もう一人のgift
警察庁の取調室近くに、スーツ姿の白川と戦闘服を着たままの川内が立ち話をしていた。
「ヘドが出そう・・・。もう二度とあんなのに会いたくなかったのに。」
川内は眉根を寄せて、わざと鼻を摘んでみせた。そして、苦笑いする白川に持っていたヘルメットを押し付けて渡した。
珍しく川内はその艷やかな長い黒髪を片手でむやみに掻き、意を決したように取調室の一室に向かった。白川もその後を追った。
川内は取調室の扉の前に立つと、苦虫を噛み潰したようなあからさまに嫌そうな顔をした。
「まぁそう嫌がらずにさ、ね。」
そういって川内の機嫌をとろうと白川が肩を揉もうとしたが、川内はその手を払って睨みつけた。川内の唇から尖った犬歯が伸び始める。
「薫ちゃん、居るんでしょ。もったいぶってないで早く入ってきなさいよ。」
取調室の中から女性の声が響いた。白川は驚いていたが、川内は一旦怒りを収め、深呼吸して扉を開けた。
取調室のパイプ椅子に、OLの制服姿のベリーショートの女が居た。女は眠たげな目をしながら、机に足を乗せて組んでいる。
「ご無沙汰しております。富野隊長・・・。」
川内はそう言うと深々と頭を下げた。
「そんな他人行儀なことしなくていいわよ。」
頭を下げ続ける川内に向かって富野と呼ばれた女は余裕のある表情でケタケタと笑っている。
やがて顔を上げた川内と、側に居た白川は取調室の中へ入り、富野の向かい側の席へ付いた。
「取り調べってこんなに長いの?びっくりしたわー。それに、こっちは被害者だっていうのにカツ丼の一つも出てこないのねー。」
富野はそう言ってつまらなそうにアクビをした。
富野も人質のうちの1人だったため、取り調べを受けていた。そして人質事件の現場に居た川内は、真っ先に富野の存在に気がついていた。だが、黙っておくつもりであったが、白川に見ぬかれていたようだった。
川内は苛立ちを隠して白川の横で平静を装っている。白川は白川で嬉しそうにしていた。
「富野さん、すいません。規則でそういうことはできませんので・・・。」
白川は猫なで声で富野にゴマを擦っている。それを横目で見ている川内は机の下から白川の太ももをつねった。川内の八つ当たりにも、富野の傲慢な態度にもに我慢しながら、白川は笑みを絶やさなかった。それは白川なりに目的があったからだ。
「そういえば富野さん、今週で職場を退社なさるんですよね?」
白川はつまらなさそうにする富野に向かって前かがみになってじっと見つめた。
「退職っていうか、リストラなんだけどね。」
人質事件のあった会社は、主にコールセンターを中心とした事業を行っていたが、人件費の安い海外に事業を移すということで、国内のコールセンターの人員のほとんどをリストラした。その中には富野だけでなく、例の青年も含まれている。
「そこでなんですが・・・。」
白川は身を乗り出して目を輝かやかせていた。
「よければ、うちで働きませんか?」
川内から富野の経歴を聞いた時、白川は嬉しそうにしていた。そして自分たちの組織のメンバーにしようと白川が川内に持ちかけた時、川内はめまいを起こしそうになった。
ーこんな問題児だけは来て欲しくなかったわ・・・。まだ大村のほうが100倍マシだった。
嬉しそうに仕事の内容を話す白川の横で、川内は思わずため息をつきそうになった。
「ねぇ、薫ちゃん、どうしてそんなに嫌そうな顔してるの?私達同じ仲間じゃない。」
白川の話を遮って富野がボーイッシュな髪型に似合わない艷やかな声音で川内に話しかけた。
すると川内は犬歯をむき出しにしてアルミ製の机に爪を深く立てた。
「あんたみたいな勘違い女と一緒にされたくないわよ・・・。」
狼に半分変身しかける川内を白川はなだめようと椅子から立ち上がった。
「まぁまぁ、狼同士、仲良くしましょうよ。」
その白川の言葉が川内の逆鱗に触れる。
川内はマジックミラーに向けて片手で机を放り投げた。マジックミラーは机の衝撃で砕け散り、奥で見ていた捜査官達は思わぬ事態に腰を抜かしていた。
「男2人にメンスの女が1人。やっぱり当たってた。」
富野は先ほどの姿勢のまま、マジックミラーの奥にいる捜査官達を見て嬉しそうに舌なめずりをした。女性の捜査官は顔を赤くして走り去って行った。
「メンスってなに?」
