68「今日からこいつを使いなさい。」
トレランスがノイレンに右目になれと話を持ちかけた日の朝。
「いやん、先生ったら今朝も凛々しくて素敵です。私目のやりどころに困ってしまいますわ。」
トレランスの眼帯姿に脳が焼き切れたアニンが朝からくねくねと彼にくっついてくる。
「今走ってきたんで汗臭いですよ。」
「先生の匂いでしたら私の活力剤ですわ、お気になさらないでくださいませ。」
そそそっとトレランスに寄り添いその胸板あたりに鼻を寄せてくんかくんかしつつ黒い革製の眼帯姿を上目遣いに見上げて頬をぽっと赤らめる。
「いや、ぁはは・・・」
彼女はアニンと名を変えてからますます変態、もとい一途さに磨きがかかってきているように見える。
「お店の皆さんはなぜこの凛々しさが分からないのでしょう。とてもお似合いで素敵です。どこからどう見ても世界一の剣士です。その力強さで是非私を・・・」
アニンは寂しさを紛らわすために昨夜もトレランスの残り香を求めてシャルキーズカバレへ出向いたところ、なんとそこに黒い革製の眼帯をしたトレランスがいるではないか。一目見てどっきゅんと心臓が爆発。頬を赤らめ、狙い定めた視線を放ちつつ、まるでフクロウのように音もなく次の瞬間にはトレランスのもとにいた。
「先生お帰りなさいませ! 嬉しい。私この日をどれだけ待ち侘びたことか。」
胸に右手を添えて瞳を潤ませ恋する乙女がごとくトレランスの顔を見上げる。彼女から見たら彼は20歳近く年上。つまりこの時代ならば親子ほど離れていると言ってもおかしくないのだがアニンはトレランスにぞっこん。
「アニンもお仕事お疲れ様。毎日ご苦労ですね。」
トレランスは背筋に寒いものを感じながらも彼女を労った。
「いいえ、先生のご苦労に比べたら私の疲れなんて大したことありませんわ。それより先生、その眼帯いかがなさったのですか、あまりにも凛々しくて私頭も心も焼き切れてしまいました。」
寂しさに耐えながら帰りを待っていた自分へのサプライズをしてくれたと言わんばかりにぐいぐいとトレランスにくっついてくる。
「お、山賊があの姉ちゃんに押されてるぜ。」
「情けねえ山賊だな。」
「実はあの姉ちゃんが(山賊の)首領なんだろ。」
「違えねえ。アハハハ。」
常連たちが思い思いに言いたいことを口走って盛り上がる。
「ちょっと! 先生がお困りになってるじゃありませんか、少し黙っていただけます?!」
「うおっ、怖えぇ。」
「アーミン。アーミン。」
「やっぱりあっちが首領だぜ。」
目を吊り上げて常連たちを睨んだあとトレランスに向き直りまた目を潤ませるアニン。
「さ、これで大丈夫ですわ。心置きなく私を攫ってくださいませ。山賊先生。」
「いやぁ・・・」
トレランスが言葉を濁していると横からノイレンが口をはさんできた。
「おばさん、師匠をからかうのやめて。師匠がそんなのしてんのはわたしのせいなんだから。」
菜の花のようなきれいな黄色の女の子女の子したドレスを着たノイレンが真剣なまなざしでアニンを見つめる。その瞳には翳りがあった。
「あら、その服どうしたの? 出かける時はあの服でしたよね。」
「そ、それは・・・いろいろあったんだ。とにかく、師匠のその怪我はわたしのせいだから、あれこれ言わないであげて。」
いつもなら喧嘩腰に話すノイレンが覇気のないしゃべり方をしている。
「どういうことですの?」
アニンは事の次第を聞いた。ノイレンはてっきり「まあやっぱりお子ちゃまですわね、先生をそんな目に遭わせるなんて」と言われると思って覚悟していた。むしろそう言ってもらいたかった。そのほうが自分の気持ちが幾分か晴れる。しかしアニンの反応は違った。
「それは災難でしたわね。そのセイベルとかいう女とんでもない輩ですわ。掃除屋のことは騎士団にいた頃聞いたことがあります。掃除屋なんて耳触りのいい呼び方してますが実際はただの殺し屋ですわ。騎士団ではそういう輩の取り締まりもしていましたの。」
アニンは何の気なしに知っていることを話しただけだがノイレンの心に引っかかった。
「殺し屋?」
ノイレンは不安のこもった瞳で訴えるようにトレランスを見た。その目を見たトレランスはノイレンの言いたいことを察してその大きな手を彼女の頭にぽんと乗せた。
