65「本当にいいんだな?」
ノイレンとトレランスがチャプリに来て3日目の昼前。
「本当にいいんだな。」
「しつこいぞ。」
セイベルはペロっと上唇を舌で舐めてほくそ笑む。
「ボクは手加減しないよ、殺っちゃうからねあの女。」
「殺れるもんなら殺ってみろ。」
「怖いお師匠さんだな。」
トレランスはしつこいほどに念を押してくるセイベルに少々食傷気味だ。
「それより本当に大丈夫なんだろうな。」
「おっさんもしつこいなあ。」
セイベルはむすっとふくれっ面になってトレランスを睨む。2人は今ノイレンが連れ込まれた奴隷商の館のそばにいる。
「ここで見張ってりゃあの女は必ず出てくるさ。”ご主人様”ってこぶ付きでな。」
「本当だろうな?」
「しつこいぜ。表に停まってる馬車を見たらわかるだろ。昨夜言ったとおり今あそこの上得意が品定めに来てんだよ。」
トレランスは物陰から館の様子を窺うセイベルの横顔をちらと見る。昨夜店主のマダムが一人で切り盛りする飲食店で彼女と交わした取引を思い返した。
「で? ボクにいったい何の用だ?」
セイベルはワインの入ったジョッキを握ったまま人差し指だけ伸ばしてトレランスを指す。
「単刀直入に聞く。奴隷商の館の間取りを教えてくれ。」
トレランスはセイベルの向かいに座ってまっすぐに彼女を見据え、他の客に聞こえないよう出来るだけ声量を抑えて話す。
「ふうん、助けに行くってか。」
「もちろんだ。」
「金・・・持ってるわけないか。どうやって?」
「それは俺に任せろ。」
トレランスはさも自信ありげな顔つきで勿体ぶる。セイベルはそんな彼を訝しがりながらも奸計をめぐらす。
『どんな策があるか知らないが、こいつが奪い返すなら手間が省けるな。こりゃ使えるかも。』
ジョッキを持ち直し、またグビグビと飲んでそんなことを考えた。
「教えてやってもいいけど条件がある。それとその前に何か注文しろ。」
「は?」
「ここは飲食店だ。ほら、あんたが何も注文しないからマダムがお怒りだ。」
セイベルはジョッキを握る手の人差し指を店の奥に向ける。そちらを見たトレランスの目に不機嫌そうな表情のマダムの姿が映る。
「はは、これは申し訳ない。ビールをくれるか?」
「はいっ、よろこんで!」
マダムはいそいそとジョッキにビールを注ぎ始めた。
「これでいいか。で、条件てなんだ。」
トレランスはセイベルに向き直りもう一度尋ねた。セイベルはペロッと上唇を舌で舐めてワインの残り香を味わってからあざ笑うように突き付けてきた。どうせごねるに決まってる、そう思っている。
「あの女を助け出したあともう一度ボクと勝負させろ。あいつぶっ殺さねえと気が収まらねえ。」
「なんだ、そんなことか。いいだろう。」
トレランスがいともあっさりと条件を飲むものだからセイベルは拍子抜けした。口を開け呆れた表情で念を押す。
「なぶり殺しにしちゃうぜ?」
「できるもんならやってみろ。」
「本当にいいんだな?」
セイベルはトレランスが翻心するかもしれないとさらに念押しするがトレランスは涼しい顔で口角を上げている。
「疑り深いやつだな。俺がいいと言ったらいい。いくらでも勝負させてやる。」
セイベルは顔がにやけてきた。今度こそノイレンをめった斬りにしてやれると思うとワクワクが止まらない。
「それなら教えてやる。館の中はいたって単純な構造だ。正面口から廊下は一本。左右に部屋がいくつかあるが、マスターがいるのは一番奥の右の部屋。その反対側が奴隷を押し込めておく牢部屋だ。牢部屋に窓はない。ただし通気のためにネズミが通れるくらいの小さい穴が天井近くに開いている。」
「なるほど。」
「あんたまっすぐ突っ込んでいけると思ってんだろうが無理があるぜ。その手前には用心棒が詰めている部屋が左右にある。しかもそれらの部屋はドアがない。言ってる意味が分かるな?」
「なるほどな。」
「だからいくらあんたでも力ずくは難しいぞ。」
「なるほど。」
トレランスは挑戦的な笑みを浮かべて聞いている。
「おいおい大丈夫だろうな。本当にわかってんのか?」
「問題ない。」
「ならもう一つ教えてやる。明日あの店の上得意があの女の品定めに来る。間違いなく買って帰るはずだ。」
「なるほど。ノイレンを連れ帰る途中なら奪い返しやすいって言いたいわけか。」
