表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第三部『サナギとなれ』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/54

37「俺の弟子だからな。」

 さほど大きくはないが住むのになんの不満もないトレランスの家が朝日を浴び、冷たく澄んだ空気に包まれてなんだか立派に見える。

「ここだな。」

 端整な顔立ちの壮年が馬に跨がったままトレランスの家を鋭い目つきで見ている。隣にいる同じく整った顔立ちの青年が馬上で不敵な笑みを浮かべた。2人ともかなり良い身なりをしている。トレランスやカバレに集う者たちとは全く違う。

「さっさと片付けてしまいましょう。私は腹が減りましたよ。」

「そう()くでない。慌てると簡単な仕事でもしくじるぞ、タキーチ。」

 壮年がタキーチと呼んだ青年を諫める。

「パーサリング子爵、まさかあんたトレランスと聞いて臆してるんじゃないでしょうね。」

 パーサリングと呼ばれた壮年は眉一つ動かさずに青年にその鋭い視線を向けた。

「タキーチ、お前くらいの歳ならば功を急く気持ちも分かるが、何事も慎重に進めることが重要だ。」

 タキーチはパーサリングから顔を背けて、彼に聞こえないよう小さい声で吐き捨てた。

「ったく、これだから年寄りは。」

 2人の間には10歳ほど年の差がある。

 この2人、カディンの父親から話を聞いた公爵が手配した下級貴族の追っ手だった。パーサリングが子爵、タキーチは男爵家の嫡男。

 カディンを無傷で連れ戻す、それが任務だ。その際トレランスや彼に加勢するものはどう処分してもよいと命じられている。後始末は公爵家の力でどうにでもできるというわけだ。

「トレランス、騎士団で臨時講師をするくらいだからかなりの達人に違いないが、そいつを()れば剣士としての私の名も上がる。」

 タキーチはトレランスの名を聞いてこの仕事を二つ返事で引き受けた。若い彼は一生男爵で終わるつもりはないと常々叙爵を狙っている。ここで手柄を立てれば公爵に目をかけて貰えてチャンスが増すというわけだ。一方パーサリングは自分より爵位が上の公爵に逆らうことが出来ず従っている。2人とも公爵とは剣術を通して親交がある。公爵は自分に逆らえず、腕に覚えのある者を選んでいた。

 パーサリングがゆっくりと馬から下りると手綱を引いて敷地の中へ踏みいった。タキーチも慌てて馬から下りて付いていく。先を越されてなるものかというわけだ。


 ダイニングキッチンでテーブルを囲んでいるトレランスの手が止まった。スープに浸そうとしていたパンを右手に掴んだまま首を動かして外の様子を伺う。

「先生?」「師匠?」

 カディンとノイレンは近づいてくる男2人の気配にまったく気付かずトレランスの動きを怪訝そうに見ている。

 トレランスはパンを掴んだままの右手を2人の前に差し出して声を出さないよう制止する。彼の不安が確信に変わった。

「カディン、俺の部屋に隠れて、早く。」

 トレランスは視線を外に向けたままカディンを促す。その様子にノイレンは危険を感じて自分の部屋に木剣を取りに行った。

 2人がそれぞれダイニングキッチンから姿を消すとトレランスはパンをテーブルに置き静かに立ち上がって左手を腰の剣に添えてゆっくり玄関扉の前に近づく。木剣を持ったノイレンがそこにやってきた。

「師匠、わたしも戦う。」

 ノイレンが右手に持った木剣を掲げてトレランスに告げると彼は右手をノイレンの前に差し出して止めた。

「きゃっ。」

 ノイレンが急に場違いな声を上げる。彼女を制止しようとしたトレランスの右手が前に出ようとするノイレンの胸に当たった。不可抗力とはいえ他人に胸を触られたのは初めてのノイレンはドキっとしてしまった。生理が始まってから自分の体の変化を意識しだしたノイレンはついラクスやシャルキーの胸と自分の胸を比べてしまう。男を誘惑したいとか全く思ってもいないのだけれど、女性としての本能なのだろうか無意識のうちにその大きさを気にしている自分がいる。思わず赤面してしまった。