「心配するな。確かにセイベルは殺し屋だが、ボラチョンは殺ってない。あいつは町から追い出されたんだ。今頃どこか別の街で呑んだくれているさ。」
ニカっと笑ってノイレンの頭をぽんぽんした。ノイレンは心の下のほうで落ち着くものを感じた。
「先生ずるいですわお子ちゃまばかり。この一週間先生がいらっしゃらなくてとても寂しかったんですのよ。私にもしてくださいませ。」
そう言って頭を差し出してくる。トレランスは頬に冷や汗を垂らしながらアニンの頭にその大きな手をぽんと乗せた。アニンは目を閉じ顔をほころばせてきゃっきゃっと飛び跳ねるようにかかとを浮かせた。
「おやおや、最近の山賊はちやほやされるのが仕事かい?」
ことアニンに関しては敵対心をむき出しにするシャルキーがやっかみを入れてきた。トレランスは呆れて一言叫んだ。
「シャルキーもか!」
「では先生行ってまいります。今夜お店で。」
アニンはトレランスに手を振って仕事に出かけて行った。その後組手の稽古をするノイレンとトレランス。そこで実地による修行を開始すると告げられたノイレンはあるものを授かった。
「師匠、いいの? なんで・・・」
トレランスは稽古のあとノイレンにネオソードを手渡した。
「今日からこいつを使いなさい。これは俺の師匠から受け継いだ大切な剣だ。ノイレンに託す。大事にしてくれ。」
ノイレンは手の中にあるネオソードの重みをあたらめて感じつつ、柄に嵌っているオレンジ色の石を見つめた。
「でもそうしたら師匠はどうするの?」
「俺のはあとで何とかする。」
視線を上げて訊くとトレランスがそう答えるものだからノイレンはネオソードを突っ返した。
「それならこれ返す。わたしが自分で新しいの買う。」
だがトレランスは受け取らない。
「いいや、ノイレンはもう一人前といってもいい。だからこの剣を使いなさい。」
ノイレンはジトっと疑いの目を向ける。
「まだまだ半人前だって言われてからまだ一週間も経ってない。」
「あの時はあの時だ。チャプリにいた3日でノイレンはまた成長した。だからその剣を託す。」
「本当にいいの?」
ノイレンは上目遣いに師匠を見る。
「もちろん。それは代々師匠から弟子へ受け継がれてきた剣だ。俺の師匠もその師匠から、その師匠もそのまた師匠から受け継いできたんだ。だから今度はノイレンがそれを受け継ぐ番だ。」
トレランスはニカっと笑って答えた。ノイレンはぎゅっとネオソードを抱きしめるようにその胸に抱く。
「ありがとう師匠。」
「ちなみに俺がその剣を師匠から受け継いだ時一緒にもらった言葉があるんだが、それはまた今度な。今はそれを寝てても使いこなせるようになりなさい。」
「はい。」
2人で昼食を食べたあとノイレンはトレランスと一緒に出掛けた。
「前にも聞いたけどさ、師匠て何の仕事してるの?」
トレランスのうしろで馬にまたがり質問攻めにするノイレン。
「いろいろだ。一言では言いずらい。」
「じゃあ、チャプリへ行く前の日は何してたの?」
「あの日は街の金物商の資金移送の護衛だ。」
「その前の日は?」
「前の日はパン屋の小麦の仕入れの手伝い。」
「その前は?」
「その前は・・・」
言葉を濁すトレランス。はっきり言うのが恥ずかしいのかごにょごにょと口の中で何かを言っている。
「なにしてたの?」
「犬の散歩・・・」
「犬の散歩?!」
「そうはいっても犬10匹だぞ。しかも1匹ずつじゃないとダメだと言うからすごい大変だったんだからな。」
ノイレンはその一貫性のない仕事内容に頭がこんがらがってきた。
「で、今日は何するの?」
「今日はまずノイレンを統括ギルマスに紹介する。何をするかはそれからだ。ギルマスに聞いてみないとわからん。」
「ギルマスって?」
「この街の統括ギルドのマスターだ。俺はそのギルマスの仲介で様々な依頼をこなしている。」
「ふ~ん。」
「いいかノイレン、ギルマスはとてもしたたかな人だ。ノイレンの返事一つでその先が変わる。覚悟しとけ。」
「はい。」