セイベルはペロっと上唇を舐めてにんまりした。
2人が様子を窺いはじめてしばらくすると身なりの良い身分の高そうな紳士が出てきた。白い髭を蓄えていてトレランスよりもだいぶ年上のようだが、その顔つきはいかにも好色そうで脂ぎったツヤがある。履いているタイツなどはピチピチで股間のアレが強調されて見える。トレランスはそれを見るなりアニンが以前言ったエゴイストエロジジイの呼び名を思い出した。
「あの爺さん、あっちはまだお盛んなようだな。」
そのうしろを奴隷商の目つきの良くない男が揉み手でついてきている。さらにそのうしろから両手を縄で縛られたノイレンが別の男に背中を押されながら姿を現した。上半身は服が破れたままになっているためかポンチョのようなものを着せられている。
「しっかりお仕えするんだぞ。いい加減なことをしたらうちの評判にも関わってくるんだ、承知しねえからな。」
目つきの良くない男はノイレンの前では背筋を伸ばし胸を反らせて威圧的な態度をとる。
「へっ、そんなことわたしの知ったこっちゃないね。」
それを見た上得意客のジジイが呟く。
「躾がなっていないようだな。」
「申し訳ございません。なにぶんにも昨夜仕入れたばかりでして。」
目つきの良くない男が背を丸めてご機嫌を取る。
「ま、調教の楽しみもあると思えば良いことか。」
「そう仰っていただけると思って真っ先に旦那にお知らせしたんですよ。」
男はすりすりと手を擦り合わせて愛想笑い。ジジイはノイレンを舐めるように見てニタリと笑う。
「こっち見んな、エロジジイ!」
ノイレンは目をつり上げてジジイの股間を蹴り上げて逃げようとしたが供の者に羽交締めにされた。
「帰ったらまずはお仕置きだな。」
ノイレンを買った上得意客は自分だけ表に待たせていた馬車に乗ると供の者に指示して去っていった。卑しい奴隷を馬車に乗せるなどできないというわけらしい。ノイレンはジジイの供と一緒に歩き出した。
「どこに行くんだ?」
「旦那様のお屋敷に決まってるだろう。お前は今日から旦那様のお世話をするんだ。朝から夜旦那様が”果てて”お眠りになるまでな。」
「へっ、あんなジジイいつでもこてんぱんにしてやれるぜ。」
ノイレンは手に結んだ縄を引かれて歩いていく。
「そんなことをしてみろ殺されるぞ。大人しく言うとおりにしていれば衣食住は保証される。それにお前の場合、子を成せば側室に引き上げてもらえるかもしれないんだぞ。お屋敷にはそういう婦人がすでに3人いる。」
供の者は少し羨ましいと言いたげな物言いでノイレンを諌めた。
「側室ってなんだ?」
「そんなことも知らないのか。」
「悪かったな。」
供の者が歩きながらあれこれとお屋敷でのルールなどを説明しているうちに奴隷商の館から数百メートル、それから1つ2つと角を曲がったところで剣で武装した2人組が目の前に現れた。
「おい! そこの、止まれ。改める。」
ノイレンを連れている供の者はいきなりのことでびっくりしてたじろぐ。
「な、なんですかあなた方は。」
「見てのとおり俺たちは自警団だ。今お尋ね者の女を探している。お前が連れているその女を改めさせろ。」
背が高くがっしりした体格のおっさんが威圧的な話し方で供の者を脅す。ノイレンはそのおっさんを見て思わず大きな声を出しそうになったがおっさんに遮られた。
「師、」「隊長! コイツに間違いないです!」
おっさんは大きな声でノイレンの声をかき消す。おっさんは横にいるノイレンと同じくらいの背丈の仲間に向かって話しかける。大きな鍔の帽子を目深にかぶって顔を隠しているから誰だかわからない。
「そんな大きな声出さなくても聞こえてるよ。コイツで間違いなさそうだな。」
聞き覚えのあるその声にノイレンは目を吊り上げる。
「セイ、」「その女の背中を見せてもらおう!!」
またまたおっさんの大きな声がノイレンの声にかぶさってきた。ノイレンがおっさんを見ると不器用なウィンクもどきの目くばせをぱちぱちとこちらに向けてしている。それでピンときたノイレンは供の者にアドリブでこんなことを言った。
「おい逃げるぞ。捕まってたまるか。」
「え、な、なにを言って、お屋敷は?」
「そんなの知らないね!」
