4『いーだっ!』
自警団を撒いたあと12歳のノイレンはそこから一番近くにある隠れ処に向かった。隠れ処の側まで来ると中から複数の声と物音が聞こえてきた。ノイレンは足音を潜め静かに近づく。彼女は同じような境遇で生きている子どもにさえも隠れ処のことは教えていないし、中に入れたこともない。そんなことをして幾人もの子どもが出入りするようになるとそこから"アシ"がついて隠れ処のことが大人たちにバレてしまう。それはノイレンにとって安心できる場所を失うことを意味するからだ。
『どこのどいつだ、中にいやがるのは。』
場合によってはここは放棄しなければならない。ぱっと見はそれとは分からない出入り口の側まで来ると中に耳を澄ませた。
「ったく、父さんも母さんもいちいちうるせえんだよな。」
「ほんと、ほんと。」
「あーしなさい、こーしてはいけませんとかよ。」
中にいたのは街の上級民街に住む2人の少年たちだった。1人は街の有力者のボンボンで年はノイレンより2つくらい上。いわゆる反抗期で”とっぽい”のをかっこいいと思い込んでいるバカ息子。顔つきはずる賢い感じで、動物に例えればキツネのような吊り目でひょろっとしている。もう1人はその取り巻きの中に見かけるやつでこちらはイタチを丸顔にしたようなぽっちゃりした少年。ノイレンはイタチを含む取り巻きたちがキツネをチヤホヤしてるのを街中で見かけたことがある程度で、彼らとは話をしたことはなかった。
『なんでアイツらがいるんだ?』
ノイレンは勢いよく中へ躍り込み目をつり上げて怒鳴りつけた。
「お前ら!だれがここに入っていいと言った?!」
「わっ、ノイレン!?」
取り巻きのイタチはいきなり躍り込んできたノイレンにびっくりして飛び上がり硬直した。直接の顔見知りではなくても彼らもノイレンの噂は耳にしている。それだけノイレンはこの町では有名な"悪ガキ"だった。
「へえ、こいつがあのノイレンか。小汚いやつだなあ。」
ボンボンキツネは着の身着のままのノイレンを上から下までジロジロとまるでゴミでも見るかのように見下した視線で舐め回した。確かにノイレンは彼の言うとおり小汚い。身寄りも何もないホームレスだし、服は身につけている一着しか持っていないからこまめに洗濯などできない。それに比べてボンボンキツネは一目でそれなりとわかる上等で綺麗な服を着ている。それにノイレンはひと月以上体も拭いてないから臭っている。後頭部の高い位置で縛って垂らしている髪も汚れでごわごわだ。
「なんか臭いぞこいつ。」
ボンボンキツネは右腕で鼻を覆って顔をしかめた。
ノイレンは取り巻きイタチを横目に、ボンボンキツネの前へまっすぐ歩み寄ると彼を見上げ、彼に負けないくらい目を吊り上げて睨みつけた。ノイレンは12歳の女子にしては背の高いほうだが彼のほうがそれでもいくぶんか高かった。
「私がいつあんたらにここを使っていいと言ったんだ?ああ?」
「ああ?ここ、お前の場所だってのか?」
不遜な態度で迫ってくるノイレンにムッとした表情を浮かべてボンボンキツネが吊り目をさらに吊り上げてぶっきらぼうに言った。誰に向かって口を聞いているんだと言いたげだ。
そのボンボンキツネに代わって取り巻きイタチが横から口を挟んできた。
「オレたちもう家には帰りたくないんだ。それで行くとこがなくて。ここはホントたまたま見つけたんだ。いさせてくれないかな、ここにさ。」
ノイレンはおどおどしながらそう言った取り巻きイタチのほうに向き直り詰め寄る。
「ここはわたしだけの隠れ処だ。誰にも使わせない!」
「ごめんよ。でも・・・」
「”でも”じゃないよ!いろんなヤツが出入りしてたらすぐに大人たちに見つかっちまうだろ。」
するとボンボンキツネが嘲るような口調でノイレンを見下す。
「なんだよ、ケチくさいな。少しくらいいいじゃないか。どうせお前なんかあちこちに隠れて住んでるくせに。」
ドスっっ!
