15話 遠い昔の子守唄
お寺から車で移動すること20分。
「あ、ここで車を止めて・・・」
目的地は、広い土地だった。
お姉ちゃんを車イスに乗せ、広い土地を歩く。
「ここにはね、私たちが住んでいた家があったのよ」
「四人で住んでいた、家?」
「ええ、そうよ」
この何もない土地に、僕が住んでいた家が建っていたのか。
「実のお父さんとお母さんが死んでから、だれも住む人がいなかったから、取り壊されちゃったけどね」
「そう・・・」
「私たちが今いる場所はね、縁側だったのよ。四人でよくひなたぼっこをしたわ」
「ひなたぼっこ──か」
僕も、お父さんかお母さんに抱っこされながら、ひなたぼっこをしていたのだろうか。
四人で、おしゃべりをして、楽しい時間を過ごしていたのだろうか。
「庭に梅の木があったから、春は庭でお花見をしたの。そっちに玄関があって、夏は打ち水をしたの。夜には花火もしたわ」
楽しそうに、話し続ける。
「秋はあの山が紅葉の赤色に染まるの。すごく綺麗なのよ。冬は毎年雪が降るの。お父さんとお母さんが屋根の雪下ろしをするのを、私は真太郎を抱っこしながら見ていたのよ。・・・ああ、懐かしいなあ」
遠い目をして、昔を思い出しながら、お姉ちゃんは話す。
「・・・お姉ちゃん」
お姉ちゃんは、泣いていた。
「大丈夫、痛いの?」
「・・・ううん、違うの」
ただ、家があったであろう場所を見つめて、泣いているのだと分かった。
「こんなことになったのが、悔しくて、切なくて、やるせなくて。・・・やっぱり、今でも納得出来ていないの」
「・・・そう」
「でもね、真太郎」
僕の方へ顔を向け、僕の目をじっと見つめる。
「──でも、今が嬉しいの。真太郎とここに来れたことが、本当に嬉しいの」
泣きながらも、笑顔になっていた。
僕も、家のあった場所を見る。
「ここに、四人で暮らしていたんだね」
今はもう無い、その家で。
春は梅の木が咲いて、夏は緑豊かになり、秋は真っ赤な山が見えて、冬は雪が深々と降る。
そんな、穏やかな景色の中で。
僕らはきっと、幸せに暮らしていたのだろう。
ふわ、っと。
何かが僕を、包み込んだ。
(・・・?)
風、だろうか。
懐かしい、匂い。
そうだ、きっとこれは。
「ゆ、う、ぐ、れ、の、な、か、で──」
「・・・真太郎?」
きっとこれは、この暖かさは。
この穏やかさは。
「母、は、子、を、む、ね、に、抱、き」
「真太郎、それって──」
僕は、憶えていない。
だから、教えてもらおう。
この歌の、続きを。
『・・・やさ・・・うた・・・ねむ・・・わが・・・よ・・・』
「や、さ、し、く、う、た、う、・・・ね、む、れ、わ、が、こ、よ」
「・・・ああ、そっか。──教えてもらっているのね」
お姉ちゃんも、気付いたようだ。
「ね、お姉ちゃん。歌おうよ。──この歌の、続きを」
そうだ。
これは、ずっと昔に聴いた歌。
僕が一番好きだった歌。
遠い昔の、子守唄。
「く、ら、や、み、に、泣、く、わ、が、こ、を、父、は、抱、き」
「やーさーしーく、つーたーう、わーれ、らーは、こーこぞ」
このリズムを、僕は憶えている。
「ね、む、い、か、ね、む、る、の、だ、・・・あ、す、も、た、の、し、い、ぞ」
「ねーむーいーか、ねむるのだ、あーすも、たのしーいぞ」
ここで、この歌は終わり。
でも、まだ続く。
「「夕暮れの、中で、母は子を胸に、抱き、優しく歌う、眠れ我が子よ」」
きっと、こうやって。
何度も何度も、眠りにつくまで、歌ってくれたのだろう。
「「暗闇に、泣く、我が子を父は、抱き、優しく伝う、我らは、ここぞ」」
この、優しい歌を。
「「眠いか、眠るのだ、明日も、楽しいぞ」」
