっと見てくる。
「いきなり異性の姿になって、一人で慣れられるわけないでしょ?」
「いやしかし、すぐに戻るつもりですし・・・」
「だとしても、一日はそのままなんでしょ?」
「・・・おそらく」
ネットで調べたところで、手掛かりが見つかる保証はない。どこかに行くわけにもいかない。やはり、今日中に戻るのは難しいだろう。
しかし、小林が言ったように色々と問題がある。
「生活費とか、泊まる場所とか・・・あとは、着る服とかで、問題は山積みなので・・・帰ったほうがいいかと」
「生活費なら私が貸しておくよ。泊まる場所は、空いてる部屋があるからそこで。服は私が昔着ていたのがあるから、それを着るってことで」
「い、いや、僕は男ですよ?男に着られるのは嫌ではないでしょうか・・・」
せめてもの反抗。・・・だが、特に効果はなかったようで。
「男だったのは昨日まででしょ?今は女なんだから、そんなこと気にしないの!」
「そ、そうですか・・・」
『昨日まで』という言葉が心に突き刺さったが、それを言うとまた話が長くなりそうだったので、喉元まで出かかった言葉を飲み込んでおく。
「あの、小林の──由梨絵さんの親にはなんて言うつもりなんですか?」
「正直に話すつもりだよ?」
「ああ、やっぱり・・・」
「・・・?」
やっぱり、この人たちは姉弟なんだなあ。
結局、今日僕は小林家に泊まることになったのだった。期待と不安・・・いや、不安しかないが。もとの姿になるまでの辛抱、頑張っていこう。
◆◆◆
小林が持ってきたパソコンで2時間ほど調べてみたが、収穫はゼロ。
せめて、昨日の夜に何があったのかだけでも知りたかったんだが。
どうしよう、今は午前9時、これから何をすれば・・・。
「真太郎の服を買いに行かない?」
「服、ですか?」
「あれ、姉ちゃんが着てない服を着るってことじゃなかったの?」
僕もそのつもりだったのだが。
「下着とかはさすがに捨てちゃったから。下着と、靴下、あと靴が必要でしょ?」
「え、下着なら夜に家から持って来れば・・・」
服はサイズが合わないから由梨絵さんのを着るつもりだが、下着は自分のがあるからそれでいいような気がするのだが。・・・ってまさか!
「女物の下着は持ってないでしょ?」
「そりゃもちろん、持ってないですが・・・自分のパンツじゃ駄目ですか?」
「はあ・・・まだわかっていないようね」
由梨絵さんは深くため息をついて、僕の方を──僕の胸を見ながら、とんでもないことを言い出した。
「胸が垂れちゃうから、ブラジャーが必要でしょ?」
「・・・・・・」
・・・え?
「・・・えぇええ!?」
◆◆◆
「え、いや、あの、冗談ですよね?」
「何言ってんの、ブラだけじゃなくて、ショーツだって必要でしょう。・・・念のため聞いておくけど、今は全身女の子なの?」
「いやあの、ショーツとかじゃなくてトランクスでいいんですが・・・って何を聞いてるんですか!?」
今朝着替えたときに、胸が膨らんでるのは確認したけど・・・下はまだ見ていないんだよな。色々と怖いから。
というか、横で見ている小林は何をやっているんだ。
「小林!お前も何とか言ってくれよ!」
「・・・俺が女子の下着について意見できるほど知識があると思うか?」
「「あるんじゃないかな」」
「二人してひどいな!あるわけないだろ!」
実際にあったら嫌だけどな。
「まあでも、今のお前は女の身体なんだから、それにあった下着をつけたほうがいいんじゃないのか?」
ちくしょう、お前もそっち側か!
・・・正論なので、反論できないところが悔しい。
「宗人の言うとおりだよ。今の真太郎は女の子なんだから、それ用の下着を付けなきゃ!」
「男のプライドと言うものが・・・」
「そんな小さなプライド、捨てちまいな!」
いや、割と大きめの物なんですが。
・・・しかし、確かに今の下着(トランクス)だと何かが違う気がするんだよな。身体の作りのせいだと思うが、こう、変なスペースがあると言うか。
「・・・仕方ない、買いに行きますよ」
「じゃあ、お風呂場に行こうか」
「・・・なぜです?」
この時点で、何をするつもりなのか分かっていた気がする。
気がしただけなので、口にはしなかったのだが。
「いいから、お風呂場に行こう!」
「え、ちょ、引っ張らないでくださいってば!何をするつもりなんですか!?」
「いいからいいから~♪」
「え、あの・・・姉ちゃん?真太郎?」
困惑する小林をリビングに残し、僕と由梨絵さんは風呂場に向かったのだった。