59「そうだ、手紙を書くってのはどうだ。」
キリオスたちとの立ち合いから半年ほどが経ち年が明けた真冬。
その間もノイレンとトレランスは月に1~2度のペースであちこちの道場へ他流試合をしに出かけた。
寒空の中2頭の蹄の音がポクポクと澄んだ空気に沁みていく。あれからノイレンは馬の操り方を教わり、立ち合い行脚に行くときは馬を借りている。
「今日の相手はどうだった?面白かったか。」
「面白くない!気持ち悪いし、悔しいし。剣の腕はそうでもないのに、体がぐにゃんぐにゃんてまるでシャクトリムシじゃん。」
今日の相手は街から小一時間ほど離れた場所に一人で住んでいる風変わりな剣士。
「アレなあ、俺も初めて立ち合ったときは気持ち悪くて背筋がゾワゾワした。」
「でしょ!あの人絶対シャクトリムシが人間の皮被ってんだよ。それでさ、どれだけ攻撃しても全部避けられちゃうんだもん、すっごい悔しかった。」
「だろ、だから連れてったんだ。ノイレンなら悔しがるだろうって思ってな。」
トレランスはイタズラっぽく笑ってる。
「なにそれ!師匠意地悪じゃん。」
ノイレンはぷうと頬をリスのように膨らませて横目で師匠を睨む。
「あはは、でも勉強になっただろ。それに最後はしっかり一本決めて勝ったじゃないか。」
「勉強にはなったけどなんかすっきりしない。」
ノイレンは釈然としない表情で目線を左上に向けて空を眺める。
「立ち合ってる間ずっと悔しいって顔に出まくってたからな、ノイレンの顔面白かったぞ。」
「斬るよ。」
最近ノイレンは反抗期ぽくなってきたようでトレランスは軽口が叩きづらくなってきた。
「あはは、冗談だって。それはそうとだいぶ(馬を)乗りこなせるようになったな。」
「そりゃね、毎回同じ馬さんを借りてるから。こいつわたしと気が合うみたい。」
馬の背に揺られながら左手で馬の首を優しく撫でるノイレン。あっさりと話題転換で誤魔化されるところは可愛げがある。
「ぶふふんっ。」
首を撫でられて馬がくすぐったいとでも言いたげだ。すると隣にいるトレランスの馬がジェラシー。
「ぶふぅんっ!!」
「おおい暴れるな、どう、どう。」
トレランスが手綱を引いて馬を諫める。
「こいつノイレンが乗らなくなったから妬いてるぞ。」
トレランスがニカっと笑いながらノイレンに話しかけると、「ぶひっ!」と背中のトレランスを睨んだ。
「馬さん怒んないで。あとで乗ってやっから。」
「ぶひぃん?」
「約束!」
トレランスの馬は機嫌を直したようで前を向いてポクポクと歩を進めた。
「ね、師匠やっぱり馬さんに名前付けてあげようよ。」
「ノイレン1号という立派な名前があるじゃないか。」
「斬るよ。」
ノイレンはまたジトっとトレランスを横目に見る。
「あはは、ノイレンも言うようになったなあ。」
トレランスは馬に揺られながら空に向かって高笑い。その頬に冷や汗がタラリと流れていった。
貸し馬屋に馬を返し家路につく。さっきの約束どおりノイレンが跨がりトレランスは横で歩いている。気のせいか馬がとてもはしゃいでいるよう。足取りがトレランスの時よりも軽やかでまるでダンスのステップを踏んでいるように歩いていく。背に乗っているノイレンの体が小刻みに上下する。
「こいつ、とんでもなくあからさまだな。馬肉にしちまうぞ。」
横を歩くトレランスがわざと大きな声で言ったものだから、ばふっと馬がしっぽで彼の背中を叩いた。
「うわ、こいつめ。」
「ぶふぅん!」
馬の横顔が笑って見える。
家に着くとノイレンは厩に連れて行き優しくその体を撫でながらいたわる。
「今日もありがとね、馬さん。」
すると馬は「ぶふぅん」とノイレンの頭に鼻面を押し当てて息を吹きかけた。今はポニーテールじゃないのにそれまでと同じようにノイレンをからかう。
「うわっ、またやったな!馬肉にしちまうぞ。」
