71「シェヒルへ帰ろう!」
翌朝早くマーセナリィはシェヒルを発った。フォクサルまでは馬で一日。途中で野営せずに済むようもう一晩貴賓室に泊まってからの出発となった。
ノイレンはともすれば沈み込みそうになる心を奮い立たせようといつも以上に張り切ってマーセナリィの乗る馬車を先導して進んでいく。
「お〜いノイレン、フォクサルへの行き方分かってるのか?」
トレランスが馬車のうしろから心配して大きな声で訊くとノイレンはやっぱり大きな声で答えた。
「知らな〜い。」
トレランスが馬車を追い越して隣にやってきた。
「そんなことだろうと思った。俺が先導するからノイレンは殿にまわりなさい。ところでその馬別のに代えてもらわなかったのか。」
ノイレンがいつも借りている馬、大流星鼻梁白(額から鼻筋にわたる白い十字のような模様)の栗毛、一昨日の戦闘で傷を負っている。馬油を塗ってはいるが痛々しい。
「うん。この馬さんわたしと気が合うから昨日貸し馬屋で買い取ってきた。」
「は?!」
トレランスは目を丸くして驚いた。目が点になっている。
「だってわたしのせいで馬さん傷だらけになっちゃったし、それでも頑張ってくれたから、ね。」
ノイレンは優しく馬の首筋を撫でた。
「ひひひ~ん!」
かねてより自分の馬が欲しいと思っていたノイレンは、今回の戦闘で怪我を負わせてしまった馬をできればそのまま引き取りたいと服屋の次に貸し馬屋に出向き交渉した。怪我の状態を見た馬屋は「いつもこの馬を指名して借りてくれてたし、療養のために遊ばせておくのは損だから」と譲ってくれた。
「うちの厩二頭も入れるほど広くないぞ。」
トレランスは困った顔をした。
「それなら馬さんはわたしと同じ部屋にすればいい。アニンは納屋でいいんじゃない?」
トレランスは頭が痛くなってきた。今回の仕事では血の雨がたくさん降ったというのに、このあともまた降りそうだと思うとこのまま家に帰りたくなくなってきた。
道程の半分も進んだころ、街道の脇に泉のある茂みが見えてきた。
「ここで一休みしよう。」
「馬さんに水飲ませてあげないとね。」
一行は街道の端に馬車を止めた。ノイレンとトレランスは桶を持ち馬を連れて泉へ水を汲みに行った。2人の馬はそこで好きに水を飲む。
太陽の背丈が一日で一番高くなっている。トレランスは水を汲みながら額の汗を腕で拭う。
「しかし暑いな。」
黒い眼帯をしているトレランスは右目のあたりが余計に熱くてたまらない。
「そんなもんつけてるからだよ。」
ノイレンが横目で呆れている。
「かっこいいだろ。」
トレランスは負けじとニカっと笑い返す。
「ところでさ師匠、あのパラルとかいう人どうなったの。」
ノイレンはパラルの自白を聞いていない。メルチェリオスの部屋でマーセナリィの手当てをしている間ずっとそばにいたから彼を見たのは部屋に入る前が最後だった。そのあとはどこかに連行されていったのは知っているがそれきり何も聞かされていない。
「あいつは今頃殺人及び殺人幇助の容疑で自警団の連中にこてんぱんにされてるさ。」
トレランスは彼から裏切りの理由を聞き出してはいるが何故かノイレンには話そうとしない。あまりにも身勝手な理由だから話さないほうがいいと思っている。
「え、じゃあザイナーだっけ? あの人の相棒て賊にやられたんじゃないの。」
「らしいな。」
これもはっきりとは答えない。
「それよりノイレン、あの時の勘の鋭どさは感心したぞ。名前を呼んだだけで俺の言おうとしていることを察知したもんな。」
「ん、師匠の言いたいことくらい分かるよ。」
ノイレンの横顔がちょっと恥ずかしそうだ。
「ふふん、そうか。」
トレランスは満足そうに微笑んだ。
「なに?」
「ん、俺の言いたいこと分かるんじゃないのか?」
トレランスはいたずらっぽくニタリとするとノイレンは横目で睨む。
「斬るよ。」
「あっははは!」
ノイレンはぷいとそっぽを向いて馬車につながれた馬のため冷たい水を汲んだ桶を持って戻ってきた。
「どうぞ。」
