50「ノイレン!」
今宵もシャルキーズカバレは大盛況だった。
「お疲れ様。また明日。」
ラクスは他の給仕係と一緒に帰っていった。まだ1人で馬に乗れないノイレンはチーフが代わりに送ってくれることになっている。いくらノイレンがすばしっこいといっても深夜に少女が1人で夜道を歩くのは危険が大きい。
「さ、帰りましょう。」
帰り支度を整えたチーフがノイレンに声をかけた。ノイレンは返事もせず俯き加減に黙っている。
『どうしよう。あいつら待ち伏せしているに違いない。このままじゃチーフを巻き込んじゃう。』
「あなたは独りじゃない」という言葉はノイレンの心にしっかり刺さってはいるが、それでもやっぱり皆を巻き込みたくないという意地が勝る。
「どうしました?帰りますよ。」
チーフはいつもと変わらない穏やかな表情でノイレンを見る。
「あの、やっぱりわたし1人で帰る。ごめんなさい!」
そう言うと同時に走って店の外に飛び出して行った。
「待ってノイレン!」
全速力で走るノイレンの背中をチーフの声が追いかけた。
「ったく、しょうがないねあの子は。チーフすまないが追いかけておくれ。あたしも行くから。」
飛び出していったノイレンの背中を見てシャルキーは呆れる。
『ほんとに意地っ張りなんだから。』
「承知しました。」
チーフはノイレンの後を追いかけ始めた。しかしすばしっこいノイレンの背中はもう夜の闇に融けて見えない。とりあえずトレランスの家に向かう最短ルートを選んで追いかける。シャルキーは店の戸締りを済ませ、「さあ、追いかけるよ」と意気込んだその時、目の前の物陰からわらわらっと数人の男たちが現れた。驚いて身構えるシャルキー。
「誰だいあんたたち、あたしをシャルキーと知ってのことかい?」
女一人で酒場を経営するだけのことはあってシャルキーもノイレンに負けず劣らず大いに勝気な性格をしている。シャルキーはその切れ長の目を細めて男たちの顔を見た。
「あんたたち。」
真っ暗な夜道をノイレンはひた走る。彼女の心の中には”悪ガキノイレン”と呼ばれていた頃の荒んだ感情が再来していた。半分に欠けた月の明かりに雲のカーテンが薄くかかって周りがよく見えない分まるで以前いた街の通りを走り抜けているような感覚までしてきた。
『ちくしょう。』
悲しみ、やるせなさ、怒り、絶望、そしてそこから抜け出したい焦燥。それらの感情が綯い交ぜになってノイレンの心をかき乱す。
その時奴らが現れた。前と後ろから挟み撃ちにされた。
「待ちな!悪ガキ。」
前の物陰からあの目つきの悪い無精ひげがぬうっと姿を現した。
「ふざけんじゃ、ねえぞ・・はぁはぁ・・・」
ボンボンキツネがうしろから息を切らせて退路を塞ぐ。
ノイレンは前後を塞がれて足を止めた。
「店がはねたら顔貸せつったろうが、逃げてんじゃねえよ、ああ?」
ノイレンは腰の剣に手をかけた。無精ひげがニヤッとほくそ笑む。
「いいもの持ってるじゃねえか、抜けよ。これでお前を殺っても正当防衛だ。」
無精ひげも腰に剣をぶら提げていて、静かにそれを抜いた。
「お前は誰だ?」
ノイレンも剣を抜き構える。
「覚えてねえのかよ、チっ。」
ただでさえ悪い目つきをさらにゆがめて忌々しそうな表情を浮かべ唾を吐いた。
「覚えてないなんて冷たいなあ。その人はフォクサル自警団の元団長だよ。お前がおとなしくオレにボコされなかったせいで(オレの)父さんの怒りを買ってクビになったんだぞ。」
うしろを塞ぐボンボンが薄ら笑いを浮かべた。
薄暗い空き家でボンボンに「これから起こることは誰も見てません。私は夕方まで戻らないんでそれまでお好きに」と手を振って出ていった彼のうしろ姿をノイレンは思い出した。
