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「わたしが、チリカだったのですね……」ロゼは、石の町並みを見ながら、言った。
ライが、見ると、ロゼのほほに涙が伝っていた。
「すべて、思い出しました」ロゼは、ニッコリと微笑んだ。
「ライさん、あなたは、魔法でわたしの頭の中を見る前に、分かっていらしたのでしょう?」
「うん……。いや、正確には、いいえ、かな……。魔法で見て、確信が持てたから」
ライは、歩きながら、ポツリポツリと話し始めた。
「最初に変だなって思ったのは、ロゼ──チリカが、カーニャの家の前で待っていたときなんだ。家に着くまでには、全身がドロドロになるくらい大変なんだけど、チリカはそうじゃなかった。そのあと、足が浮いているからだって思ったけど、それで、解決できるのは、足だけなんだ。手とかに、必ずドロが付くはずなんだよ。だから、魔法を使ってきれいにしたのかなと、思った。知ってた?魔法をつかったあとって、ほんとうに集中しないとわかんないんだけど、かすかな匂いがするんだ」
「あら、そうでしたの」ロゼ──チリカは微笑んだ。
「そう。そのときは、なにも匂いがしなかったから、魔法も何にも使っていないと思ったんだ。これが、最初に変だなって思った部分。でも、よく考えてみると簡単なんだ。チリカは、 カーニャに、魔力を分けてもらったでしょう?」ライは、微笑んだ。
「よく、ご存知で」チリカも、微笑んだ。
「カーニャが、客を外に待たせておくなんてありえないことなんだ。いくら人使いが荒いといっても、そこまでひどくはないよ。チリカも、聞いたろう?僕にカーニャが、魔法で話しかけてきて、『クウクに行け』って言ったとき。客を外に待たせて置くほどのやつが、アドバイスなんかするかな?僕は、しないと思うよ。弟子より客のほうが、大切に決まっているもの。だから、僕が帰ってくる前に、チリカを家の中に入れたんだ。カーニャは、大魔法使いだからね。見ただけで、すぐ、チリカの記憶がなかったロゼを、海の神だと知ったんだ。そして、記憶がないことも知った。自分がマクニの住人だと思い込んでいることも知り、カーニャは、チリカに気づかれないように魔力を分け、体のドロを魔法で落として、外で待っているように命じた。そして、うさぎのトラップを作っている僕に、魔法で呼びかけたんだ。『客が来ているから、早く帰って来い』ってね。カーニャは、魔法を使った。だけど、匂いがしなかったんだ。どうしてだか分かる?あのとき、カーニャは薬草を煮詰めていただろう。そのときに魔法の匂いか、薬草の匂いに負けちゃったんだよね」
「なぜ、カーニャさんが、わたしを外に出したか、分かります?」
ライは、数分考えたのち、首を横に振った。
「あなたは、負けず嫌いで賢いわ。だけど、なにか足りないものがある。そうでしょう。カーニャは、それを心配した。だから、わたしの悪夢の正体を突き止めろと言い、旅に出させたのよ」
ライは、肩をすくめると、「チリカ、ロゼのときとずいぶん口調が、変わったね」と言った。
「さあ、続きを話して」チリカは微笑んだ。
ライは、もうここにいるのは、ロゼじゃないんだと思った。
「カーニャがチリカに魔力を分けた──そう考えると、あとの疑問はすぐに解けたよ。さっき、カーニャが、『クウクに行け』と、魔法で話かけてきたことを話したね。あのときも、疑問があったんだ。話をすることが出来るのは、二人だけ。どうして、チリカが僕らの会話を、聞くことが出来たのか、と。それは、カーニャとチリカは、魔力を分けたと言っても、共有していたことと同じなんだ。どちらかが、魔法を使えば、もう片方にも影響が出てくるんだ。聞こえるのは、当たり前だね」
「そうだったのですか……。わたしもあの時は少しふしぎだったんですよ。魔法を使っていないのに、どうして、聞こえるのだろうか、とね」
「あとはね、キリアさんのテストだったんだ。ほら、題名と作者、出版日を答えるやつ。題名と作者まで、覚えているのは分かるよ。でも、出版日まで覚えるかなあ、そもそも、三歳で、出版日を見る子なんか見たことないよ。あのときは、魔法を使ったんでしょう?」
「ええ、でも、匂いで分かるのでは?」
「あのときは、僕も、本を探すために魔法を使っていたからね。魔法を使うときにでる匂いは、みんな一緒なんだよ。甘い、ハチミツの匂い」
「…………ああ、だから、キリアさんに熱心に「一緒に来てくれ」ってお願いしていたのですね。わたしの化けの皮をはがすために」
「うん、そう。キリアさんは、ちゃんとテストするために、出版日まで聞いたんだと思ってた。だけど、本当に驚いていたからね。「すごいなぁ、ロゼは」って」