ノイレンが桶を目の前に置くと馬は鼻をつけて水を飲み始めた。ノイレンはしゃがんでにこやかにそれを見ている。
「美味い?」
こんなのどかな時間がいつまでも続けばいい、フォクサルに着かなくていいからなんて後ろ向きな思いが頭をよぎった。馬はノイレンの問いかけには反応せず一心に水を飲んでいる。質実剛健な馬車からマーセナリィがにゅっと顔を出した。
「なんか楽しそうだの?」
その時泉のほうからトレランスの叫び声が上がった。
「ノイレン行ったぞ!!」
咄嗟に立ち上がってノイレンは腰の剣に手をかけ泉のほうを見据えた。茂みの陰から3人の人影が躍り出てきた。3人は剣を持っている。わらわらと襲い掛かってくる3人の賊。ノイレンはそいつらに向かって猛然と飛び出して剣を抜きざまに先頭の1人の胴を斬り払った。残る2人はその場で足を止め剣を構えてノイレンの攻撃の手を防ぐ。
「何者だあんたら。」
2対1で睨みあいながらノイレンは訊いた。しかし2人とも答えない。そこにトレランスが駆けつけてきた。
「こいつらマーセナリィさんを狙ってるぞ。」
見るとトレランスの服と握っている刃に血が付いている。
「師匠!」
「大丈夫これは賊の血だ。向こうで1人斬った。」
ノイレンとトレランスに前後から挟まれた賊の2人はお互いに顔を見合わせるとノイレンに向かって飛びかかっていった。1人をあっさり斬ったとはいえ、うしろにいる体格の良いトレランスよりも倒しやすいと判断したらしい。
2人が同時にノイレンに斬りかかる。ノイレンは賊の剣を自分の剣でいなしてさっと横に身をかわすと手首をひねって目の前にいる賊の背中に刃を当てる。
「うぐぁっ、」
賊が初めて声を発した。しかしそいつが邪魔でその奥にいるもう一人に向かって踏み込めない。その賊はこれを好機と止まっている馬車へ向かった。
「させるか!」
ノイレンは馬車に取りつこうとしている賊に突進。賊がドアに手をかけた瞬間、中にいるマーセナリィがドアを蹴飛ばした。賊は跳ね飛ばされてうしろに迫ったノイレンにぶつかる。
「うわっ、」
ノイレンは跳ね飛ばされた賊もろともに地面に転がり落ちて下敷きになってしまった。強かに頭を打ち付けてしまい目の前に火花が散った。ノイレンをクッションにした賊は起き上がると剣を逆さに握り直してノイレンの体めがけて突き下ろした。
『殺られる!』
ノイレンは不覚にも目をつむってしまった。
しかしいつまで経っても体に痛みが訪れない。ノイレンはおそるおそる目を開けた。そこには青く広い空が見えるだけ。太陽がまぶしい。
「しっかりしろノイレン! 何をしている。」
まぶしい太陽を背にトレランスが覗き込んできた。その顔は陰になってて表情が見えない。
「師匠?」
「さっさと起きろ。」
トレランスが差し出したその大きな手を握るとぐあっとノイレンの体は宙に浮くほどに持ち上げられた。立ち上がったノイレンの目に師匠の顔がはっきり見えた。とても真剣な表情をしている。それを見た途端ノイレンの心の中に助かった安堵と師匠を怒らせた済まなさと、生きることを一瞬でも諦めてしまった自身への悔恨がどっと沸きあがってその場から逃げ出したくなった。
逃げ出したくなって目が泳いでいるノイレンの両頬をトレランスのその大きな手がぱんっと叩いて挟み、そのまま力強く包み込んだ。
「俺の目をまっすぐに見ろ、ノイレン!」
「・・・」
「たとえどんな状況に陥っても生きることを、勝つことを諦めるな。一瞬でも諦めたら死ぬぞ。」
「師匠、」
「いつもの負けん気はどうした。あれくらい跳ね飛ばせるノイレンじゃないか。」
トレランスの両手に頬を包まれながら視線を動かすと3人目の賊が剣を逆さに持ったまま絶命しているのが見えた。ノイレンの体に賊の剣が突き刺さる前にトレランスが賊を突き飛ばして斬っていた。
ノイレンは再びトレランスの顔を見た。右目の黒い眼帯とそれに似つかわしい真剣で鋭い左目。心の中に沸いた感情を生来の負けん気が覆い包み一つに丸めてぎゅうっと押し潰していく。