「あの時の、」
「ちなみに今はオレ専属の用心棒さ。父さんの跡を継ぐオレのまわりもなにかと物騒なんでね。渋る父さんを説得して雇ってもらったんだ。お前のせいで無職になってかわいそうだったからさ。」
ボンボンは得意げに言わなくてもいいことまで口にする。相変わらず自己顕示欲の強い奴だ。
「坊ちゃん、そこまで言わなくても・・・」
元団長はいかつい表情で顔を飛ばしていたのに極まりが悪くなって凹む。
「あ、ごめんごめん。続けて。」
元団長は一呼吸置くと改めてノイレンを睨みつけて脅しをかけてきた。
「そういうわけでな、俺はお前を殺らないことにはどうにも収まりがつかねえ。お前の居所を知った時は神に感謝したぜ。たっぷりいたぶってから殺してやるから楽しみにしてろ。」
「へっ、殺れるもんならやってみろ。」
ノイレンはタキーチと初めて戦った時とは違ってにやつきもせず真顔で言い返した。
「おっと、いいのかなそんなこと言って。大人しくしないとこいつがどうなるか分かってんだろ。」
見るとノイレンのうしろにいるボンボンがロープで縛り上げたポルターを連れている。
「ノイレン・・・」
ポルターはノイレンと目が合うと情けない声を上げた。
「ポルター!」
ノイレンは思わず構えた手を下げてしまった。そこに元団長の凶刃が走る。剣筋はノイレンのポニーテールを捉えた。
ノイレンの、生まれてから一度も切っていない、おしりまである長い髪が宙を舞う。束ねていた根元からばっさり切られ、夜空に舞ってはらはらと漆黒の地面に吸い込まれるように落ちていく、周囲の暗さにも負けない深い黒髪が・・・。
ポニーテールを失くしたノイレンの頭は散切りのようなショートヘアになってしまった。ノイレンは元団長の剣を避けたつもりでいたが頭が軽くなったのを感じて何が起こったのか理解した。地面に散乱する自身の髪を見てわなわなと怒りにその身を震わせた。
一度ならず二度までもこいつらにお母さんとの思い出を奪われた。
生まれてから一度も切ったことのない長い髪。幼いころお母さんが櫛で梳いてくれた黒い髪。ボンボンに思い出の服を燃やされたあとは唯一のお母さんのぬくもりの残る、ノイレンにとって命の次に大切な髪だった。
「このやろうっ!!」
ノイレンは目と眉を吊り上げて元団長に突進した。
「ふん、俺に敵うとでも思ってんのか。」
元団長は自信たっぷりに剣を構えてノイレンを迎え撃つ体勢を整える。はみ出し者を中心に集めた自警団の頂点に立つにはそれなりの実力がなければ勤まらない。
まっすぐ突っ込んでくるノイレンがそのまま体のひねりを使って剣を突き出してくるのを剣で払いつつ応戦する。ノイレンは相手に反撃の隙を与えないよう手首の返しでサーベルを回転させるように連続して斬りかかる。2人の刃と刃が火花を散らす。刃がぶつかり合う音が響くとき一瞬だけ放たれる輝き、それに浮かび上がる2人の顔。怒りの炎を燃やすノイレンと対照的に元団長は薄ら笑いを浮かべている。どうやってノイレンを料理しようか楽しんでいるようだ。しかし彼のその余裕も長くは続かなかった。
元団長はノイレンを斬る前にたっぷりいたぶろうとするあまり彼女の実力を見誤った。ノイレンは大切な髪を切り落とされて怒りに包まれているとはいっても冷静さを失ってはいない。師匠の教えを肝に銘じている。どんなときも団長の動きから目を離さない。彼に背を向けているときも意識はそこにいる彼を見ている。
元団長が剣を構えるとノイレンはそれを崩すためにわざと彼の懐に飛び込む。つま先で軽やかに、ステップを踏むように舞った。
「ふざけんてのか、このアマ!」
ノイレンの踊るような足取りにバカにされているような気がして苛立った。
