72「素直に受け取れ。」
フォクサルから戻ってきてからひと月があっという間に過ぎ去った。ノイレンの毎日は忙しい。早朝の走り込みから始まって洗濯、掃除、組手の稽古、それからトレランスと共にロンチャウの依頼をこなして夕方からはシャルキーズカバレで給仕の仕事。最近はダンスの練習をする暇がなかなか取れないから日に一度のステージが今まで以上に貴重な時間になっている。
「ノイちゃん今日も素敵だっただに。」
酒のせいもあるのだろう、鼻まで赤くしてダンス衣装の胸元にチップのコインをスっと差し込んだ。
「あは、ありがとう。」
「おう嬢ちゃん今度またユニゾウとかいうのやってくれよ、久々にあれも見たいなあ。」
「ユニゾンね、いいよ、シャルキーに言っとく。」
「”投げキッス”も忘れないでくれよ。」
「高いよ?」
「こりゃ参った。言うようになったなあ。あはは。」
チップで一回り大きくなった胸を揺らしながらノイレンは奥の部屋へ入っていく。
「お疲れ~。」
ラクスがテーブルの菓子をひょいぱくひょいぱくと口に放り込みながら声をかけてきた。
「お疲れ様。またシャルキーに言われちゃうよ。」
「んふふ~、実は、(モグモグ)ママにそう言わせるために(モグモグ)わざとやってるんだよね~。」
ラクスは頰張った菓子でリスのように頬を膨らませながらしゃべってる。その顔はとても楽しそうだ。
「まじか~。」
「ところでノイレンちゃん。あんた胸大きくなったんじゃない?」
ラクスはごっくんと菓子を飲み込むとノイレンの胸をまじまじと見た。
「あげないよ。」
ノイレンはチップを取られると思って両手で胸を隠しラクスの視線から逸らす。
「誰もノイレンちゃんのチップ取らないわよ~。そうじゃなくて、衣装がキツそうだからさ。」
「そりゃチップいっぱい貰ったからね。」
「だからぁそうじゃなくって、ほらチップ全部抜いてみなさい。」
じれったくなったラクスはノイレンを急かして隙間に挟まれたチップを全部抜き出させた。
「ほら~やっぱり!」
おもむろにノイレンの胸を衣装の上からわしっと両手で掬い上げるように掴んだ。
「きゃっ!」
「ヘンな声ださないでよ、女同士じゃないの。」
「だって。」
「ほ~ら、大きくなってる。あんた自分で気づいてないの?」
「ほんとに?」
ノイレンは目を丸くしてラクスの手に掬い上げられている自分の胸を見下ろした。
「もうノイレンちゃんてば、ダンサーたるもの体型の把握や維持は大事よ。そうでなくても女の子なんだからもうちょっと自分の体に気を使いなさいな。」
ノイレンの胸から手を離すとラクスはまた菓子をひょいぱくと頬張った。ノイレンは自分で胸を下から支えるように触った。しかし毎日見てるし、年中無休で付いてるからその大きさや重さが変化したようには感じなかった。
「じゃあ私行ってくるわね。」
ラクスは最後にもう一つ菓子をひょいぱくと口に放り込んでステージに向かった。
「ラクスってあんだけ食べてるからあんなに”たわわ”なんかな?」
ドアの向こうから聞こえる歓声を耳にしながらぽつりと呟いた。
自分で稼いだお金で買った旅の剣士風の服に着替えるとノイレンは店に戻った。
定位置で店内に目を光らせているトレランスのうしろでアニンがビールをちびちび。トレランスの背中を眺めてうっとり恍惚の表情を浮かべている。彼が店内を見回すときちらと横顔が見える。眼光鋭いその左目にさらに目を潤ませてきゃっきゃっと上気する。もはや不審者同然。
「おばさん、不審者にしか見えないし。気をつけな、そのうち師匠に店からたたき出されるよ。」
「ま、失礼ね。私がいつ不審者みたいなことをしたと言うのかしら。ねえ先生。」
「え、いや、あはは、」
トレランスは向こうを向いたまま背中に冷や汗をかいている。
「それにしてもあなた、ここのところずっとその服着てますけど、私が差し上げたドレスはどうしたの?」
アニンはどこからどう見ても腕の立つ剣士にしか見えないノイレンのいでたちに口をとがらせて問い詰める。
「前に言ったじゃん。あのドレスはセイベルってやつにボロボロにされちゃったんだって。」
「だったら同じのを買えばいいでしょう。あなたも年ごろなんだからそんな男勝りな恰好おやめなさい。」
