プロローグ
「ねぇ、殺人の定義って知ってる?」
彼女は、僕の幼なじみのいーちゃんは、突然そんな質問をなげかけてきた。
いつものように僕をからかっているのかと思い、曖昧な返事で誤魔化そうとしたけど、いーちゃんの問いかけと言うよりも独り言に近いそれは止まらなかった。
「幼稚園児が遊んでいる最中に、お友達を土に埋めて殺してしまった場合、それは殺人なのかしら?」
「それは事故なんじゃないかな」
「同じ事を大人がやったとしても事故なのかしら?」
「それは……事故、というよりも動機次第で殺人か事故か分かれそうだよね」
「幼稚園児が明確な動機をもって人を殺したら、それは殺人なのかしら?」
「それを幼稚園児が明確な意思をもってやった、という証明ができれば殺人なんじゃないかな」
「ねぇ、殺人の定義って何かしら?」
いーちゃんは、先ほどと同じように、まったく感情をこめず、僕に聞く。
「大量に人を殺せる爆弾の起爆スイッチが道に置いてあったとして、そのスイッチを散歩中の犬が押したら、その犬は殺人罪に問われるのかしら」
「犬に法律が適用されるかわからないけど、仮に誰かに罪があるとしたら、その爆弾を作った奴とスイッチを道に放置していった奴に罪があるんじゃないかな」
「銃を使った犯罪で年間に大量の死者が出ているわ。爆弾の例からいくと銃を作った人たちは殺人者なのかしら」
「う〜ん、それは銃を使って殺した奴が殺人者なんじゃないかな」
「では、先ほどの爆弾を作った人は殺人者ではないのね」
「そうなるのかな」
「近所のスーパーで包丁を買った人が、道にそれを落としてしまい、その包丁を拾った人がそれを使って殺人事件を起こした場合、その包丁を落とした人は罪に問われるのかしら」
「問われ……ないんじゃないかな。ただ疑われそうだけど」
「疑われるかしら」
「偶然かどうかはわからないし、犯人との関係性があった場合は共犯者になるんじゃないかな」
「まったく被害者、加害者ともに無関係だったら、その人は殺人に関係していないってことになるのかしら」
「そうなるのかな」
「ねぇ、殺人者の定義って何かしら?」
いーちゃんとの付き合いは幼稚園からだ。そのいーちゃんとこのような問答(?)とも言うべき会話をするのは非常に珍しい。
僕はいーちゃんの部屋のベランダから、中にいるいーちゃんを見つめる。
彼女は窓を開け放ち、近くの勉強机に腰掛ける形でこちらを見つめていた。
外の気温も低くなってきた秋も間近な夕方、部屋にあがるなりして会話した方がお互いの健康のためだとは思うけど、僕はいーちゃんの家に上がれない理由がある。
去年に起こった【とある事件】をきっかけに、僕はいーちゃん家に出入り禁止となってしまった。昔は僕が遊びに来ると手作りのクッキーを振る舞ってくれた、いーちゃんのお母さん、夏休みには一緒にバーベキューをした彼女のお父さんも今では僕にいい顔をしてくれない。彼女の家族だけではなく、昔からの友達だった、アーたん、ウッチャン、瑛太とも親交が無くなり、今ではいーちゃんだけが僕と変わりなく接してくれる。
家の二階にある彼女の部屋には、近くの大木をよじ登り、窓をノックする。それが僕らの接し方だった。
幼稚園から小学校、そして去年に入学した中学校までずっと一緒だったいーちゃんは、どの学年になってもクラスの人気者で、年々美しくなる彼女の横で、僕はただ一緒にいられることだけが嬉しく、同じく幼稚園から一緒だったアーたん、小学校一年から一緒になったウッチャン、瑛太とずっと仲良くいけるものだと思っていた。
【とある事件】があるまでは……
「おっくん」
いーちゃんが僕に呼びかける。
今では誰も呼んでくれることの無くなってしまった僕の渾名。いーちゃんだけが僕のことを「おっくん」と呼び、僕だけが彼女を「いーちゃん」と呼ぶ。
夕暮れも近づいてきた中、木枯らしとも言うべき風が、紅葉にはまだ早い緑から茶へと変化しつつある葉をざわめかせ、いーちゃんの長い黒髪を揺らした。
昔は黒が大嫌いで、勉強道具や身につける物の中にはなかったが、今ではそれがいーちゃんを表現しているように、彼女の全身は黒一色で染められている。そこだけ異質な穴が空いてるように錯覚しかけた僕に、彼女は再び語りかけてきた。
「おっくん。私、殺人者なのかな」
「え?」
強風が吹き荒れ、木々を揺らし、葉がざわめき、耳に残るそれらの音が彼女の言葉かき消す。
薄い彼女の桜色の唇から発せられた言葉を僕は耳ではなく、頭の中で聞き取った
ワタシ、マジマヲコロシタワ
僕は翌日の学校で真島宏明が自殺したと、人づてに聞くことになった。