1話 夏の干渉
唐突だった。
あまりにも短絡的で、実に不可解なことだった。
現に今も、理解に苦しんでいるところだ。
変化の無い日常にうんざりはしていた。
違う人生ならよかったと、何度も感じていた。
しかし、それにしても唐突だった。
僕は、脱げかかったパジャマのズボンを持ち上げながら、鏡の前で立ち尽くしていた。
鏡の中の人物は、長い髪の毛と同じ黒色の瞳で、ぽかんと口を開けてじっと僕の方を見つめていた。
「この女子は、誰だ──?」
◆◆◆
今年の夏は、涼しくなるらしい。
なんて1か月前のニュース番組では言っていた。
──だがやはり、夏は夏。
梅雨が過ぎ、7月に入ると気温は28度まで上昇。
もうそろそろクーラーが必要になる頃だ。
僕──石灘真太郎の通っている学校でも、クーラーをつけ始めた教室があるのだが。
3年生の教室に優先的につけているようで、2年の僕の教室にはまだついていない。
扇風機もあるが、プリントが飛ばされるので生徒からの評判は悪かったりする。
なので、クーラーがない場合でも扇風機をつけることは少ない。
──それが原因だとは思う。
昨日──7月の第三火曜日、夏休みまであと4日というところで、僕は授業中に気分が悪くなり、保健室に駆け込んだ。
熱中症ということだったが、熱が38度あり、吐き気もあったため、親に迎えに来てもらい、昨日は午後2時ごろに帰宅した。
医者には行ったが、インフルエンザではなく熱中症の症状だとのことで、とにかく水を飲んで横になっていなさい、と言われただけだった。
・・・で、昨日はずっと寝ていたわけだが。
体調が悪いと言っても、午後4時から午後7時までと、午後8時から午前5時までの合計12時間も寝るとさすがに目が覚めてしまうようで、家族がまだ寝ている頃に目が覚めて、お腹がすいていたので何か食べようと立ち上がった時。
違和感を覚えた。
背中がくすぐったいと思ったら、髪の毛が伸びていた。
着ているパジャマのサイズが、ゴムが伸びてしまったのか一回り大きくなっていた。
自分の部屋全体も、一回り大きくなっている気がした。
そこで、自分の身に起きた異変に気が付いた。
僕は男だ。1週間前に床屋に行ったばかりなのに、耳が隠れるほど髪が伸びているわけがない。いや、女子でも一晩でここまで髪が伸びる奴もいないだろう。
着ているパジャマも、ゴムが伸びたわけではなく、全体的に大きくなっている。
部屋は大きくなったのではなく、自分が縮んでしまっているようだった。
「なんだ、これ?・・・!?」
声までも、変わっていた。同年代の女子の声。
まさかと思い、胸を触ってみる。
(・・・うわ)
膨らんでいた。完全に女子のソレである。
とにかく自分の姿を見てみないことには分からないと思い、廊下の洗面所にある鏡を見ようと立ち上がり。
「お、っと・・・」
脱げかけたズボンを持ち上げながら、部屋のドアを開けた。
◆◆◆
・・・で、現在に至るわけだが。
ほんとにこれ、どうすればいいんだ?
