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ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第一部『踏みにじられたたまご』
6/11

6「な、わけないか」

 7歳でこの街に捨てられてから5年経つ。その間ノイレンは前の町で身に付けた悪行(あっこう)(すべ)を活かしたり物乞いをして過ごしてきた。

 ここには隠れ蓑になる神父もいない。もう誰にも頼れないし頼りたくない。ノイレンは大人たちへの不信と憎悪を膨らませ、その怒りを力に今日まで生き抜いてきた。たった独りで。それは一言で言い表せるようなものではなくとても大変なことだったが、一方でノイレンはさっぱりした気分で毎日を過ごしていた。

 神父を隠れ蓑にしていた時はその負けん気の強さゆえに卑怯なことをしているといううしろめたさを幼いなりに感じていた。しかしこの街に放り出されてからは完全に自分一人の力で生き抜いている。うしろめたさはどこにもない。あるとしたら悪さばかりしていることへの良心の呵責をわずかに感じていることだろうか。お母さんと死に別れるまではまともに育ってきたからそういう判断が多少はつく。


 彼女なりの善行の影響が幸福として返ってくるどころかむしろ罰を与えられたように胸くそが悪くなることが続き、黒いモヤモヤが心に渦巻いて苦々しい一夜を街外れの隠れ()で明かした12歳のノイレンは朝になると元気を取り戻していた。

 隠れ()の外へ出ると両手を天高く持ち上げて大きく伸びをする。日が昇ったばかりの冷んやりとした空気が美味しい。淋しい裏路地の建物の壁に反射した朝日がノイレンの体を包み込む。ノイレンはこの瞬間が好きだ。新しく始まる1日に昨日までとは違う何かがありそうな、ささやかでも幸せを感じる何かが訪れそうなそんな気にさせられる早朝のこの瞬間が。

「さあて、今朝は何を食べようかな。」

 昨日、一昨日と食べたものを思い出す。大きな街だけに朝市も街のあちこちで行われていて、ノイレンにとっては昨日はあっちの朝市、今日はこっちの朝市と選択に困る嬉しい楽しみの一つだった。またそうやって狙う市を毎日変えることで大人たちに捕まる危険を回避してきた。

「と、その前に。」

 ノイレンは二の腕を鼻に近づけて臭いをかぐ。昨日ボンボンキツネに臭えゴミといわれたことを思い出した。もうひと月以上体を拭いていない。日ごとに暑さが増してきている昨今このままでは物陰から獲物を狙っているときに臭いで存在がばれてしまう。

「洗いに行くか。」

 街から少し離れたところに街が水を引いている川があった。毎日潜り込む隠れ()を変えているノイレンは忘れ物がないか確認すると朝食を調達する前にそこへ行った。

 いつも肌身離さず肩にかけているサコッシュを外し、着ているものを脱いで裸になると川に入った。昼間は暑さが増してきていると言っても早朝はまだひんやりとしているだけに川の水は思いのほか冷たい。ノイレンの全身がぶるると震えた。静かにそっと膝を曲げて下半身を水につけた。

「冷たいなー。」

 そのまましばらくじっとしていると水の冷たさにも慣れてきた。まずは水につかっている下半身から手でこすって洗っていく。足の指から足首、ふくらはぎ、ひざこぞう、ふともも。秘所も忘れない。それから手で水をすくって上半身をなでるように洗い始めた。十分な食事ができていないからやせ気味だがスラリとした肢体に胸が少しだけ膨らんでいる。加えて同じ年頃の子どもより背が高い分手足が長い。だから裸の彼女は15、6歳くらいに大人びて見えた。

 体を洗い終わると束ねている髪をほどいて前屈みになり髪を川面に流すように浮かべた。長い髪が水の流れにたゆたうように揺れる。十分に髪に水を含ませると丁寧に両手で揉むようにして洗い始めた。その姿は早朝の光に包まれてまるでヴィーナスが水浴みしているようにも見えた。

 その様子を少し離れた木立の中で身を潜めながら見ているガラの悪い男が2人。

「兄貴、あのガキが気になるんすか?」

「あん?おめえにはわからねえのか?」

 兄貴と呼ばれた男が聞き返した。

「だってあいつ街で評判の悪ガキ、ノイレンっすよ。」

「だからどうした?おめえ、アイツの体見てもなんも思わないのか?」

 兄貴は水浴みしているノイレンから目を離さずに弟分に訊いた。

「あんなのが兄貴の好みだったとは知りませんでしたよ。」

 兄貴が弟分の頭をパコンと(はた)いた。

「バカヤロウ、そういうんじゃねえよ。オレたちの仕事は何だ?」

「人さらい。」

「そうだ。」

「??」

 弟分はまだ分かっていないようだ。

「まだ分かんねえのか?」

「あのガキをよっく見ろ。あれは上玉になるぜ。」

「そうすか?ガキはオレの好みじゃないんでそうは思えねえっす。」

 兄貴は手で顔を覆ってため息をついた。

「おめえな、品定めの目を肥やせっていつも言ってんだろ。あいつ(さら)うぞ。しばらく遊んで暮らせるくらい高値で売れるぜ。」

 彼らは昨日街中でたまたまノイレンを見かけた。兄貴はひと目見てノイレンの”商品性”を見抜いた。それからは彼女に気付かれないようあとを付けていたのだが夜ノイレンが隠れ()に潜むところで見失い、その場で夜を明かしていた。そして今朝隠れ()から出てきたノイレンを見つけてここまで付いてきた。

