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また、春に咲く(2)

 その日、結霊神殿の境内には、柔らかな春の光が差し込んでいた。風は穏やかで、香の煙がゆるやかにたなびき、舞の広庭には巫女たちの衣擦れの音が響いていた。

 巫女たちが、各国それぞれの衣をまとい、鳥国の舞師たちの指導のもと、舞の練習に取り組んでいるのだ。

 円を描くようにゆっくりと歩を進めながら、幾度も型を繰り返している。


 中心では、霧羽が静かに巫女たちの動きを見守っていた。

 鳥国からの使節のひとりである霧羽は、中性的な姿と優雅な物腰で、いつも淡く笑みをたたえている。美しいが、まるで何もかも見透かしているように思える雰囲気だ。

 今も、風の流れや足運び、袖の動きまで、一つひとつを見逃さぬように目を凝らしている。その姿は、どこか神事の予兆を読む鳥のようで、近寄りがたい気配を纏っている。


 花鈴は、その様子を遠くから見ていた。


(懐かしい……)


 心の中でそっとつぶやく。若い巫女たちの舞う姿が、かつての自分と重なる。

 初めて神殿で舞を学び、四霊祭という大舞台に立つことに、心を躍らせると同時に緊張で震えていたあの頃の記憶。

 

(四年前、この場所で)


 甘酸っぱいような思いが、じわりと胸を満たす。

 そのとき、懐かしい香りを乗せて風が吹いた。

 

 髪飾りが微かに揺れる。

 気づけば、彼女はふわりと衣を翻していた。


 一歩——。

 袖が風をはらみ、薄い衣がふわりと揺れる。


 また一歩——。

 静かな旋回。足元で、舞い落ちた花びらが小さく舞い上がる。


(そう……こんなふうに……)


 風に溶け、光にほどけるように。

 でも今は、誰かに見せるためでも、巫女としての務めでもない舞い。

 心の中に残る旋律に促されるかのように。


 降り注ぐ陽光はまばゆく、けれど優しい。


「……あ……」


 ふいに我に返った。

 頬が熱い。胸がどきどきしている。

 辺りには誰もいないはずだった。

 けれど、どこからか微かな気配を感じるような……気がしてしまう。


(……誰かに、見られていた?)


 恥ずかしさに胸がざわめく。

 花鈴はそっと辺りを伺うと、ややあって、そーっとその場を離れる。

 誰にも見られていない……と思う。

 それでも、四年前を想い、その想いに浮かされたように思わず身体が動いてしまったことが、無性に恥ずかしくて堪らない。

 頬の熱さを冷ましたくて、花鈴はそそくさとその場を離れた。



◇  ◇  ◇



「ああ、補佐官どの。探しておりました。どちらにいらしたのですか? 儀式の手順についての確認書が届いたのですが、こちらの意図とは少々異なっておりまして……」


 月国の宿舎近くの回廊。

 やや息を切らした官吏の声に、玲真は足を止めた。

 気づかれぬようにひとつ息を吐き、胸のざわめきを押し込める。


「そうか……では、見てみよう」


 差し出された巻物を受け取りながら、視線だけは書面に向ける。けれど、心はまだ先ほどの光景に囚われていた。


 あれは、ほんの偶然のひと場面だったはずだ。

 迷い込んだ神殿の裏手、思いがけず目にした——あの、優雅な愛らしい舞い。


(あれは……)


 ふわりと風をはらんで揺れる衣。

 舞い落ちる花びら。

 それは確かに、どこか懐かしい気配を纏っていて……。


(あの巫女は——まさか……)


「補佐官どの?」


 官吏の声に、玲真は慌てて巻物に目を戻した。


「……なるほど。確かにいくつか文言の修正が必要だな。神器の取り扱いは、殿下にもご確認いただくべきだろう……」


「左様ですか。では国に戻ったときに補佐官どのの方から……」


「ああ。だがもう少しこちらで吟味してからにしよう。場合によっては月詠の吟誦も必要になるかもしれない」


「かしこまりました。ではわたくしもお手伝いを……?」


「ああ、頼む」


 書類を巻き直し、部屋へ向けて歩きながら、玲真は改めて神殿の回廊を見渡した。


 今回、玲真がこの神殿を訪れているのは、祭りが執り行われるにあたっての折衝役としてだ。

 当日まではまだ日があるが、準備が進むにつれ、過去のしきたりとの相違の確認や各国のやり方との調整が必要になる。

 

 祭りを取り仕切っているのは花国とはいえ、他の三国にも任されている役割があるのだ。その役割のため、月国からは、官吏たちのほか記録官や月詠、記憶術師といった者たちが自国とこことを行き来しており、今回は玲真がその役割なのだった。


 そして四年ぶりのこの地は、記憶のままの荘厳さを保ちつつも、いくつもの変化が混じっていた。

 見た覚えのない石が据えられていたり、霊脈の結界が位置を変えていたり……。

 だから、道を間違えた。

 それだけのはずだった。


(……だが、あの舞は)

 

 ここには多くの巫女たちが集まっている。

 けれどあの巫女の姿は、舞の練習をしていた集団とは違っていた。

 ひとりきりで、誰に見せるわけでもなく舞っていた。


(……あれは……)


 脳裏を、先刻目にした光景がよぎる。


 白い袖が、揺れる。

 春の香りの中で、静かにたおやかに、そして鮮やかに舞っていた少女。


 その印象は、一つの記憶を呼び起こす。

 美しくて、どこか懐かしくて。


(もしや……)


 祭りまで、あと十日あまり。

 過去と未来のあいだに、かすかな風が吹き始めていた。

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