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ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第五部『大空へ』

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64「どうするつもりだ?」

 ボラチョンはトレランスと乾杯しているノイレンを指さしてうすら笑う。

「へへへ、な、上玉だろ? さあ早く金くれよ。」

 目つきの良くない男の一人が銀貨を詰めた大きな袋と血判の押してある紙切れをボラチョンの手に乗せた。

「へへへっ、毎度。」

 ボラチョンは手を上下させて袋の重みを確かめるといやらしい笑みを浮かべてカウンターへ向かった。店主はボラチョンを見るなり強い口調で唾を吐くように罵った。

「このやろう、店には入ってくるなと言っただろうが。」

「へへへ、客にそんな口叩いていいのかよ。」

「なんだと?」

 ボラチョンは銀貨の詰まった大きな袋をドンっとカウンターに打ち付けて見せびらかしニタニタと店主の顔を覗き込む。

「どうしたんだ、その金?」

 店主は呆気にとられ銀貨の詰まった袋とボラチョンの顔を交互に見た。するとボラチョンはおもむろに銀貨を一枚取り出してカウンターにバシっと打ち付ける。

「へへへ、あんたにゃ関係ないだろ。さっさと酒をよこせ。」

 店主は忌々しそうにボラチョンの指の下にある銀貨を睨む。この店に限らずどこでもそうだが銀貨1枚あればビールならジョッキで2~3杯分飲めた。

()()は出せないぞ。」

「釣りなんかいらねえ、これで出せるだけ持ってこいや。」

 店主は渋々ジョッキにビールを注ぐとボラチョンの目の前に乱暴に置き、

「それを飲んだら新しいのを持ってきてやる。」

 そう言って銀貨をかすめ取るように持って行った。

「へへへ。」

 ボラチョンはジョッキを両手で持ち上げるとガブガブと一気に飲み干す。

「ぷはぁっ、美味ぇ。やっぱり”裏に溜まってるの”とは違うなあ、へへへ、おい、おかわりだ。」

 誰かの飲み残しではない、新鮮なビールの味に酔いしれるボラチョンのその様子に店主は苦々しい冷たい視線を向けた。


 目つきの良くない二人の男たちはまっすぐにノイレンのところへやってくるとそのうちの一人がいきなりノイレンの左腕を掴んで椅子から立たせた。

「なにすんだよっ。」

 ノイレンは目をつり上げて男の腕を振り払い身構える。それに対してトレランスは落ち着いたまま上目遣いにジロっと男たちを一瞥。

「何か用か。」

「あんたには用はない。引っ込んでてもらおう。」

 もう一人の目つきの良くない男がトレランスを一言であしらう。さっきの男が身構えるノイレンの腕をまた掴んで引きずっていく。

「さあ来るんだ。」

「何すんだ、離せっ!」

 ノイレンは暴れるが今度はがっちりと腕を掴まれてどうにも引きはがせない。その男の腕をトレランスがしっかと掴んで歩みを止めさせた。

「俺の弟子から手を離してもらおう。」

「おっさん邪魔しないでもらおうか。その娘は俺たちが買ったんだ。もう俺たちのもんだ。」

 もう一人の男がカウンターで飲んでいるボラチョンを親指でさした。

「文句ならあの男に言いな。」

「何?」

 ボラチョンは銀貨の詰まった袋をカウンターの上にドンドンと打ち鳴らしていやらしく笑いビールを催促している。それをみたノイレンは目をむいて憤る。またもや総髪が逆立つのを感じる。怒りと悲しみがノイレンの心を支配する。

「分かったろ?おっさん手を放してもらおうか。」

 トレランスは男の腕を握る手の力を弱めた。

「師匠!?」

 ノイレンは助けを求めるような懇願と絶望の入り混じった視線をトレランスに向ける。

「心配するな、必ず迎えに行く。」

 トレランスはノイレンに優しく微笑んだ。その目に宿る光にノイレンは安心感を覚えた。

 ノイレンは目つきの良くない男に引きずられて店の外へ連れられて行く。店を出る前にボラチョンを一瞥した。その目は憎悪の色に染まっている。ボラチョンはそんなことにはお構いなしに、いやらしい笑みを浮かべ血判の押してある紙切れ、奴隷の売買契約書をひらひらと見せびらかしてノイレンを見送った。

 ボラチョンが再びカウンターの上のジョッキを手に取ろうとした時トレランスがその背後に立った。おそるおそる上目遣いにトレランスの顔を覗き込むボラチョンの声が震える。

「な、なんだよ・・・」

 トレランスは真顔でじっとボラチョンの目を見据える。ボラチョンは顔を背けてジョッキに向き直るとうしろにいるトレランスに向けて独り言のようにつぶやいた。

「お、お(めえ)にゃ関係ねえだろ・・・」

 そして売買契約書を無造作に丸めて懐にしまい込みビールを一口含んだ。背中に刺さりまくるトレランスの視線を感じながらごくりと音を立てて飲み込んだあと、そ~っと振り向いた。ボラチョンと今一度目が合うとトレランスはあの低い声で言った。