熱中症になって早退した翌日なので、まだ調子が悪いと言えば学校を休むことは可能だとは思う。
しかし、学校を休むのには連絡が必要だ。自分で連絡することができない以上、親に連絡してもらうしかないのだが。
・・・その場合、親にこのことを伝えなければならない。
「・・・よし!」
部屋に戻り、カバンの中から携帯を取り出して、電話帳を開く。カ行の五番目、同じクラスの『小林宗人』を選択し、新規メールを作成。卓球部の朝練があるから、もう起きているはずだ。
「『まだ調子が悪いから、今日は休むって伝えておいてくれる?』、と・・・」
送信して数分後、携帯が鳴る。やはり起きていたようだ。
『先生には伝えておくけど、大丈夫か?しっかり治してから来るんだぞ~』
うん、やはりいい奴だ。
・・・あれ、もう一通メールが来た。
『一応親に連絡を入れてもらったら?』
・・・・・・。
やはり、そうなるのか。
◆◆◆
メールには『分かったよ~』と返したが。
・・・親がこの状況を信じてくれるだろうか。
別に、親と仲が悪いわけではない。むしろいい方だと思っている。しかし、この状況を信じてくれと言われても、はい信じるよ・・・とはいかないだろう。親に見つかれば、今の僕は不法侵入で警察に通報されるだろうし、『石灘真太郎』の行方不明届が出されてしまうことになる。
・・・困った。
この姿で学校には行けないから、休むしかない。学校を休むには、親の連絡が必要だ。そのためには、親にこのことを信じてもらわなければならない。信じてもらうには、証拠が必要。
──証拠、か。
幸い僕の記憶までは変わっていないし、正直に話せば・・・いやそれでも、姿が変わってしまったのだから、簡単には信じてもらえないだろう。
現在の時刻、午前5時30分。
あと30分ほどで親が起きてしまう。とにかく、行動しなければ。
「・・・よし!」
再び携帯を取り出し、電話帳から小林宗人を選択、新規メールを作成。
「『僕の家の近くの公園に来てくれる?』で、いいよな・・・?」
一瞬送信ボタンを押すべきか迷ったが、勢いで押してしまった。うん、まあ、なんとかなるでしょ。
あとは・・・服を着替えなければ。
下着はまあ、トランクスを履くとして。
「・・・服、どうしよう」
姉妹はいないので、服を借りることはできない。仮にいたとしても、他人の服を着ようとは思わないし、女性物の服を着たいとも思わない。
散々悩んだ結果、タンスの奥の方に眠っていた、小さくなって着ていなかったTシャツと半ズボンに決めた。小さくなったといっても、サイズは男物のM。今の身長(150cm前後)だと、かなり大きかったりする。
財布と携帯、家の鍵を入れたカバンを持って、1階に降りてみる。まだ親は起きていなかったようだ。一安心。
『朝練があるから出かけるね、朝ごはんは簡単に済ましたよ』と書置きをしたところで、2階から目覚ましのベルの音が聞こえた。
(・・・やば!)
急いで玄関に向かい、靴を履き、家を飛び出す。
◆◆◆
家の近くの公園に来たはいいが。
小林、気付くだろうか。
「あれ?おかしいな、真太郎の奴どこにいるんだ?」
なんて言いながら、僕の目の前を通り過ぎていく男子が一人。
「・・・おい」
「え?」
やっと気付いてくれた。というか、姿すら見えていなかったようだ。そこまで小さくなったわけではないと思うんだが。
「えっと、どうかしましたか?」
「どうしたもこうしたもないよ。小林」
「え・・・なんで俺の名前、知ってるんスか?」
さすがに戸惑っているようだ。見ず知らずの異性に名前を憶えられていたら、まあまあ怖いだろうからなあ。・・・さて、どうやって伝えたものか。
「すみません、人を探しているので、俺はこれで・・・」
「僕はお前をもう見つけたんだけど、お前はまだ僕を見つけていないと言うのか?」
「はい?あの、さっきから何を・・・」
「・・・まあ、気付かないのも無理はないか」
覚悟を決め、口を開く。
「僕が、石灘真太郎だよ」
「・・・はい?」
これっぽっちも信じていないようだった。
◆◆◆
「だから、僕が石灘真太郎だってば!生徒手帳だって見せたし、携帯だって見せただろうが!」
「いやしかし、そう言われてもですね・・・」
どうしよう、虚言としか思われていないようだ。
とりあえず生徒手帳と保険証、携帯の中身を見せたのだが、まだ信じていないのだ。
焼け石に水どころではない、まったく信じてもらえていない。
「どうすれば信じてもらえるのかな・・・あ!」
思いついた。これならどうだろうか?
