第二十話 明日という名の最も強力な紙切れですわ
構造改革案が、迎賓館の大広間を支配した晩から、帝都の数字が組み替わり始めた。
帝都再建一日目:権限への署名。
朝日が差し込む大広間で、摂政評議会の重臣たちが一人、また一人と震える指でペンを取っていく。
『構造改革案・第一章から第三章』。
その羊皮紙は、彼らにとっては処刑台への招待状に見えたことだろう。末尾に並ぶ署名欄は、最初こそ頑なに空白を守っていたが、ヴォルク議長が苦虫を噛み潰したような顔で、紙が破れんばかりの筆圧で名前を書き入れた瞬間、堰を切ったように埋まっていった。た。
「……これで、よろしいか」
ヴォルクの絞り出すような声に、私はあくまで穏やかに微笑む。
「ええ、これでようやく帝都の『出入り口』に新しい鍵を付けられますわ」
【帝都・臨時決定】
・構造改革案:第一章〜第三章まで暫定合意
・帝都特別財政監査局:設置承認
・南部港湾都市との物流回廊:優先整備対象へ格上げ
・評価:崩壊しかけた器に、鉄の支柱を強引にねじ込むことに成功
署名が終わった書類の束をミリアが抱え上げる。その紙の重みは、帝都のしがらみの重さそのものだ。
私は窓の外を見る。まだ、この街は何一つ良くなってはいない。ただ、これからさらに悪くする権限が、無能な老人たちの手から削ぎ落とされただけ。それでも、決定的な一歩に変わりはない。何せ、毒を流し続ける蛇口を、私が握ったのだから。
◇
帝都再建二日目:特権凍結と最初の布告。
朝、王城前の布告板に、まだインクの匂いが残る新しい告示が貼られた。
通りすがりの市民たちが、うつろな目で足を止める。
「また税金の話か」
「どうせ徴発の命令だろう」
市民たちは各々顔をしかめたが、その内容は彼らの予想を裏切った。
【本日の布告】
・摂政評議会関係者への特権的支出(宴費・服飾費・特別手当):無期限凍結
・緊急食糧配給枠:新設(財源は上記特権支出の削減分より全額捻出)
・南部港との物流回廊整備:優先事業に指定
「おい、読めるか? 本当に奴らの酒代が止まるのか?」
「そんな馬鹿な。貴族様が自分の腹を痛めるわけがないだろ……」
「……どうせ、俺たちを騙すための字面に過ぎないさ」
口々に皮肉を漏らし、唾を吐き捨てる者さえいる。だが、彼らはその場を立ち去ろうとはしなかった。布告に貼られたヴォルクの署名と印章を、食い入るように見つめていた。
【帝都民・本日の変化】
・「どうせ何も変わらない」:多数 → 「何かがおかしい」:微増
・噂話の内容:飢餓と絶望 → 「港が動いたらしい」「外の商人が貴族の財布を握ったらしい」
・評価:まだ信じてはいないが、見捨ててもいない
(良いことですわ。期待などという軽い感情よりも、疑いながらの『観察』を選ぶ民の方が、長期契約には向きますもの)
◇
帝都再建三日目:帳簿という戦場。
帝都特別財政監査局と書かれた真新しい看板が、王城近くの古い石造り倉庫の入口に掲げられた。
元は不要物を押し込んでいた埃っぽい倉庫だ。だが、そこには特別経済区から運び込んだ山積みの帳簿、そして目を血走らせた監査官たちが詰め込まれ、立派な戦場へと変貌していた。
「過去十年分の帳簿を拝見しますわ」
通商連合側の監査官たちは、淡々と各官庁や貴族邸を訪ねていく。表向きは丁重な物腰だが、その背後でミリアが抱えるリストには、すでに『怪しい支出先』が赤いインクで、ずらりとチェックされていた。
【本日の収穫】
・架空の軍事費:三年分
・存在しない港湾整備費:帳簿上では堤防が三度完成済み
・無申告倉庫:新規発見十二件(そのうち食糧保管七件)
・評価:血栓の位置は特定完了。あとはどこから潰すか、順番を決めるだけ
「王都で何度も見た風景ですわね。国が変わっても人の欲望と隠蔽の手口は、驚くほど進歩がないものですわ」
◇
帝都再建四日目:紙切れの価値を教える。
帝都中央市場の一角に、簡素な木造の小屋が建った。看板には、まだ見慣れない文字が掲げられている。
――『帝都商品券・交換窓口』。
「これは紙か? 俺たちに紙切れを食えとでも言うのか……?」
最初に列に並んだのは、好奇心よりも切迫感が勝った露店商人たちだった。窓口の事務員が複雑な透かしと印章が入った色付きの紙束を一枚ずつ渡していく。
「南部港で運用している作業券を、この帝都向けに刷り直したものですの。この券一枚で配給所のパン二つ、あるいはスープ一杯と交換できます。市場内の指定店では、資材の購入にも使えますわ」
「……銀貨じゃねえのか? 銀貨をくれよ!」
「銀貨は後から付いてきますわ。ですが、今は『働けば必ず今日の食事に変わる紙』である方が、銀貨よりも価値がありますもの」
彼らは疑うように紙を透かして見ている。だが、その紙が実際にパンに変わると知った時、彼らの目は変わるだろう。
【帝都商人】
・通商連合への警戒:高
・「売れればそれで良い」精神:非常に高い
・評価:一度回り始めれば、数字の奴隷として実に扱いやすい
「まずは、二つのルールを帝都に刻み込みますわ。
1.『ここで働くと、この紙が手に入る』。
2.『この紙は絶対に裏切らず、食べ物に変わる』。
信用とは、この単純なサイクルの繰り返しでしか生まれませんの」
◇
帝都再建五日目:配給列の条件変更。
城門前の終わりのない配給列に、昨日から一つ残酷、かつ希望的な変更が加えられた。列の先頭には粗末な木札が掲げられている。
『半日労働:食事一回+商品券少額』。
『一日労働:食事二回+商品券・明日分前渡し』。
「明日分」という言葉の力は凄まじかった。
午前、今にも崩れそうな足取りで列に並んでいた男が、夕方には泥と汗にまみれながらも、午前よりずっとしっかりした足取りで戻ってきた。その手には明日のパンを約束する紙切れが握られている。
「……本当に明日の分の券まで貰えた」
「明日の分があるなら、明日も働きに来ますわよね?」
視察に訪れた私がそう声をかけると、男は一瞬きょとんとした後、照れたように、そして安堵したように笑った。
「逃げ場もねえしな。ここで働いて食えるなら、それでいい。明日の心配をしなくていいのは久しぶりだ」
【帝都民・本日の変化】
・暴れるか、逃げるか → とりあえず明日の分も押さえるために働く
・配給列での喧嘩:昨日対比–20%
・評価:綱渡りは続くが、足場となる板が一本増えた
「よろしい。今日一日だけでなく、明日を一枚の紙にして渡せれば、人は驚くほど素直に動きますわ」