ノイレンは両手で髪を押さえながらぷうと頬をリスのように膨らませて馬を睨む。
「ぶひひぃん!」
馬は蹄で地面を掘るようにかきかきしてニカっとその鼻面をノイレンに向けた。
「おまえ、ほんとは人間だろ?」
ジト目を返すノイレン。
「おかえりなさいませ、先生。」
ギルド学校の仕事を終え先に帰宅していたアニンが出迎えた。
「ただいま。」
「夕飯できてますわ。冷めないうちにどうぞ。そのあとお店なのでしょう。」
「あ、いや今日は休みにしてもらったんで、」
と言いかけたら、
「じゃあ、今夜は私と2人でゆっくり過ごしてくださるんですね。」
アニンは顔をほころばせて喜ぶ。
「あの、1人忘れてません?」
「誰かいましたっけ?」
トレランスは背筋に寒いものを感じた。
「違いますわ、何度言ったらちゃんとできますの?」
アニンが荒れている。トレランスがノイレンを押し付けて自室に逃げたからだ。
「カーテンだかなんだか、そういうのはどうでもいいって言ってんじゃん。わたしは読み書き計算を覚えたい。」
「カーテンじゃありませんカーテシーです。前の膝を軽く曲げるだけで背筋は伸ばしたまま、目線だけ下げるのです。あなたのはダンスの際にやってる適当なものでしょう。」
ついノイレンに当たってしまう。
「なんだと、適当なんかじゃねえ、見てくれてるお客さんたちに失礼だろ。」
「ならカーテシーをきちんと身に付けなさい。そうすればお客さんたちもあなたに一目置くようになりますわ。」
「お客さんたちはぶっきらぼうなわたしがいいって言ってくれてんだ。こんなしゃっちょこばったのなんか要らない。」
「しゃ・・・なんですの、それ。そういうわけのわからない言葉を使うものではありません。カーテシーを身に付けておけばいざというときあなたの助けになります。」
「へっ、そういう時はこいつがあるから大丈夫!」
ノイレンは腰のサーベルをぽんと叩く。
「なんでもかんでも剣で解決しようとするのは三流のやることです。できるだけ(剣を)抜かずに済ませるのが一流(の剣士)というものですわよ。」
「ぐっ、」
三流と言われノイレンは言葉に詰まる。常日頃トレランスに一流を目指せと言われているから言い返せなくなった。
「ほらもう一度やってごらんなさい。あなたならちゃんとできるはずです。」
ノイレンはスカートの中ほどを両手でつまみ、左足を右足のうしろに下げると、ぷうと頬をリスのように膨らませて右ひざを軽く曲げ体を上下させた。
「ノイレン!」
アニンがぷくっと頬を膨らませて叱る。
後日シャルキーズカバレにて。
ノイレンもすっかりこの店のダンサーの1人として看板を並べているが、踊るのはラクスのステージの合間に一度だけ。「もっとやりたい!」とシャルキーに談判したが「あんたの仕事は給仕だよ。」と一蹴された。それでも毎夜踊れるだけでノイレンは気分がいい。自分で稼いだお金で買ったお気に入りのオレンジ色の衣装、お母さんの形見のような忘れ草の刺繍を入れた衣装、それを着て目いっぱい踊ると心が弾む。たとえ昼間立ち合い行脚でボロ負けして悔しくて仕方ないときでもその衣装に身を包んで踊ればまた前を向いて立ち向かう勇気が湧いてくる。
しなやかな動き、手足が滑らかに波打つ。上体を小刻みに震わせるとノイレンの小ぶりな胸も揺れる。腰を打つのも艶っぽくなってきた。スケベな客どもはラクスのときのように鼻の下を伸ばしている。
演奏の終了とともにぴたりと動きを止めて前を向くノイレン。両手で衣装のスカート部をつまんで持ち上げると左足を右足のうしろへ下げて右ひざを軽く曲げ、体を上下させてにっこりと微笑んだ。
「いいぞ、ノイレン!」
ジョッキを打ち合わせたり、拍手したり、指笛を吹いて囃し立てたり、客たちが皆笑顔でステージを降りるノイレンを迎える。ノイレンは端から順に客席を回っていく。演舞後のあいさつも慣れた。