「あ、すまない。だがうしろに下がってろ、まずは相手を見極めないとな。」

 トレランスは胸に触れたことには全く動じていない。彼にとってノイレンは可愛い愛弟子であって、娘のような存在。異性として意識する対象ではない。

「何が来るの、師匠。」

 ノイレンは気を取り直してトレランスに訊く。

「歓迎したくないお客さんのようだ。」

 トレランスは真剣な眼差しで答えた。いつものように飄々としていない師匠の態度にノイレンは武者震いした。


 トントントンとドアを叩く音が響く。

 トレランスは静かにドアを開ける。身なりの良い見知らぬ男が2人玄関前に立っている。一目で貴族とわかる。

「こんな朝早くからどちら様で?」

 トレランスがわざと何もわからないふりをして尋ねるとパーサリングが口を開いた。

「朝早くから申し訳ない。こちらは剣士トレランスさんの家で間違いはありませんかな?」

「ああ、間違いはない。で、あんたらは?」

 トレランスはまっすぐに立ったままでパーサリングとその隣にいるタキーチを見つめている。

「これは失礼、私はパーサリング、この者はタキーチと申します。あなたがトレランスさん?」

「そうだ。一体何の用だ?」

 パーサリングが静かに話を進めようとしているのに(はや)ったタキーチがしゃしゃり出てきた。

「パーサリング子爵、まどろっこしいことは止めましょう。こいつら平民なんですから丁重に扱うことありませんよ。」

 タキーチはあからさまにトレランスを見下した態度で威圧する。

「我々はカディンという女を探している。貴様を頼ってこの街に逃げてきたことは先刻承知だ。隠し立てすると為にならないぞ。」

 そう言って腰の剣に手をかける彼をパーサリングが彼の右手に自分の手を乗せて制止した。

「タキーチ、失礼だぞ。逸るな。例え相手が平民であっても我々貴族は常に礼節を重んじるべきだ。」

 2人のそんな言い争いのような会話を聞いていたトレランスが肩をすくめる。

「やれやれ、いきなりやってきて平民だ貴族だと何ですか。そんなのは他所(よそ)でやってください。それにカディンなら俺の所には来ていませんよ。彼女はアデナの騎士団に勤めているでしょう。」

「貴様やはり隠し立てする気か。」

 血気に逸ったタキーチがパーサリングの静止する手を払い剣を抜こうとする。トレランスの目が光る。

「それは止めたほうがいい。命を粗末にするな。」

 トレランスが少し低い声で静かに言った。この声色に聞き覚えのあるノイレンはびくっとした。一方彼と初対面のタキーチがそれを知らないのは無理のないことだが、相手のことを見下しているためにトレランスの怖さをまったく見抜けないでいる。

「大層な物言いだな、その言葉そっくりお返しするぜ。」

 まるで牙をむき出しにしている野獣のような視線を向けてくる。

「いい加減にしないかタキーチ。紳士なら紳士らしく話をするべきだ。」

 慎重派のパーサリングはあくまでも話し合いで解決しようとタキーチの左肩を掴んで抑えた。

「子爵殿、あなたにはお分かりいただけたようですね。」

 トレランスはパーサリングを見た。一目で相手を見抜く目を持つトレランスにはもう分かっている。2人は自分の相手にはならない程度の剣士だということを。それだけにパーサリングのあくまでも紳士的な対応はありがたかった。しかしトレランスを倒して名声と手柄をあげたいタキーチはパーサリングの制止を振り切って剣を抜いてしまった。

「平民なら貴族に楯突かずに(かしず)くべきだ。大人しくカディンの居場所を教えろ!」

 威圧するように大きな声でまくし立てるとトレランスに斬りかかった。が、あっさり躱された。タキーチは振り向きざまにうしろからトレランスに襲いかかるもそれもあっさり躱される。