ノイレンも少しは初見でも相手がどんな人なのかわかるようになってきたし、それ以上に理解しようと観察するように気を配っているが、まだトレランスほどの鋭さがない。だからそんなことを言われてどきどきしてきた。
街の中心近くに統括ギルドがある。シェヒルの商人全てを統べている。本来ギルドはさまざまな職業ごとに組織されていて独立しているが、ここではそういう各種ギルドを統括ギルドがその傘下に収めて一括管理している。だからトレランスは一か所で様々な職業の人たちの依頼を受けることができる。
「着いたぞ、ここが統括ギルド本部だ。」
「大きいね。」
「そりゃそうだ。市内の各種ギルドを傘下に収めて一括管理しているところだからな。」
「傘下?」
「いわば各ギルドに横のつながりを持たせるためのまとめ役ってところだな。」
トレランスはノイレンに説明しながらすたすたと中へ入っていく。建物の奥にある高級そうなつくりのドアのある部屋の前に来た。
「ここが統括ギルドマスターの部屋だ。入るぞ。」
ノイレンは柄にもなくどきどきしている。大きく息を吸い、ふうっと吐いて顔をシュッとさせる。
中に入ると向こう側の壁に大きな窓が二つ、その間に大きな机がありそこに鎮座している人物がいる。窓から差し込む光で陰になり顔がよく見えない。
「あの人がギルマスのロンチャウさんだ。」
トレランスはノイレンに耳打ちするとロンチャウに近づいていった。
「こんにちは、ロンチャウさん。」
「どうしたんだその右目。」
「いや、話せば長いことながら、」とお茶を濁すトレランスにロンチャウは鋭い視線を向ける。
「安心してくれ、仕事に支障はない。今までどおりきちんとこなしてみせるよ。」
ロンチャウの視線で察したトレランスは先回りした。
「それよりも今日は弟子のノイレンを連れてきた。俺の助手として一緒に仕事をさせてほしい。」
「差し障りはないと言ったのは嘘か?」
「いや、誤解させてしまったみたいだな、すまない。仕事に支障はない。ただ弟子のノイレンに実地での経験を積ませたい。」
そこまで聞いたロンチャウは安心した。
「お前が弟子を取ったというのは以前から聞いてはいたが、」
机の向こうからロンチャウの目が光った。顔がはっきり見えない分恐ろしさが増す。ノイレンは射すくめられた獲物のように足がすくむ。
「それにしてもずいぶんと可愛らしい恰好をしているな。本当にお前の弟子か?」
ロンチャウが品定めをするようにノイレンをじっと見つめる。椅子に座ったままだというのにその視線に圧力を感じる。だがノイレンは可愛らしい恰好と言われて少しムっとした。
「こんな恰好で悪かったな。わたしも好きでこんなの着てるんじゃねえ。」
思わずいつもの口調で言い返してしまった。
「ほう、この私におもしろい口を叩くやつだな。」
トレランスが不器用なウィンクもどきの目くばせでノイレンに愛想よくしろと合図している。
「お金が貯まったら別のを買うんだ。」
「なるほど、それで仕事をしたいというわけか。」
「仕事ならもうしてるさ。」
「ではここへは何しに来た。」
「師匠の右目の代わりになるためだ。」
「どういうことだ?」
「師匠のその怪我はわたしのせいだから、わたしが右目の分働くんだ。」
「罪滅ぼし、というわけだな。」
ロンチャウは机の上に両肘をつくと祈りを捧げるように顔の前で両手の指を組んだ。その指越しに鋭い眼光がノイレンを射る。
「ちなみになんの仕事をしているんだ?」
「シャルキーのお店で給仕しながらダンスしてんだ。」
「シャルキー? ああ、あのカバレか。トレランス、彼女はこの子を受け入れているのか?」
ロンチャウは頭だけ動かしてトレランスを見た。トレランスは口角を上げて頷いた。
「そうか、シャルキーがな。」
ロンチャウはノイレンに向き直った。
「お前名は何という。」
「ノイレン。」
「ノイレンか。ふうん、」
ロンチャウは思わせぶりな笑みを浮かべた。
「なんだよ?」
ノイレンはロンチャウの上から目線の態度にだんだん腹が立ってきて、それまで感じていた緊張が解けた。
「いや、なんでもない。いい名前だな。」
「あ、ありがとう、」
身構えてたのが褒められて勢いが削がれた。
「ところでノイレン。なぜその剣を提げている?」
