第二十六話 番人がどちらに立つのか楽しみですわ
ナザール商人ギルド本部は、街の中心にある要塞のような建物だった。帝都の官庁のような洗練さはなく、人の出入りと金の匂いが充満している。
【北方商人ギルド】
・構成:古参商人/荷車組合頭/護衛団長/裏組織の窓口役
・主な収入:街道保護料/倉庫使用料/闇税/賭場の上前
・評価:行政が放棄した機能を歪んだ暴力で肩代わりする互助組織
案内された応接室には屈強な女が、革張りの椅子に、どかっと座っていた。短く刈り込んだ髪、片目に走る古い傷、指には商人らしく算盤ダコと、戦士のような剣ダコが見えた。
「ナザール商人ギルド頭領のグレタだ。帝都からよく来たな、悪魔の商人さんよ」
【ギルド頭領グレタ】
・前職:護衛団長/荷役頭
・特技:握力と値切り交渉
・評判:「街道のケダモノ」「ナザールの番人」
・評価:正面から殴り合い、その直後に値段交渉ができるタイプ
「初めまして、クラウストラ通商連合代表、ユーフェミア・クラウストラですわ」
私が淑女の礼をすると、グレタは鼻で笑った。
「南部の港をひっくり返したと聞いた。帝都もあんたの紙切れで回り始めてるとか。だがな、ここは北だ。机の上の数字より、雪と泥と荷車の車輪の方が物を言う。あんたの紙切れでここがどうにかなるとは思っちゃいねえ」
「紙切れだけでは、どうにもなりませんわ」
私は怯まず、素直に頷いた。
「ですから、紙切れと一緒に荷の流れも持って参りましたの」
エリアスが無言で一歩前に出て、書類の束をテーブルに置いた。
南部港から帝都、帝都から北方へ。ここ、三十日の物流グラフだ。赤い線がナザールで不自然に止まっている。
【流通経路分析】
・南部港 → 帝都:安定
・帝都 → ナザール:途中の街道で滞留/保護料名目の荷の抜き取り多数
・ナザール → 周辺村:闇市経由が主流、価格高騰
・評価:ナザールが帝国の物流における『詰まり』と、『漏れ』の両方の役割を果たしている
「このままですと、ナザールは近いうちに帝都から切り捨てられる街になりますわ」
「……あぁ? なんだと?」
グレタの目が細くなり、場の空気が変わる。
「帝都は今、崩れかけていた城をどうにか数字で支えているところですの。そこへ、北からまで血を抜き続ける街があればどうなるか。いずれ『ここを飛ばして、別ルートを作った方が安くつく』という経営判断が出ますわ」
「ハッ! そんなことできるもんか。ここ、ナザールを抜きにして北方の交易は成り立たねえ」
「今はそうですわね。ですが、南部港と第三国の諸国連合との航路が太くなれば話は別ですの。帝都を経由せず、海路から直接、別の港に物資を落とすことも理屈では可能になります。そうなれば、この街はただの陸の孤島。干からびて死ぬだけですわ」
「……帝国の内側で勝手な真似を」
エリアスが王族としての威厳を込めて口を開く。
「グレタ殿、帝都はもはや何もしない者のために他の街を犠牲にする余裕はございません。ナザールが帝国の血管であり続けるか、壊死した指先として切断されるかは、あなた方次第です」
ギルド頭領と王弟。泥臭い現場の暴力と、崩れかけの帝都の論理。二人の視線が火花を散らしたように睨み合う。
グレタの頭上で文字が揺れた。
【グレタ】
・感情:怒り50/警戒30/興味20
・弱点:街の子どもたち/古参の荷役たちへの責任感
・評価:完全な悪ではない/話の通じる面倒な責任者
「……で? あんたはナザールに何をしろって言うんだ?」
グレタの問いを、私は待っていたとばかりに笑みを深める。
「簡単ですわ。南部港と帝都と同じく『働いた分だけ食せる仕組み』をナザールにも作ることですの。中抜きなしで」
「綺麗事を言うな! それができりゃ、誰も苦労しちゃいねえ。ここはな、帝都が税だけ取って何もしてこなかったから、あたしたちが殴られても盗まれても、荷を守ってきた街だ。今さら紙切れ一枚で浄化できる場所じゃねえよ!」
「ですから、紙切れだけではございませんと申し上げているのですわ。条件を出しますわ、グレタ殿。あなた方が欲しがっている表の金と安定を賭けて」
「……聞くだけ聞こうか」
