13話 目覚めと記憶
翌日、7月の第三月曜日。夏休みに入って3日が経った。
今日は、小林姉弟と病院に来ていた。
午前中は宗人が部活に行っていたので、病院に着いたのは午後2時ごろだ。
ノックをすると、中から『はーい』と声。
聞いたことのない声だが・・・。
「失礼します・・・」
病室は間違っていないので、中に入る。
・・・と。
「・・・え?」
そこには。
ベッドの上で本を読む、お姉ちゃんの姿があった。
「・・・あなたが、真太郎ね」
「どうして分かるの?」
「あなたの姉だからよ」
・・・それは理由になるのだろうか。
「目が覚めたら、病院のベッドで寝ていたんだもの。本当に驚いたわ」
「そ、そう・・・」
お姉ちゃんは、今朝目を覚ましたらしい。
医者はすでに知っているようで、ついさっきまで異常がないか検査していたところだとか。
「13日間もずっと寝ていたって聞かされた時は、もっと驚いたわ」
「だろうね・・・」
「ええ。ずっと見てたドラマの最新話、見逃しちゃったわ」
「・・・・・・」
──違和感。
気持ち悪い、気遣いのような。
「ねえ、おね・・・」
「なあ、蒲生由美さん」
・・・え?
宗人の、問いかけ。
「何かしら、えっと・・・」
「小林宗人です。・・・由美さん、あんた何を怖がってるんですか?」
怖がって、いる?
「何のことかしら」
「とぼけないでください。目の前にずっと会いたかった実の弟がいるのに、なんで『姉弟』としての会話を避けてるんですか?」
・・・お姉ちゃん。
僕との、『姉弟』としての会話を、避けているの?
僕のことを、嫌っているの?
「・・・ねえ、真太郎」
「な、何?」
「──あなたも、いい家庭で育って、いい友達に恵まれたみたいね」
「・・・うん!」
よかった。
嫌われては、いないようだ。
「──夢を見たのよ」
「夢?」
小林姉弟は、飲み物を買いに行く、と言って病室から出て行った。
気を利かせてくれたんだろう。あとでお礼を言っておこう。
「真太郎の、1歳の誕生日をみんなで祝ったの」
「・・・お父さんと、お母さんと──四人で?」
「ええ。・・・あの時のままの、風景だったわ。四人で、リビングのテーブルを囲んで──ケーキには、ロウソクが1本だけ立っていたの。真太郎にはまだ消せなかったから、私が代わりに消したのよ」
・・・僕は、憶えていない。
1歳だったから、仕方ないことだけど。
それでも、なんだか悔しい。
「私たちは、ずっと楽しく暮らしていた。朝はお父さんに起こしてもらって、朝ごはんは四人で食べるの。真太郎はまだ1歳だったから、離乳食だったけどね。お父さんは一足早く、仕事に出かけるのよ」
遠い昔の、話。
15年も前の、話だ。
「あの日もお母さんの運転する車に乗って、私たちは保育園に向かったの。友達が、いっぱい来ていたわ」
・・・『あの日』。
つまり、この話の結末は。
「帰りの時間になると、仕事の終わったお父さんと、お母さんが一緒に迎えに来てくれていたの。──でもあの日は、いつまで経っても迎えは来なかった」
「・・・・・・」
『あの日』。
「門のところで、親戚のおばさんと保育園の先生が話していたのを、こっそり聞いたのよ。──お父さんとお母さんが死んだ、って言っていたわ」
「・・・そう」
「最初は、たちの悪い冗談だと思ったわ。でも、本当だった。次に私がお父さんとお母さんに会ったとき、二人の顔には白い布がかけられていた」
お姉ちゃんは、暗い顔で語り続ける。
「それを見た瞬間、『ああ、本当に死んじゃったんだな』って思って・・・泣き出していたわ。今でも憶えている。・・・とても悲しかったわ」
「・・・そう、なんだね」
僕が知らないことを、お姉ちゃんは知っている。
「それからは、あなたも知っている通りよ。私たちは別々の家に引き取られて、離れ離れで暮らしてきた。・・・本当は、もっとあなたと一緒にいたかった」
やっぱり、お姉ちゃんは──。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「なんで謝るの?」
・・・なんで、だろう。
「僕は、こんな大事なことを、知らなかった。・・・実の両親が死んでいることは知っていたけど、僕は過去を見ようとしなかった。・・・ねえ、お姉ちゃん」
「何かしら?」
訊きたかった、こと。
「お姉ちゃんは、幸せだった?」
「・・・どう、かしらね」
少しだけ、考え込んで。
「少なくとも、不幸じゃなかったわ」
微笑みながら、そう言った。
◆◆◆
「どうにかしてあなたに会いたかった気持ちが、あなたをその姿にしてしまったのかもしれないわ」
「つまり、どうやって僕をお姉ちゃんの姿にしたのかは、分からないってこと?」
「・・・ええ、そういうことよ」
「そう・・・」
病院の3階の休憩スペースにいた小林姉弟を呼び、四人で話し合っているところ。
「うーん・・・手の打ちようがなくなった、ってことか?」
「そうみたいね。どうやって変えたのかが分かれば、元の姿にする方法も見つかると思ってたけど・・・」
お姉ちゃんは目を覚ました。
でも、僕の身体はお姉ちゃんの姿のまま。
「・・・ごめんなさい、真太郎」
「気にしないでよ。お姉ちゃんのせいじゃない」
両親が死に、僕とお姉ちゃんが離れ離れになったこと。