供の者は話が見えずうろたえる。その供の者の肩におっさん、いやトレランスがぽんとその大きな手を置いた。
「あんたがどこの家の者か知らんがお手柄だぞ。こいつは極悪非道の大盗賊ノラクロだ。こいつに狙われた所はな男は皆殺し、女は娼婦に売られる。そんでもって金目のものは根こそぎ盗まれるってきたもんだ。あちこちの街で悪さをし尽して今度はこの町を荒らしている。だがここで会ったが100年目、観念しやがれノラクロ!」
口から出まかせの嘘八百を流暢にまくしたてるトレランスにノイレンはだんだん腹が立ってきて次第にジト目になって彼を睨んでいる。
「あとは我々に任せてくれ。ご協力感謝する。」
そういってトレランスはノイレンを引き取ろうとするが供の者は慌ててそれを遮り屋敷まで同道してくれと頼みこんできた。
「それは困る。私は旦那様からこいつを預かってるんだ。こいつを連れて行くというのならお屋敷まで来て旦那様と直接話してください。」
「なんだと? そんな悠長なことをやっていてこいつに逃げられたらどうするつもりだ。そうなったら逃亡幇助でお前らもしょっ引くぞ、分かってるんだろうな。」
トレランスはギっと睨みつけて凄む。
「そ、そんなことを言っても、私にはお屋敷まで連れていく責任があるんだ。」
「そうかじゃあ一緒に死刑になってもいいって言うんだな?」
「な、な、なんでそうなる?! こいつはさっき旦那様が買い上げた奴隷なんだぞ。盗賊なわけないだろう。」
「その奴隷商に騙されたな。お気の毒に。」
「そんな・・・」
トレランスの凄みとセイベルの無言の圧に屈しそうになり供の者は苦し紛れに叫んだ。
「そんなに言うなら証拠を見せてください。この女がそのお尋ね者だという証拠がありますか?」
供の者はこれでこの2人の自警団を追い払えると思いそのセリフを2度繰り返した。
「さあ早く証拠を見せてください。」
ところがトレランスはたじろぐどころかニヤリと口角を上げて供の者を見下ろした。
「大盗賊ノラクロなら背中に刀傷がある。その女の背中を確かめて見ろ。今すぐに!」
トレランスがあまりにも自信たっぷりに言うものだから供の者は不安になってノイレンの背中を改めた。
「あっ・・・」
ポンチョをめくって背中を見てすぐにちいさく叫んだ。
「ご協力感謝する。」
トレランスはドヤ顔でノイレンの縄を供の者から強引に奪い取るとノイレンを連れて堂々と去っていった。セイベルは無言のまま供の者をジロリと一瞥して同じく背を向けた。
遠ざかっていく3人に向かって供の者が叫んだ。
「私はいったいどうしたらいい! 旦那様になんて言えば・・・」
ノイレンが振り返ってべぇっと舌を出した。
セイベルの家。
「よし、ここまで来れば大丈夫だろう。」
トレランスはノイレンの顔を覗き込んでニカっと笑った。
「師匠ありがとう。でも、」
そういって頬をぷうとリスのように膨らませてジト目でトレランスを睨みつける。
「あれれ、なんでその目になるかな。」
トレランスは予想外の反応にばつが悪い。
「当たり前じゃん、なにノラクロって! 極悪非道の大盗賊て何?! さんざん言ってくれたじゃん。」
「仕方ないだろう、ああでも言わないとノイレンを連行する理由に説得力がないからな。」
「で、なんであの女が一緒なの?!」
ノイレンはセイベルを横目に睨む。
「俺が彼女に協力してくれるよう頼んだ。」
「なんだって?!」
ノイレンは目を大きく丸めてトレランスを見た。トレランスはノイレンのその反応に驚きもせずにこやかに続けた。
「それでノイレンに1つやってもらいたいことがある。彼女と約束したんだ。」
「何?」
ノイレンは不貞腐れてぶっきらぼうに返す。
「もう一度彼女、セイベルと真剣勝負をするんだ。」
「なんで?!」
知らないところで勝手に話をまとめられていたことに納得のいかないノイレンが食い下がるとセイベルが割って入ってきた。
「あんたに負けたままじゃボクの気が収まらないんだよ。」
「へっ、何度やったってわたしが勝つ! あんたなんかまたこてんぱんにしてやるよ。」
「それはこっちのセリフだ。なぶり殺しにしてやるから覚悟しな。」
「へっ、殺れるもんなら殺ってみろよ。」
「ああ殺ってやるよ。あんたのお師匠さんも好きにしろって言ってるしな。」
