62「一つ約束して。」
ノイレンに絡んできたオッサンを追い払い、中へ戻ってきたトレランスは店主に呼び止められた。
「お客さん、助かったよありがとう。あのボラチョンにはいつも手を焼かされてんだ。」
「ボラチョン?」
「『呑んだくれのクズ』って意味だよ。あいつはいつもあちこちの酒場の裏で残飯や飲み残しを漁ってやがんだ。あまつさえ店の中に入ってきちゃ見境なく客にたかってよ。」
「酷いな。昔からそうなのか?」
トレランスは店主に同情した。
「さあな、あいつは一年位前から姿を現すようになったんだ。それまでは別の街にいたらしい。」
トレランスは呆れてものが言えないといった表情で話を聞いている。
「まあそれも今のうちだから安心して飲んでくれ。」
「今のうち?」
「あはは、こっちのことだ、細かいことは気にしないでくれ。」
店主が笑顔で言うそのセリフに”大きな声では言えないこと”をトレランスは感じ取った。と、その時表からカラスが踏み潰されたような悲鳴が聞こえた。トレランスをはじめ店にいた全員が静まり返って悲鳴の聞こえたほうへ視線を向けた。皆息をひそめて成り行きを見守る。ノイレンも座ったまま視線を上げた。すると黒い大きな影がドアやドア枠にぶつかりながらまるで犬か猫のように四つん這いで何かから逃げるように手足をもがき動かして店の中へ飛び込んできた。
あの呑んだくれのボラチョンだ。
よほど恐ろしい目に遭ったのだろう、酒に焼けただみ声の悲鳴を上げながら入口から一番近いテーブル席に腰かけている客の椅子にぶつかるとそのまま床に転げておびえた顔でドアの外を見ては恐れおののいている。
「このやろう店には入ってくるなといつも言ってるだろうが、出ていけ!」
店主がボラチョンを追い出そうと足蹴にするのをトレランスが制止した。
「お客さん止めないでくれ。」
「表に誰かいる。どうもそいつを狙っているらしい。」
店の外、ドア枠の陰に一人の気配が。息を殺して店内の様子を窺っている。もうすっかり日が落ちて暗くなっているから店の中にいるトレランスにはその姿は見えない。トレランスは左手で鞘を掴みゆっくりとその気配が潜む入口へ近づいて行った。
「師匠!」
ノイレンは椅子から立ち上がって師匠の背中へ声をかけた。トレランスはまっすぐにドアの向こうを見すえたまま右手を軽く上げて「大丈夫だ」とノイレンに合図を送る。ノイレンはすぐさま入口へ向かったが床に転げておびえているボラチョンを認めると足がすくんで動けなくなった。
「た、助けてくれぇ、殺されるぅ。」
ボラチョンは手で頭を抱えるようにして体を丸めぶるぶると震える。トレランスはドア枠の向こうから放たれている強い殺気に全身の皮膚がピリピリと焼けるような痛みにも似た感覚を覚えた。トレランスがゆっくりとドアのすぐそばまで近づくとその誰かはペロッと上唇を舌で舐めるとふっとその気配を消した。トレランスは立ち止まり、右手を柄にかけてしばらくの間様子をうかがったがその気配は再び姿を現すことはなかった。
「退いたか。」
右手を柄から離して体を丸めて縮こまっているボラチョンに声をかけた。
「オッサン、安心しろ。賊は諦めたようだ。」
ボラチョンはおそるおそるトレランスを見上げた。
「ホ、ホントか?」
「ああ、もう表には誰もいないよ。」
そこまで聞くとボラチョンはいやらしい笑みを浮かべ体を起こして床に座りせせら笑った。
「ざまあみろ。へへへ。」
さすがにトレランスもその様子に呆れた。
「オッサンもう一度表へ放り出してやろうか。」
それにはボラチョンも青ざめた。
「や、やめてくれ、今追い出されたらまた襲われるかもしれねえじゃねえか。」
「だったらちょっとはしおらしくしろよ。」
トレランスは腕組みをして顎で店の隅を指した。
「わ、わかったよ。なんでえうるせえおっさんだな。よう、ついでに一杯おごってくれよ。」
トレランスは何も答えずジロっとボラチョンを睨んだ。ボラチョンは首をすくめてすごすごと店の隅へ逃げていき膝を抱えて小さくなる。それを見た店主は誰にも聞こえないよう口の中で舌打ちして苦々しくてとげのある視線をボラチョンに射った。トレランスはその店主のまなざしを見て見ぬふりをした。そしてその瞳に静かな怒りの炎を燃やして立ちすくんでいるノイレンの顔の前でその大きな手を振ってみる。
「ノイレン、お~い、ノ~イレン?」
トレランスが連呼するノイレンの名前は隅で縮こまっているボラチョンの耳にも届いた。
