18話 僕の名前
翌日、7月の第五木曜日。
色々あった7月も、今日で終わり。
午前10時、僕の家のリビングには、僕と僕の両親、蒲生夫婦、それと由梨絵さんが来ていた。
宗人は、どうしても外せない用事がある、ということで来れなかった。
──で、この6人で何をするかというと。
「真太郎の、新しい名前を決めよう!」
「由梨絵さん、元気ですね・・・」
そう、僕の新しい名前を決めるのだ。
◆◆◆
「お久しぶりです、国定先生」
「君は・・・宗人君、だったかな」
「はい、小林宗人です」
午前10時。
俺、小林宗人は、由美さんが入院していた病院に来ていた。
由美さんを担当していた医者に、会いに来たのだ。
「それで、僕に何か用事かな?」
「はい。と、その前に・・・由美さんとそっくりな人が、お見舞いに来ていたのは憶えていますか?」
「憶えているよ。確か──君たちが『真太郎』と呼んでいた子だね」
「はい、そうです」
憶えていてくれたようだ。それなら話が早い。
「真太郎の身に起きたことについて、少し聞いてもらえますか?」
「ああ、もちろん。聞かせてもらおうかな」
「・・・と、まあ、こんな感じです」
真太郎が女になったこと、遺伝子検査を行い、真太郎の身体が姉妹のものであると判明したこと、その姉妹が蒲生由美さんであったこと、そして真太郎と由美さんが姉弟として暮らしていたこと──などを話し終えた。
「ふむ、医学的に考えれば、ありえない出来事だが・・・」
「信じて、もらえますか?」
医者は、うむ、と頷き、俺の目を見てから。
「蒲生由美に双子の姉妹はいないからな、信じよう」
「あ、ありがとうございます!」
よし、これで本題に入れる。
「で、ここに来た理由なんですけど・・・」
「真太郎君の身体に、異常がないかどうか、かな?」
「あ、それもできれば検査してもらいたいですけど・・・その前にやらなければならないことが」
「・・・詳しく聞かせてもらえるかな?」
◆◆◆
名前。
僕の名前は、真太郎。
言葉の響きもいいし、実の両親がつけてくれた名前なので、かなり気に入っているのだが・・・。
「女として暮らすには、違う名前の方がいいからね」
「そうですよね・・・」
ということなのだ。
確かに、女で『真太郎』という名前だと、暮らし辛いだろうから、これは仕方ないことだ。
「真太郎はどういう名前がいいの?」
「僕は・・・まだ決まっていないんだよ、お母さん」
「そうなの?」
そう。
昨日の夜、お母さんに言われてからずっと考えているのだが、どうにもいい名前が浮かんでこない。
「うーん・・・真太郎の実のお母さんの名前はどう?」
由梨絵さんからの提案。
それも考えてはみたのだが、なんというか・・・。
「僕にとって、精神的な意味で重すぎるんですよね。実の親の名前を受け継ぐのって」
「まあ、そう考えればそうよね・・・」
実の親の名前を受け継ぐのは、かなりのプレッシャーがかかるのだ。
「じゃあ、真太郎君の『真』の部分を取って、『真美』とかはどうだい?」
今度は、蒲生章介さんの提案。
僕の名前の一部を残すことも、考えた。でも・・・。
「どうもしっくりこないんですよね、『真美』とか、『真子』とか・・・なぜだか分からないんですけど」
「そうなの?・・・まあ、あなたが気に入った名前にすればいいと、私たちは考えているわ」
「ありがとうございます」
やはり、章介さんも明子さんも、良い人だ。
「真太郎、由美さんの名前を受け継ぐ、っていうのは考えたの?」
「それも考えたけど、やっぱり僕には荷が重すぎるんだよ」
親の名前を受け継ぐのと同じくらい、プレッシャーがかかる。
・・・ちょっと待てよ?
