14話 僕らの墓参り
翌日、7月の第四火曜日、午前6時。
早朝の僕の部屋に、携帯の着信音が鳴り響いた。
(・・・なんだ?)
布団から起き上がり、学習机の上に置いてある携帯を取る。
画面には『蒲生章介さん』と表示されていた。
「もしもし」
「おお、真太郎君。よかった、出てくれたか・・・」
焦っているような、声。
「何かあったんですか?」
「・・・いいか、落ち着いて聞いてくれ」
・・・・・・。
「由美の容体が、悪化した。──医者にも、もうどうすることもできないそうだ」
「・・・そんな」
そんな。
いくらなんでも、早すぎる。
「・・・蒲生さんは、今は病院にいますか?」
「ああ、そうだよ」
「僕も今から病院へ向かいます。・・・お姉ちゃんに、そう伝えてください」
「ああ、分かった。伝えておくよ」
電話を切り、親が寝ている寝室へ向かう。
「お父さん、お母さん!」
「な、なんだ真太郎・・・どうした?」
「お姉ちゃんの容体が悪化したらしいから、僕を病院に連れて行ってくれない?」
「な、何!?」
顔を見合わせる、お父さんとお母さん。
「こうしちゃいられない、俺らも支度をするぞ!」
「ええ!真太郎、着替えて病院に行くわよ!」
「う、うん!」
お姉ちゃん、今行くからね。
◆◆◆
お父さんの運転する車に乗って、20分ほどで病院へ到着。
駐車場に車を置いて、受付へ向かう。
「すみません、お見舞いの時間は午前8時からとなっていまして・・・」
「蒲生由美のお見舞いに来たんです!容体が悪化したと聞いたのですが」
早朝のロビーに、僕の声が響く。
「落ち着け真太郎、大声を出すのは止めなさい」
「でも、でも・・・」
「もしかして、石灘さん、でしょうか?」
「・・・へ?はい、そうですが」
なんで、知っているんだ?
「蒲生由美さんのご両親から、石灘さんという方が来る、と連絡がありました」
「そ、そうですか!ということは、お見舞いは・・・」
「ええ、行っていいですよ」
「ありがとうございます!」
受付の看護婦に許可をもらい、エレベーターで3階へ向かう。
お姉ちゃんの病室にだけ、電気が点いていた。
ノックをし、中に入る。
「失礼します」
「・・・あら、真太郎君。来てくれたのね」
ベッドの横で椅子に座っている、蒲生明子さん。
「おお、よかった。来てくれた」
その隣に寄り添っている、蒲生章介さん。
二人とも、かなり疲れている様子だ。
「お姉ちゃんは・・・」
「由美は今、寝ているよ。・・・おっと、医者が来たようだ」
医者が、入ってくる。
「おや、そちらの方々は・・・石灘さんですか?」
「はい、そうです」
「そうでしたか、ちょうどよかった」
「・・・?」
医者が持っているファイルの中から、何枚か紙を取り出した。
「これを見てください」
「これは?」
「昨日の朝撮った、レントゲンの画像です。臓器の働きが弱まってきてはいますが、全て機能しています」
見ても分からないので、医者の話を聞いておく。
「・・・で、こちらが今日撮った、レントゲンの画像です」
「──え?」
一目瞭然。
いくつかの臓器が、ボロボロになっていた。
◆◆◆
「私たちにも、原因が分からないんです」
医者からいくつか説明を受けたが、とても信じられないことだらけだった。
臓器に穴が開いていたり、血管が極端に収縮してしまっていたり──。
「どうすることも、できないんですか?」
お姉ちゃんを、助けたい。
「・・・今の医療では、これを治す方法はありません」
「それじゃ、お姉ちゃんは──」
僕には、何もできないの?
「・・・最期は、由美さんのしたいことを、させてあげてください」
「そ、そんな・・・」
最期──なんて。
「しん、たろう?」
「・・・!」
お姉ちゃんが、起きた!