「ごめんなさい師匠! わたしどうかしてた。もう絶対諦めないから、だから、わたしを見捨てないで。」
「誰が見捨てるか。ノイレンは俺の大事な弟子だからな。それに、お、俺の娘みたいなもんだしっ。」
トレランスは顔を真っ赤にして笑っている。
「ありがとう、師匠。」
その様子を馬車の中からマーセナリィは黙って見ていた。
夕方、まだ明るさが十分に残っているうちにフォクサルに着いた。街道の向こうに街の姿が見え始めるとノイレンはやっぱり憂鬱になってきた。何も知らない馬は歩を緩めることなくぽくぽくと進み続ける。街が近づき往来に人々の影が見えるとノイレンは無意識に顔を背けた。
マーセナリィを乗せた馬車は街の中をずんずんと進んでいく。通りすがる人々は質実剛健な馬車はもちろんその前後を行く馬上の人にも一切の関心を示さない。それでもノイレンの心には重たい感情がいすわり、彼女の体を馬の背にめり込ませるように膨らんでいく。
フォクサルにある武具屋ギルドに着いた。
「2人ともありがとう。おかげで無事に帰ってこられた。今日はここに泊まるとよい。」
マーセナリィは顔の下半分を覆う髭を膨らませてにこやかに笑った。
その夜ノイレンは用意された部屋のベッドの上でまんじりともせずに天井や窓の外にたたずむ暗闇を眺めて過ごした。
翌早朝、ノイレンとトレランスはマーセナリィに別れを告げ帰途に就いた。ノイレンは街の外まで一気に駆け抜けてしまいたいと心が急くがトレランスがそうさせてくれない。彼はまるで街中を観光でもするかのようにわざとゆっくり馬を進めている。だからノイレンもそれに合わせてゆっくり進むしかない。とても気が重い。
「師匠急ごうよ。早くしないと(向こうに戻るのが)夜になっちゃうよ。」
そう言って急かしてみても「まあまあ」としか答えない。ノイレンは首に重りでも吊るされているかのように項垂れて下を向いている。
「顔を上げなさい。そんなに下ばかり見てると(馬から)落ちるぞ。」
トレランスはニカっと笑ってこちらを見ている。ノイレンは師匠の真意がわからず腹が立ってきた。
「言われなくてもわかってるよ。」
ぶっきらぼうに返事をして頭を上げた。その目にかつて隠れ処として使っていた物陰が入ってきた。ノイレンは目を背ける。しかしその脳裏に街のいたるところにあった隠れ処のことが次々と浮かんできた。馬さんはそんなことはお構いなしに歩いていく。すると別の隠れ処が見えてくる。またもやそれを目にしてしまう。街の中を右往左往するように進んでいくトレランスについていく間にいくつもの隠れ処だったところを目にした。
そしてトレランスは朝早いこともあってか市場の立つ通りも平気で通り抜ける。もう店は準備を始めているがまだ人通りは少ない。ノイレンは肩をすくめるようにしてびくびくしながらあとをついていく。時折ちらちらと周りの店を見る。パンや採れたての野菜を盗んだ店が目に入ってきた。お店の人たちも4年前と同じだ。皆笑顔でこれから始まる一日のために働いている。当時ノイレンは捕まらないように街のあちこちの市場を日替わりで襲っていた。だから今目にしているのは被害を及ぼした店のほんの一部に過ぎない。
『ごめんなさい』
ノイレンは心の中で謝りながら隠れるようにそれらの店から顔を逸らして通り過ぎる。ちらと前を行く師匠の背中を見た。トレランスは鼻歌でも歌っているのか楽しそうにキョロキョロと周りの店先を覗いている。
『師匠、どういうつもりなんだろ。ぜったいわざとだよね、市場なんか馬で通ったら邪魔じゃん。』
憎たらしく思いながらもその真意がどこにあるのかノイレンは考え始めていた。
「おう、この先右に曲がるぞ、遅れるなよ。」
トレランスは笑顔でうしろにいるノイレンに声をかける。しばらく行くと「左に曲がってみよう」とまたまた回り道をする。そして「お、あの店のパン美味そうだな」とか「あのプラムでっかいなあ、買っていくか?」とわざとらしく話しかけてくる。最初は煩わしくて「師匠少し黙ってて」と強い口調で返していたノイレンはふと気づいた。まわりに街の人たちがちらほら見えるようになってからは一度も自分の名を呼んでいない。