「今日はいつもと最後の挨拶が違ってたな。」
「なんかスゲーお嬢様って感じだったぜ。」
「ほんと?実はわたしお嬢さまなんですのよ、おほほ。」
トレランスの前でアニンがくねくねするのを真似てお上品に笑ってみた。
「ワッハハ!なんじゃそりゃ、ケツがムズ痒くなるからやめてくれ。」
常連の容赦のない言葉に目を大きく丸くして真っ赤になる。
「ふん!もうやってやんない。」
口を横に平たく開いて「いーだっ」と舌を出した。
「そう、それ!ノイレンはそうでなくちゃな!」
常連たちは気持ちをストレートにぶつけてくるノイレンを気に入っている。皆ごつい指や節々の張った指を「いーだっ」に突き出して喜ぶものだからノイレンは面白くない。ぷうと頬をリスのように膨らませてドカドカとテーブルを回っていく。
「あっははは。」
今夜はどのテーブルでも最後の挨拶がいつもと違い、どこかのお嬢様ぽくてよかったと褒められた。けれどそれはあくまでもダンスの所作の一つとしてだ。「おほほ」なんてやろうものなら笑い飛ばされた。
『ったく、どいつもこいつも、わたしがお上品にすると笑いやがって。でも、カーテンは評判いいな。あとでおばさんにお礼言うかな。』
たくさんのチップで一回り大きくなった胸を揺らしながらそんなことを思うノイレンだった。
「ノイレンちゃんも稼ぐようになったねえ。」
奥の部屋で衣装の中に差し込まれたチップを抜き取っていると、ラクスがテーブルに置いてあるお菓子をひょいぱくひょいぱくと口に放り込みつつしぼんでいくノイレンの胸を見て冷やかしてきた。
「まあね。でももっといっぱい、ラクスくらい稼げるようになりたいな。」
チップを全部抜き終えると胸まわりの"お肉"を寄せ集めて形を整えつつ返事した。
「人前で踊るようになってまだ1年でしょ。それだけ稼げれば大したものよ。」
「そうかな。」
「そうよ、もっと自信持ちなさい。」
「うん、ありがと。」
「さあて、ママが来る前に行こっと。」
相変わらずお菓子を口に含んだまましゃべってるラクス。
「話すか食べるかどっちかにおし!」
ノイレンが目を細めてシャルキーの口真似をする。
「やだ、やめて〜。」
ラクスは最後にもう一つひょいぱくと口に放り込んでステージに向かった。そのうしろ姿を見送ったあと「うしし」とほくそ笑んでいたらシャルキーが入れ替わりに入ってきた。
「何やってんだいあんた。」
シャルキーがその切れ長の目を半目にしてノイレンを見る。
「あは、あは、」
ノイレンはバツが悪くて笑って誤魔化した。
「ねえ、シャルキー、わたし紙が欲しいんだけど、帳簿に使ってるやつ一枚譲ってくれない?」
テーブルに着いて一息入れていたシャルキーにノイレンが唐突にお願いした。
「紙なんて何するんだい?」
「ちょっとね。一枚でいいんだけど。」
「紙は高いよ。あたしが使ってるのは東洋のだけど、それでもけっこういい値するよ。」
「そんなに高いの?」
「羊皮紙に比べりゃピンだけどね。」
ノイレンは考え込んでしまった。紙がそんなに高いとは知らなかった。家でアニンから書き取りを習うときは木の板を使っている。書くスペースがなくなったら表面を削ればまた使えるからだ。
「なんに使うか知らないが、要らなくなった古い帳簿のならあげるよ。何枚か裏が使えるのがあったと思う。」
「ほんと?ありがとう。」
カーテシーのことでアニンにお礼を言おうと思ったが、いつもなんだかんだで最後は口喧嘩になる。
「どうせ、『まあ、あなたが私にそんなこと言うなんて明日は嵐かしら?』とか憎たらしいことを言うに決まってる。おばさん素直じゃないからな。」に行きついて直接言うのは気が重い。だからといって何も言わずにいるのも落ち着かない。
「そうだ、手紙を書くってのはどうだ。せっかく字習ってんだし、それならムカつくツッコミも聞かずに済むしな。」