1年と少しの間、僕のために歌ってくれたのだろう。
「「眠いか、眠るのだ、明日も、楽しいぞ」」
明日も、楽しいかな。
──そうだな、きっと。
明日も、楽しいよね。
僕らのいた、家。
僕らがいた、部屋。
全部、全部消えちゃったけど。
それでも。
今こうして、家族がそろった。
四人で、歌おう。
少しの間だけでいい。
遠い昔に、思いをはせよう。
「「眠いか、眠るのだ、明日も、楽しいぞ」」
僕とお姉ちゃんには、見えたんだ。
四人で、賑やかに暮らす、その景色が。
「「眠いか、眠るのだ、明日も、楽しいぞ」」
僕は、気付けば泣いていた。
実のお父さんとお母さんとの日々は、憶えていないけど。
過ごした日々は、確かにあったんだ。
「明日も、楽しいぞ・・・」
明日も、楽しくしてみせる。
絶対に、楽しい日にしてやる。
悲しんでばかりじゃいられない。
「ねえ、真太郎」
「・・・なに?」
歌い終わり、二人で、その場所を見つめて。
「あなたは今、幸せ?」
僕はもう、泣いていなかった。
過去を見て、そして再び前を向いて。
「僕は、幸せだよ」
間違いない。
僕は、幸せだ。
「そう、よかった・・・」
心底安堵したような表情で、そう言った。
「真太郎、少しだけ、しゃがんでくれる?」
「いいけど・・・」
お姉ちゃんの横に、しゃがむ。
「また、こうしたかったの」
「・・・うん」
僕の頭を、撫でてくれた。
それはきっと、昔僕にしてくれたこと。
「ずっと、こうしたかった」
「・・・ありがとう、お姉ちゃん」
心が、安らぐ。
穏やかな気持ちに、なれる。
「ね、真太郎」
「なに?」
「私もね、幸せだよ」
「・・・よかった」
よかった。
本当に、よかった。
◆◆◆
帰りの車で、僕は夢を見た。
お父さんとお母さんとお姉ちゃんが、僕の誕生日を祝ってくれていた。
ケーキには、ロウソクが1本だけ立っていて、ロウソクの火をお姉ちゃんが消してくれたんだ。
赤ちゃんにケーキは駄目だから、って言われて、僕は食べられなかったけど。
これはきっと、嬉しい記憶。
お父さんとお母さんが寝ていた。
頭に白い何かをかけて、寝ていたんだ。
その横で、お姉ちゃんが泣いていたから。
僕もつられて、泣いたんだ。
これはきっと、悲しい記憶。
お父さんとお母さんが、微笑んでいた。
家のあった場所で、僕らが来たことを嬉しがっていたんだ。
子守唄を、歌ってくれたんだ。
これはきっと、ほんの少しの、奇跡の記憶。
あの時、ほんの少しだけ、奇跡が起きたんだ。
◆◆◆
起きたときには、すでに僕のよく知る街の景色になっていた。
「ふふ、真太郎、笑顔で眠っていたわよ。・・・いい夢でも見た?」
「夢・・・か」
夢なら、見た。
「よく憶えていないけど、嬉しくて、悲しくて、楽しい──そんな夢を見た気がする」
「ふふ、面白い夢だったのね。よかったわね、真太郎」
「うん!」
病院に戻ると、看護婦が駐車場まで迎えに来てくれた。
お姉ちゃんを車イスに乗せて、僕が押していく。
3階のお姉ちゃんの病室には、佳奈美さんと小林姉弟が待っていた。
僕が寝ている間に、蒲生明子さんが佳奈美さんに連絡したらしい。
その佳奈美さんが小林姉弟に連絡して、三人で来たとのこと。
お姉ちゃんを車イスからベッドに移動させ、医者が来るのを待つ。
数分後、看護婦と医者が来た。
「由美さん、痛みなどはありませんか?」
「少しだけ・・・」
「本当ですか?」
「・・・かなり、痛いかな」
表情で分かる。
痛み止めが、効いていないようだ。
「痛み止めでも、抑えきれない痛みがあるんですね」
「・・・はい」
本当に、辛そうだ。
「由美さん、落ち着いて聞いてくださ──」
「先生、もういいんです」
・・・え?
