7「そうそう、ノイレンちゃん。」
周囲に人さらいの男どもがいないことを確認するとノイレンは隠れ処から出てきた。
「さって腹減ったし、ごはんもらいに行くか。」
まだ湿り気のある髪をいつものように頭の高い位置で一つに束ねて垂らすと、サコッシュを肩に斜めにかけた。にっこりした笑顔でサコッシュの上から中に入れてあるものを愛しそうに撫でて、それから近くにある朝市へ出掛けた。
街の北側にある朝市へ向かう途中ノイレンはちょいちょい背後を気にしながら歩いている。もしかしたら今朝の人さらいがつけてきているかもしれないと警戒した。もっともあの男どもに追いかけられてもノイレンはまた逃げ果せる自信はあったがそれでは「朝飯を食いっぱぐれるかもしれない」のを心配した。
「空きっ腹を抱えながら逃げ回るのは嫌だな。」
うしろを気にしながら路地を右へ左へ頻繁に曲がって歩き、誰もついてきていないことを確かめる。
そのせいで普段は通らない場所へ入り込んでしまった。時折空を見上げて太陽の向きを見ながら歩いていると道端に綺麗なオレンジ色の忘れ草が幾つも咲いているのを見つけた。ノイレンは思わず駆け寄ってしゃがみ込みじっとその花たちを眺めた。
「へえ、こんなところに咲いてたんだ。知らなかったな。」
忘れ草の草丈は高いもので80センチにもなる。しゃがんだノイレンの目線の辺りで見つめ合う彼女と忘れ草。ノイレンの脳裏にお母さんとの思い出がよぎる。
花たちは路地を通り抜けていくそよ風に揺られて左右に首を振り、まるでノイレンに挨拶しているようだ。ノイレンも花が揺れるのに合わせて頭を左右に振って花たちと会話する。瑞々しいオレンジ色がとても綺麗だ。優しい時間が流れていく。
「いいところを見つけた。また来よう。」
花たちとしばらくの間会話してノイレンは立ち上がりその場を後にした。
空きっ腹を抱えて街の北側にある朝市の近くまで来たときノイレンは異変に気づいた。
「なんであんなに自警団の奴らがいるんだ?」
神出鬼没の悪ガキがいつもどこかの朝市で盗みを働くからその警護のためにと自警団が数名いるのはいつものことだが、今朝はその数倍の人数がいる。数人ずつ固まって20〜30メートルほどの間隔で朝市の立っている通りを見張っている。
自警団は街の若い男たちで組織されている、と言えば聞こえはいいが単に半端者を束ねた集団だ。いい歳こいて定職に就かずぶらぶらしている者や、社会になじめず日陰を歩くとっぽいヤツらを集めている。要はそういう輩を放置しておくのは何かと良くないから、街の警護を任せ、もてあましている力をそれに当てさせることで彼らの自覚と街の治安を同時に確立させようという狙いがある。
『なんかあったな。ここはヤバいから別のところへ行こう。』
ノイレンはここでの調達は諦めて別の朝市に向かった。
「あ〜腹減った。朝から走り回ったからぺこぺこだよ。」
ノイレンのおなかがぐぅと答えた。街の西の方へしばらく移動したところにもう一つ朝市がある。ところがここでも同じだった。自警団の連中がうじゃうじゃいる。中には助っ人に呼ばれたのか自警団とは違う装備の奴らもけっこういる。
『どうしたってんだ今日は。』
物陰から通りの様子を静かに伺ったあと、そこも諦めて今度は南西方面へ歩き始めた。しかしそこでも自警団やその助っ人たちで朝市の通りが賑わっている。
「参ったな、どこに行っても自警団がやたらいやがる。なんだってんだ。」
ノイレンはぐぅと鳴く腹の虫を慰めるようにおなかをさすりながら通りのはずれまで移動した。そこで買い物を終え井戸端会議に花を咲かせているおしゃべり好きなおばちゃんたち3人組の会話に物陰から耳を澄ませた。
「今日は自警団多くない?いやねえ、あの子たちガラ悪いのが多くて。」
「ほんとほんと。私なんか買い物してるところをじっと見られて気持ち悪かったわぁ。」
「お店の人から聞いたんだけど、なんでもあの悪ガキを探しているんですって。」
3人の中で仕切りたがりのおばちゃんがしたり顔で2人に教える。
「悪ガキってノイ・・ノイ?」
一番のほほんとした感じのおばちゃんがノイレンの名前を言おうとするが出てこない。隣にいたもう1人が教える。
「ノイレンよ。」
「そうそう、ノイレンちゃん。」
「ちゃん?」
2人が驚いた感じでちゃん付けしたおばちゃんを見る。
「一度だけ朝市で見かけたことあるけど、あの子身なりは汚くてもけっこう可愛い顔してたわよ。」
「だからって、ちゃんづけは・・・」
したり顔のおばちゃんが眉をしかめる。
「だってうちの下の娘と同じくらいなんだもの。」