アニンがまだカディンと名乗り騎士団指南役に就いていた時、ビキニアーマーという勇ましい姿は仕事中のみで、その時から普段は清楚なブラウスにウエストをキュっと締めて女性的なラインを強調する長めのベストとロングスカートというお洒落な恰好をしていた。それもこれも騎士という荒っぽいこともやらなければならない職業についていながらも女性としての品位と矜持を保つためだった。アニンと名を変え剣を捨てた今でもその志は変わっていない。
だから今のノイレンの恰好は剣士としての自分を優先し、女性であることを捨てているように見えて歯がゆいのだ。
「スカートは、その、立ち合いの時都合が悪いんだよ。いいじゃんかわたしのお金で買ったんだから。」
ノイレンはノイレンで”色仕掛け”と罵られたことが今でも心の隅に引っかかっていた。実際あれからだってスカートでバク転するとまわりにいる男子どもが頬を赤らめ、股間をもぞもぞさせてひそひそと話している場面が何度もあった。もうそんなことでどうこう言われるのは嫌なのだ。ちなみにノイレンはもっと露出の高いダンス衣装で踊っているときだって”女の色香”を売っているつもりは毛頭ない。ただそうすれば客の財布の紐が大いに緩むからやっているだけ。年頃の女性としての自覚が足りないといえばそれまでなのだが。
「あのドレス可愛らしかったのに。残念ですわ。」
アニンはぷくっと頬を膨らませてビールを口に含む。
「お待ち遠さま。」
カバレの一番人気メニュー、腸詰のてんこ盛り。茹でたあとにフライパンでさっと焼き色をつけて出す。皮がぷりぷりでがぶりといくとジュワッと肉汁が飛び散ることも。
「待ってました。」
「ほんとにこれ好きだよね。」
「たりめ〜だろ、」
返事をしながらかぶりつくと肉汁がぷしゅっと飛んだ。
「うわっ、危ね。」
ノイレンがその身軽さでスルっと避けると背後のテーブルにいる常連の背中に散った。かぶりついたやつはもちろんノイレンまで気まずい顔で素知らぬふりをする。
「それにしてもノイレン、ドレスはどうしたんだ? 最近ズボンばっかりじゃねえか、おれたち面白くねえぞ。」
客たちはノイレンのことを娘や孫のように思っているから女の子っぽい恰好のほうが見ていて眼福なのだ。
「ったく、どいつもこいつもドレスドレスて、そんなにわたしのスカート姿見たいのかよ?」
「たりめ〜だ。おれたちの自慢の看板娘なんだからよ。娘っ子らしい恰好してほしいわな。」
そこまで言われるとさすがにノイレンも悪い気はしない。が、ノイレンには秘密の予定があるから今は服なんて高いものを新たに買う余裕なんてない。
「わかったよ。そのうち、お金が貯まったら買ってくるよ。」
「なんだ金の問題か。じゃあここにいるおれたち全員で出し合って買ってやろうか。」
客たちは自慢の娘を着飾らせてやれると思うとそれでも財布の紐が緩む。
「それはいい。自分で買う。」
「遠慮すんねぃ。」
「やだね。どうせこないだみたいなフリフリのやつ買うつもりだろ。ああいうのこっ恥ずかしいからやだ。」
こないだのやつとはチャプリで貰った菜の花みたいな綺麗な黄色のドレスのこと。デザインが女の子女の子していて客たちの評判はいいがノイレンは恥ずかしくて着たくない。何せボラチョンに捨てられてからトレランスに出会うまで着の身着のままでボロを着ていた。トレランスに出会ってからだってアニンがプレゼントしてくれるまでは男の子っぽい服装だった。だから着飾るのは苦手なんだ。
「似合ってたけどなあ、そんなにああいうの嫌か?」
「だから、恥ずかしいんだってば。」
ノイレンは耳まで真っ赤っかになりうつむいて呟いた。
「あっははは! ノイレンでも苦手なものがあったか、あははは。」
客たちが一斉に笑うからノイレンは恥ずかしさを通り越して腹が立ってきた。ぷうと頬をリスのように膨らませドンドンと足音を立てチーフのもとへ戻っていった。その背中に客たちの笑い声がまだ届いてくる。
ある日の夕方。トレランスとともにロンチャウの依頼をこなしたノイレンはカバレに行く前に寄り道したいと言い出した。
「師匠、わたし寄りたいとこあるから先にお店行ってて。」
「なんだ、それなら俺も付き合うぞ。」
「いい、わたし一人で行く。師匠は来ないで。」
「そうか、わかった。気をつけろよ。」
「うん。」