「なっ?! 師匠!!」
ノイレンは目を吊り上げてトレランスを睨む。
「あはは、成り行きでな。でも俺は何の心配もしてないぞ。ノイレンなら大丈夫だと思ってるからな。」
師匠が自信たっぷりに言うものだからノイレンの中で怒った鼻先を折られた気分と気恥ずかしさが同時に押し寄せてきてくらくらしてきた。
「な、なにそれ・・・そりゃこんな”おとこ女”に負けないけどさ、でも、なんかなあ、」
「おとこ女とはなんだ、あんたこそぶっきらぼうで男みたいじゃないか。」
「なんだと、こてんぱんにされたいか?」
「そっちこそこてんぱんにしてやるよ。」
ノイレンとセイベルは互いにおでこをぶつけてにらみ合う。
「まあまあ言い争いはそのくらいにして、まずはその縄をはずさないとな。それにあんまりぐずぐずしてる暇ないぞ。」
トレランスが2人をとりなそうとしたが既にあとの祭り。
「師匠は黙ってて!!」「おっさん黙れ、うるさい!!」
チャプリに来て3日目の昼下がり、再びノイレンとセイベルは互いに剣を取り対峙する。
ノイレンの剣は奴隷商に奪われたままだからトレランスのネオソードを借りた。
「それにこれのほうが昨日と同じ感覚で戦いやすいだろう」とトレランスは呑気に構えている。
「どっからでもかかってきな。」
ノイレンは左手の指をグーパーしてセイベルを誘う。
「馬鹿にしやがって、あんたのそういうとこムカつくんだよ。」
「上等じゃん。もっとムカつけば?」
ノイレンはわざとセイベルの神経を逆撫でする。冷静さを欠けば隙が生まれやすくなる。そういう心理戦もノイレンはこの一年で身につけた。
「ふざけんなっ。」
セイベルは乗せられて顔を赤くして怒る。
「へっ、坊主頭で赤くなってりゃタコだぜ。口から墨吐けるんじゃね。」
「このやろう、言わせておけばっ!」
セイベルは得意の低姿勢でノイレンに飛びかかってきた。とても素早い。セイベルはトレランスの時と同じでノイレンの足元を狙っているようだ。
「そんな手は食うかよっ。」
ノイレンは飛び上がる代わりに横っ飛びに飛んでそれを躱した。
「このやろうっ!」
セイベルは直角に曲がって飛びのいたノイレンに再び飛びかかっていった。今度は低い姿勢で下から上へ斬り上げるつもりだ。
「これでどうだ!」
セイベルはノイレンの足元に飛び込むと同時に彼女の剣が下から上に弧を描く。ノイレンはつま先立ちでくるんと体を回転させてその弧を躱すと同じように下から上へ弧を描く。弧を描いたネオソードはセイベルの木の葉返しのような本命を弾く。
一手で二度の攻撃を得意とするセイベルは本命を弾かれたその場で手首を返して今度は横からの斬撃に移る。ノイレンは剣をぶつけてその動きを止めた。動きが止められればセイベルは本命を打つことができない。
「このやろう、」
セイベルは挑発されて怒ったあまり動きが直線的になってしまっている。
「ぶっ殺してやる!」
力ずくで押し込んでくるセイベルをノイレンはうしろに引くことで彼女の体勢を崩させた。そして前のめりになるセイベルのうなじに向かってネオソードを叩きこもうとした時、セイベルはノイレンが着ているポンチョを掴んでそのまま地面に引きずりおろした。
「うわっ!」
ノイレンはそれに引きずられて体勢を崩す。
「そこだっ!」
セイベルは地面に転がるようにしながら手首をひねってノイレンの足へ剣を滑らせた。
間一髪、ノイレンはなんとかざっくり斬られるのを防いだがセイベルの剣がノイレンの内腿を撫でていった。
「ちくしょう・・・」
それ以上踏み込まれないよう剣を構えて牽制するノイレンの足首に血が一筋垂れていく。
「ふんっ、いい眺めだぜ。」
立ち上がったセイベルはペロッと舌で上唇を舐めた。
次回予告
トレランスの機転で難を逃れたノイレン。しかし成り行きでセイベルとまた命がけの立ち合いをしなければならなくなってしまった。生か死それしか知らないセイベルは憤っていた。執拗にノイレンを攻め、追い詰めたセイベルはなぶり殺しにしようと楽しみ始める。一方町ではノイレンが逃げたことを知った奴隷商やジジイが捜索を始めた。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六十六話「俺たちがお父さんか。」