ロンチャウはノイレンが腰に提げているネオソードに注目した。窓から差し込む光を受けて柄のオレンジ色の石が煌めいている。ノイレンはその石をさすりながら答えた。
「これは師匠から貰ったんだ。」
ロンチャウは無言でトレランスを見た。トレランスはドヤ顔で頷く。それだけでロンチャウには十分だった。
「ノイレンこっちへ来い。」
ロンチャウはノイレンを呼んだ。ノイレンは身構え直してゆっくり近づいていく。机を回り込んでロンチャウの目の前まで行くとそれまで陰になってよく見えなかった顔がはっきり見えた。無駄な肉のない引き締まった顔つき、骨ばった頬、薄い唇、その立場のせいなのか眉間に深く刻まれたシワ。シャルキーの切れ長とは違う細い目をした中年の女性。
「やっぱり、」
そのセリフに呼応するようにロンチャウのこめかみがぴくりと動いた。
「最初からなんか引っ掛かってたんだよね。」
陰になって顔が見えず、シルエットだけでは男にも見えた。話し方も男と大差ない。けれどもノイレンはセイベルのときに感じた違和感をこのロンチャウにも感じたから今度はしっかり見極めてから判断しようとしたのだ。
「何が言いたい?」
「口ぶりや態度は男みたいだけど、どうしてもそうは思えなかったんだよね。」
ロンチャウはノイレンの洞察にトレランスに通ずるものを感じとった。
「なるほどトレランスの弟子というのもまんざら嘘ではないようだな。」
ロンチャウはその細い目をさらに細め、片方の口角を上げてノイレンの目を見つめた。トレランスはそれを見てほっとした。
「それじゃあノイレンを一緒に連れて行ってもいいか?」
トレランスがロンチャウに許可を求めると彼女は引き出しから一枚の紙切れを出した。
「いいだろう。これが今回の依頼だ。」
「俺が読めないの知ってるだろう。口で言ってくれないか。」
トレランスは困った顔でロンチャウを見るとノイレンが紙切れに手を伸ばした。
「ちょっと見せて。」
その紙切れを受け取るとそこに書かれている文字に目を走らせた。
「要・・人、警・護?武具、屋ギルドマスター、えっと・・・」
たどたどしく読んでいるとロンチャウが驚いた顔をしてノイレンを見た。
「お前字が読めるのか。」
「少しだけどね。」
ロンチャウに紙切れを返して人差し指で鼻をさする。ロンチャウはトレランスに感服の意を表した。
「トレランス、お前なんてやつを弟子にしたんだ。」
トレランスはドヤ顔で胸を張りいたずらっぽく両の口角を上げた。
「今ノイレンが読んだとおりだ。今回の依頼は武具屋ギルドマスターの護衛だ。彼が明日フォクサルから来る向こうの武具屋ギルドマスターと会合を持つ。話すと長くなるから端折るが、シェヒルとフォクサルの武具屋が協力関係を結ぶことを好ましく思わない勢力がある。だから今回の仕事は少々荒くなるだろう。」
「ってことは仕事は明日からでいいのか?」
「いや今日からだ。まずはフォクサルのギルマス、マーセナリィを途中まで迎えに行ってくれ。向こうも護衛は手配していると聞くが念のためだ。反対勢力はどこで襲ってくるかわからんからな。その後無事会合を終えたら街の外まで見送ること。そこまでが仕事だ。」
「了解だ。」
「報酬は金貨2枚。」
「ほう2枚も、珍しいな。」
「護衛対象は両方のギルマスだからな。向こうからも報酬が出る。それと護衛に必要な武具類はシェヒルのギルドから提供される。欲しい装備があったら直接メルチェリオスに伝えてくれ。」
「それはありがたい。ではさっそく取り掛かる。」
ノイレンとトレランスはロンチャウの部屋を後にした。
次回予告
代々受け継がれてきた聖剣を継承したノイレン。それが背負う宿命のことはまだ知らない。剣士としてその腕を振るう初めての仕事の報酬が金貨と聞いて心が躍るノイレンは仕事の重みがまだ理解できていない。トレランスに言われるまま装備を整えたノイレンはそのいで立ちに恥ずかしさを抱えつつ戦う。ノイレンは生まれて初めて他人のために命を賭ける。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六十九話「だからノイレンも”ちびって”いいぞ。」