ノイレンは自分の馬となった”馬さん”、名前はまだ付けていない、に跨って通りの向こうへ姿を消した。その背中を見送ったトレランスは一抹の寂しさを感じながらも馬の鼻先をカバレへ向けた。
ロンチャウのいる統括ギルドからほど近い場所にある某武具店。ノイレンは師匠に見つからないようわざと遠回りしてやって来た。
実はメルチェリオスたちの護衛の仕事で得た金貨の残りと今まで貯めてきたチップや給金を合わせてあるものを注文していた。
「こんにちは。おじさん出来てる?」
「ノイレンかい、出来てるよ。待っとれ。」
店主のおじさんは店の奥から綺麗な細長い木箱を持ってきた。
「ほれ、これじゃ。」
木箱をカウンターの上に置くと蓋を開け中に入れてあるものを取り出してノイレンに手渡した。
「どうだい、いい出来だろう。我ながら”いいもん”が出来たと思っとる。」
「すごい、めちゃくちゃかっこいい。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。」
店主のおじさんは自慢げに顔をほころばせる。
「それにこの石とても綺麗。透き通ってる。」
ノイレンが頼んでいたのはサーベル。それもネオソードと同じ刃渡りの長いもの。柄と鞘にはエングレーブ(彫刻)加工が施されていて見た目が美しい。その柄に青い石が一つ嵌められている。
「その石に光を当ててごらん、面白いものが見えるでな。」
ノイレンは窓へ近づき差し込む光を当ててみた。
「何これ!」
鞘に嵌った青い石は光を受けて三条の筋が星のように浮かび上がった。
「スターサファイアと言うんじゃ。光を当てると星が浮かび上がる。」
「すごい、綺麗、おじさんありがとう!」
ノイレンは満面の笑みを浮かべてそのサーベルをぎゅっと胸に抱いた。店主のおじさんが店の壁にかけてあったソードベルトを1本手に取るとノイレンに差し出した。
「これも必要じゃろ。」
「そうだけど、もうお金ない。それはまた今度でいいや。」
「何を言っとる。それじゃ常に剣を手に持って歩かにゃならんだろうが。これはわしからの気持ちじゃ、持っていけ。」
「え、でも。」
「ノイレンはわしらの生活を豊かにする手伝いをしてくれたんじゃ、お前さんからぼったくったらメルチェリオスになんと言われるかわかったもんじゃないからの。」
「いいの?」
「若いんじゃから遠慮するでない。素直に受け取れ。」
「ありがとう。」
ノイレンは木箱とソードベルトを脇に抱えるとカバレへ馬を走らせた。
裏口からそっと中へ入る。きょろきょろとあたりを見回して誰にも見つからないように木箱とソードベルトを奥の部屋の隅に立てかけた。そして素知らぬ顔をして店の中へ。もう開店していて常連でテーブルは埋め尽くされている。
「遅かったね、さっさと仕事しな。」
シャルキーはノイレンを見るなり厳しい。
「はい。」
ノイレンはいつものように笑顔で客たちの相手をする。その様子を見つめるシャルキーはその切れ長の目を細めてにっこり。
「どうした? ノイレンになにかあるのか?」
シャルキーの様子にトレランスは何かを感じたらしい。
「ふふん。」
シャルキーは鼻を鳴らすだけ。
「なんだよ、教えてくれよ。」
「さてね。あたしにもわからないよ。ただあの子の様子がね。」
「なんか違うか? 俺にはいつもと同じにしか見えんが。」
トレランスはきょとんとした感じでノイレンを見ている。
「あんたは殊女のことになると”にぶちん”だからねえ。」
「なんだよ、」
トレランスはムスっと頬を膨らませてシャルキーをジトっと見た。
「あっはは、ま、楽しみにしてるんだね。ありゃあ何か隠してるよ。」
トレランスはカウンターに頬杖をついてノイレンを見ている。
「ふうん。」
店がはねて後片付けを済ますとノイレンはこっそりトレランスを店の外に呼び出した。
「師匠ちょっとこっち来て。」
ノイレンは周りに気を配り誰にも見られていないことを何度も確認する。
「なんだどうしたんだ?」
「いいから、こっち。」
ノイレンは先導するように手招きをして外へ行く。ノイレンがあまりにもこそこそしているからトレランスも思わずこそっと動作が怪しくなる。それをカウンターのところでトレランスの仕事が終わるのを待っていたアニンが目ざとく見つけてそ~っと後をつけていった。
「これ師匠に。受け取って・・・ください。」
