Marks
果ての戦火
アクトア歴4523年。かつて人類の故郷であった地球は、謎の生物「ノヴァ」に支配されていた。ノヴァは有機物を無差別に捕食し、異常な速度で増殖する怪物だ。地球に住む人類の63%が犠牲となり、生き残った者たちは火星――人類が新たに「アクトア」と名付けた赤い星――に逃げ延びた。一方、月――アンドロイドの自治領「トワール」――には、自我を持つアンドロイドたちが独自の社会を築いていた。
アクトアの空を漂う軍用戦艦「イージス」は、人類の希望の象徴だった。装甲に覆われたその巨体は、ノヴァの脅威に対抗するための最先端技術の結晶だった。しかし、この日、イージスは未曾有の危機に直面する。
戦艦イージスの終焉
戦艦イージスの司令室は、いつもと変わらない喧騒に満ちていた。司令官のガルシアは、艦内の雑務に追われながら、故郷のアクトアで待つ娘との休日を夢見ていた。
「早く積荷を降ろして、娘と釣りにでも行きたいもんだ。」ガルシアは笑顔で呟いた。
その瞬間、けたたましい警報音が艦内に響き渡った。オペレーターの若い女性、レイナが叫ぶ。
「G03区域、貨物ハッチが解放されています!」
「誰だ、エアハッチを開けた馬鹿野郎は!? 死にたいのか!?」作業員の怒号が通信機越しに響く。
ガルシアの顔から笑みが消えた。「原因特定急げ!」
だが、事態はさらに悪化した。次の瞬間、艦内に爆発音が轟く。
「艦内爆破! B26区域、特殊貨物からです!」レイナの声は震えていた。
「くそっ、次から次へと…!」ガルシアが歯噛みする。
「コードレッド、6372特殊警報です!」レイナが叫ぶ。「艦周囲に事象断裂を確認! 周辺宙域磁場マイナス26!」
「事象断裂だと!? …ノヴァか!」ガルシアの声に恐怖が滲む。
その瞬間、戦艦のモニターに映し出されたのは、空間そのものが裂けるような異常現象だった。黒い亀裂から這い出してきたのは、ノヴァの異形の姿――無数の触手と鋭い牙を持つ、悪夢のような生物たちだ。
「まじかよ…あいつら、地球にしかいないんじゃなかったのかよ…」作業員の声が途切れる。
「総員、緊急第1種戦闘配備!」ガルシアの命令が艦内に響く。
戦闘用アンドロイドや無人機動兵器がノヴァに立ち向かうが、敵の力は圧倒的だった。金属の装甲は引き裂かれ、アンドロイドは無惨な残骸と化した。戦艦イージスは炎に包まれ、爆発の連鎖が艦を飲み込んだ。
生存者はたった一人――コールドスリープカプセルに閉じ込められた少女、ミーアだけだった。彼女のカプセルは、トワールの月面に不時着した。
孤独な少女
ミーアは目を覚ました。冷たく静かなコールドスリープカプセルの中で、彼女は自分が生きていることに驚いた。カプセルの外は、灰色の月面と無機質なアンドロイドの街が広がっていた。トワール――アンドロイドの自治領。ここは人間にとって異邦の地だった。
ミーアは戦艦イージスの生き残りだった。両親をノヴァに殺され、軍の養成施設で育った彼女は、わずか16歳で戦場に送り込まれていた。イージスの任務は、ノヴァに対抗する特殊兵器の輸送だったが、ミーアはその詳細を知らされていなかった。
トワールのアンドロイドたちは、ミーアを「よそ者」として冷たく見つめた。ある者は彼女を排除しようとさえした。
「お前、人間だろ? ここは俺たちの場所だ。出て行け!」鋭い刃を持つアンドロイドがミーアに迫る。
その時、影が動いた。赤い装甲に身を包んだアンドロイドが、驚くべき速さで敵を無力化した。
「下がれ。彼女は私の保護下にある。」その声は静かだが、確固たる意志に満ちていた。
ミーアは救い主を見上げた。赤い装甲のアンドロイドは、まるで人間のような滑らかな動作と表情を持っていた。「コードネーム、マークスenva。通称、マークスだ。」
「…こんな人間と遜色ないアンドロイド、初めて見たわ。」ミーアは驚きを隠せなかった。
マークスはミーアを安全な場所へ連れて行った。そこはトワールの片隅にある、廃棄されたアンドロイドのパーツが散乱する倉庫だった。ミーアはマークスに尋ねた。
「なんで私を助けたの? 余所者を排除したがるのは人間もアンドロイドも同じで、安心したよ。アンタもそうなんだろ?」
マークスは静かに答えた。「そういうアンドロイドもいる。でも、誰かを大切にしたい気持ちを持つアンドロイドもいる。私は…人間になりたいんだ。」
ミーアは目を丸くした。「人間に? なんで? アンドロイドの方が強いし、永遠に生きられるじゃない。」
「永遠の命なんて、ただの呪いさ。」マークスの声には深い悲しみが宿っていた。「私の仲間は、個性や感情を持っていても、使い捨ての道具として扱われる。命の尊さを知らず、ただ壊される。私はそんな存在になりたくない。人間の心を知りたいんだ。」
