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ノイレン〜黒の純真  作者: 山田隆晴
第二部『イモムシが如く』

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26/54

26「ちゃんとあなたを見ているからですよ。」

 ノイレンがアデナのレストランででっかいエビを頬張っている頃シェヒルにあるシャルキーズカバレでは一部の客が元気を無くしていた。

「はい、お待ち。」

 シャルキーがその手にちょうど良く収まる程度の皿に盛られた腸詰と(ふか)した馬鈴薯にバターとチーズをかけたものを持ってきた。

「あんたらここんとこシケてるじゃないか。いつもはバカ盛りで頼んでいたろう。どうしたんだい。」

 皿を置きながらテーブルを囲む4人客に向かって問いかけると、客の1人が元気のない声で答えた。

()()以来ノイちゃん見かけないけど辞めちゃったんだにか?」

「なんだ、あんたらそれで元気がないのかい。」

 シャルキーが呆れ顔で客を見る。

「安心おし。ノイレンは辞めちゃいないよ。今トレランスの仕事について一緒にアデナに行ってるのさ。」

「そうなんだにか!あんなことがあった次の日から見なくなったから辞めちゃったかと思ってただに。」

「あっはっは、ノイレンも罪作りだね。客をヤキモキさせるなんて。」

 豪快に笑いながらもシャルキーはノイレンが客にしっかりと受け入れられてきていることを嬉しく思った。

「あと10日もすれば帰ってくるよ。そしたらまたチップ弾んでやっておくれ。あの子も喜ぶだろうよ。」

 シャルキーは4人にウィンクして戻って行った。


 その頃アデナでは。

「いやあとても有意義でした。トレランス先生シェヒルにお帰りになる前にぜひまたご一緒させてください。」

 食事を終えた4人がレストランをあとにするときシュバイレンとメムルがトレランスに向かって名残惜しそうに挨拶していた。

「こちらこそ、皆さんのお話を聞けるのは勉強になります。ぜひまたご一緒に。」

 トレランスは騎士団の2人と握手を交わす。メムルはトレランスと握手したあと彼の隣にいるノイレンにその手を差し出してきた。

「ノイレンちゃんもまた一緒にごはん食べましょ。」

 ノイレンは一瞬ためらったが右手を差し出して応じた。メムルの手の温かさや柔らかさに心が温まるのを感じた。誰かと手を繋ぐなんて幼い頃にお母さんとしたことがあるだけだ。生まれて初めて赤の他人と握手した。

『なんだろうこの感じ。不思議。』

 えも言われぬ感覚を覚えながら、明るく握手し合う大人たちの顔を見回した。


 早朝、窓のすぐ外にニワトリがいないのにも慣れた。自然といつもの時間に目が覚める。年が改まるまでもう半月もない。アデナに来た頃よりも日の出の時間が少し遅くなっている。まだ外は暗いし結構肌寒い。寝ぼけ(まなこ)を覚ますために洗面器に入れておいた水に両手をつっこんだ。とても冷たい。

「ひゃ〜。」

 悲鳴でもなく感慨でもない変な言葉を発してノイレンは顔を洗い身震いした。


 朝の走り込み、朝食を済ませて騎士団庁舎へ赴くとその門のところでカディンがいつものバスケットを肘に架けて待っていた。

「おはようございます、トレランス先生!」

「お、おはようございます。どうしたんですか、こんなところで。」

 トレランスは寒い振りをして頬の引きつりを隠すために両手で頬をさすってから挨拶を交わす。カディンは隣にいるノイレンには目もくれずバスケットにかけてある白い布をめくると中身を見せながら声を弾ませる。

「今日はターキーサンド作ってみましたの。先生に食べていただきたくて。」

 恥ずかしそうに体をくねくねさせる。

「へえ、カディンはなんでも作れるんですねえ。すごいなあ。」

 少し棒読みのトレランス。ノイレンはその2人の姿を交互に眺めたあとカディンに声をかけた。

「宿で朝ごはん食べてきたから師匠はおなかいっぱいだよ。残念だったね、()()()()。」

 カディンを小馬鹿にするように言うと、カディンは敵意満載の視線をノイレンに無言で放ってきた。まるで大きな弓で思いっきり射られた矢のようにぎゅんと突き刺さってくる。ノイレンはその矢をなぎ払うかのように追い打ちをかけた。