「ノイレン?」
彼は自分のほうを見ているノイレンにそのヒラメ顔を向けていやらしい笑みを浮かべ、じっとノイレンの顔を見る。
『あの顔間違いねえ。』
年ごろに成長したノイレンの顔を見てボラチョンは確信した。かつて愛した妻に面持ちが似ている。ニタアといやらしく笑い何かを考えたボラチョン。そのナメクジのような表情にノイレンは全身に虫唾が走る。体中に鳥肌が立ち、一年経ってだいぶ伸びてきた髪の毛がすべて逆立つ。思わず腰の剣を抜きボラチョンに襲い掛かる既所をトレランスに押さえられた。
「ノイレン!」
剣を抜かせないようノイレンの腕をつかむトレランスのその力強さにようやく我に返った。
「どうした、大丈夫か?」
「へ、あ、師匠、ううん、何でもない、大丈夫。」
ノイレンは取り繕うように言い訳をしてにっこり微笑むと何事もなかったかのような風を装い店の外へ出て行こうとした。ボラチョンはその姿を品定めするように目で追いかけている。店を出ていくノイレンの背中にトレランスが呼びかけた。
「おいノイレン、まだ全部食べてないぞ。しっかり食べないと明日の立ち合いに響くぞ。」
「もうおなか一杯。師匠が食べて。」
ノイレンはトレランスに振り返りもせず力のない声で答えると隅で足を抱えて縮こまっているボラチョンを一瞥してノイレンは店をあとにした。一瞥したときまた目が合ってしまった。ノイレンは体中に激しい嫌悪感を覚え速足ですたすたと歩いていく。一秒でも早くこの場から離れたいその一心だった。
「店主すまんがその鳥持って帰るから。」
店主に骨付きももとまだほとんど手を付けていない料理を包ませるとノイレンの後を追って店を出た。
店から十分離れたところでノイレンの足が止まった。
「なんで、今頃・・・」
ドス黒い怒りのなかに悲しみが混ぜ合わさってノイレンの心はひどくかき乱されている。ふと空を見上げた。満天の星空。ときおり瞬くその小さな光の点がいくつもノイレンの心に突き刺さってくる。目の前にお母さんが死んだ時の光景が浮かび上がってきた。
「ノイレン待ってくれ。」
ようやく追いついたトレランスはノイレンの横に立つとその複雑な表情を浮かべている顔を覗き込んで何かを察したように真面目な顔つきになった。
「あのボラチョン、知っているのか。」
ノイレンはトレランスにその瞳を向けると顔がくしゃくしゃに歪んできた。怒りに震えながらも師匠の顔を見ていると今にも泣きそうだ。涙で潤みはじめたその瞳でトレランスに訴えた。怒り、悲しみ、憤り、自分ではどうにも抑えがたい感情、心の中に膨れ上がったドス黒い感情の渦を爆発させてしまいたい衝動を抑えられない。思い余ってノイレンは彼の胸板を両手のこぶしでドンドンと叩いた。
トレランスはされるまま胸板を叩かせる。そうしていつもならその大きな手をノイレンの頭にぽんと乗せるところをそうはせずノイレンをしっかりと抱きしめた。
「大丈夫。全部吐き出しなさい。」
トレランスの腕に包まれながらノイレンはなおも彼の胸板を叩き続けた。
2人が泊まっている宿の部屋。
ひとしきり無言で感情を爆発させて落ち着いたノイレンはベッドに腰かけて窓辺に置いた忘れ草の鉢をぼうっと眺めている。そのノイレンの背中をトレランスは椅子に反対に座り背もたれに両腕を預けて見つめている。
「ノイレン、話したくなったらいつでも話してくれ。」
トレランスは今まで敢えてノイレンの過去を詮索しないようにしていた。もっとも彼の鋭い洞察力を以てすればある程度は察することができたのもあったからだ。
「俺が寝てたら叩き起こしてもいいからな。」
それだけ言うとトレランスは口を閉じた。ノイレンの目は忘れ草に向いたまま。トレランスはノイレンのその背中をただじっと見つめている。
チャプリの夜は静かに更けていった。
翌朝トレランスの家ならニワトリ目覚ましがその美声を披露する頃。ノイレンが話してくれるのを期待して眠りについたトレランスが目を覚ました。上体を起こしてノイレンのほうを見ると彼女はベッドに腰かけたままずっと起きていたらしい。夕べと同じ姿勢で窓辺の忘れ草を眺めている。
「おはよう、ノイレン。」
「・・・」
ノイレンから返事はない。
「走りに行こうか。気分転換になるぞ。」
ノイレンは小さく頷いた。
うすく靄のかかったチャプリの街並みの中を2人の影が走り抜けていく。いつもよりペースを落としてゆっくりと。ノイレンは一歩一歩力を込めて走る。地に足が着くたびに心の中でぐちゃぐちゃになっている感情を一つまた一つとすべて捨て去るかのように。