「ねえ、こんな名前はどう?」
「真太郎、いい名前が浮かんだのか?」
「うん!」
この名前なら、誰もが幸せになれる──気がする。
「『真由美』って名前!」
一瞬、場が静まる。
そして。
「おお、いいじゃないか!」
「真太郎君と由美の名前を合わせた、いい名前だ!」
「そ、そうですか?」
お父さんと章介さんは賛成してくれたようだ。
さて、女性陣は──。
「いい名前だと思うよ、真太郎!」
「私もそう思うわ。真太郎、いい名前を考えたわね」
「『真由美さん』──響きもいいし、いいんじゃないかしら!」
由梨絵さんとお母さん、明子さんも賛成してくれた。
「よし、じゃあこれからお前は『真由美』だ!」
「うん!」
『真由美』。
うん、いい名前だ。
・・・多少荷が重くても、頑張ってやっていこう。
こうして、僕は『真由美』として暮らしていくことになった。
◆◆◆
「なるほど、それは確かに、医者に診てもらう前にしなければならないことだね」
「はい。戸籍の内容の変更──です」
そう、医者に診てもらうためには、保険証が必要。
だが、今の状態では保険証が使えない。
だから、なんとかしておきたいのだが──。
「僕なら、できるかもしれないね」
「え、戸籍の内容の変更が、できるんですか!?」
かなり自信満々に言っているので、嘘ではないと思うが・・・。
「戸籍の内容全てが変更できるわけではなく、『性別欄と名前の欄の変更』だけだけど。それなら僕にできるかもしれない」
「・・・どうやるんですか?」
「簡単な話だ。『真太郎君は生まれた時に男と診断されたが、性染色体の検査を行った結果、女だということが判明した』としてしまえばいいんだよ」
「ああ、なるほど!」
俺にはまったく思いつかなかった。
『僕ならできる』という言葉の意味が、やっと分かった。
これは、医者だからこそできる方法だ。
「真太郎やほかのみんなを呼んでもいいですか?」
「もちろんだよ。僕から説明した方がいいだろうからね」
よし、戸籍のことは、なんとかなりそうだ。
◆◆◆
午前11時30分、僕らは宗人に呼ばれて、お姉ちゃんが入院していた病院に来ていた。
いい知らせがある、と宗人は言っていたが・・・。
「え、ホントですか!?」
「ああ、本当だよ。・・・戸籍の性別欄と名前の欄の変更、僕が診断書を出せばできることだ」
「よ、よかった・・・」
よかったのだが、気になることが一つ。
「確実に、できるんですか?」
「ああ。前例ならあるからね」
「前例?」
僕と同じ状況の人が、他にもいるのか?
「君と同じ状況の人はいないけど、生まれた時に男と診断されて、後に女だと判明した例ならあるからね。それを考えれば、君の場合もできるはずだ」
「そうですか・・・ありがとうございます!」
こうして、僕の戸籍の問題はなんとかなった。
宗人は、僕のことを考えてくれていたのか。
・・・嬉しいな。
◆◆◆
病院のベンチで、僕は『真太郎』ではなく『真由美』として暮らすことにしたことを宗人に話した。
宗人の反応はというと。
「よかったじゃないか、真太郎!」
「いや、真由美だってば・・・」
「あ、そうだった、悪い悪い!」
「もう・・・」
分かっているのか、分かっていないのか・・・。
「ま、なんにしても、だ」
立ち上がり、僕の方を見て。
「俺も嬉しいよ!」
「・・・へ?」
う、嬉しい?