「それに師匠はわたしが作った野菜ごろごろ肉スープや、師匠が得意の羊肉シチューにパンを浸して食べるのが好きなんだよね。」

「今すぐ食べてなんて言ってないでしょう。これは(わたくし)と先生のお昼です。それに羊肉のシチューなら(わたくし)が先生のために3日かけて煮込んだものを食堂に用意してありますのでご心配なく!ここにお鍋まで持ってきたら大変でしょう、これだからお子ちゃまは。」

 カディンは勝ち誇ったように背筋を伸ばし、顎を上げてノイレンを見下ろす。2人の視線が見えたならきっとバチバチと大きな火花を散らしながら2人の間で激しくぶつかりあっているのがわかったはず。

「まあまあ、2人ともこんなところで、」

「師匠は黙ってて!」「先生は黙っててくださいな。」

 トレランスがなんとかその場を納めようと間に割って入ったが女2人に声を揃えて挟み撃ちに遭ってしまった。

 カディンがバスケットを肘に架けたまま腕を組んでノイレンを見下ろして挑発する。

「本当お子ちゃまは懲りないわね。また(わたくし)にこてんぱんにされたいようね。」

「へっ、そっちこそわたしにこてんぱんにされたくて朝から喧嘩売りに来たんだろ。」

 バチバチバチ!