店から少し離れた暗がりでノイレンはトレランスに夕方受け取ってきた木箱を渡した。物陰からアニンに見られているとも知らずに。
「俺にか? なんだ改まって。」
トレランスは何の気なしに受け取るとその重さにピンときた。静かに蓋を開ける。物陰から見ているアニンが驚いて口を小さく開けた。
「どうしたんだこれ。」
トレランスは驚いた。ぱっと見でも作りのしっかりした上等なものだと分かる。彼はサーベルを手に取ると隅々まで眺めその拵えに感心し、それからゆっくりと刀身を抜いて鑑定するように刃を裏返したりして食い入るように見入った。その後ノイレンに当たらないよう少し離れて手首をくるくると回した。重さもちょうどよい。重心もネオソードと同じだ。
「いい剣だ。」
トレランスは惚れぼれした表情で頷いた。
「よかった。気に入ってくれて。」
「ノイレン、その、どうしたんだ一体?」
ノイレンは腰のネオソードを触りながら答える。
「だって師匠から”これ”貰ったから、師匠それからいつも仕事のたびにロンチャウさんに借りてるじゃん。だからそれはわたしから師匠にプ、プレゼント。」
恥ずかしそうに頬を赤らめて言い切った。
トレランスは気まずいのと嬉しいので複雑な表情を浮かべる。
「高かっただろう。」
「大丈夫、貯めてたお金でちゃんと買えたから。」
「本当にもらってもいいのか?」
ノイレンは黙ってしっかりと頷いた。トレランスはサーベルを鞘に納めて頬を赤らめてうつむきかげんの愛弟子を見た。
「ありがとう、ノイレン。ありがたく貰うよ。」
ノイレンは顔を上げた。とても満足そうな笑顔だ。
「そうだ、柄のその石、今度明るいところで見てみて。驚くから。」
三条の星を見た師匠の驚く顔を想像してにっこりするノイレン。それを物陰から見ていたアニンは心の中で呟く。
『小娘、やってくれましたわね。あなたにサーベルを授けて丸腰になった先生にプレゼントしようと私も密かに計画してましたのに。』
悔しくて物陰でぷくっと頬を膨らませて鋭い視線をノイレンに向けて放った。その眼光の鋭さにトレランスが気付いた。
「そこにいるのは誰だ!?」
トレランスのドスの効いた声にびくんとしたアニンは5センチくらい飛び上がった。
「だ、誰もいませんよ~、にゃぁ~。」
トレランスとノイレンが半目でアニンが隠れている物陰をじっと見ている。
「にゃあ~、にゃぁ、にゃ・・・」
さすがにアニンもいたたまれなくなってきた。
「そうですよ! 私です。アニンです!」
ばつが悪そうにふくれっ面で姿を現した。
「おばさん、いつからいたの?」
ノイレンは全部見られたかもと恥ずかしさがこみあげてきた。
「い、今来たところですわ。」
そういいながらも2人と目を合わせられないアニン。
「それはそうと小娘、やってくれましたわね。先生にサーベルをプレゼントするのは私も考えておりましたのよ。ただ、今はその、お金が・・・」
だんだんと小声になっていく。右手で胸のところに垂れている三つ編みをいじる。
「アニンもありがとう。気持ちだけありがたくもらっておきます。俺のために無駄遣いしないでください。」
「無駄遣いだなんて、私先生のためでしたらこの身も心も差し出して御覧に入れますわ。」
いつの間にかノイレンを無視してトレランスだけ見つめている。そのアニンの前にノイレンがつかつかとやってきて彼女の目をまっすぐに見つめニンマリした。
「へっ。」
ノイレンの勝ち誇ったようなその笑顔にアニンは悔しさ爆発。
「なんですの、その顔は。まあ憎たらしい。」
ノイレンは人差し指で鼻をさすった。それを見たアニンはキーキーと叫ぶ。2人の女がいつぞやのように視線をバチバチとぶつけ合うのをトレランスは冷や汗をたらし黙って見ていることしかできなかった。
次回予告
照れくさくてはっきり言葉にはできなかったけれど師匠への感謝の気持ちを少しは伝えられたノイレン。トレランスの右目の代わりとして共に仕事をこなしていくうちに17歳の誕生日もいつものように通り過ぎていきノイレンは一人前になった。そんなある日ロンチャウはノイレンだけを呼び出した。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第七十三話「ノイレンにしか」




