第二十二話 崩さずに縛るための材料が揃いましたわ
「これで帝都を、私が望む形の『収益源』へ再構築する工程に入れますわ」
私が帳簿を閉じたところで、向かいのエリアスが静かに口を開いた。
「それで、最初の一手はどのようになさるおつもりですか?」
「そうですわね。しばらくは血ではなく、インクと涙を流していただきますわ」
「……また、どなたかを血祭りにされるのかと想像しておりましたが?」
「血祭りはもう一人やりましたでしょう? 次は『自発的ご協力』の番ですわ」
◇
翌朝、帝都官庁街。
大理石張りの広間が妙な熱気で満ちていた。
ふくらんだ腹、豪奢なコート、引きつった笑顔。帝都の役人や貴族家の代理人たちが、長蛇の列を作っている。
「つ、次の方、『自発的資産申告窓口』はこちらです! 書類に不備がないか、もう一度ご確認ください!」
半ば涙目になりながらも、ミリアが必死に声を張る。
机の上には、書式の違う申告書が山のように積み上がっていた。
【帝都官庁街・午前】
・新設窓口:『自発的資産申告/減刑相談』
・行列の長さ:廊下三往復分
・自己申告の動機:「誤解を解くため」 → 九割虚偽
・評価:恐怖は布告より早く人を動かす
「思った以上に集まりましたわね……」
私は二階から列を見下ろしながら、小さく息を吐いた。横でエリアスが、呆れと感心を混ぜた複雑な顔をした。
「告知文の書き方が少々おかしいとは、お思いになりませんでしたか?」
「正直で分かりやすい文面でしたでしょう?」
昨夜、全官庁に貼り出させた布告――『今後発覚した不正蓄財は全没収。ただし十日以内の自発的申告分は三割減刑。虚偽申告・過少申告は即時全没収とする』。
「逃げ道をすべて塞いでおいて『自発的』と呼ぶのですね……」
「ええ、皆さま、自ら歩いて来てくださっているのですもの。立派な自発的行動ですわ」
エリアスは深くため息をつく。
「この国の者たちは……いえ、私も含めてですが、クラウストラ様のやり方に慣らされつつあるのではないでしょうか」
「まだ『追い詰められているだけ』の段階ですわ。飼い慣らすには、まだ餌と時間が要りますもの」
視線を列の後方へ滑らせると、妙に落ち着きのないフードの男が一人、何度も列から抜けては戻っているのが見えた。
【フードの男】
・所属:帝都会計局・書記
・隠匿物:金ではなく帳簿類
・恐怖対象:金の没収よりも口封じ
・評価:金より厄介な種
「あら、面倒そうな香りがしますわね。ミリア」
「は、はい!」
「あのフードの方の順番が来たら、私が直接お話を伺います。列から逃げそうになったら、ほどほどに捕まえておきなさい」
「ほどほどにですね……。承知しました!」
◇
「つ、次の方……あっ」
昼前。ようやくフードの男の番が来た瞬間、彼は反射的に一歩後ずさった――が、その裾をミリアが見事につまみ上げる。
「順番です!」
「は、放しなさい……! 私はただ、その、様子を見に来ただけだ」
「様子を見るだけなら、わざわざ書類を握って並ぶ必要はありませんわ」
階段から降りた私は、男の正面の椅子に腰掛けた。
「どうぞ、お名前と所属を」
男の頭上に文字が浮かぶ。
【帝都会計局・書記】
・手持ち:元帳の写し/裏帳簿/指示書数通
・葛藤:「黙るか/吐くか/逃げるか」
・評価:今ここで吐かせておくと、あとが非常に楽
「……申告するような金は持っていないぞ」
「ええ、存じておりますわ」
男が目を見開く。
「あなたが隠しているのは金貨ではなく、『紙切れ』ですものね?」
「っ……!?」
「帝都会計局の裏帳簿。摂政評議会直轄の緊急予備費流用の記録。そして兵站費一年分を書類上だけ支出済みにした指示書。違いまして?」
男の喉が、ごくりと鳴った。
「あんたは何者だ……?」
「クラウストラ通商連合代表、ユーフェミア・クラウストラですわ」
「そういう意味ではない!」
「そうでしょうね。では、逆にお伺いしますわ。あなたは『何をした人』ですの?」
――沈黙。
やがて男は唇を噛みしめたまま、小さく呟く。
「……俺は命令に従っただけだ」
「皆さま、そうおっしゃいますの。命令に従い、存在しない兵站費を計上し、兵の食糧費を『書類の上では支出済み』にして、金をどこかへ消した。そういう方でいらっしゃいますわね?」
「ち、違う! だからここに来たんだ! 本当なら、あんなもの帝都中の前で晒されるべきなんだ! なのにあんたは笑って、それを『原資』にした!」
ミリアが小さく息を呑む。
