5「今日という今日はもう許さないよ。」
人気のない裏通りを選んで街外れにある別の隠れ処へ向かう道すがら、むしゃくしゃした気分が晴れないノイレンは足元に転がる石ころを蹴飛ばしながら歩いていた。この裏通りは出入り口に明かりを灯すところも少なく暗い上に日も暮れて、もし誰かがいてもよほど近づかないと顔をはっきりと見ることができない。あまり人と出くわしたくないノイレンにとっては好都合な通りだった。夕闇が彼女の身なりを隠してくれた。誰かとすれ違ってもその人に”札付きの悪ガキ”と気付かれる心配もまずない。
蹴飛ばされた石ころは周りにある建物の壁にカツン、カツンとぶつかっては跳ねて飛んでいく。石ころが跳ねる乾いた音だけがその淋しい裏通りにこだまする。
『いいことをしたと思ったのに、なんだか踏んだり蹴ったりだったな、今日は』
病気のお母さんを抱える小さな子どもを見るに見かねて手をさしのべて久々に晴れ晴れとした気分を味わったというのに、有力者のボンボンのせいで隠れ処を1つ失うし、さらにうっかり教会を目にしてしまったために嫌な過去を思い出してしまうし、おかげで黒いモヤモヤが心の中の晴れ模様を一転させた1日になってしまった。
朝市で栄養たっぷり間違いなしの魚をあの小さな子供のために盗ってきてあげたことはノイレンの中では善行だった。自分がお母さんの看病をしていた時はそんな贅沢なものを食べさせてあげることなんて滅多に出来なかったから彼女の中では罪滅ぼしのような感情もあった。
街外れの隠れ処に転がり込むと腕枕で寝転び、時折人差し指で鼻をさすりながら薄暗い中空をぼんやり眺めている。
『あのお母さん良くなるといいな』
黒いモヤモヤをかき消そうとそんなことを考えていたらまた過去の記憶が次々と浮かんできてしまった。どうやら今日は辛い思い出をとことん噛み締めないとならない日みたいだ。
* * *
ノイレンを保護した神父が「神は見返りを求めることはありません。祈りを捧げただけ慈悲をくださいます」と言えば、6歳のノイレンは「祈りという見返りを求めてるじゃないか!」とツッコみ返す。「神に感謝するように町の人々にも感謝の心を持ちましょう。」と神父が町の人々に悪さをしないよう諭すと、ノイレンは険しい目つきで「なんで?」と返す。神父は大まじめな顔で「感謝の心を持てば皆貴女を愛してくれます。」と教科書にでも書いてありそうな回答をする。
「気持ち悪いんだけど、うえっ。」
神父がああ言えばこう言い返す。それだけじゃない。神父の"響かない言葉"がノイレンには煩わしくて耳障りだった。聞くとイライラした。
だからノイレンは生来の負けん気の強さを間違った方向に発揮してあらゆる悪さをした。そうすれば大人に踏みにじられることもなくなると思った。
ノイレンは神父の目を盗んで燭台など教会の物を持ち出しては、「神父さんがこれで小麦をくださいと言ってます。」と神父が金品に変えてくるよう頼んだと嘘をついて売り払ったり、
町中に出かけては「神父さんの具合が悪くて寝てるから滋養のあるもの食べてもらいたかったの。」と人を騙したり、隙をついて盗んだり、
時には力ずくで奪い取るなどして、"小さな子どもが大人に頼らず生き抜くための術"を身に付けていった。
「さあもう逃げられないぞ悪ガキ。盗ったものを返すんだ。そうすれば穏便に済ませてやる。」
すれ違いざまに手に持っていたパンを入れていた袋をひったくられた大人がノイレンを追いつめた。
「そんなこと言ってあとでボコボコにするつもりだろ!!その手に乗るか。」
ノイレンはパンの入った袋を左手で抱え、右手で石ころを掴んで投げつけた。
「この、まだ小さいガキだと思って情けをかけてやってるのになんてヤツだ。」
「へっ!子どもだからってばかにすんなよ。」
悪行を大人たちに咎められると食ってかかる。もちろん素手では敵わないから石ころや棒切れを武器にして対抗した。ノイレンは同じ年頃の子どもよりも身体能力が高く、すばしっこい。
手を焼いた大人たちは神父のもとへ詰めかけた。
「神父さん、あなたがあの子を不憫に思う気待ちは分かるが、ものには限度というものがある。」
「今日という今日はもう許さないよ。」
「あなたがちゃんと罰を与えられないなら私らが与えてやるしかない。」
町の人々がノイレンを懲らしめなければと口々に囃し立てる。その度に神父は頭を下げ、大人たちに"神のような慈悲深さ"を求めた。
「みなさんのお怒りはごもっともです。神は皆さんの辛抱強さをさぞ賞賛なさっていることでしょう。」
「ノイレンはとんでもない仕打ちを受けてここに捨てられていた子です。あの子を慈しむことこそ神が私やみなさんに求めることです。」
「どうか、神の御心に従ってあの子を、ノイレンをみなさんの慈悲で救ってあげてくださいませんか。」
