60「『ありがとう』だよ。」
走っている間ノイレンは手紙の文言をずっと考えていた。早朝の引き締まりすぎるほどぴんと冷たく澄んだ空気に白い息を吐きながらぶつぶつ言っている。
「どうしたノイレン。何か悩みでもあるのか?」
並走しているトレランスが心配そうな面持ちで訊いてきた。
「あ、ううん、何でもない。寒いなあと思って。」
「それはいかん。寒いなんてのは走り込みが足りないせいだな。よし今日はあと10キロ走るか!」
トレランスはニカっとイタズラっぽく笑って距離を追加しようとする。もう既に5キロは走っているのにだ。
「えー、10キロはやだ、5キロにしよ。」
少しでも早く手紙を書きたくて気持ちが家に向かっているノイレン。
「えー、10キロ走んないの?」
トレランスがつまんなさそうに口を尖らせる。
「そんなら師匠一人で走ってくれば?」
早く戻りたくてそっけない。
「仕方ないなあ、もう。」
トレランスはしぶしぶ折れてみせる。以前だったらノイレンがそんなことを言おうものなら有無を言わさず従わせた。つまりそれだけノイレンが上達したと認めているから彼女の意向も時には受け入れている。
家に戻り、洗濯、組手の稽古、掃除とやること全てを終わらせたあとノイレンはダンスのレッスンをすっぽかして紙片とにらめっこしている。
「う~ん、」
頭の中で文言は浮かぶのに綴りがわからないから書けない。今の自分に書ける単語だけでそれに近い文を組み立てようと思うがどうもしっくりこない。ペンを鼻と口の間に挟んだり、部屋の中をうろうろ歩き回ったり、時には逆立ちしてみたり、ぼーっと窓の下にいるニワトリを眺めたり。窓を開けていると冬の冷たいそよ風がノイレンの頬と髪をなでていく。あれから半年ちょっと、髪も肩より伸びた。おもむろに両手で髪をかき上げポニーテールにするように頭の高い位置で一つに束ねる。左手で髪を押さえつつ右手でテール部を触ってみる。まるでうさぎのしっぽだ。申し訳程度しかない。
「これじゃまだ結べないな。」
手を放して髪をほどき、今度は左右2つに分けてみる。アニンの髪型みたいにしてみようと思った。
アニンの髪型は三つ編み。艶のある綺麗な金髪を4本に分けている。ウエストまである長いうしろ髪を大ぶりに編んだ2本と、耳のうしろから前に2本。こちらはバストトップまでの長さに整えてある。
「レディにとって髪は大切なものですわ。けれどそのままでは剣を振るとき邪魔になるからあえて三つ編みにしてるんですのよ。」
彼女がまだカディンと名乗っていた時に聞いたセリフ。怪我で左腕が不自由になってからはノイレンが編むのを毎日手伝っている。
髪を左右に分けてみたまではいいもののまだ肩を少し越しただけの長さではアニンのような立派な三つ編みにならない。まるで3歳くらいの幼女がおさげにしているみたいになってしまった。
「しゃぁない、もっと伸びたらにしよ。」
髪をいじるのをやめて紙片に集中する。そうして手紙を書き上げた。アニンのほかに、師匠、シャルキー、ラクス、チーフ、そしてあのボンボンの一件の時力を貸してくれた常連たち5人に書いた。一人ひとり文面を変えようと思ったけれど単語がわからないから全員同じにした。文面を内側にして二つ折りにするとドレスの胸元に忍ばせた。
「ちょっとドキドキすんな。」
期待と不安に心を弾ませてカバレへ向かった。
カバレに着くとまずシャルキーに渡した。
「ノイレン、今日は遅かったじゃないか。用事があるなら前もって言っといてもらいたいね。」
レッスンをすっぽかされ待ちぼうけを喰らわされたシャルキーがノイレンの顔を見るなりチクリと刺してくる。
「ごめんなさい、実は、」
胸元から紙片を一枚取り出すと緊張した面持ちでシャルキーに差し出した。
「なんだい?」
「手紙書いたの。それで遅くなっちゃった。」
「あたしにかい?」
「うん。あとみんなにも書いたんだ。恥ずかしいからあとで読んで。」
「あ、ありがとうよ。」