「そこかっ!」
彼がノイレンを斬ろうと剣を振ればスっと身をかわす。まるで猫のようだ。彼の剣はまったくノイレンにかすりもしない。だがノイレンは身をかわす際に彼の体にその剣先を食い込ませる。タキーチとの戦いでノイレンが自然と身に付けた戦法。ポルターを助け出すためにも本当は師匠のように一度の斬撃で仕留めたいが元団長もそれなりの使い手、なかなか有効な一撃を入れさせてくれない。だから少しずつ手負いにすることで勝機を見出そうとした。いつの間にか元団長の体中に切り傷が無数について彼の服が血に染まってきている。
「このアマちょこまかと、」
徐々に体力を奪われている元団長はノイレンの素早い動きについていけず翻弄される。うしろで見ていたボンボンが業を煮やして叫んだ。
「何やってんだよ、さっさとしろよ!」
そしてノイレンの注意を引くべくボンボンがポルターの喉元にナイフを突きつけた。
「ノイレン!自分の立場分かってんのか?!こいつがどうなってもいいんだな。」
刃先が食い込んだところに血の玉が浮く。
「汚いぞっ。」
ノイレンは元団長から意識を逸らしてしまった。
「うわっ。」
ノイレンの背中に痛みが走る。さすが元団長傷つきながらも一瞬の隙に剣を走らせた。ノイレンはサーベルを地面に突き立てて体を支えなんとか堪えるがその顔が苦痛に歪む。
「アハハハ、そうそう、そうでなくちゃ。いいね、もっと苦しめ、お前のそういう顔が見たかったんだ。」
ボンボンはまるで大道芸を楽しむ子供のように笑う。ノイレンはポルターに目をやると安心させるように微笑んだ。
「ポルター、今助けるから。」
しかし怯え切ったポルターの耳にノイレンの声は届かなかった。首筋にナイフを突き立てられて生まれて初めて死の恐怖を感じた上に、大好きな女の子が目の前で殺し合いをしている。次第に血にまみれてくる元団長。背中を斬られ裂けた服から見えるノイレンの白い肌と赤い血のコントラスト。その目に飛び込んできたのはポルターにとって地獄絵図そのものだった。
ノイレンはポルターの怯え色に染まる目を見つめると元団長に視線を戻した。ノイレンの瞳に悲壮の色が加わった。
「絶対に許さない。」
ノイレンの表情が引き締まる。
「それはこっちのセリフだっ!」
元団長は再び剣を振り上げて襲い掛かってくる。それを受け止めて対峙するノイレンの耳にポルターの悲鳴が飛び込んできた。
「うああっ!」
ポルターの首筋に当てられていたはずのナイフが彼の耳に半分食い込んでいる。耳をそぎ落とそうとしている。赤い血がいく筋も首を伝って流れ落ちる。
「やめてっ!!」
ノイレンは元団長と剣を交えたまま叫んだ。
「どこを見ている、お前の相手は俺だ!」
元団長は力任せに剣を振り下ろした。ノイレンは咄嗟にうしろに引くが切っ先が彼女の胸を捉えた。服が破れ白いふくらみが垣間見える。元団長はその柔肌にいやらしい笑みをニヤリと浮かべると一歩踏み込んで振り下ろした剣をそのまま振り上げた。ノイレンはそれをバク転で躱すと着地と同時に曲げた膝をばねに元団長のもとへまっすぐに剣を向けて飛び込んだ。背中の痛みと怒りでまるで鬼のような形相をしている。
「ぐあっ、」
ノイレンのサーベルが元団長の腹に突き刺さった。腹に鋭い痛みが走る。腹が熱い。サーベルの刃が腹に深々と突き刺さっている。ノイレンは左手を柄に添えると力の限りに元団長の腹に刃を突き込んだ。
「うがぁっ!」
刃が彼の体を貫いた。サーベルの切っ先が彼の背中から姿を見せる。
「このア、マ・・・」
元団長は全身の力が抜けてストンと落ちるようにその場に膝を折って崩れた。ノイレンは彼の胸に足をかけると力いっぱいにサーベルを引き抜く。刃の抜けた傷口から鮮血が噴き出す。ノイレンは返り血の化粧を全身にまとった。