町の大人たちには神父の優等生な言葉が通じた。神父が自分たちに頭を下げて懇願する姿に結局毎回何も言えなくなって解散した。
そのあとは決まって神父はノイレンに”教科書通りのお説教”をした。
「さあノイレン、懺悔しましょう。悔い改めることで神が町のみなさんとの仲を取り持ってくださいます。」
ノイレンは口を横に大きく開いて「いーだっ!」と反抗するだけだ。神父の言葉はまったく響かない。
「嗚呼、貴女の心はどうすれば暖かく溶けるのでしょうか。」
そうやって神父が困れば困るほどノイレンは自力でどうにかできてると、大人に頼らずにできてると錯覚した。神父という隠れ蓑に都合良く甘えつつ道から外れたそんな生活を繰り返して一年ほど経つ頃とうとう大人たちによってノイレンは町から追い出された。
「ノイレン、私は明日から3日間ここを留守にします。隣の大きな街にいらっしゃる大司教様からお呼び出しがありました。貴女をここに独りで置いていくのはとても心配ですから本当は連れて行きたいのですが・・・」
「行きたきゃ1人で行けばいいじゃん。知らないね。」
神父は心配そうな表情でノイレンに話しかけるが、ノイレンは神父の顔を見ないように体の向きを変える。そして一心にナイフで木の棒を削っている。そのノイレンの背中に神父は、
「そう言うと思いました。なので町の人にお願いして3日間貴女を面倒見てもらうことにしました。」
「はあ?」
ノイレンはいかにも面倒くさいという目つきで神父に顔を向けた。神父は笑顔になって続けた。
「ちゃんと言うことを聞いていい子にしているのですよ。約束してください。」
「やだね。」
そういうとまた木の棒を削り始めた。
「さっきから何をしているんです?危ないですよ。」
「うるさいな。」
神父はノイレンに聞こえないよう静かにため息をつき、またノイレンの背中に向かって言った。
「では行ってきます。くれぐれも問題は起こさないようにね、お願いです。」
ノイレンはそれ以上何も答えずにひたすら木の棒を削っている。近所の男の子たちと騎士団ごっこをしていた時のことを思い出して木剣を作っていた。ただの木の棒よりそのほうが大人たちへの威圧になると思ったのだ。
神父はノイレンを残していくことにうしろ髪を引かれながら出かけていった。神父の足音が聞こえなくなるとノイレンはチラと視線をあげた。その目にちょうど教会の門の外に出る神父の背中が見えた。それがその神父の姿を見た最後になった。
神父が隣街へ出掛けていってしばらくした頃、町の大人たちが10人ほど教会へやってきた。体の大きな男たちだ。彼らの殺気だった雰囲気に危うさを感じたノイレンは作りかけの木剣を手に目をつり上げて睨みつけた。
「何をすっ、やめろ!」
ノイレンは作りかけの木剣を振り回して抵抗するが屈強な男10人に囲まれてはとてもじゃないがいくらすばしっこくても全員を躱しきれない。すぐに捕まり、木剣は折られてしまった。男たちはノイレンの頭に麻袋を被せたあと彼女の手足を縄で縛って馬車に乗せ、神父が向かった隣街とは反対方向にある遠い知らない街に連れて行った。
その日の夕方ノイレンを乗せた馬車は遠く離れた街に着いた。ここまで彼女を連れてきた大人たちは3人。そのうちの1人が頭に被せた麻袋はそのままに彼女の手足を縛っている縄だけ解いて街外れの荒地に放り込んだ。その様子を見ていた別の男が縄を切った男に言った。
「おい、なにも縄を切らなくてもいいだろう。あのガキすばしっこいんだぞ。そのままうっちゃっとけばいいのに。」
縄を切った男は答えた。
「さすがにあのままじゃすぐにおっ死んじまうだろ。お前人殺しになりたいか?」
「それは嫌だ!」
尋ねた男は逃げ腰になった。
「それに神父さんがオレたちに頼んだのはあのガキの面倒だ。オレたちはあくまでもアイツの面倒を見たってことにしておかないとな。」
するともう1人の男が口裏を合わせるように言った。
「俺たちは神父さんの言うことを聞かず悪さをするあのガキを懲らしめただけだ。ガキは頭にきて勝手に町を出て行った。」
縄を切った男が尋ねた男の肩をぽんと叩いて頷いた。
「そういうことだ。」
日ごとに暑さが増してきている初夏、ノイレンはまた知らない街に捨てられた。
次回予告
初夏、ひと月以上も体を拭いていないため臭っていたノイレン。このままでは日々のサバイバルにも悪影響を及ぼすからと朝飯の調達前に久々の水浴びをしにでかけた。ところが一糸まとわぬ姿でいるところを人さらいたちに目を付けられてしまう。自分の容姿に無頓着なノイレンは人さらいたちの目的が何であるかわかっていない。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第六話「な、わけないか」