そう言ってシャルキーは受け取ってくれたが顔が少し引きつっている。ノイレンは逃げるように調理場にいるチーフのところへ行った。
「ありがとう、あとで読ませてもらいますね。」
お礼を言いながらチーフもなぜか困惑した表情を浮かべている。けれどもノイレンは2人のその反応にはおかまいなしでにっこり微笑む。一生懸命考えて書いた手紙を無事渡せたことでほっと胸をなでおろした。
シャルキーがチーフのもとへ来た。
「あんたももらったのかい。」
「はい。ノイレンが手紙とは驚きました。しかし、」
「そうだよね。あたしらが読めると思ってるのかね。」
シャルキーとチーフはお互いに顔を見合わせて苦笑い。シャルキーは普段帳簿をつけてはいるが、それは店の収支だけ。ビールや腸詰、ランプ用の油などの単語は書けてもそれ以外の言葉は知らない。
「困りましたね。あとでノイレンになんと言ったらいいか。」
チーフはノイレンを悲しませたくないと思案した。
夕方トレランスがやって来た。
「師匠、これ。」
ノイレンは気恥ずかしさから不愛想に紙片を渡した。
「なんだ?」
「手紙。」
「手紙?俺にか?」
「うん、あとで読んで。」
トレランスがその場で紙片を開こうとするのを両手でがばっと押さえて阻止。
「あとでって言ったでしょ。恥ずかしいからわたしのいないところで読んで。」
そうして各テーブルを拭きにそそくさとトレランスの前から立ち去る。トレランスはノイレンが店の端にいったのを確認して手紙を開いて見た。
「・・・」
トレランスは無言で固まる。
そこにシャルキーがうしろからふっふっふと小馬鹿にするようなうすら笑いをして近づいてきた。トレランスは振り向いて困惑した表情でニカっと笑う。
「これ、なんて書いてあるんだ?」
「読めないのかい?」
シャルキーは勝ち誇ったようにその切れ長の目を細めてわざと下からトレランスを見上げるように上目遣いに見てにやにやする。その態度にトレランスはちょっとむくれた。
「俺が読み書きできないのは知ってるだろ。意地悪しないで読んでくれよ。」
「やだね。」
「なんだよ、ケチくさいな。」
「だって、あたしも読めないんだから。」
「はあ??それなのに俺をバカにしたのか。」
「あっはっは、そのとおり!」
トレランスははあぁと深くため息を吐くと大きく肩を落とした。
「シャルキー、なんかノイレンに似てきてないか。」
「さて、なんのことだか。」
すっとぼけるシャルキーの横顔をトレランスはぷくっと頬を膨らませて睨んだ。
開店すると待ちわびた常連たちが雪崩のようにそれぞれの定位置に着いていく。ノイレンは注文を取りに行くついでに例の5人にこっそり手紙を手渡した。
「こりゃなんだ?」
「手紙だよ、わたしが書いたんだ。」
「なに、ノイレンが書いたのか?そりゃすごい。」
「嬢ちゃんいつの間に勉強したんだ。」
「あとで読んで。」
常連はその場で紙片を開こうとするのをノイレンはやはり阻止して次のテーブルへ向かう。
「いらっしゃい。いつものでいい?それとこれ。あの時のお礼まだ言ってなかったから。」
ドレスの胸元から紙片を取り出して手渡す。
「手紙?ノイちゃん字が書けるだにか。ほんとにお嬢様になっただにな。」
「まあね。」
人差し指で鼻をさする。
「こりゃオレたちも紳士っぽく振る舞わないとならんな。」
よれよれのシャツの襟を指でさすってパリッとさせながら姿勢を正す常連。
「やめてよ、いつものみんながいい。よれよれでいいからさ。」
「なんだよ、それオレたちがいつもノイレンに言ってることじゃねえか。」
「あはは、あとで読んでね。目の前だと恥ずかしいから。」
にっこり微笑んで次のテーブルに行こうとしたらもう一人の常連がツッコんだ。
「ノイレンから手紙をもらうなんて明日は雨か。」
内心ほくほくしてたのがアニンみたいなこと言われてノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませジト目になった。