「よかった、来てくれたのね」
「お姉ちゃん、大丈夫?しっかりして!」
顔色は悪く、かなりやつれている。
寝る前は、ずっと苦しんでいたようだが・・・今も辛そうだ。
「痛みは、だいぶ弱まったわ。・・・ねえ、真太郎」
「なに?」
「・・・お墓参りに、行かない?」
お墓──?
「私たちの、実のお父さんとお母さんの、お墓参り。・・・どう?」
「・・・もちろんだよ、お姉ちゃん」
僕も、行きたいよ。
「先生、いいですか?」
「ええ、外出を許可しましょう。その前に・・・これを」
錠剤を何錠か渡される。
「これは──?」
「痛み止めです。由美さんの痛みを完全には消せないと思いますが・・・いいですか?」
「もちろんです。ありがとうございます!」
薬をお姉ちゃんに渡し、飲んでもらう。
「先生、車イスを貸してもらえますか?」
「ええ。外出用のを持ってきますから、少し待っていてください」
医者が車イスを取りに行っている間、目的地の確認をする。
「ここから車で1時間くらいかかるな・・・」
「どうします、どちらかの車に、由美と真太郎君を一緒に乗せたほうがいいと思うのですが・・・」
「じゃあ、僕が蒲生さんの車に乗ります」
その方が、絶対にいい。
「お二人も、お姉ちゃんと一緒にいたいでしょう?」
「・・・そうだな、そうしよう。真太郎君、ありがとう」
「いえ、気にしないでください」
蒲生さんたちだって、お姉ちゃんと一緒にいたいはずだ。
「車イス、持ってきましたよ」
「ありがとうございます。・・・お姉ちゃん、動ける?」
「・・・ええ、なんとか」
痛みは引いたようだが、まだ動きにくそうだ。
「・・・お姉ちゃん」
「そんな悲しそうな顔をしないの。・・・私は大丈夫よ」
そう言って、僕に微笑む。
「手を貸してくれる?」
「もちろん。よいしょ、っと・・・」
お姉ちゃんを車イスに乗せ、みんなの方を向く。
「出発、しましょうか!」
◆◆◆
お姉ちゃんを蒲生さんの車の後部座席に乗せ、畳んだ車イスをトランクにしまい、僕も蒲生さんの車に乗る。
僕は、お姉ちゃんの右隣に。
「シートベルトはしたかい?」
「はい、しました」
「よし、出発!」
蒲生さんの車が、病院を出る。
お父さんたちの車は、その後ろについて来ている。
午前7時30分ごろ、コンビニに寄ってパンとお茶を買い、再び出発する。
「お姉ちゃん、食べられる?」
「・・・少しだけで、いいわ」
「分かった」
お姉ちゃんは、サンドイッチを二口、三口だけ食べると、眠りについた。
痛みはなくても、疲れがあるのだろう。
窓の外を見る。
整備されたコンクリートの地面には、陽の光が燦々と降り注いでいた。
携帯の天気予報では、今日は真夏日らしい。
1か月前のニュース番組では、今年の夏は涼しくなる、なんて言っていたが、外れたようだ。
窓の外を見ながら、そんなことを思い出していた。
「今年も、暑くなりそうね」
「・・・そうだね、お姉ちゃん」
いつまで。
いつまでお姉ちゃんは、暑さを感じることができるのだろうか。
一体、いつまで。
「・・・おお」
病院を出て40分ほどすると、窓の外は田園風景になる。
どこか懐かしさを感じるような、そんな景色。
「ああ、懐かしい」
お姉ちゃんには、見覚えのある風景の様だ。
窓の外を、食い入るように見ている。
「あそこの保育園に、通っていたのよ」
「そう、なんだね」
保育園からは、子供たちの声。
門のところでは、子供を送ってきた母親が、エプロンをつけた人──保育園の先生と話をしていた。
僕の実のお母さんも、そうしていたのだろうか。
そう思うと少しだけ、寂しくなってきた。
◆◆◆
「さ、着いたよ」
車から降りて、深呼吸。
僕らが住んでいる街よりも、涼しい気がする。
トランクから、畳んである車イスを取り出し、広げる。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ごめんね、手を貸してくれる?」
「うん」
座席から車イスへ移動させる。
「午前8時──うん、お寺の人も来ているようだね」
ちらほらと、お寺の方で動く影があった。
「石灘さんも来たし、早速行こうか」
「はい、そうですね。・・・お姉ちゃん、痛くなったらすぐに言ってね?」
「ええ、そうするわ」
お姉ちゃんの乗った車イスを押し、歩き出す。
「岩柱孝明さんと、郁子さんのお墓ですか?」
「ええ、そうです。こちらで間違いないですか?」
「少し待っていてくださいね」
お坊さんは、お寺の中に入って行った。
数分後。
「ええ、岩柱さんのお墓、こちらで間違いありませんよ」
別のお坊さん──さっきの人よりだいぶ年上の人が、やってきた。
「ところで、あなた方は──」
「石灘隆と、こっちは妻の美佐子です」
「美佐子です、お久しぶりですね」
・・・久しぶり?