白川は川内に疑問を投げかけるが、白川の言葉が耳に入って居ないようで、なんとか自制心を保とうと必死になっていた。対する富野は下着が見えるのも構わず、呑気にしている。
「あら、今の子はメンスって言葉も知らないの?生理のことよ。」
「ああ・・・そ、そうなんですか。勉強になりました。」
白川は冷や汗をかきながら引きつった笑みを浮かべている。それを見た川内はようやく落ち着きを取り戻し、人の姿に戻って椅子に座った。
「私はどちらかというと、あっちの若い子が好みなんだけどー・・・。」
そう言って、富野は残っている男性捜査官のうちの1人に向かって、尖った犬歯を見せて笑いかけた。若い男性の捜査官はその富野の異様な雰囲気をようやく察して顔を青くしていた。
「だからやめとけって言ったでしょ。」
川内は白川に耳打ちした。
「何か不満でもあるの?」
富野は中に浮かせていた足をおろして、足を組み直し、腕を組んで鋭い眼差しで川内を見つめた。その眼差しに、川内が珍しく冷や汗をかいている。
「元・上官に向かってその態度ってことは、よっぽど偉くなったのねぇ。」
先ほどの射抜くような鋭く冷たい眼差しが、再び眠そうな目へと変わった。そして川内の肩の力も不思議と抜けていった。
「白川さん、それじゃよろしくお願いします。できればお給料はお金と現物の半々でお願いします。」
「現物とは・・・?」
ない机を挟んで、白川は膝に手を乗せて膝の震えを抑えようと必死になっていた。
「採れたて新鮮の輸血用血液を500mlで180本。これくらいないと調子出ないのよね。」
富野は組んだ腕を解き、片腕をもう片方の手で揉んだ。
「500mlを180本です・・・か。」
白川は必死で輸血用の血液の入手の算段を考えながら、今更ながら川内の忠告を聞いておくべきだったと後悔した。
『あいつは人狼の吸血鬼よ。そんな野蛮な奴入れようなんて頭おかしいんじゃないの?』
取調室に行く前の川内の言葉が、白川の頭の中でグルグルと回っている。
しばらく黙って固まっている白川を見て、富野はアクビをして席を立ち、取調室から出ようとした。
「ま、待ってください。なんとか・・・用意・・・します。」
白川は中腰の状態で富野を呼び止めた。富野は振り返り、莞爾と笑った。
「それじゃ、明日からよろしくお願いしますわねー。」
そう言って、富野は鍵のかけられたドアノブを軽くひねって壊し、取調室を後にした。
川内と白川だけが残された取調室は惨憺たる有り様となっていた。
頭を抱えてうずくまり、後悔している白川をよそに、川内はため息をついて足を組んだ。
「だからあの女だけはやめとけって言ったでしょ?本当、馬鹿ね。一回あの女に一滴残らず血吸われてきたら?」
「ヤニだらけの血はきっとお口に合わないと思いますよ。」
川内の冗談に、白川は思わず敬語になっていた。
「あの女の何が嫌いって、『吸血鬼は食物連鎖の頂点に立ってる』っておこがましい態度が嫌なのよ。」
「同じ狼同士なのにか?」
「そうやって一括りにしないでくれない?私は狼・・・元男で、あの女は吸血鬼の人狼よ。全く違うわ。」
川内の場合、見かけは女性だが、実は狼男という体質を持っている。元々川内は男だったが、性同一性障害のため、性別を手術で男から女に変更した。それでも、狼男の変身要素は男性の性を決めるY染色体に付随しているため、川内の見かけの性別が変わっても狼男の性質には何ら問題なかった。
「それにしても・・・吸血鬼ってコウモリに変身するだけじゃないんだな。」
ようやく平常心にもどった白川は、Yシャツの襟のボタンを外してネクタイをゆるめた。
「吸血鬼にもいろいろ種類があんの。コウモリに変身する種族も居れば、男も女も狼に変身する種族もいる・・・。そういうことよ。」
「なるほどねぇ。」
白川は、川内が投げて原型を留めていない机を眺めてため息をついた。
「まっ、あいつらはそういう思いあがりが祟って、今や絶滅危惧種よ。」
川内は先ほどとうってかわって鼻で笑ってみせた。
「自分たちが元々人間だってこと忘れてるからそうなるのよ。」
再び川内は、らしくなく後頭部を無造作に掻いた。
マジックミラーがあったはずの場所に佇む捜査官は青い顔をしながら、呑気に話す川内と白川の姿を呆然と見ているだけだった。