ボンボンキツネの上から目線の物言いが終わるや否やノイレンのパンチが彼の腹に綺麗に決まった。ボンボンキツネは腹を押さえてかがみ込む。隣にいた取り巻きイタチはびびって膝を小刻みに震わせながらもキツネのために必死に抗議した。
「なにも、殴らなくても、いいじゃないか・・・」
ノイレンは握った拳をイタチに見せつけながら彼の顔にぐいっと額を寄せて上目遣いに睨んだ。
「あんたも欲しいか?」
「ヒィィっ」
取り巻きイタチは両手を自分の顔の前に持ってきてノイレンがそれ以上近づけないよう遮りながらぷるぷると震え、怯えのあまり失禁してしまった。
「うわっ、汚えな!」
そそっとイタチから離れてノイレンはボンボンキツネの方に向き直り、腹を抱えてうずくまっている彼に忠告した。
「わたしの仲間だと勘違いされて自警団に捕まりたくなかったらさっさと出て行きな!自警団に捕まったらこんなんじゃ済まないよ。」
するとボンボンキツネはうずくまったまま頭を上げて勝ち誇ったように「フッ」とニヤついた。そしてノイレンの言葉に水を差した。
「残念だったな、自警団はオレには手を出せやしないぜ。出せばどうなるか知ってるからな。」
さらにこうも付け加えた。
「このことは父さんに言いつけてやるからな。覚えてやがれ、この臭えゴミくずが。」
ノイレンはすかさずツッコミを入れた。
「へっ、家に帰りたくないやつがどうやって親に言いつけるんだよ?」
ボンボンキツネは矛盾を突かれて口ごもってしまった。実に悔しそうな顔をしている。
「ふんっ。」
ノイレンは薄っぺらいやつらだと言わんばかりの目つきで2人を一瞥してそこを出て行った。
「ちくしょう、あそこはもうダメだな。一つ(隠れ処が)なくなっちまったな。」
ふてくされながら歩くノイレンの行く手に教会の屋根が見えてきた。てっぺんについている十字架が午前の光を受けて輝いている。するとノイレンの足が止まった。一瞬躊躇したあと”それ”は見なかったことにして教会とは反対方向へ踵を返して歩き出した。普段はそれが見えるところまで近づくこともないのだが、この時はむしゃくしゃさせられたこともありうっかりしてしまった。
12歳のノイレンには一箇所だけ今でも近寄れない場所が街の中にある、教会だ。
彼女が今いる街は6年前に父親とその愛人に捨てられた町とは違う別の場所だが、この街でも教会にだけは近づけなかった。いや、近づきたくなかった。
それは神父の姿を見ると無力なくせに都合良くわがままに振る舞っていた自分を思い出して、ぶつけようのない憤りに苛まれるからだ。
* * *
ノイレンが捨てられたあの教会の神父は彼女を保護して実に辛抱強く面倒を見てくれた。ノイレンがどれだけ神父に悪態をついても見捨てることなく、「あなたは神の子です、素直に生きていれば必ず報われます」と諭すように言って聞かせた。
しかし「大人は信用ならない」と固く心を閉ざしたノイレンにはそんな"型にはまった"台詞は全く響かなかった。またあの神父もそこから離れた"自身の言葉"を持ち合わせてはいなかったのがお互いの不幸だった。
「神に祈りを捧げましょう。」「素直な心で懺悔するのです。」「神は救ってくださいます。」
まるで他人事のような通り一遍の物言いをノイレンは嫌悪し悪態をついた。だがそれでも神父は親身にノイレンの面倒を見つづけた。
「さあ、ノイレン朝ごはんの前に神に祈りを捧げましょう。糧を与えてくださることに感謝するのです。」
ノイレンはバンッとテーブルに手を打ち付けて反論する。
「神様はお母さんの病気が良くなるものをくれたことなんて一度もない!」
「ノイレン、神には深いお考えがおありなのですよ。」
「ウソつき!いーだっ!」
口を横に大きく開いて反抗し外へ飛び出していった。
「これ、どこへ行くのです。」
若干6歳にして1人で母親の看病をしていた気丈さがノイレンにはあるといっても、自分で働いて稼ぐことはできない。だからお母さんの療養に必要なものは全てそれまでに両親が貯め込んだ家の蓄えに頼っていた。時折近所の人がなにかしらを恵んでくれることもあったが、日毎に減っていくだけの蓄えに焦りを感じることしかできなかった。
だから知らない町に一人で放り出され、大人を信用できなくなった幼いノイレンには自分1人の力だけで生きていくためのまっとうなやり方が分からなかった。
「またお前か!待てっ悪ガキ!!」
ノイレンは神父の世話になりたくなくて町に出かけては盗みを働いた。時には弱そうな者から力ずくで奪いもした。そうして空腹を満たした。
「なにするんだ、出せ!」
食べ物を盗んだ店の大人に捕まったノイレンはその店の奥の部屋に閉じ込められた。
「喚くんじゃねえ、この悪ガキが!あとで神父に迎えに来させるからな、それまでそこで大人しくしてろ。」
ドアに鍵をかけられ、窓の外には鉄格子がある。幼いノイレンでは逃げ出せない。
ノイレンは思い切りドアを蹴っ飛ばし、部屋の隅で膝を抱えてうずくまった。
「ちくしょう。大人なんか。」
幼すぎる彼女にはどうにもできないその部分を神父が補ってくれたのは事実だ。そのことはノイレンも分かっている。心を閉ざす前のノイレンであればそれに対して感謝していた。だが「大人は信用ならない」という思いが強すぎて神父のそれも素直に受け入れられずに猜疑と憎悪だけを向けて悪態をついた。にもかかわらず教会という隠れ蓑を利用して悪さを繰り返した。
「ずるいことをしている。」
負けん気の強いノイレンは自身の卑怯な振る舞いを嫌悪したが彼女にもどうしていいか分からなかった。
* * *
重度の人間不信ゆえにあれから数年経った今でも、何にも頼らずに生きるには悪いことでもするしかないとノイレンは思い込んでいる。12歳にまで成長しとりあえず全てを自力でなんとかできるようになった彼女はあの時のことを思い出すと自分に腹が立ってくる。
『あの頃はほんとガキだったな』
ノイレンは屋根の十字架が見えなくなるまで走ると足を止め、それが見えないことを確認するかのように振り返って両側の建物に切り取られた細長い空を眺めた。そして声は出さずに口を横に大きく開いて心の中で叫んだ。
『いーだっ!』
ぶつけどころのない憤りへの彼女なりのささやかな抵抗だった。
次回予告
教会、神父という町の人々から信仰を集める存在を隠れ蓑にしながら悪さを繰り返し、1人で生きていくための術を身につけていく6歳のノイレン。神父はそれでもノイレンを見捨てず、町の人々にも彼女に温かい手をさしのべることを期待した。しかし町の人々の怒りは頂点に達しノイレンが赦されることはなかった。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第五話「今日という今日はもう許さないよ。」