「人生最後の酒だ、存分に楽しめ。店を出たら背中に気を付けるんだな。」

 ボラチョンは慌てて目を逸らし身震いし始めた。ジョッキを抱えた両手が小刻みに震えている。

 トレランスはボラチョンのその背中をしばし見つめて店を出た。店を出たあと周囲の気配に目を配る。

『いるな。』

 それだけ感じ取るとノイレンの後を追いかけた。


 時は少し遡る。

 ノイレンに負けたセイベルはむしゃくしゃしてトゲだらけの気持ちを抱えながら仕事にとりかかった。ボラチョンを探してあちこちの酒場へ足を向けている。

「あの女、今度会ったら殺してやる。ボクを怒らせてただで済むと思うなよ。」

 負け惜しみにも似た言葉を吐き捨て、セイベルの頭の中でぐるぐるとノイレンへの怒りが渦巻く。

「ボクはこの町一番の掃除屋なんだ。誰よりも強いんだ。」

 ノイレンたちがいる酒場の近くまで来るとセイベルは物陰に隠れて中の様子を窺った。

『いたな。あの酔っぱらいめ今日は逃がさねえぞ。』

 虎視眈々と酒場からボラチョンが追い出されてくるのを待つセイベル。そこに目つきの良くない男たちに引きずられたノイレンが出てきた。

『なんだと? あの女なんであいつらと一緒なんだ? もしかしてあいつも掃除屋だったのか? ふざけやがって。待てよ、あれがいるってことはあのおっさんもいるのか。』

 セイベルの心の中にイライラが募る。そうこうしていると今度はトレランスが出てきた。周囲に気を配る様子を陰に身を潜めてやり過ごす。


 トレランスの姿が夕闇にかき消されて見えなくなるまで待ってからセイベルは物陰から姿を見せ、ペロっと舌で上唇を舐めた。

『なんだか知らないがとにかくこれで邪魔者はいなくなったな。覚悟しろ酔っ払い。』

 酒場に近づき表から中の様子をそっと窺う。カウンターで堂々と酒を飲んでいるボラチョンを認めてセイベルは目を疑った。

『なんでヤツがあそこで飲んでんだ?』

 セイベルはじっくりと様子を観察する。ボラチョンはジョッキが空になると銀貨の詰まった袋をドンドンとカウンターに打ち付けておかわりを催促する

『いつも裏で残飯を漁ったり、客にたかって迷惑だからと酒場のギルマスがボクに依頼してきたんじゃないか。どういうことだ?』

 セイベルは知らないところで状況が動いている理由をあれこれ考えてみた。

 しこたま飲んで腹がタプタプになったボラチョンは上機嫌で店から出てきた。使った銀貨は3枚。それでも袋の中身は全然減っていない。それだけノイレンは高値で売れた。

 かなり飲んだボラチョンは千鳥足で機嫌よく通りを右に左にふらつきながら歩いていく。気が大きくなって鼻歌交じりに歩を進める。

「なぁにが、背中に、ひっく、気をつけろ、らあ・・・矢でも、うぃっく、剣でも持ってこいってんだ。へへへ。」

 しっかり握った銀貨の詰まった大きな袋を振り回しながらいやらしく笑う。そのボラチョンの目の前にセイベルが姿を現した。夕闇のせいもあって一瞬誰だか分からず足を止めじぃ~っと彼女を見たボラチョンだったが、それが昨日の賊だと知ると一気に顔から血の気が引いた。