背後で控えていたエリアスが眉を寄せた。
私は視線を逸らさず、男を見つめる。
「そうですわね。私はそれを『原資』にいたしました。兵の腹を満たし、民のスープに変えるために」
「そんなやり方が正しいとでも?」
「正しいかどうかという話ではありませんわ。何もしないで民を飢えさせるより、このやり方の方がマシですわ。ただ、それだけの話です」
男の頭上の文字が揺れる。
【会計局書記】
・感情:納得ゼロ/反論材料もゼロ
・自己評価:共犯
・評価:憎まれ役と内部告発者を兼ねられる便利な人材
「あんた、殺されるぞ……。本気でその帳簿をひっくり返す気なら、上の連中はあんたを殺しに来る。俺だって、何度も『お前ごと焼却してやろうか』と言われてるんだ」
「でしょうね」
私はあっさり頷いた。
「ですから、あなたには『焼却される帳簿』の代わりに、『証言台に立つ口』として生きていただきますわ。ただし条件付きで」
「……条件だと?」
「ええ、あなたの持っている写しの帳簿と指示書を、すべてこちらに渡しなさい。その代わり――」
私は視線だけでエリアスを促した。
「エリアス殿、『帝都特別財政監査局』直属の証人保護の枠を作れまして?」
「……作るしかないのでしょうね」
エリアスは短く息を吐く。
「ここで切り捨ててしまえば、帝都は二度と自分の足で立てなくなるでしょう」
「だそうですわ。『命令に従っただけ』の一人として闇に消えるか、『帝都の膿を証言した者』として生き延びるか。どちらをお選びになります?」
長い沈黙のあと、男はふっと笑った。
「……やはり悪魔だな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
男の震える指が、上着の内ポケットへと伸びると、くたびれた革の手帳が一冊、机の上に置かれた。
「これが俺の持っている写しの全部だ。本物は……とうに燃やされた」
「写しだけで十分ですわ。本物を燃やしたという事実もまた、立派な証言になりますもの」
私はページをめくる。乱暴な数字の並びと雑な訂正印。それでも、その穴は、私の頭の中のグラフと重なっていた。
【入手資料】
・帝都兵站費裏帳簿:真偽確定
・摂政評議会直轄指示書:署名入り
・評価:帝都旧体制を合法的に縛る首輪一式
(これで『崩さずに縛る』ための材料は揃いましたわね)
◇
夕刻、官庁街の一室。
「ユーフェミア様……本日の申告書の合計です……」
ミリアが、ふらふらになりながら書類の山を指差した。書類の山は、ミリアの身長をすでに越えている。
【本日分・自発的資産申告】
・金貨:相当量
・土地・家屋:いくつか
・裏帳簿:予想以上
・「実はあいつの方がもっと悪い」証言:山ほど
・評価:数字より告げ口の方が多いのは、どこも同じ
「告げ口は選り分ければよろしいのです。すべて信じる必要はありませんわ」
私は書類の山を眺めながら、口元を緩めた。
「これだけ『自分で出してきた汚れ』が揃えば、帝都を丸ごと潰さなくても、必要な部分と不要な部分はだいぶきれいに切り分けられますもの」
エリアスはしばし無言だったが、やがてぽつりと言った。
「……クラウストラ様が本当に帝都を救っておられるのか、それとも切り分けておられるのか、時々分からなくなります」
「どちらもですわ。救うべき部分を切り分けるために、切り捨てるべき部分を炙り出しているだけですもの」
ちょうどその時、ノックもなく扉が勢いよく開いた。
「失礼いたす!」
入ってきたのは、帝都防衛軍のカールス将軍だ。鎧ががしゃりと鳴る。
「カールス将軍? 何かございましたの?」
「ああ、少々ややこしいものが出てきましてな」
カールスは机の上に一枚の紙片を放った。
見慣れた図柄。見慣れた枠。表には『帝都商品券』と印刷されている。
だが、端の小さな文字が目に刺さった。
『クラウストラ通商連合・帝都支部・第二印刷所発行』。
その支部も、第二印刷所も、私は作っていない。
【新規問題】
・帝都商品券の偽札:流通開始
・発行元を騙る者:不明(おそらく帝都内部)
・放置した場合:市場の信用が崩壊
・評価:帝都が『慣れてきた』証拠/同時に本格的な邪魔者の兆し
「……まあ、ようやく『偽物の悪魔』が出てきましたのね」
窓の外では帝都の商品券を握りしめた人々が行き交っている。その中に、今の偽造された紙も紛れ込んでいるのだろう。
「支配を始める時には必ず現れる手合いですわ。では、次の一手はこの偽物からいただくことにしましょうか」