「さすがに早朝は気持ちがいいな。」
トレランスはニカっと笑ってわざと明るく振る舞う。ノイレンは小さく頷くだけ。
「髪の毛だいぶ伸びたな。まだ犬のしっぽくらいにしかならんがちゃんと束ねられるようにもなったし。前みたいに長く伸ばすのか?」
ノイレンは小さく頷くだけ。
「ショートのノイレンも可愛かったぞ。」
トレランスはわざとノイレンが恥ずかしがるようなことをさらっと言ってみる。それに対してもノイレンは小さく頷くだけ。
「なはは・・・」
トレランスは笑顔が引きつる。
宿の食堂、味は良いのだけれど気まずい朝食。
ひよこ豆が数個浮いているだけの具の少ないスープにトレランスはカチカチになった黒パンをしっかりと浸して口の中へ放り込む。
「なあノイレン、今日セイベルのところへ行くのは止めにしないか?」
「・・・」
「宿の人に伝言を頼めば済むし、このまま(シェヒルに)帰れば二度と顔を合わすこともあるまい。昨日のことは反故にしても問題ないさ。」
どうもトレランスはノイレンをセイベルと合わせたくないようだ。しかしノイレンはトレランスと同じようにカチカチの黒パンをスープに泳がせながら無言で首を横に振った。
「やっぱり彼女とは立ち合いたいのか。」
黙って頷く。頷いたあとで気づいた。
「・・・彼女?」
ようやくノイレンが言葉を口にした。トレランスはしたり顔でニカっと笑む。
「気づいてなかったのか、セイベルって女だぞ。」
「うそ・・・」
「うそじゃないさ、よっく彼女のことを思い出してみろ。」
「そりゃ確かに声は男の人ぽくなかったけど、」
「さては坊主頭で”ボク”と言うから騙されたな。」
ノイレンはセイベルとのやり取りを思い出してみる。初めてセイベルの声を聞いたとき覚えた違和感はそれだったのかと納得した。思い返している間スープに浸した黒パンをぐるぐると泳がせすぎてほろほろと崩れてしまった。それをみたノイレンはおもむろに呟いた。
「やっぱりわたしじゃ勝てないかな。」
崩れて形を失くした黒パンに自身を重ねた。
「なんだノイレンらしくもない。そんなのはやってみなけりゃわからないじゃないか。」
「・・・」
ノイレンはまたも無口になった。
「やっぱり今日は止めよう。」
「やだ、あいつはぶっ倒さないと気が済まない。」
ノイレンはようやくいつもらしい口調になって反論する。
「そうは言ってもあのボラチョンが気になって集中できないんだろう。」
ノイレンはドキっとして息が止まる。トレランスにすべて見透かされている。
「な、なんでそこでそれ出すかな。関係ないじゃん。」
狼狽するノイレンにトレランスはテーブルに身を乗り出すようにして顔を近づけるとまじまじと彼女の目を見つめる。そしてにんまりと微笑んだ。
「じゃあ話してくれ、ボラチョンのこと。」
ノイレンは顔がこわばる。左右に泳ぐその瞳が逡巡しまくっているのをありありと見せつける。
「話してくれないなら師匠としてセイベルとの立ち合いは中止せざるを得ないなあ。」
トレランスはなおもにんまりと微笑んでノイレンの目をまっすぐに見ている。
「ずるい・・・師匠、」
ノイレンはトレランスから目をそらすために別の黒パンを手に取りスープに浸してぐるぐるとまた泳がせ始めた。
「ヤツとなにがあったか知らないが、悪いようにはしない。話してくれ。」
いつもは黙ってノイレンから話すのを待つトレランスが珍しくしつこく迫ってくる。
黒パンを泳がすノイレンの手が止まった。
「一つ約束して。聞いても何もしないって。」
ノイレンはその瞳の奥に静かな憤りを潜めてトレランスの目を見返した。彼女のその目の色をしっかりと見たトレランスは真顔になって大きくうなずいた。それを見てノイレンは安心した。師匠が真顔になるときは真剣だ。
「実は、」
ノイレンは10年前のことを話し始めた。
昼下がり、ぎらつく太陽が2人の影を濃く地面に焼き付ける。
セイベルの家へやってきたノイレンとトレランス。
「逃げずに来たか、その意地だけは褒めてやる。だけど悪いが気が変わった。あんたとは立ち合わない。」
セイベルは相変わらずノイレンを見下した態度をとる。ノイレンを小馬鹿にするような視線を向けている彼女はなぜかトレランスの顔を見ようとしない。わざと避けているようだ。そのトレランスはじっとセイベルの首元を見ている。