「なあ、小林」
「・・・なんですか?」
「中三の時、お前が橋本さんに告白した時のこと・・・」
「えっ!?」
よかった、忘れてはいなかったようだ。
「橋本さんに彼氏がいたんだよね、あれには笑ったよ」
「ちょ、なんでそれを!?」
「信じたかい?」
「いや、あいつに聞いたことかもしれないし!」
まだ信じないか・・・思ったより疑い深い性格の様だ。
では、これならどうだ?
「去年の秋の修学旅行で、お前、財布を落としたんだったよな」
「え!?それも知ってるんですか・・・」
「それを拾ったのが橋本さんで、かなり気まずかったって言ってたよな」
「あ、あれは・・・その・・・だな」
顔を真っ赤にしている。面白いな。
「どう?信じたかい?」
「・・・ああもう!信じる、信じますよ!」
「よかった、これでやっとまともに話ができるね」
「・・・はい」
恥ずかしい過去を掘り返されたのがよほど嫌だったのか、半泣きになっている。泣くほど嫌なのか・・・。
「悪い悪い、こうでもしないと信じてもらえなさそうだったからな」
「いやまあ、いいけど・・・それよりその格好、一体何があったんだ?」
まずはこの姿になってしまった経緯を説明しなければ、か。しかし、僕も何が起こったのか分かっていないからな。
とにかく、正直に話すしかないか。
「・・・ふむ」
昨日帰宅してから医者に行ったこと、起きたら女子になっていたことなどを話し終えたのだが、小林が黙り込んでしまった。どうしたのだろうか?
「どうかしたの?」
「いや、ちょっとな。元の姿には戻れないのか?」
「やってみる」
「やってなかったのか・・・」
完全に忘れていた。もしかしたら元の姿に戻れるかもしれないのだ。
ベンチに座ったまま目を閉じ、元の姿に戻りたいと強く願う。
──が。
「だめだ、戻れそうにないよ」
「そうか・・・超能力的な物だったら、戻れると思ったんだがなあ。そうなると、もとの姿に戻る方法を考えるより、なぜその姿になってしまったのかを先に考えたほうがいいかもな」
確かに、原因が分かれば少しは状況が改善するだろうが、それはすでに考え終わったことだ。どれだけ考えても、眠っている間に何かあったなら僕にはわからないから、どうしようもなかったのだが。
「どっちにしろ、今日は学校を休むんだろ?」
「あ、うん。さすがにこの状態で学校には行けないから・・・」
この姿で学校に行って、まともに勉強できるわけがない。
「だよな。・・・よし、俺も今日は学校を休む!」
「・・・なんでそうなるの?」
「いや、今のお前、行く場所がないんだろ?」
「え、・・・うん」
家には行けない、学校にも行けない、お金がそこまであるわけではない。何かあった時のために財布に入れておいた1万円はあるので、カラオケのフリータイムで時間をつぶそうかと思ったが、会員証が使えるわけがないのでそれは出来ない。・・・本当、どうしよう。
「仕方ない、俺の家に来るか?」
「え、いいの?」
小林の家には何度か行ったことがあるので、行くこと自体は不安ではないが。
「親になんて説明するつもり?」
「そりゃお前、正直に話すつもりだぜ?」
「うまく行くわけが・・・」
「やってみなけりゃわからない。このまま公園にいるわけにもいかないだろ?」
小林の両親には会ったことはある。すごくいい人で、家に行くと嬉しそうにしていたのを憶えている。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「よし!さっそく俺ん家に帰還だ!」
本当、いい奴だな。
とりあえず、今日一日はなんとか乗り越えられそうだ。
今日中にヒントだけでも掴まなければ。
・・・大変なことになる予感がする。
そんなことを考えながら、僕らは小林の家に向かって歩き出した。