「な、なんで宗人が、嬉しく思うの?」
「そりゃあ、お前・・・あれ、なんでだろうな」
宗人は、少し考え込んで。
「お前が気に入った名前が見つかったから、かな?」
「そ、そう・・・」
まあ、そうだよね。
友達にいいことがあったら、自分も嬉しく思うもんね。
「それに、さ」
「・・・?」
宗人は、一度病院を見てから、僕の方に向き直り。
「いい名前だと思うからさ。お前の実の両親も、由美さんも、賛成してくれると思うぜ」
「・・・うん!」
やっぱり宗人は、いい奴だ。
◆◆◆
そのあとはファミレスで昼食を食べ、蒲生夫婦と別れてから、僕らは家に帰ってきた。
今は、僕と由梨絵さんが僕の家のリビングで休憩している。
今日は、小林姉弟も僕の家で晩御飯を食べていくことになったのだ。
「ねえ、しん・・・真由美」
「なんですか?」
横に座っていた由梨絵さんが、麦茶を飲みながら、僕に訊いてくる。
まだ、真由美と呼ばれるのは、少し照れくさい。
「あなたは、好きな人と──どうしたいの?」
「・・・へ?」
どうしたい、と言われても・・・。
「僕は・・・どうしたいんでしょうね」
ただ好きでいたいのか、それとも・・・。
「付き合いたい、と思う?」
「・・・付き合えればいいな、とは思います」
「うーん・・・消極的すぎるのはよくないと思うわ」
「そ、そうですよね・・・」
でも、分からないのだ。
付き合ってもいいのか、そもそもあいつが僕を好きになってくれるのか。
「付き合ってもいいんじゃないの?」
「・・・やっぱり由梨絵さん、読心術を持ってますよね」
「宗人にもそんなこと言われたけど、持ってないわよ。ただ、身近な人の気持ちに敏感なだけ」
敏感というレベルの話ではない気がするけど。
「・・・僕は、そいつが好きです」
「かもしれない、じゃなくて?」
「はい」
今日、やっと分かった。
あいつのことが、好きなんだ。
「そいつが好きなんです。・・・でも、由梨絵さんに言われた通り、そいつが僕を好きになるとは、とても思えません」
「そうなの?」
「由梨絵さんが一番分かってるんじゃないんですか?」
「・・・ふふ、どうかしらね」
由梨絵さんは、微笑みながら、僕の頭を撫でてくれた。
「あれは、あなたの気持ちを確かめるために言ったことよ。その人があなたを好きになるのか、ならないのかは、私にも分からないわ」
「そうなんですか?」
「ええ」
麦茶の入ったコップを手に取り、残りを一気に飲み干して、僕を見る。
「確かに、その人はあなたのことを友達としか思っていないかもね。・・・でも、あなたが『好き』ということで、その人もあなたのことを気にし出すかもしれないわ」
「ほ、ホントですか?」
「ええ。・・・ま、これは私の勝手な妄想だけどね。でも、やってみる価値はあると思うわ」
「そうですか・・・」
行動あるのみ、ってことだな。
『ただいま戻りました~』
買い物に行っていた宗人が、帰ってきた。
「ありがとね、宗人君♪」
「気にしないでください。こっちの袋が野菜とか肉とかが入ってる方で、こっちの袋はそのほかの物が入っています」
「分かったわ。リビングに麦茶があるから、飲んで待っていてくれる?」
「分かりました」
リビングに入ってくる。
「お疲れ、宗人」
「疲れたよ・・・暑かったからな」
「・・・大変だったね」
・・・言うべきなのだろうか。
「ああ、大変だったけど・・・お前、なんか変だぞ?」
「・・・ねえ、宗人。僕は──」
「真由美、宗人、準備しちゃいましょう?」
・・・え?
「そうだな、よし、準備するか!」
「あ、う、うん・・・」
・・・ひょっとして、今、由梨絵さんに邪魔されたのか?
「宗人、あんたは隆さんの手伝いをしてくれる?」
「分かった。じゃ、外で準備してるぜ!」
そう言って、宗人はリビングを出て行った。
「ゆ、由梨絵さん?なんで邪魔をしたんですか?」
「邪魔をしたわけじゃないわ。・・・明後日、お祭りがあるのは分かるわよね?」
「は、はい・・・」
8月の第一土曜日と日曜日、この街では毎年祭りが行われる。
土曜日の夜に花火大会があるので、僕が行くのは土曜日だけだ。
「今じゃなくて、お祭りの時にしなさい。・・・その方がムードがあって、いいと思うわよ」
「わ、分かりました」
由梨絵さんも、色々考えてくれている様だ。
期待に応えられるように、頑張らなければ。