「そうかしら、キリアさんは、本当にわたしを、試したんだと思いますよ」
「うーん、そうかな。まぁ、いいや。それで、このことから、ロゼは、なんかおかしいなって思った。そのときは、悪夢とは別問題だって思っていたけどね。チリカの頭の中を見て初めて、ロゼとチリカはイコールで結ばれたんだ」
話し終わってライは、チリカを見た。
チリカは、海水によって音は聞こえづらいが、割れんばかりの拍手をしていた。
「それじゃ、今度は、チリカの番だよ。どうして、カーニャの家を訪ねたのか。あの夢は結局なんだったのか」
「まず、あの『海の中の住人たち』の本の内容を、訂正しなければなりませんね。最後に、『チリカの魂は、あまりにも住人を思う気持ちから、神となりました』の部分だけれど、わたしは、神ではないわ。今でも、カリトの長、チリカ・ロゼです。そして、死んでもいない。今でも、ここに住んでいるわ」
「──それじゃあ、どうして、陸に上がれたの?」
「あのとき、わたしは、悲しくて、死んでいった住人たちのように、陸に上がって、死のうとしました。だけど、この海には、カリトだけではなく、まだ区域がたくさんあるのです。その人たちが、また陸に上がろうと考えたら、大変なことになる。そう考えたわたしは、『先読み』をしました。もう、二度としないと決めた、『先読み』をしたのです」
チリカは、いったん言葉を切ると、遠くを見て、また話し出した。
「すると、数時間後のわたしの姿が見えました。数時間後のわたしは、ある言葉を唱えて、指先から、一輪の花を出したのです。そして、その花を海底の砂に埋めると、そのまま水面に顔を出したのです。そのわたしは、なんともなく、岸まで泳いでいって、歩き始めました。わたしは、すぐ、その方法を試しました」
「その数時間後のチリカは、どうやって、花を出す方法を知ったの?」
「数時間後のわたしは、『先読み』を使って、また数時間後のわたしを見たのでしょう」
「…………それじゃ、チリカが花を出す方法を、数時間前のチリカが見たということですか」
「ええ、おそらくそうだと思います。その方法で、陸に上がったわたしは、自分が海から来たことを忘れていました。おそらく、その花に、記憶を吸い取られたと考えます。そして、なぜが、マクニに行かなくては。そう思ったのです」
「足を浮かせて歩いていたのは、海と陸では、重力が違うから、歩くのが大変だったからですか?」
「その通りです。海からきたことを、覚えていませんでしたから、なぜ歩くのがこんなにも辛いのか、とてもふしぎでした」
チリカは、クスリと笑うと、足元を指差した。
「これが、その花です」
ライは、花を見た。
それは、どんな色にも判断できないふしぎな色を持つ、とても小さな花だった。
「きれいだね」
「ええ…………」
しばらくの沈黙の後、チリカは言った。
「この花を、わたしのところに戻すには、どうしたらよいでしょう?」
「『先読み』で見てみては?」
「ああ、そうですね」チリカは、ニッコリと笑うと、『先読み』を開始した。
ライは、そのあいだひまなので、花をじっとみていた。
「ライ!」キリアの声が聞こえた。
「今まで、どこに行っていたんです?」
「そこら辺を、見てた。すごいよ、すべり台とかあった。──あれ、ロゼは、なにしているの?」
キリアはまだ知らないんだった。
ライは、思い出した。
あとで説明してやらなければ。
なにせ、一を知ったら百まで知らないと気がすまないようだから。
「分かりました」チリカが、『先読み』を終えていた。
「この花を──」花をつみとるチリカ。
「食べるそうです」チリカは花を口に入れた。小さいので、一口ですむようだ。
「ええっ、なんで食べんの?」キリアは目を丸くしている。
「それは、あとで説明します。──それよりチリカ、これからどうする?」
チリカは、三つあみにしていたひもをほどいた。カールしたブロンドの髪があらわれる。それは、あの絵本の表紙の人物だった。
「あ…………もしかして、ロゼがチリカだったとか?」キリアは、引きつった笑顔をチリカに向けた。
チリカはニッコリと微笑んだ。
「わたしはこれから、海の中のほかの区域をまわって、陸に上がれる方法と注意すべき点を説明しようと思います」
「ああ、それがいいと思うね。記憶がなくならずに、陸に上がれる方法とかを研究したりとかするのもいいかもね」
「それはいいですね。『先読み』でそれが可能か見てみますわ」
チリカは微笑んだ。
「それでは。…………ああ、カーニャさんにもらった魔力を、お返ししなければいけませんね」
「いや、カーニャに返す必要はないよ。カーニャの魔力って、それこそ、売るほどあるんだから」