「へっ、怖くなったのか?」
ノイレンは半分空元気で威勢よくセイベルを煽ると彼女は鬱陶しそうに右手でうしろ頭を掻きながらぞんざいに答えた。
「こう見えてもボク今ものすごく機嫌が悪いんだよ。昨日誰かさんが仕事の邪魔してくれたからな。」
セイベルはそう言ってほんの一瞬だけトレランスに殺気のこもった視線を向けた。
「だから今は手加減できない、あんたを殺しちゃうよ。まだ死にたくはないだろ。わかったらさっさと帰ってくれ。」
「なっ、」
あからさまにノイレンを足元に見るセイベルの言動にぶちっと来たノイレンはまたまた突っかかっていった。
「誰が手加減してくれって頼んだよ。そっちこそわたしに殺されるかもしれないぜ。」
今のセイベルと同じように心がささくれ立っているノイレンは木剣ではなく腰の剣を抜いた。構えたその切っ先がセイベルの顔を捉える。セイベルは忌々しそうに眉と目をつり上げると乱暴につばを吐き捨てた。
「そんなに死にたいのか、バカが。」
「ノイレンっ!」
それまで黙ってみていたトレランスが一喝した。びくっとして動きを止めるノイレン。そのトレランスをジロっと睨みつけるセイベル。セイベルとトレランスの視線が一本につながり互いを結びつける。
『間違いない。』
トレランスは確信した。セイベルはその視線を手繰るようにつかつかとトレランスの目の前に進むと顎を上げて睨みつける。
「あんたとなら立ち合ってもいいぜ。ただし真剣でな。」
セイベルの目に忌々しさが表れている。
「断る。無益な殺生はしない。それに今のあんたは腕試しがしたいわけじゃないだろう。」
セイベルは薄っすらと笑みを浮かべた。
「さすがだぜ、そこまでお見通しってわけか。」
「師匠?」
一人だけ蚊帳の外に置かれているノイレンはトレランスに説明を求めようとした。しかしトレランスはそんなノイレンを無視してセイベルと対峙する。
「あんたがどんな仕事をしようが俺の知ったこっちゃない。だが目の前に降りかかってきたことは黙って見過ごすとは限らない。運が悪かったな。」
この言葉にはセイベルもおとなしく引き下がれない。
「なんだと、何の関係もないクセに邪魔しやがって、何様のつもりだ。」
「ああ確かに昨夜はそうだった。けれど今日ここへ来る前に俺は関係者になっちまった。さあ聞かせてもらおうか、なぜボラチョンを狙った。」
ノイレンはハっとした。
『あのとき向こうにいたのはセイベルなの?』
ノイレンは睨みあう2人の横顔を見ながら考えをめぐらす。
「バカか?話すわけないだろう。」
セイベルの表情は本当に忌々しそうな色で染まっている。
「それになにが関係者だ。”お人よし”でそんなこと言ってるならやめたほうがいいぜ。ボクをもっと怒らせるだけだぞ。」
「上等だ。実は俺も今こう見えてすげえ怒っている。」
ノイレンからすべてを聞いたトレランスはムカつきまくっている。だがノイレンに何もしないと約束したから人知れずその感情を抑えている。
「ああもう、どいつもこいつも、ムカつくのばっかだな。」
思うように”こと”が進まないことに苛立ちを募らせたセイベルは目を剥いて一歩飛び退きトレランスの間合いの外へ出た。畑いじりをしていたために腰から剣を外している。そばの柵にかけてあるソードベルトへ目をやった。
「安心しろ、あんたとは違って丸腰の相手を斬るようなことはしない。だが剣を抜くなら覚悟するんだな。」
トレランスはさっさとベルトを取りに行けとでも言わんばかりに微笑んで見せる。
「師匠!」
横にいるノイレンが声をかけるとトレランスは左手を軽く上げて制止した。
「剣をしまってそこで見ていろ。セイベルがどんな剣を使うかをな。」
素早くソードベルトを腰に巻くセイベルは不敵な笑みを浮かべる。
「ボクの剣筋がわかったところでお子様に勝ち目はないよ。」
「それはどうかな。」
トレランスは静かに柄へ手を伸ばした。
次回予告
心の中にドス黒い感情が渦巻くノイレン。ボラチョンとの関係を聞いたトレランスはひそかに怒りを燃やす。そして”仕事”としてボラチョンの命を狙うセイベルと対決することに。特異な剣を使うまさに何でもありのセイベル相手に立ち回る中膝に抱えた痛みで不覚を取ってしまったトレランスに代わってノイレンが立ち上がる。師匠の剣ネオソードをその手にして。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六十三話「もう一人前?」