「もう、分かってますから」
「・・・そうですか。それでは、私たちは席を外します」
そう言うと、医者と看護婦は病室から出て行った。
「お、お姉ちゃん?」
「・・・真太郎、私ね?」
「う、うん」
お姉ちゃんの左手を、両手で包む。
「幸せ、だよ」
「・・・よかったね、お姉ちゃん」
「うん。血は繋がっていないけど、今のお父さんとお母さんには本当によくしてもらえたんだ」
「由美・・・!」
蒲生さんたちは、泣いていた。
「お父さん、お母さん、泣かないで。・・・今まで、本当にありがとう」
「そんな、今までなんて言わないで!これからも、ずっとあなたと一緒に──」
「・・・ごめんね、二人とも」
「そんな、謝らないで・・・!」
別れの、挨拶。
「・・・なあ、由美」
「なに、お父さん?」
「お前は──俺らを憎んだりはしていないのか?俺らの勝手な都合で、由美と真太郎君を離れ離れにしてしまったことを、怒ってはいないのか?」
「やだなあ、お父さん」
蒲生章介さんの左手を、お姉ちゃんの右手が触れる。
その右手を、章介さんはしっかりと握った。
「憎んでいたよ。怒っていたよ。でも、それはずっと昔の話。・・・ねえ、私が小学校に上がる頃に、真太郎と会いたいと言わなくなった理由、知ってる?」
「・・・いや、知らない」
「最初は、この人たちは悪い人なんだ──って思っていたけど、それは違った。本当は、私のことを実の娘のように可愛がってくれている、優しい人たちなんだ、って分かったの。その人たちを困らせちゃいけないな、と思って言わないようにしたのよ」
「そ、そうだったのか・・・」
僕にも分かる。
章介さんと明子さんは、本当に優しい人たちだ。
きっと、お姉ちゃんを僕と会わせてあげたいと、ずっと思っていたのだろう。
「私はお父さんとお母さんが大好き。・・・だから、笑って見送ってくれると、嬉しいな」
「由美・・・分かった、もう泣かないよ」
蒲生夫妻は精一杯の笑顔を、お姉ちゃんに見せていた。
「・・・ねえ、佳奈美」
「は、はい!」
部屋の隅の方で見守っていた、佳奈美さんを呼ぶ。
「私たち、色々な話をしたわよね。勉強のこともそうだけど、遊びのこととか、お互いの家族のこととか」
「色んなことを、教えてもらいました」
「そうね、色々教えたわね。・・・佳奈美、お願いがあるの」
佳奈美さんは、ベッドの横で、涙目になりながら話を聞いていた。
「私があなたに教えたことを、来年新入生が入ってきたら、その子たちに教えてあげなさい。・・・あなたはあまり人と話したがらないから、言っておかないと心配なのよ」
「ゆ、由美先輩・・・」
「泣かないでよ。・・・佳奈美、頑張ってね」
「は、はい!」
お姉ちゃんにエールをもらい、佳奈美さんも笑顔になる。
「由梨絵さん、これからも佳奈美の友達でいてね。・・・お願いしてもいいかしら?」
「お願いされるまでもないですよ。佳奈美とずっと友達でいますよ!」
「ふふ、ありがとう。・・・宗人君」
「はい」
今度は、宗人。
「真太郎は、これから大変なことがたくさんあると思う。・・・真太郎が困っていたら、助けてもらえるかしら?」
「もちろんです!真太郎は俺の大切な友達です、どんなことでも助けますよ!」
「ありがとう。・・・真太郎、本当にいい友達を持ったわね」
「うん!」
お姉ちゃん、嬉しそう。
「美佐子さん、隆さん。・・・これからも、真太郎のことを見守ってあげてください」
「ええ!もちろんよ、由美ちゃん」
「約束するよ、由美さん」
「よかった、ありがとう・・・」
お姉ちゃんも、微笑んだ。
「ねえ、真太郎」
「なに?」
「・・・元の姿に戻せなくて、ごめんね」
「気にしないでよ」
実際、僕は気にしていない。
「別にいいんだよ。むしろ感謝しているくらいだ。お姉ちゃんと会えたのも、実の両親のお墓参りに行けたのも、全部この身体になったおかげだよ。まあ、大変なこともあったし、これからもあるんだろうけど・・・それでも僕は、この姿で生きていくよ」
これが、僕の気持ち。
嘘偽りのない、本当の気持ち。
「ああ、よかった、本当に・・・」
僕の言葉で安心できたようで、お姉ちゃんは静かに眠りについた。
7月の第四火曜日、午後3時20分。
お姉ちゃん──蒲生由美は、皆に見守られながら、静かに息を引き取った。