 きっとトレランスの目には激しくぶつかり合う2人の熱視線と飛び散る火花、そして彼女たちが纏う炎が見えていたに違いない。

『なんでカディンはノイレンをこうも敵視するんだ?』

 トレランスは未だわかっていない。2人の間に挟まって火だるまになりながらカディンに背を向けてノイレンに不器用なウィンクらしき目配せをする。

「師匠、キモい。」

 制止するトレランスをばっさり切り捨てたノイレンはうっすらと笑みを浮かべながら『昨日教えてもらったこと使ってやる』と、もう後に引く気はなかった。


 それから少し経ったあと。修練場がざわついている。しかし稽古をしているときの騒々しさではない。

 修練場の中央でノイレンとカディンが木剣を片手に対峙している。その周囲を集まってきた騎士団員たちが取り囲み口々に憶測を話している。

「カディン教官が先生の弟子の嬢ちゃんと勝負だってよ。」

「それは見物(みもの)だな。あの子初日にやられてから一生懸命稽古してたもんな。」

「だとしても、勝負になるのか。」

「この数日で化けたかもしれないわよ。」

「化けると言うより実は虎で、この前は猫をかぶってたのかもしれないぞ。」

「あり得るわ。なんてったってあの子トレランス先生の弟子ですもんね。」

「ところでなんで勝負するんだ?」

「なんでもトレランス先生との昼食を賭けてるらしいぞ。」

「なんだそれ?」「なにそれ?」

「俺たちいつも一緒に食べてるじゃないか。」

「よね。」

「だから、どっちが先生の隣に座るかでもめてるらしい。」

「ん?教官はいつも先生の隣に無理矢理座ってんじゃん。」

「てか、両側から先生を挟んじゃえばいいだけなんじゃね?」

「それはなしよ。やっぱり独占したいものよ、女は。」

「だからだよ、あの嬢ちゃんがやきもち焼いたらしい。」

「なに?!じゃあやっぱりあの弟子の嬢ちゃん実はそういう関係だったのか?」

「ってことはカディン教官は略奪愛?!くぅ〜、やるねえ。」

 修練場の隅で2人の様子を見ているトレランスは団員たちの的外れも度を超した憶測に痛い頭を抱えている。

『いつの間に俺のまわりはそんな状況(こと)になってるんだ。』

 自分の周囲を取り囲む団員たちからヒソヒソと聞こえてくるいい加減で勝手な噂に辟易したノイレンが怒鳴る。

「うるさいな!あんたらなんか勘違いしてるみたいだけど違うからな!」

 すると団員たちの憶測が盛り上がる。

「お、否定してきたぞ。ムキになるところがますます怪しい。」

「いい加減にしやがれ!あの()()()()と一緒にしてんじゃねえ。」

 ノイレンは左の拳を握って周囲の団員たちを睨みつける。団員たちはカディンをおばさん呼ばわりしたその台詞に青ざめた。

「言っちゃったよ。お○さん。」

「知らんぞ、どうなっても。」

「さすが先生のお弟子さん、怖いもの知らずだわ。」

 この(かん)ずっと目を瞑り一言も発せず黙って聞いていたカディンがようやく口を開いた。

「あなたたち、黙って聞いていれば言いたい放題言ってくれるじゃないの。覚悟なさい、この小娘をこてんぱんにしたあとでたっぷりしごいてあげるわ。」

 言い方がとても大人しい。それだけに団員たちは恐怖した。この一言で騒々しかった修練場が静まり返る。

「へっ、小娘だ、お子ちゃまだと言ってくれるじゃないか()()()()。そっちこそ覚悟しな、こないだみたいにはいかないぜ。」

 ノイレンはカディンを真っ直ぐに睨みつけながら木剣を構えた。空いてる左手の指を師匠のようにぐーぱーしてカディンを誘う。

 トレランスは痛い頭を抱えながらもノイレンの戦いぶりに期待を寄せる。カディンのことはもう頭にない。師匠として目つきの変わった弟子がどれだけ成長したか楽しみにしていた。

『さあて、ノイレンはどう動くかな。見せてもらうぞ。』

 そこに水を差すように団長のシュバイレンと副団長のメムルが場を収めようとやってきたがトレランスに左手一本で制止された。

「いいんですか先生。」

「ああ。」

「でも、ノイレンちゃん大怪我するかもしれませんよ。」

 メムルも心配する。

「大丈夫だ。まあ見ていてくれ。」


 全体が静まりかえる中ノイレンの剣先がぴくりと動いた。その瞬間カディンが突風のようにノイレンの懐に飛び込んでくる。いきなり体当たりを食らわすつもりらしい。しかしノイレンはその動きをしっかりと見ていた。

 カディンが飛び込んできた瞬間にひらりと右に体を逸らして躱し、両手で木剣を握るカディンの左腕に自分の木剣を叩きつけた。が、すんでの所で躱される。剣先が数ミリかすっただけに終わった。

 ノイレンはすぐさま剣を構え直して次の攻撃に備える。その顔に不敵の笑みが浮かんでいる。ほんの数ミリでもカディンの体に剣が触れたことでこの半月ほどのシャドウ稽古の手応えを感じた。

 一方わずか数ミリとはいえ足下に見ていたノイレンに剣を入れられたカディンはそのプライドを傷つけられた。その動揺を悟られないよう威嚇する。

「少しはやるじゃない。こうでなくちゃ面白くないわよね。」


 トレランスの横で見ているシュバイレンが驚いている。

「さすが先生のお弟子さんだ。カディンのあの動きを見切って躱すだけでなく、かすった程度とはいえ彼女に一手入れた。」

 しかしトレランスは真顔のままだ。

「まだまだ甘いよ。もう少し踏み込めたはずだ。あそこでカディンの左腕を奪えていれば。」


「今度はこっちから行くぜ。」

 ノイレンは修練場の床を蹴って体勢を立て直したカディンに向かっていった。

 初めて立ち会ったときのように右上から斜めに斬りかけるように右手を振り上げてカディンを誘う。カディンは膝を曲げて体勢を低くし、あの時のようにノイレンの剣をはじき飛ばそうと曲げた膝をバネにして下から斬り上げてきた。

「同じ手を食うかよ!」

 ノイレンは左手で刀身の峰を押さえてカディンの斬り上げを受け止めた。カディンは一瞬焦るが自分より体重の軽いノイレンを下から持ち上げるくらい容易だ。足のバネを使ってそのままノイレンを後方に弾いた。体勢を崩して床に転げるノイレン。そこにカディンが素早く攻め込みノイレンに剣を突き立てようとした。

「同じ手で負けるなんてお子ちゃまのやることね!」

 ところがノイレンにはカディンがそうくることは想定済。彼女の剣を躱してさらに転がると両手を使って飛び起きた。まるでダンスのように軽々とした動きだ。シャルキーズカバレで働き始めてから毎日ラクスやシャルキーのダンスを見ている。自然と彼女たちの動きや足裁きを覚えてきている。それを見たトレランスはかすかに口角を上げた。

