また、春に咲く(1)
◇ ◇ ◇
四つの国の境界が交わる高原地帯──そこには、古より続く神殿がある。
結霊神殿。
ここは、花、鳥、風、月——この世界を守護する四霊が、かつて“はじめて力を交わした”とされる伝説の地であり、四つの国の力を結び直す祭り、「四霊祭」が執り行われる地だ。
四つの国それぞれの力と信仰が交わるこの地にのみ、霊獣が姿を現すとされる祭壇が築かれている。
神殿は白い石造りで、そこへと通じる道は一本のみ。
長い参道を越えた先では、円形の広場が迎えてくれる。
建物は四方に開かれ、それぞれの国の象徴に向かって配置されていた。
南東には花の庭、南西には鳥の塔、北西には風の門、北東には月の泉——。
それぞれが四霊の力を宿す祈りの場となっており、神殿中央にはその力を一つに集める「結晶の祭壇」が置かれていた。
人の背丈ほどの、霊花山から切り出された青白い霊石でできており、霊光を宿すという霊脈の上に据えられている。
丸く削り出されたその表面には、四つの紋章——花の輪、羽ばたく鳥、風の渦、そして満ち欠けする月が浮き彫りにされていた。
祭の日には、これらの四霊の紋にそれぞれの巫女が順に手をかざし、力を重ねていく。
そして祭りを控えた今、祭壇のまわりには、各国の祈りのしつらえが並んでいた。
花国が飾るのは、春の野に咲く七種の花で編まれた花環。花びらを舞わせるための香炉が、ほんのりと甘い香りを放っている。
鳥国は、銀糸と羽根で織られた風結びの布を天井から垂らし、鈴のついた飾りが、風に揺れて微かな音を奏でている。
風国は、風の通り道にあたる南西の石柱の間に、祈風の旗を立て、祭壇に向かって風が流れるよう調整している。
月国は、鏡面のような銀の器に水を張り、そこに霊薬草の花を浮かべて香りを立てながら、静かに光を集めては反射させていた。
神殿の天井には、霊の流れを表す文様が描かれた金箔の天蓋が広がっており、昼でもうっすらと月明かりのような輝きを放っている。
優雅でありながら忙しなく立ち働く巫女たちもまた、それぞれの国ごとに衣を分けていた。
花国の巫女は桜の織模様の衣に、花弁を模した髪飾り。
鳥国の巫女は淡い空色の羽衣をまとい、足元には風に舞う羽根。
風国の神官は紺と砂色の軽装で、腰には風鈴のついた装飾具。
月国の巫女たちは白銀の衣に、顔を覆う薄布をつけ、静かに歩んでいる。
辺りには香の煙が漂い、淡く甘い花の香りと、月国の霊草の匂いとが交わって、まるで夢の中のような趣だ。
すべてが、ひとつの祈りのために揃えられていく——。
今はまだ、神殿全体が静けさに包まれているが、空気の奥には確かなざわめきがある。
半月後に迫る四霊祭に向けて、準備が進み、各国の使節が少しずつ集まり始めているのだ。
花鈴は、神殿の前庭に立ち、ゆっくりとその景色を見渡していた。
今回、結霊神殿での準備を取り仕切るのは、花国の役目。
巫女として、姫として。花鈴にとっては、それが当然であり、大切な務めでもあった。
石造りの参道には白い花が咲きこぼれ、風が吹くたびに花びらが舞い上がる。
古木に囲まれた石柱は苔むしていたが、そのひとつひとつに霊文と呼ばれる古い文字が刻まれており、四霊それぞれの象徴が静かに祀られていた。
「風の流れは、悪くないようですね」
傍らに立つ鈴音の声に、花鈴は静かにうなずく。
「神殿の設えも整ってきたわ。……霊花の香り、去年よりも濃い気がするの」
「今年は霊力の巡りがよいと、長老たちも仰っていました」
言葉の合間にも、巫女たちは飾りを整え、舞の場となる広庭を清めていた。
神殿の敷地内には、かすかに霊気が満ちている。
歩を進めるたびに、足元の石が淡く温もりを帯びているようにも感じられた。
ここは、霊獣が目覚める場所──そして、四霊の力が均衡をなす唯一の地。
花鈴は空を仰ぐ。
陽はまだ高く、空は澄み渡っていた。けれど、その青の奥に、なにか微かな揺らぎがあるような気がしてならなかった。胸の奥を、言葉にならない予感がかすかにかすめていく。
「姫様、少しお疲れですか?」
鈴音がそっと声をかけてくる。
「いいえ。ただ……この神殿、懐かしくて」
若い巫女たちの声が耳に届き、ふと昔の自分を思い出す。
花鈴は思い出すように微かに目を細めて微笑んだ。
四年前。
あのとき彼女は、まだ幼く、巫女としても駆け出しだった。
それでもこの神殿で、名も知らぬ誰かと、ほんのわずかな時間を共有したことがある。
“また会えたら、笑ってくれますか”
あの言葉を、静かな空気の中にそっと残したのは、自分だった。
たったそれだけの記憶。けれど、なぜかずっと胸の奥に残っている。
そして今、再びこの場所に立つ。
姫として、巫女として、そして……。
彼女自身の、まだ名づけられぬ想いを抱えて。