「うお、うわ、うわぅお、」

 一目散に逃げようとするがあまりにも酔っぱらいすぎて四つん這いでもまともに走れない。

「待ちなよ、訊きたいことがあるんだ。」

 セイベルは何食わぬ顔で近づいていく。

「な、なんらよ・・・」

 セイベルとの距離が一歩縮まるたびにボラチョンは血の気が引き同時に酔いがさめる心地がした。恐怖でちびりそうだ。

「そのお金、どうしたのかなぁ。」

 セイベルはにこにこと銀貨の詰まった大きな袋に視線を向けて微笑む。ボラチョンは袋を背後に回して隠し怯える。

「お、お(めえ)には、関係ないらろ。オレの金ら!」

「そんなことは分かってるよ。だからどうやって手に入れたのかって訊いてるんだ。」

「へへへ、オレには、金づるがあったんらよ。」

「へえ、金づるねえ。」

 セイベルは奴隷商の男たちと出て行ったノイレンを思い出した。

『そっか、それであいつらあの女を連れていたのか。”裏”じゃなくて”表”で関係していたのか。』

「おっさん、どうやってあの女を売ったんだ?」

 セイベルは推測の裏付けをするために訊いた。

「ありゃあ、オレの娘ら、」

「娘?」

「そうらろ、」

 命乞いのためにぽろぽろと話すボラチョンにセイベルはペロっと上唇を舌で舐めてゆっくり腰に提げているサーベルを抜いた。

「うひゃあ!ひゃっ、なにすんらを・・・全部、しゃべったろ!」

 ボラチョンは慌てて逃げだす。しかし足がもつれて転げた。そのボラチョンの背中にセイベルの短いサーベルが深々と食い込む。斜め上から食い込んだ刃は下へ抜けるとそのまま同じ線をたどって戻っていく。刀身の半分まで入っている裏刃が表刃の刻んだ傷をさらに深く抉る。ボラチョンの背中に綺麗な斜め線が刻まれた。誰が見ても一太刀しか浴びていないと思うだろう。

 ボラチョンはうつぶせに倒れる。背中の一筋の傷口から血があふれ出す。絶命したボラチョンの体は全身の力が抜けて酒の匂いのする生温かい液体が股間を濡らした。

 セイベルはボラチョンの手から銀貨の詰まった大きな袋を奪い取るとその重みにニンマリ。

「この金はボクがもらってくよ。あんたにゃもったいない。ボクが有意義に使ってやるから安心しな。」

 セイベルの姿は次第に濃くなっていく夕闇に溶けて消えた。路上に突っ伏して絶命しているボラチョンの末路も飲み込まれて見えなくなった。



 奴隷商の館。

 連れてこられたノイレンは腰のサーベルを奪われ手かせ足かせをはめられて牢のような鉄格子のある部屋に押し込められている。

「出しやがれ、聞いてんのかっ!」

 鉄格子の隙間に顔を押し付けて叫ぶ。

「ちくしょう、こんなもん無けりゃどうにかできるのに。」

 手かせ足かせを鉄格子に激しくぶつけて壊そうと試みる。

「静かにしないか、怪我したらどうする。」

 ノイレンを引きずってきた男がこん棒で鉄格子を叩いて威嚇する。

「へっ、そんなんでびびるとでも思ってんのか。」

 目を吊り上げているノイレンにはそんな程度怖くもない。

「オレたちが手を出せねえとでも思ってるようだが、こういうこともできるんだぜ。」

 目つきの良くない男はノイレンの胸ぐらをつかむと一気に彼女の服を引き裂くようにして破った。ブラウスが破れ、袖なしドレスのレースアップの胸元がさらに裂けてノイレンの裸の上半身が露わになる。

「うへへ、いい眺めだな。もうちっと”大きい”ほうが好みだけどな。」

 ノイレンは手かせの付いた両腕で胸を隠してさらに目を吊り上げる。

「このやろう、あとでこてんぱんにしてやっからな、覚えとけ!」

 そう言って男に背を向けた。その背中にうっすらとだが刀傷があるのを男は見逃さなかった。

「お前”キズモノ”かよ! くそっボラチョンめ。」

 目つきの悪い男は苦い表情でノイレンの背中の傷を見る。

「背中ならごまかしようがあるか。ちくしょうとんだもん掴まされたぜ。」

 男はこん棒を牢から手の届かない場所へ置くと部屋から出ていった。



 その頃トレランスはノイレンの行方を捜していた。この町には何度か来たことはあるが奴隷商に用はないからノイレンを連れて行ったやつらの拠点がどこにあるのか分からない。片っ端から奴隷商をしらみつぶしに当たっていく。そうして見つけた。

「さあて、どうしたものか。」

 近くの建物の陰から奴隷商の館の正面口を窺いながら思案する。

「真っ向から乗り込んでいくのが手っ取り早いがそれではノイレンを助け出す前に傷つけられてしまう危険があるしな、かといってボラチョンから金を取り上げて返したところで、さらに吹っ掛けられるのがオチ。どのみちおとなしく返してはくれないだろうな。」

 トレランスの頭の中では力ずくで返してもらうことしか選択肢が浮かばない。しかし事を荒立ててのちのちに禍根を残すとノイレンにとって良くないことがこの先降りかかるかもしれない。そう思うと上手いこと奴隷商(やつら)を丸め込んだほうがいいとなる。それなのによいアイデアが浮かばない。