「斬るよ。」
「アハハ、冗談だって。」
ノイレンがほかのテーブルへ注文を取りに行くと常連たちはそれぞれ手紙を開いた。しかし5人全員首をかしげている。
「う~ん、読めん。」
「オレたちが読めると思ってたんだろか。」
「それにしても汚いな。これ本当に文字ってやつか?」
「ノイちゃん、ありがとだに。なんて書いてあるか読めないだにが、気持ちは受け取っただに。」
「こりゃヤギみたいに食っちまうしかないな。『ヤギさんたら、読まずに食べた』っと」
奥の部屋へ行きラクスにも手渡した。
「ノイレンちゃん手紙書けるの?すごーい。ありがと。」
ラクスはにっこり笑って受け取ってくれたがほかの人たちと違ってその場で見ようとしない。まあ、ノイレンにとっても目の前で読まれるのは恥ずかしいからちょうどよかった。
満足そうな顔でノイレンが店に戻るその背中を見送ってからラクスは手紙に目を落とした。
「・・・・」
最後はアニン。
アニンはいつものようにトレランスの広い背中を肴にビールをちびちびと飲んでいる。トレランスは背後に不穏な空気を感じつつもいつものことだから気にしないようにしている。
「おばさんまた師匠の背中見てんの、よく飽きないね。」
「お子ちゃまにはわからないでしょうね。」
「悪かったな。それよりこれ。」
最後の一枚をそっと差し出す。
「なんですの?」
「手紙。」
「まさかあなたが書いたの?」
「まあね。」
ノイレンは人差し指で鼻をさすってちょっと自慢げ。
「あとで読んで。今だと恥ずかしいから。」
そう言うとまたまたそそくさとその場から離れていった。アニンがおもむろに手渡された紙片を開いて読む。それをトレランスがそ~っとのぞき込む。
「アニン、なんて書いてある?」
「ありがとう」
アニンが呟くようにさらっと言った。
「それだけ?」
「それだけですわ。なにか?」
トレランスは少々恥ずかしそうにノイレンからもらった手紙をアニンに見せた。
「いや、実は俺ももらったんだが、なんて書いてあるのか読めなくて。」
「見せてくださいませ。あら、私のと同じですわ。『ありがとう』だけ。」
「そ、そうなんだ。ありがとう。」
「どういたしまして。それより先生、先生にも読み書き教えて差し上げますわ。さっそく今夜からでも手取り足取りくんずほぐれつ、」
「あ、いや、俺はいいからノイレンに教えてやってください。」
トレランスは冷や汗を垂らしながらアニンに背を向けた。
「もう先生ったら、私にここまで言わせといて酷いですわ。全然釣れないんですから・・・」
アニンはぷくっと口をとがらせるとまたちびちびとジョッキに口をつけた。そこにシャルキーがやって来た。
「まったくこの女はトレランスが相手だと品がないね。」
「なんですの。あなたには関係のないことですわ、口を挟まないでいただけますかしら?」
アニンはまるで恋敵でも見るかのように険悪な目つきでシャルキーを睨む。間に挟まれているトレランスの背中に冷や汗が垂れていく。そんなアニンの視線をいなしてシャルキーは胸元に差し込んでいたノイレンからの手紙を取り出した。
「はいはい、それよりちょいと頼まれてくれないか。」
「なんですの?」
アニンは不服そうに返事をする。シャルキーが自分に頼み事なんて何か謀っているかもと少々警戒した。するとシャルキーはアニンから視線をそらして恥ずかしそうにノイレンの手紙を見せた。
「これ、読んでくれないか。あたしは物の名前ならわかるんだが、それ以外はまるっきりでね。」
逸らした視線をちらっとアニンに戻すと彼女と目が合った。それでアニンは納得した。
「そういうことなら素直にそう言ってくださいません?一言余計なんですわ。」
アニンはシャルキーの手からひったくるようにノイレンからの手紙を受け取って読んだ。
「なんて書いてある?」
シャルキーは頬を赤らめてアニンを見る。彼女はゆっくりと顔を上げるとシャルキーをまっすぐに見つめた。