僕と会いたいという気持ちが、僕をこの姿にしたこと。
全部、偶然が積み重なった結果だ。
「ねえ、真太郎」
「どうしたの?」
「私の病状、知っている?」
「・・・少しは」
お姉ちゃんは俯きながら、ゆっくりと、話し始める。
「今日、検査してもらったことは言ったわよね?」
「うん」
「・・・検査の結果、なんだけどね」
・・・嫌な、予感。
「身体の機能が、全体的に衰弱しているって言われたわ」
「・・・え?」
僕らが病室に来てから、ずっと元気だったから、てっきり大丈夫なのかと思っていた。
・・・無理をしていたのか。
「原因は分からないけど、色んな臓器が弱ってきているそうよ。・・・手術しても、全部は治りそうにないって」
・・・そんな。
そんな、ことって。
「・・・あと1年、生きられるかどうか、って」
「1年、か・・・」
早すぎる。
1年という期間もそうだけど、何より──まだお姉ちゃんは19歳だ。
「確かに、20歳になる前に死ぬのは嫌だけど・・・それ以上に、あなたを残して逝くことになるのが、一番の心残りね」
「そんな、すぐに死んじゃうような感じで言わないでよ!」
「・・・分かるのよ」
窓の外を見つめながら、話し続ける。
「自分の死期が、なんとなくだけど分かるの。・・・死ぬ何日か前ってのは、こういう感覚なんだな、って。・・・ごめんね、真太郎」
「・・・お姉ちゃんは、死ぬのが怖くないの?」
優しげな表情で語るお姉ちゃんを見て、そう疑問に思った。
「そんなことないわ。・・・怖いわよ。『死』なんて抽象的すぎて、ちゃんとは理解できていないけど・・・眠りについて、二度と起きれなくなるんだもの。やっぱり怖いわ」
「なら、なんで──」
「でもね、真太郎」
僕の目を見て、語りかける。
「お父さんとお母さんに会えるんだもの、怖いだけじゃないわ」
その表情は、穏やかだった。
◆◆◆
午後4時ごろ、蒲生夫妻が来たので僕らは帰ることにした。
もう少し残っていかないかと言われたが、断った。
三人で話したいことが、たくさんあるだろう。
三人で話さなければいけないことが、たくさんあるだろう。
「なあ、真太郎」
帰りの車で、隣に座っている宗人が、問いかけてきた。
「・・・もし、だけどさ」
「うん」
言おうとしていることは、分かっている。
宗人は、言い出しづらそうだった。
「宗人、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ姉ちゃん。・・・真太郎」
「・・・うん」
僕の方に顔を向ける。
「もし、元の身体に戻れないとしたら──お前は、どうする?」
「・・・どうする、か」
もし、そうなった時は。
「この姿で、お姉ちゃんの姿で生きていくよ」
「・・・お前はそれで、納得してるのか?」
「うーん・・・」
納得しているか、と言われると、嘘に──いや、嘘にはならないな。
僕はまだ、迷っているんだ。
「納得しているかは、僕自身にも分からない」
「・・・今から俺は、お前が嫌がるかもしれないことを話すが、いいか?」
「うん、いいよ」
訊かれることも、大体分かっている。
「・・・性別適合手術、というのを考えたんだ」
ああ、やっぱり。
「聞いて、くれるか?」
「一応、ね」
せっかく調べてくれたんだ、聞かないわけにはいかない。
「性別適合手術は、20歳以上じゃないと受けられないらしい。だからそれまでは、ホルモン療法──男性ホルモンを注射するようなことしかできないんだが、やってみるか?」
「ホルモン療法は、すぐに受けられるの?」
「いや、なんとかクリニックってとこで2年間経過を観察して、医者の承諾をもらって初めて受けられるらしい」
「宗人、ジェンダークリニックよ」
知らない単語が、次々と入ってくる。
「それって、身長を伸ばすことはできるの?」
「いや、性別適合手術で、身長を伸ばすことはできない。・・・一応『イリザロフ法』っていうものがあったが、数百万はかかるし、何より麻酔でも耐えきれないほどの痛みが続くらしい。おすすめはできないな」
・・・かなり詳しく、説明してくれた。
「ま、俺と姉ちゃんが調べたのは、こんなところかな。・・・どうする、真太郎?」
・・・どうしよう。
確かに、女の姿のまま暮らしていくのは、物凄く大変だ。
男の姿の時にできたことが、できなくなってしまう。
・・・でも。
「少し、考えてもいい?」
「もちろん。これはお前の問題だ、俺らはあまり口を出さないようにするよ」
「ありがとう、宗人」
この身体──お姉ちゃんの身体になったことには、何か意味があるような気がする。
お姉ちゃんと会うためだけじゃない。もっと他に、何か──大事なことが。
だから、あとちょっとだけ悩んでみよう。
◆◆◆
「由美ちゃんが目を覚ましたのね!?」
午後6時、僕の家にて。
晩御飯を食べながら、今日の病院での話をした。
「なら、明日また私たちも病院に行きましょう!」
「そうだな、明日は仕事を休んで、行くことにするか」
・・・え、仕事を休むの?
「別に、そこまでしなくても・・・」
「お前の実の姉が目を覚ましたんだ。仕事を休んででも行く価値があると思うぞ?」
「そ、そう?」
「ああ、そうだ」
お父さんとお母さん、嬉しそう。
ということで、明日また、お父さんとお母さんと一緒にお見舞いに行くことになった。