我ながらナイスアイデアと自画自賛してるとさらに思いついた。
「そうだ、あの時助けてくれたお客さんたちにも書こう。ちゃんとお礼言ってなかったもんな。それならシャルキーやチーフにラクスにも書こう。あと師匠にもついでに書いてやっか。」
それで紙を欲した。
シャルキーからもらった、まだ裏が使える紙数枚を大事に家に持って帰ったノイレンはそれをナイフできれいに切り分け、同じ大きさの紙片を10枚こしらえた。その紙片の右下にまずは自分の名前を書いた。しかし本文をどうするか困り果てた。口では言えるけど書くとなると綴りがわからない。アニンに聞けば解決するが、アニンに渡す手紙をアニンに書かせるようなことをしては意味がない。ちらとうしろに振り向く。アニンは自分のベッドで寝息を立てている。
「う~ん、どうすっかな。」
鼻と上唇の間にペンを挟んで口をとがらせて頭を悩ませた。綴りの分かる単語だけで書ける良い文言が浮かばない。
「う~ん、う~ん。」
かれこれ2時間近く手が止まっている。もうかなり夜が更けた。そろそろ寝ないと早朝の走り込みに障る。
「さっきからずっと何を唸ってるのかしら?」
ふいにアニンがうしろから声をかけてきた。
「うわわっ、」
ノイレンは慌ててそこに広げていた紙片をぱぱぱっとかき集めるとそこに突っ伏すようにして隠した。
「何ですの?」
アニンはすこし不機嫌そうな表情でノイレンが隠したものを覗こうとする。
「何でもない、何でもない。」
隠してるものを覗き込もうとするアニンの視界を遮るように体を動かしてなおも隠す。
「何でもないならさっさと寝て頂戴。いつまでもそこで唸ってるから耳障りで目が覚めちゃったじゃないの。」
「うるさくて悪かったな。もう寝るからあっち行って。」
「まあ、まるで私が悪者みたいな言い方しないでくださるかしら。安眠妨害したのはあなたですわ。」
「はいはい、悪ぅございました。」
アニンはふんと鼻息を一つ吹くと自分のベッドにもぐりこんだ。ノイレンはしばらくじっと彼女の様子を伺って、それから紙片をまとめて枕の下に隠した。
「明日考えよう。」
ランプの灯を消して眠りに就いた。
ノイレンは夢を見た。
師匠やシャルキーに手紙を渡している夢。紙面がびっしりと文字で埋め尽くされている達筆の手紙。受け取った誰もが笑顔で喜んでくれたり、達筆を褒めてくれたりする夢だ。夢の中でノイレンは充足感で心が満たされてにこにこと顔をほころばせている。次から次へと手紙を書き綴る。すらすらと長文を書いていく。と、ここでニワトリ目覚ましに叩き起こされた。
「コケコッコーー!!!」
いつもならヤツらが鳴く前に目を覚ますのに夜更かししすぎたのがきいた。
「うるさいなぁ、もう・・・」
眠い目をこすりながらベッドの上に起きあがる。頭が重い。体も重い。
「うう~、すっげぇ眠い。ふわぁ~・・・」
大きな口であくびをすると両手を上げて力いっぱいに伸びをする。おもむろにアニンのベッドを見やる。さすが朝が弱いと言っているだけあってあのやかましいニワトリ目覚ましにも負けずまだすやすやと寝ている。
ノイレンはそっと枕をめくって紙片を確かめると微笑んだ。
「よし、今日こそ書くぞ。」
小さく呟いて走り込みに行く準備を始めた。
次回予告
さまざまな経験を経て精神的にも成長してきているノイレン。口では言えないことも手紙では言えそうだと書くことにしたまではいいものの、何をどう書けばいいのかわからない。そもそも単語の綴りがわからない。四苦八苦しながらなんとか書いた手紙を10人の恩人に渡す。しかしノイレンの思いとは裏腹に手紙を受け取った皆の表情が渋い。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六十話「『ありがとう』だよ。」