「一つ。このナザールでの街道保護料と倉庫使用料を、『通商連合経由の荷』だけ半額にすること。代わりに我々は南部港からの荷を優先的にナザールへ流し、帝都を通さず、あなた方の倉庫を満たしますわ」
「半額だと?」
周囲のギルド役員らしき男たちがざわめく。
「ふざけるな」
「俺たちの取り分はどうなる」
様々な声が上がるが、私は無視して話を続ける。
「二つ。三十日間だけ穀物価格を帝都の1.5倍以内に抑える努力を見せていただきます。手口は問いませんわ。荷役の組み方を変えるもよし、闇市と手を組んで圧力をかけるもよし」
「そんなもん、こっちの首が飛ぶ条件じゃねえか」
「三つ目でバランスを取りますから、ご安心なさい」
私は涼しい顔で、爆弾を投げ込むように言った。
「三十日後、もしナザールの穀物価格が帝都の1.5倍以内に収まり、街道の事故が今より減っていた場合、通商連合はナザール商人ギルドを、『帝国北方における正式な物流窓口』として契約いたしますわ」
「正式な窓口……?」
グレタの目が、わずかに揺れた。
「帝都を通さずに南部港と第三国との取引をまとめて裁ける『喉』になっていただくのですわ。税も、配給も、護衛も、あなた方の取り分は今のようなコソコソした裏金ではなく、堂々とした表の利益になります」
「もし、届かなかったら?」
ギルド副頭領らしき男が割って入る。
「三十日じゃ足りなかった、ってことになったら、あんたはどうする気だ?」
「その場合は、この街道と倉庫とナザール周辺の保護料の権利を、すべてクラウストラ通商連合にお譲りいただきますわ。私が買い取った債権と帝都が放棄した権限を合わせて強制執行させていただきます」
部屋の空気が、軋む音を立てて凍りついた。
【提示した契約:三十日の賭け】
・期限:三十日
・成功時:ナザール=北方物流の正式窓口/ギルドの裏金を表金へ洗浄
・失敗時:街道・倉庫・保護権限一式を通商連合へ譲渡
・評価:勝てば合法マフィア、負ければ乗っ取り
グレタはしばらく黙り、やがて椅子から立ち上がると、テーブル越しに私を見下ろした。
「……あんた、街一つを賭けろと言ってる自覚はあんのか?」
「もちろんですわ。街一つ賭ける価値がなければ、こんな泥と雪の街まで来ませんもの」
ギルド頭領の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「面白えじゃねえか」
低く、腹の底からの笑い声が響く。
「ここまで言われて尻尾巻いて逃げたら、ナザールの連中に顔向けできねえ。いいだろう、その勝負乗った。三十日だな?」
「ええ、三十日ですわ」
私とグレタは、固く握手を交わした。
ごつごつとした手。南部港のイルマを思わせる現場の厚み。ただし、イルマと決定的に違うのは、この女は、まだ『誰の側に立っているか』を決めていないということ。
(三十日後、ナザールの番人がどちらの側に立って笑っているか、楽しみですわね)
◇
ギルド本部を出ると、外はすでに夕暮れだった。
街道から戻ってくる荷車。路地裏では闇市の屋台がこそこそと準備を始めている。
「……本当に三十日でやり切るおつもりなのですね」
隣でエリアスが苦笑いとも、溜息ともつかない息を漏らした。
「ええ、帝都も港もだいたい十日で崩壊予定日を動かせましたもの。ナザールはその倍あれば十分ですわ」
ミリアが心配そうに私を見つめる。
「でも、ここは帝都や南部港よりもずっと荒っぽいです。闇市も裏組織も……」
「だからこそですわ。帝都では机の上で切ったカードをここでは荷車の上で切るだけ。数字が見える相手はどこであっても同じですもの」
視界の片隅に、新しい文字が浮かんだ。
【北方交易都市ナザール】
・状態:搾取と自衛が入り混じった心臓
・通商連合の関与:街道債権の取得/ギルドとの賭け契約
・評価:第三国へ繋がる北の玄関口/次の蹂躙の試験場
(ここを押さえれば、次は海の向こうにある、諸国連合ですわね)
「さあ、三十日の準備を始めませんと」
私はコートの袖をたくし上げた。
帝都の大広間より、南部港の桟橋より、さらに雑多な匂いのするこの街で、数字と荷車と人の欲望を一つの契約書にまとめ上げる仕事が始まった。