『師匠気を使ってくれてる? わたしの名前を聞けば街の人たちが気付くかもしれないから。』
そのことに気づいてからノイレンは周りを通り過ぎていく街の人たちの顔を盗み見るようにちらちらと目の端に止めていった。誰もノイレンに気づいていない。というよりも誰も馬に跨っている旅の剣士風の恰好をした女性を気にも留めていない。だから誰とも目が合うことすらない。街ゆく人たちにとって自分も同じただの通りすがりにしかすぎないということに気が付いた。
かつてノイレンが通った道を知っているかのようにトレランスは馬の鼻先をそちらに向けていく。ただの偶然だけれどノイレンにはそうは思えなかった。忘れ草が咲いていた路地や手に握っていた灰をすべてなくしたことに気づいて嘆いた噴水も、お母さんに買ってもらった宝物の服をボンボンに燃やされた空き家も通り過ぎた。
『お母さん。そうだ上を向いていないとわたしの顔お母さんに見えない。』
いつか心に定めたことを思い出した。そうこうしているとまた別の市場にさしかかった。あの栄養たっぷり間違いなしの大きな魚を盗んだ店がある。魚屋の店主がにこにこと客の相手をしているのが見えた。
『あの時はごめんなさい。』
ノイレンは馬の上からぺこりと頭を下げて通り過ぎた。
『あの子のお母さん元気になったかな。』
窓から覗き見した光景を思い出した。
「そろそろ街から出よう。今夜はシャルキーのところへ顔を出さないとな。」
トレランスは敢えて何も聞かず、ノイレンの名を呼ぶこともなく促してきた。
「うん、」
ノイレンは心の中に複雑な思いを抱えながらもトレランスに笑顔を向けた。彼は片方の口角を上げてそれに答え一つ質問をした。
「ここからシェヒルへ帰るにはどう行けばいいか分かるか?」
ノイレンはキョトンとして答える。
「来た道を戻ればいいじゃん。」
「うん、それも一つの方法だ。けどなここからだと3通りの道があるんだ。」
「そうなんだ。じゃあ一番近道になるところから帰ろう。」
「それでいいか?」
トレランスは思わせぶりに確かめてくる。
「なに? 師匠何が言いたいの?」
「過去は変えられないが未来はいくらでも好きにできる。ノイレンの自由だ。来た道に後ろめたさを感じて一生引きずっていくのも自由だが、その後悔をバネにしてこれから行く道の中で自分の力に変えていく生き方もある。それを選ぶのもノイレンの自由だ。」
トレランスは真面目な顔でノイレンの目をしっかりと見つめながら話した。
「さあどの道を選ぶ?」
ノイレンはようやく理解した。トレランスがあっちこっち連れ回すように街の中を歩いていた理由を。
「そうか、どこを通るかは私が選んでいいんだ。嫌なことから逃げるのも、向き合うのもわたしが選べばいいんだ。」
「そういうことだ。さあ、どこから帰る?」
「じゃああの道がいい!」
ノイレンはトレランスとともに歩き出した。かつて追手から逃れるために潜んでいた茂みを横目に、歩いて渡った川を馬で越えて。
しばらく進むと街道沿いに大きな木が一本現れた。
2人が出会った場所だ。
ノイレンは馬を止めてその大きな木を、木のたもとの草原を感慨深く眺めた。そっと目を閉じて軽く息を吸い、ゆっくり吐くと顔を上げてトレランスを真っ直ぐに見た。
「シェヒルに帰ろう!」
ノイレンの腰にあるネオソードのオレンジ色の石が陽光を受けて煌めいていた。
次回予告
過去の自分と向き合い何かを感じたノイレン。心の芯がまた少し太く硬く成長したノイレンは密かにあるものを武具店に注文した。それが出来上がるのを楽しみに日々を忙しく過ごす中でラクスからは”あれ”が成長したと言われたり、カバレの常連からはドレスを着ろとせがまれる。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第七十二話「素直に受け取れ。」