「おお、あなた方は──真太郎君を引き取った、ご夫婦ですね?」
「はい、そうです」
どうやら、面識はあったようだ。
「ということは、そちらのご夫婦は・・・蒲生さんですね?」
「はい。蒲生章介です」
「蒲生明子です」
蒲生さんとも、面識があるようだ。
「ところで、そちらの方たちは・・・」
僕らの方に顔を向け、訊いてくる。
「車イスに乗っているのが、由美で──押しているのが、真太郎君です」
「・・・真太郎君?」
目を細め、じっと見てくる。
「石灘真太郎です。・・・少し事情がありまして、今はこの姿なんです」
「そ、そうですか・・・」
よかった、深くは追及して来なかった。
「由美さんは、具合が悪そうですが・・・」
「あ、そのことでちょっと相談があるんですが、少しお時間よろしいですか?」
「ええ、もちろんですとも。どうぞ、家の中にお入りください」
お言葉に甘えさせてもらい、全員で本堂の横の家に入ることに。
お姉ちゃんと僕は、玄関で待つように言われたので、その通りにした。
盗み聞きしようとは思わなかった。
──何を話しているのかは、見当がついていたから。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「お姉ちゃんは、お墓参りに来たことはあるの?」
「・・・たぶん、ね」
・・・たぶん?
「お父さんとお母さんが死んだのが、相当ショックだったみたいで、お通夜のこととか、お葬式のこととか・・・あまり詳しくは憶えていないの。だから、『たぶん』なの」
「・・・なるほど」
確かに、4歳の子供がすぐに両親の死を受け入れるのは難しいだろう。
そこからは、他愛もない話をして、お互いの両親が来るのを待っていた。
◆◆◆
「こちらが、岩柱夫婦のお墓です」
そのお墓は、お寺の隅の方に、ひっそりと建っていた。
お寺の人が掃除をしてくれていたそうで、綺麗な状態だった。
お花とお線香は、お父さんとお母さんが近くのお店で買ってきてくれていた。
手桶にためた水を柄杓ですくい、陽の光で熱くなった墓石にかける。
「これで、お父さんとお母さんも、涼しくなるわね」
「・・・そうだね」
お線香に火を点け、みんなでお墓に上げる。
お姉ちゃんの分は、僕が上げた。
手を合わせ、何秒かの静寂。
(・・・お父さん、お母さん)
僕は、僕たちは、やっとここに来ることができたよ。
僕は、顔も憶えていないけど。
でも、それでも。
こうしてここに来れたことが、本当にうれしいよ。
「・・・さ、帰りましょうか」
「あ、待って、お父さん、お母さん」
「どうかしたの、由美?」
お姉ちゃんが、蒲生夫妻を呼び止める。
「・・・もう一ヶ所だけ、行きたいところがあるの」
「もう一ヶ所?」
「うん。・・・いい?」
「ええ、もちろんよ」
・・・もう一ヶ所?