その姿はまるで血まみれの鬼姫だ。
ノイレンはその真っ赤に染まる悲しくも勇ましい形相をボンボンに向けた。
「うひゃあ、わあ、く、来るな、こっちに来るなっ・・・」
元団長が殺されるのを目の当たりにしたボンボンは恐れをなし、ノイレンに向けてナイフを闇雲に振り回す。ポルターの耳からナイフを抜くとき彼の耳が千切れて飛んだ。ポルターは頭を突き抜けるような痛みに転げてのたうち回る。
「ポルター!」
ノイレンはポルターのもとへ駆け寄る。ボンボンは腰が抜けてその場に尻もちをつき足をばたつかせている。
「うわああ~、来るな!来る、な・・」
ボンボンはあまりの恐ろしさに失神してしまった。泡を吹いて白目をむいている。
「ポルター、ポルター!」
駆け寄ったノイレンは彼を抱き起こすとロープを切り、ソードベルトに巻き付けてあるカチーフをほどいて彼の傷口に押し当てた。
「こうしてれば血は止まるから、ポルター!」
何度も彼の名を呼ぶが彼の耳にノイレンの声は届かない。
「ポルター!!」
ノイレンは彼の頬に手を当てて目と目を合わせる。ポルターの目に”血まみれの鬼姫”が映った。
「うわああ!!」
恐怖でノイレンを拒絶し、彼女の手を払い除け転がりながら這うようにその場から逃げ出した。
「来るな!来るな!」
「ポルター・・・」
ノイレンは自分を見て怯えるポルターの姿に深い絶望と悲しみを覚えた。心がボロボロと崩れていきそうだ。ノイレンの頬に涙が一筋流れた。
ノイレンはその涙を腕で拭うと泡を吹いて気絶しているボンボンの横に立ち柄を両手で握り剣を振り上げた。ボンボンの首を落とすつもりだ。剣を握る両腕を振り下ろそうとしたその時シャルキーの怒号が轟いた。
「やめないかっ!!ノイレン!」
ノイレンは両腕を振り上げたまま声の飛んできたほうを向いた。シャルキーにチーフ、そしてカバレの常連たちがそこにいた。
しかしノイレンはためらうことなく振り上げた腕を、剣を彼の首めがけて振り下ろすべく再びボンボンに視線を移して腕に力を籠める。
「ノイレン!」「嬢ちゃん!」「ノイちゃん!」「やめてくれっ!!」
常連たちが一斉に叫んだ。ノイレンの手が止まる。ノイレンの目から大粒の涙があふれてきた。
「なんで、」
ノイレンは手を振り上げたまま皆のほうを向いて涙を流す。
「みんな、どうして・・・」
シャルキーが足早にノイレンのもとへ駆け寄りしっかりと血まみれのノイレンを抱きしめた。
「なんで、どうして?」
「あんたは独りじゃないって言っただろ。」
ノイレンを抱きしめる腕に力を籠めてもっとしっかり抱きしめた。ノイレンの手からサーベルが滑り落ち泡を吹いて気絶しているボンボンの顔の横にまっすぐ突き刺さった。
ノイレンの顔がぐちゃぐちゃにゆがむ。大粒の涙がとめどなくあふれてくる。
「うわああ、」
シャルキーに抱きしめられながらノイレンは大きな声を上げて泣いた。
次回予告
悲しみと絶望に押し潰されたノイレン。フォクサルに行っていたトレランスが帰ってきた。点と点が線でつながり誰もが事件の真相を知ることになる。そしてそれが恋と自覚していたわけではないけれど、失って初めて心に占めていた大きさに気づいたノイレンはぽっかり穴が開いた虚ろな心を抱えて日々を送る。そしてその失意から這い上がろうと模索し始める。少しずつ無自覚に前を向き始めたノイレンは街の道場で師範代を務めるクルルトと出会う。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第五十一話「やっぱり。」