 ガラの悪い大人の男たちに裸を見られているとは全く気付いていないノイレンは髪を洗い終えると立ち上がりながら上体を勢いよく起こした。まっすぐ伸びた長い髪が扇のように広がって上体の動きに合わせて前からうしろへ踊っていく。そして最後にノイレンの背中をペシっと叩いた。生まれてから一度も髪を切っていないからおしりのあたりまで伸びている。水に濡れた髪が朝日を受けとめながらノイレンの裸体を隠す。人さらいの兄貴はその様子を見て心が躍った。

「久々に極上の獲物を見つけたぜ。」


 お母さんの看病をしていた頃を最後にこの数年ノイレンは鏡を見ていない。今の自分の見た目がどれだけなのか全く分かっていなかった。人さらいの兄貴が興奮したようにノイレンは筋が通った高い鼻に、目元口元の整った顔をしている。彼女の父親はヒラメ顔だが鼻筋だけはイケメンだった。逆に彼女の母親は目元と口元は整っていて、そこだけ見ればとても美人だったが鼻が低く団子のようなのが(たま)に瑕だった。ノイレンは上手い具合に2人のいいところを継いだ整った顔立ちをしている。鳶が鷹を生むとはまさにこのことだ。もう少し成長すれば嫌でも思い知るかもしれない。


 兄貴は弟分に合図して木立の陰から静かに出てきた。ノイレンに気付かれぬようそっと近づいていく。服を着る前の裸のノイレンなら容易(たやす)く捕まえられると思ったのだ。いくらすばしっこい悪ガキといえど、()()なら他人に裸を見られれば羞恥心が湧いて動きが鈍るだろうと算段した。この時代の娘たちは15、6歳にもなれば結婚話の1つや2つ持ち込まれてもおかしくない年頃だったからだ。

 男たちは近くまで迫ったがあと10メートルほどというところでノイレンに気付かれた。

「!!」

 ノイレンは悲鳴を上げることも赤面することもなく川岸に置いていた服とサコッシュ、靴を掴むと脱兎のごとく川の対岸へ向かって逃げた。

「待ちやがれ!」

 男たちは走り出し、大声を上げてノイレンを威嚇しながら追いかけてくる。

「へっ!待てと言われて待つヤツがいるかってんだ!」

 対岸に着いたノイレンは裸のままおしりをぺんぺんと叩いて男たちをバカにすると走り出した。いきなりの襲撃に多少の恥ずかしさは覚えたものの、まだ初潮の来ていないノイレンには”女性としての恥じらい”は芽生えていなかった。

 男たちは川の流れに足を取られ走る勢いが鈍る。それに対して向こう岸を勢いよく走るノイレンにみるみる距離を開けられていく。

「ちくしょう、あそこまでガキだったとは。」

 兄貴が川の半ば辺りで足を止めて悔しそうに言った。兄貴はノイレンを15、6歳くらいの"年頃の娘"だと見ていたから”恥じらい”を持っていると思い込んでしまったのだ。獲物の性質を見誤ったことに肩を落とす兄貴に弟分が、

「大丈夫っすよ、兄貴。あいつのあとをつけてりゃそのうち捕まえられますって。」

 そう言って兄貴の肩にぽんと手を置いた。兄貴はその手をぞんざいに振り払うと気を取り直して街の方へ逃げたノイレンを見つけるために歩き出した。

「行くぞ!」


 おしりまである濡れた長い髪から水を滴らせながら裸のままノイレンはさっきまでいた街外れの隠れ()に戻ってきた。

 手で髪を搾り水気を流してから服を着た。薄汚れてところどころほつれている。せっかく体を洗ったのにノイレンはそれしか服を持っていなかった。まだ髪を束ねていないから背中を覆う長い髪の湿り気で体がひんやりする。

 ノイレンはそのままそっと表の様子を伺った。ほつれ毛が頬について冷たい。

「あいつら物盗りか?」

 そう呟いたものの自分の身なりを見回して、「な、わけないか。」と納得する。

「じゃあ何が狙いで・・・」

 ノイレンは考えを巡らせた。かつて丸太に縛り付けられ転がされてた馬車の荷台で聞いた”あの男”の台詞が蘇る。

『10歳はいってねえと使い物にならねえんだと。』

「ってことは人さらいか。捕まってたら奴隷に売り飛ばされてたな。あぶない、あぶない。」

 あくまでも単なる奴隷として売り飛ばされることしか思いつかない。”あの男”もわずかな親心で娘を娼婦に堕とすことだけはしなかった。親の心子知らず、しかしノイレンにそんなこと分かるはずもない。いずれにしてもノイレンは自分が単なる奴隷ではなく”女性として”狙われるなどとは思いつきもしない。鏡を見ないから自分の容姿に関しては無頓着すぎた。

『もしかして、”あの男”が今になってわたしを奴隷に売り飛ばそうと探してたとか?』

 ノイレンの心に不安がよぎる。

『わたしを捨てた場所をあの男は知っている。あの町の大人たちに聞けばこの街のことも知られてしまう。まさか・・・』

 そこまで考えて、さすがに馬鹿らしくなった。人さらいの2人はどちらも”あの男”とは似ても似つかない顔をしていた。わざわざ人に頼むわけがない。そんなことをしたら儲けが減ってしまうはずだ。善意で人をさらったり売ったりするヤツがいるもんかというわけだ。

 ノイレンは馬鹿な考えを吹き飛ばすようにぶんぶんと大きく頭を振った。

「な、わけないか。」

次回予告

水浴びしてさっぱりし、人さらいたちも撒いたノイレン。意気揚々と朝市へ出かけた。ところがいつもと様子が違う。どこの市場へ行っても大勢の自警団が目を光らせている。昨日ノイレンに痛い目に遭わされたボンボンが手を回していたのだ。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第七話「そうそう、ノイレンちゃん。」

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