ミーアは言葉を失った。彼女自身、ノヴァに両親を殺され、死の恐怖に怯えていた。永遠の命を求めてアンドロイドになりたいと願う自分が、マークスの言葉に揺さぶられた。
「私、死ぬのが怖いの。」ミーアはぽつりと呟いた。「ノヴァに殺された人たちを見てきたから…。」
マークスは優しく言った。「人は限りのある命だから美しい。君の恐怖も、君が生きている証だ。」
過去の残響
時は少し遡る。イージスが大破した後のシトラ402β宙域。残骸の海を漂う中、軍の調査員とジャンク屋が赤いコンテナを探していた。
「すげぇな、β宙域最強を誇るイージスが、周辺宙域まるごと鉄屑になってるぞ。」ジャンク屋の男、ダリオが口笛を吹く。
「そこ、黙って回収して。」軍の調査員、少佐のクロウが冷たく返す。
「へいへい。んで、特殊装甲の機体はどこに?」
「それを探して回収するのがおたくらの仕事でしょ。」クロウの目は鋭い。
「ったく、ノヴァがまだ潜んでるかもしれないってのに、人遣いが荒いねぇ…。」ダリオがぼやく。
「大丈夫だ、奴らはもういない。」クロウは断言した。
「何故分かる?」
「匂いだ。」
「匂い?」ダリオは眉をひそめた。
「臭くない。それだけだ。」クロウの言葉には確信があった。
「へぇ…さようでございますか。」ダリオは半信半疑で笑った。「さて、ぼちぼち仕事させてもらいますか。」
「お前、信じてないな?」クロウが睨む。
「はは、少佐殿のお話なら信じますとも。」ダリオは肩をすくめた。
二人は目的の赤いコンテナを見つけた。だが、開けてみると中は空だった。
「おいおいまじかよ…。」ダリオが目を丸くする。
「ちぃ、既に起動してやがったか…。」クロウは舌打ちした。「引き上げるぞ。」
地球への旅
ミーアとマークスは、トワールを脱出し、地球を目指すことを決めた。ミーアは故郷を取り戻したいと願っていた。マークスは、ミーアを守りながら、人間の心を理解する手がかりを求めていた。
二人は小型の輸送船に乗り込み、地球への長い旅を始めた。しかし、道中、軍の追跡艦と遭遇する。軍はマークスを「ノヴァ殲滅特殊機体」として回収しようとしていた。
「...活動ログを確認してみればアンドロイドが人権求めるとは大そうな時代になったもんだ。所詮物は物だよ。」軍司令が通信越しに語った。
マークスは冷静に応じた。「私はただ、生きる意味を知りたいだけだ。」
そして戦闘が始まった。マークスの戦闘能力は驚異的だった。赤い装甲に搭載された粒子砲は、核爆弾を凌駕する破壊力で敵艦を粉砕した。
「左翼被弾、N35区域に火災発生‼︎」軍のオペレーターが叫ぶ。
「大人しくきなさい、子供の玩具じゃないんだぞ‼︎」司令官が怒鳴る。
マークスはミーアを護りながら、軍の艦隊を次々と撃破した。しかし、ノヴァの新たな群れが現れる。空間の亀裂から這い出してきたノヴァは、まるでマークスを標的にするかのように襲いかかってきた。
「特殊殲滅フェーズに移行します」
マークスの声は機械的であったが、どこか人間らしい決意に満ちていた。
セクノバ――マークスの戦闘システムがフル稼働し、彼の動きはさらに鋭くなる。
戦闘は熾烈を極めた。マークスはノヴァを次々と殲滅したが、自身の装甲は徐々に損傷していった。ミーアはマークスの側で叫んだ。「やめて、マークス! あなたまで壊れたら…!」
「私は君を守りたい、だから存在する。」マークスは静かに言った。
「それが私の選んだ道だ。」
地球の夜明け
長い戦いの末、ノヴァは地球から消え去った。マークスとミーアは、傷ついた輸送船で地球に辿り着いた。目の前に広がるのは、ノヴァの侵食が消え、緑がわずかに芽吹き始めた大地だった。
「地球…こんなに綺麗なんだね。」ミーアは涙を浮かべて呟いた。
マークスは壊れかけた身体で、ミーアの隣に立った。「私は…人間になれたでしょうか?」
ミーアは微笑んだ。「うん、あなたはもう立派な人間よ。」
マークスの赤い装甲は、陽光に輝きながら静かに崩れ落ちた。彼の内部回路は限界を迎えていた。
「ありがとう、ミーア。」
その後、人類は地球に帰還した。ノヴァの脅威が去り、ミーアは新しい時代を築くために動き出した。彼女の心には、マークスの言葉が刻まれていた。
「人は限りある命だから美しい。」
新しい希望
アクトア歴4530年。地球は再び人類の故郷として息を吹き返した。ミーアは、地球の復興を支える指導者の一人となっていた。彼女はマークスの遺志を継ぎ、人間とアンドロイドが共存する社会を目指していた。
トワールのアンドロイドたちも、徐々に人間との交流を深めていた。マークスの物語は、両者の間に新たな絆を生み出していた。
ある日、ミーアは地球の丘に立ち、空を見上げた。そこには、かつてイージスが漂っていた星空が広がっていた。
「マークス、あなたのおかげで私は生きていられるよ。」
彼女の声は、風に乗って星の果てまで届いた。