「おのれ貴族を愚弄するか。剣を抜け!正々堂々と立ち会え!」

 トレランスを倒して名をあげる、そのことに囚われすぎて冷静さを欠いているタキーチにノイレンはツッコむ。

「いきなり斬りかかってきて何が正々堂々だ、ふざけんな!」

 タキーチはキっとノイレンを睨むと今度はそちらへ向かって斬りかかっていった。

「貴族に向かってその口の利き方はなんだ、お前から始末してやる!」

 ノイレンは木剣を構えて迎え撃とうとする。

「木剣で何が出来る!」

 タキーチはノイレンをまるっきり見下して鼻で笑い、真上から剣を振り下ろした。それを見ていたトレランスは片方の口角を上げる。

 タキーチの剣とノイレンの木剣がクロスして動きが止まる。

「な、んだと・・・」

 タキーチが驚く。

「へっ、ざまあみろ、この木剣は中に鉄の重りが仕込んであんだ。」

「このおっっっ!」

 タキーチはノイレンを蹴飛ばそうと左足を上げたがひょいと避けられる。実戦では何でも有りと教わったノイレンにはそんな手は通用しない。トレランスはニヤニヤしたいのを我慢しながらノイレンの戦いぶりを見守る。

「このガキが!」

「へっ、貴族様がそんな言葉遣いしていいのかよっ。」

 タキーチはノイレンを斬ろうと剣を振り回すがノイレンはダンスのステップを踏むように軽々とした足取りでひょいひょいと彼の攻撃を躱しまくる。時にはジャンプし、時にはかがんで。

 タキーチの攻撃は直線的な上にカディンに比べてスピードが遅くノイレンにも動きが読みやすい。ノイレンはタキーチをせせら笑うようにしてダイニングキッチンの中を逃げ回って彼を煽動する。

「ノイレン、調子に乗るなよ。怪我するぞ。」

 まるで弄ぶかのように避け回るノイレンをトレランスが諌める。

「大丈夫師匠、コイツおばさんと違って大したことない。」

 ゴチンっっ!!

「痛っってぇえ!」

 調子に乗ってタキーチを煽動していたらテーブルの角に頭をぶつけた。ノイレンは頭を抱えてうずくまる。

「だから言ったろう。」

 トレランスはいたずらっぽく笑った。

「くそガキがいい気味だ。」

 タキーチは胸の横で剣を構え直し、剣先をまっすぐに向けてうずくまるノイレンに向かって突進した。迫ってくるタキーチをでんぐり返しでやり過ごしたノイレンは伸び上がりながら体をひねってタキーチのうなじに一本叩きこんだ。

「がっ!」

 鉄芯の入った木剣の重たい一撃に衝撃を受けたタキーチは膝を折ってテーブルに突っ伏した。テーブルの上に置いてあったパンやスープをよそってあった皿が飛び散る。

「あー!何しやがる。まだちょっとしか食べてないのにっ。」

 ノイレンは育ち盛りでおなかが減っている。食べ物の恨みは恐ろしい。

 怒ったノイレンは両手で柄を持ち剣を振り上げてタキーチの背中にもう一本入れようとしたがタキーチは膝をついたままの姿勢でやみくもに剣を横に振ってノイレンが近づくのを牽制した。

「うわっ危ねっ。」

 ノイレンは飛び上がってそれを避けた。

「ノイレン、ちゃんと相手を見てないとダメだぞ。」

「はいっ」

 ノイレンは返事をするとタキーチから少し離れて剣を構え直した。タキーチも立ち上がってノイレンを睨みつけながらエイゼンポルトに構える。いわゆる正眼の構えと同じだ。

「ガキが、貴族に逆らえばどうなるか教えてやる。死んで詫びろ。」

 そうは言いつつも、ノイレンが微動だにせず構えているのに対してタキーチの剣先は細かく震えている。さっきうなじに喰らった一撃が少しは効いているらしい。

 トレランスがノイレンの動きに満足して場を収めようとしたら彼の目の前にパーサリングの剣がぬぅっと突き出されてきた。

「あなたのお相手は私が勤めます。」

 トレランスは顔色一つ変えずにパーサリングをチラと見た。

「分別のあるお方だと思ったんですがね。」

「これも仕事ですから。」

 パーサリングはトレランスをまっすぐに見つめながら返事をした。連れの若者が暴走したせいで引っ込みがつかなくなったやるせなさがその目に浮かんでいる。


 ノイレンはひょいひょい避けながらタキーチの腕や足に木剣を当てていった。普段トレランスと組み手をしているし、アデナでカディンと勝負したノイレンにしてみればタキーチの動きはまったく速くない。今のノイレンでも十分に見えている。もしノイレンの持っているのが真剣だったならばとうにタキーチは負傷して動けなくなっているか戦意を喪失していただろう。