「ここに書いてあるのは、」
「ありがとう?」
「ええ、それだけですわ。」
トレランスが自分のもらったものとシャルキーのを見比べて呟く。
「みんなに同じもの贈ったのか。」
「そうみたいですわね。」
シャルキーはそれを確かめようとチーフのもとへ行った。チーフがもらった手紙を見せてもらう。自分がもらったものと見比べて、同じ文面であることを確認した。
4人が紙片を持って何やらやっているのを見た5人の常連の一人が自分のもらった手紙を持ってシャルキーのもとへやって来た。
「わしももらっただに。けんどなんて書いてあるのか読めないだによ。なんて書いてあるだにか。」
シャルキーがそれを見せてもらうと自分がもらったものと並べて常連に見せて言った。
「『ありがとう』だよ。」
常連はノイレンの手書きの文字をまじまじと見つめた。お世辞にもきれいな字とはいえないバランスの悪い字。一字一字間違えないようゆっくり書いたのだろう、文字と文字の高さ、大きさ、間隔もバラバラ。けれど手書きの温かみだけは伝わってくる。
「ノイちゃんがわしに「ありがとう」って書いてくれただにか。」
「あんたあの件で力になってくれたからそのお礼じゃないか?」
「わし以外にもあのときいた連中がもらってたけど、みんなありがとうって書いてあるだにかな。」
「たぶんそうだろう。あの子こういうところ律儀だからね。」
常連は涙目になってうるうるしている。
「なにベソかいてんだい、いい年こいたおっさんが。」
そういいながらシャルキーも目が潤んでいる。その視界のゆがんだ目でノイレンの姿を探す。ノイレンは店の隅のほうのテーブルへ料理を運んで楽しそうにお客さんと何か話している。
「お待ち遠さま。」
ノイレンが腸詰てんこ盛りの皿を持ってやって来た。
「ノイちゃん手紙読ませてもらっただに。ありがとうだに。けんどわしたいしたことしてないだにが、ほんとにもらってもいいだにか。」
「もちろん!わたしが書きたいと思ったんだ。だから遠慮なく受け取ってよ。ほら腸詰冷めないうちに食べてね。」
ノイレンはにっこり笑うと軽い足取りでチーフのもとへ戻っていった。常連は熱々にゆでられた腸詰をわしづかみにするとがぶっとかじりつく。腸詰と常連の目からプシュっと肉汁があふれ出た。
奥の部屋でラクスが首を90度傾げてテーブルの上に置いたノイレンからの手紙をじぃっと見下ろしている。そこにシャルキーが入ってきた。
「どうしたんだい、そんなに首を曲げて。」
「こうすると読めるかなあって。」
「で、なんて書いてあるか読めたのかい?」
「ぜ~んぜん。そもそもこれほんとに字なの?なんかミミズが並んでるみたい。」
ラクスは反対側に首を90度曲げてノイレンの書いた文字を見つめる。
「アハハハ、ミミズか。いいこと言うね。」
シャルキーは高笑いするとテーブルの上のお菓子をひょいぱくと口に放り込んだ。
「ママは読める?」
「『ありがとう』だよ。」
「すごい、さすがママ。毎日帳簿付けてると違うんだね。」
「ま、まあね。」
シャルキーはラクスから視線を逸らしてすっとぼける。ラクスは首を元に戻すと紙片を指でつまんで目の高さまで持ち上げてまじまじとそのミミズの並びを見た。
「これが”ありがとう”なのね。」
ラクスは今夜1つ単語を覚えた。
次回予告
手紙でその気持ちを伝えたノイレン。元来の素直さを見せられるようになってきた彼女は次の立ち合い行脚のため馬で2日かかる町チャプリへ行く。そこでノイレンを待ち受けていたのは不遜な態度のサーベル使いセイベル。セイベルはとんでもない条件を提示してきた。そして対決を控えた前夜、食事のために寄った酒場でノイレンはトレランスを驚かせる。だが、そのせいでノイレンの前にある人物が姿を現した。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六十一話「華がないんだよ。」