「どうにも頭を使うのは苦手だな。こういうのはシャルキーのほうが向いてるなあ。」

 物陰で頭を掻く。


 そこにセイベルがやって来た。手にボラチョンから奪ったあの銀貨の詰まった大きな袋を持って。もうとっぷりと日が暮れてあたりは暗くなっていたが、トレランスが物陰から見張っていることに気づいているのか彼女はキョロキョロとあたりを見回してから館の中へ入っていった。

「どうするつもりだ?」

 トレランスはセイベルが姿を消した館の正面扉を眺めて呟いた。


 館の奥の部屋でセイベルと目つきの良くない男がテーブルを挟んで向かい合っている。

「あんたほどの奴があんなボラチョン(クズ)相手に時間かかったな。」

 テーブルの上に銀貨の詰まった袋を2つ置きながらチクリと嫌味を口にした。

「あれはボクのせいじゃない。話に聞いていない邪魔があったからだ。」

「邪魔?」

「ああそうだ! あんな奴がいるなんて聞いてなかったぞ。追加料金をもらいたいくらいだ。」

 セイベルは目つきの良くない男に食い下がり自分の正当性を主張する。

「何事も想定外のことは起こるもんだ。それもクリアするのがプロだろう?」

 目つきの良くない男はノイレンの背中の傷を思い出し、自分に言い聞かせるようにセイベルの言を遮る。

「ともかく、こちらの依頼は果たしてくれた。それを持ってさっさと消えろ。」

「そうはいかないね。ボクにはまだ用がある。こっからは”掃除”の仲介屋じゃなく奴隷商としてのあんたにね。」

 セイベルは舌で上唇をペロっと舐めて目つきの良くない男を上目遣いに見た。そしてボラチョンから奪った銀貨の詰まった袋をテーブルの上にドンと置いた。

「それは。」

「あの酔っぱらいが持ってた金だ。いくらか使ったようだがこれをあんたにやるよ。それとボクの報酬も全部やる。それであいつが売った女をボクに売ってくれ。」

 目つきの良くない奴隷商の男はボラチョンが持っていた袋を片手で掴んで持ち上げるとすぐにテーブルに置いて手を離した。

「こんな程度で売れるかよ。」

「足りないってのか?」

「当たり前だ。」

「吹っ掛けやがって、この野郎。」

「あれだけの上玉こっちの言い値で買うやつはいくらでもいるんだ。金を用意できないんなら帰れ。」

「いくらだ?」

「明日の昼前うちの上得意が品定めに来る。その人はいつもこちらの言い値に色をつけて買ってくれる。お前がそれより高値を付けるなら売ってやる。」

「くっ・・・」

 セイベルは唇をかみしめて言葉を呑んだ。

「わかったらその金を持って帰れ。」

「後悔しても知らないぜ。」

 奴隷商はそれ以上口を利かずただ手首を上下に振るだけでセイベルを追い返した。


 セイベルは館の正面ドアを蹴っ飛ばして出ていった。物陰にいたトレランスは不機嫌になって出てきたセイベルのあとをつけることにした。

 セイベルはふてくされながら通りを歩いていく。トレランスは彼女のうなじに焦点を定めて後をつける。セイベルは彼女の家の近くにある小ぢんまりした飲食店に入った。

「ワインをくれ!」

「どうしたのセイベル。荒れてるわねえ。」

 店主のマダムが一人で切り盛りしている小さな店。他に客は一人だけ。マダムはジョッキに深紅のワインを注ぐとセイベルの目の前に差し出した。セイベルはそれを片手でつかみ上げ、ごくごくと喉を鳴らしながら胃に流し込んでいく。

「ちょっと、そんな飲みかたしたら悪酔いするわよ。」

 店主はジョッキを乗せてきたお盆を両手で胸の前に抱えて忠告する。

「うるさいな。」

「珍しいわね。もしかしてそれってアレが原因?」

「アレ?」

 店主が出入り口の横の窓を指さした。セイベルは指がさすその先を追う。そこには店内を覗き込むトレランスが。ランプの灯りに照らし出された彼と目が合った。セイベルはズカズカと表へ出ると半目で睨みつける。

「おっさん、そこで何してるんだ。」

「あはは・・・」

 頭をぽりぽりと掻く。

「ここまでどうやってついてきたか知らないが、ボクに何か用か?」

「ご明察!」

 わざとらしく飄々と答えるトレランスをセイベルは腕組みしてジロっと横目で見る。

次回予告

実の父親によって今度は本当に奴隷に売られたノイレン。トレランスはノイレンを救い出すべく策を巡らす中でセイベルに近づく。ノイレンを殺すために買い取ろうとしたが門前払いを喰らったセイベルは彼の話に乗り協力することに。しかしその見返りとしてとんでもない条件を提示してきた。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第六十五話「本当にいいんだな?」


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