「このガキちょこまかと、生意気な!」

「へっ、ガキだと思って馬鹿にすんなよ。」

 タキーチが横薙ぎに剣をブンと振ってきたのをノイレンはバク転で躱して、着地と同時に頭から彼に突っ込んでいく。ノイレンの頭がタキーチの腹にぶち当たる。

「体当たりとは卑怯な!」

 タキーチはよろめきながらノイレンを睨みつけ、反撃に出た。エイゼンポルトからクローヌへ、両手で持った剣を斧のように振りかぶってノイレンの脳天をかち割ろうと猪突猛進、ノイレンはまっすぐに突進してくるタキーチを横移動のトラベリングステップを踏むようにして猫みたいに軽やかに躱し彼の側面に回るとうなじにもう一度木剣を叩き込んだ。今度は飛び上がるようにして全体重をかけて。

「これで終わりだっ!!」

「あぐっ、」

 延髄を強かに打たれたタキーチは気を失ってその場にドサっと倒れた。

「なんと、あのお嬢さんやりますな。」

 その様子を見ていたパーサリングは驚きを隠さない。

「俺の弟子だからな。」

 パーサリングに剣を突きつけられたままトレランスはニっと笑って答えた。

 タキーチを倒したノイレンは仁王立ちでパーサリングに正面を向けた。今にも飛びかかっていきそうだ。その彼女をトレランスは左手を前に突き出して制止した。

「どうしますか、子爵殿。」

 トレランスはパーサリングに振り向くと静かだが鋭い目つきで問うた。パーサリングは静かに剣を下げると鞘に納めて「ふう」と息を吐く。

「今日のところは引き下がるとしましょう。あなた方を倒せたとしてもタキーチとカディンの2人を私一人で連れ帰るのは難しいですからね。」

 パーサリングは気絶しているタキーチを抱えると家の外へ出て行った。タキーチをまるで荷物のように彼の馬の背に乗せて自分も馬に跨がった。右手で自分の馬の手綱、左手にタキーチの馬の手綱を握る。

「トレランスさん、明日改めてお伺いします。明日は良い返事を期待します。」

 去り際にそう言い残した。トレランスはパーサリングの背中に向かって返事をする。

「申し訳ないが何度来ても同じですよ。カディンはここにはいない。」

 パーサリングは振り向きもせず肘を曲げて右腕を上げると小さく手を振ってみせた。


「もう大丈夫ですよ、出てきてください。」

 トレランスは自分の部屋のドアに向かって声をかける。静かにドアが開いてカディンが顔をのぞかせた。

「あの、お怪我はありませんか先生?」

「俺もノイレンも何ともありません。ご心配なく。」

 トレランスはにこやかに答えるとノイレンをにやにやした顔で見た。

 ノイレンは頭を押さえてぷうと頬をリスのように膨らませる。

「でもあいつらおばさんに比べたら屁でもなかった。」

 ノイレンがカディンに向かって人差し指で鼻をさすりながら自慢するとトレランスが彼女の頭にその大きな手をドンと乗せて力強くぐるぐるした。

「調子に乗るな!」

「うわああ、ごめんなさい~」

 それを聞いたカディンが驚く。

「まさかあなた戦ったの?」

 ノイレンはにぃっと口角をあげてしたり顔になる。

「ノイレンはあなたと勝負してから変わりましたからね。さっきの奴らくらいなら十分相手になりますよ。」

 トレランスはノイレンの頭をぐるぐるしたままニカっと笑った。

「師匠、ごめんなさい~。」

次回予告

初陣を勝利で飾り自慢げなノイレン。トレランスはノイレンの身を案じ彼女に予備で置いてあったサーベルを渡す。生まれて初めて真剣を帯びたノイレンは調子に乗ってトレランスに諫められ、本物の剣の重さと怖さを実感する。一方カディンはトレランスに死ねと命じられる。カディンが死ねば公爵の餌食になる問題は解決するしトレランスたちが襲われることもなくなる。泣く泣くそれを受け入れたカディンにトレランスはにこやかな笑顔を向けた。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第三十八話「これで師匠とお揃いだ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