のほほんとしたおばちゃんがノイレンを自分の娘と重ねている。もう1人のおばちゃんが話題を戻そうとしたり顔のおばちゃんを見ながら訊く。
「で、自警団がその悪ガキに何の用なのかしら?」
のほほんのおばちゃんも食いつく。
「そうよねぇ、いくらお店のものを盗んだりするからっていっても今朝は大袈裟よね。」
したり顔のおばちゃんはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりににんまりして得意げに答えた。
「なんでもね、都市長の側近やってる人、なんて言ったかね、ほらキツネ男、えっと、」
このおばちゃんも名前が出てこない。
「ああ、都市長の虎の威を借るキツネって言われてるあのいやらしい男ね。」
もう1人のおばちゃんがまたもフォローする。
「そうそう、そいつの息子が悪ガキに恥をかかされたかなにかで『お父様〜』て泣きついたんですってよ!」
「まあ!」
話を聞いていた2人のおばちゃんたちは話が面白くなってきたとばかりに大きな口を開け声を揃えて驚いてみせる。したり顔のおばちゃんは気持ちよさそうに続ける。
「で、親キツネが自警団に命じたらしいわ。」
物陰で聞き耳を立てていたノイレンは記憶をたぐる。
『キツネ男の息子って昨日のあのボンボンか?』
ボンボンのキツネのような吊り目顔が脳裏に浮かび彼が吐いた台詞を思い出した。「父さんに言いつけてやるからな。覚えてやがれ、このゴミくずが。」
ノイレンは苦々しい表情をした。
「あいつ、家に帰りたくないとか言ってたくせに。ホントに薄っぺらいヤツなんだな。」
朝市の立つ通りを一通り見渡すと『今日は(朝市での調達は)諦めるしかないか。』
渋々ノイレンはその場から離れようとしたとき運悪く自警団に見つかってしまった。
「あいつだ!!悪ガキがいたぞ!!」
1人が叫ぶと隣にいたもう1人がけたたましく笛を吹いた。朝市の通り中に警笛の音が響き渡る。
「やべっっ。」
通りにいた自警団の連中が一斉に笛の音のした方へ集まってきた。すぐ側で噂話に花を咲かせていた3人のおばちゃんたちもびっくりして自警団が突進していくほうを見た。
ノイレンは全速力で路地を走り抜けて逃げるが連中は人数にものを言わせてノイレンが行きそうな方向へいくつかのグループが先回りした。
「あっちへ行ったぞ!回り込め!」
それぞれのグループが連携してノイレンを挟み撃ちにしようと笛を吹き鳴らしてお互いの居場所を知らせ合う。ノイレンは持ち前のすばしっこさで連中の追跡を撒こうとするが相手が多すぎる。いつもなら簡単に撒けるのに今日の連中はひと味違う。たんまり”鼻薬”を嗅がされているようだ。路地の角を曲がって撒けたかと思うと別のグループが前方や横から現れる。
「ちくしょう、これじゃ逃げらんない。」
ノイレンは必死になって走り回るが先回りされて行く手を塞がれる。いつもはこんなに長く逃げ回ることなどないノイレンは息が上がってしまった。自然と逃げ足も鈍る。そうしてぐるぐると逃げ惑ううちにとうとう捕まってしまった。
「離せっ!こんちくしょう!離せよっ!」
2人の自警団員に両手を体の後で捕まれてふりほどけない。そのまま腕ごと胴を縄で縛られてしまった。
「観念しな悪ガキ。」
ノイレンを取り囲んだ自警団の連中がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて彼女を見下す。頭にきたノイレンは目の前にいた団員につばを吐きかけた。
「うわ、何しやがるこのクソガキ!」
つばを吐きかけられた団員がノイレンの左頬をグーでぶん殴った。横一文字に固く結ばれたノイレンの口から一筋の血が垂れる。ノイレンは憎しみの光を宿した三白眼でその団員を睨みつける。
「ああ?何だその目は?」
そう言って今度は反対の手でノイレンの右頬をぶん殴った。殴られた勢いで口の中に溜まっていた血を吹き出し、そのしぶきが周りにいた団員たちにかかった。
「うわっ汚ねえ!」
「なにすんだこのガキ!」
ノイレンは団員たちに袋だたきにされた。
次回予告
自警団に捕まったノイレン。極悪人の護送でもあり得ないような大袈裟な扱いで街外れの空き家に連行される。そこに待っていたのはあのボンボンだった。幸か不幸か連行される途中あの人さらいたちがノイレンを見かけてあとを付け始める。空き家の中ではボンボンによる私刑が行われた。体を縛られて抵抗することもままならないノイレンはその最中肌身離さず持ち続けていた大切な宝物を失う。逆上したノイレンは反撃に出るが。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第八話「お願い!!」