「お子ちゃまじゃねえ、残念だったな。」

 ノイレンは台詞を吐きながらカディンに向かっていく。カディンは両手で剣を構えて真っ向から受けようと待ち受けた。

 2人の剣がぶつかり合い交差する。力が拮抗してお互いの動きが止まる。ギリギリと木剣同士がにじれる音が静かに全員の耳に入ってきた。

 ノイレンは右手に左手を添えて押されまいと抵抗する。睨み合うカディンとノイレン。

「あなた先日は力を隠していたわね。(わたくし)まんまと引っかかったわ。」

「へっ、悔しいけど()()()()に感謝しなくちゃな。お陰であんたを倒せる。」

「それは100年早いわよ!!」

 カディンはそう言うとふっと剣から力を抜いて一歩うしろに下がった。ノイレンは押していた勢いで前につんのめりそうになる。そこへカディンが上からノイレンの脳天めがけてまっすぐに剣を振り下ろしてきた。

 周囲で見ていた団員たちの誰もが顔を背けた。ノイレンの頭が割れるところなど見たくないというわけだ。

「心配ない。」

 トレランスがノイレンをまっすぐに見据えながら言った。

 カディンに脳天を割られる直前ノイレンはつんのめる勢いそのままに腰をかがめてカディンの懐に飛び込んでいき、彼女の脇腹当たりの服を掴んでそのままうしろへすり抜けた。

 服を引っ張られることで意表を突かれたカディンは体勢を崩した。だが彼女は騎士団の指南役を任されるほどの腕前だ、崩れた体勢のまま右足を軸にして体を時計回りに回転させる。その回転の勢いを剣に載せて背後に回ったノイレンを薙ぎにいった。

 一方ノイレンは服を引っ張ったあとカディンの脳天を割るべく飛び上がって上から斬りかかっていった。自分が喰らいそうになった脳天割りをお見舞いしてやろうというわけだ。ノイレンの剣がカディンの脳天を捉えるのが先か、カディンの剣がノイレンを横に薙いで吹っ飛ばすのが先か。トレランスの横で目を逸らさず見ていたメムルは手に汗を握る思いで結果を見守る。

 振り下ろしたノイレンの剣が回転でなびくカディンの髪の先を叩いた。同時にカディンの剣がノイレンの右足を捉えた。ノイレンは向こう脛をしたたかに打たれてそのまま床に落ちた。


「そこまで!!」

 今まで黙って見ていたトレランスが声を発した。ゆっくりと2人に近づいていく。カディンは途端にくねくねと体をひねり彼に熱い視線を送る。ノイレンは木剣を杖にして立ち上がった。七分丈のズボンの裾から覗く向こう脛が腫れているのが分かる。

「痛ってぇ~。」

 右足を引かないと歩けない。

 側までやって来たトレランスはノイレンの頭にその大きな手をぽんと乗せてにこやかな笑顔を向けた。

「よくやったなノイレン。」

「はいっ。でも一本も取れなかった、すっごい悔しい。」

 ノイレンは真剣な目でトレランスを見つめ返す。

「ノイレンの修行はまだまだこれからだからな。焦ることはない。」

 師弟が和やかに会話しているうしろでカディンが自分にも声をかけてもらいたいとちょろちょろする。

「あの、トレランス先生、」

 カディンが痺れを切らして声をかけた。トレランスは彼女のほうを向く。

「さすがですカディン。あの状況でもちゃんとノイレンの足を奪ったのは見事なもんです。」

「いやん、先生ったら。お見苦しかったでしょう、(わたくし)としたことが恥ずかしいわ。」

 ノイレンに叩かれて形の崩れた髪をそのままに口を手で押さえてくねくねしながら照れるカディン。トレランスの頬に冷や汗がたら~っと一筋垂れる。

「あの、できましたら(わたくし)にもなにかご助言をいただけると嬉しいですわ。」

 潤んだ瞳をトレランスに向ける。彼は至って真面目な顔で答えた。

「あなたは勝負を急ぎすぎる。初手、多くとも3手で決めようとしてるでしょう。」

「どうしてそれを?」

 カディンは自分の性急さを指摘されて驚いた。

「あなたの内側にある弱点がそうさせている。あなたほどの腕があるなら肝を据えてもっとしっかり相手を見極めることです。」

「ご助言ありがとうございます。でもなぜ(わたくし)の弱点がお分かりになりますの?先生とは一度もお手合わせしていただいたことありませんのに。」

「手合わせしなくても分かります。ちゃんとあなたを見ているからですよ。」

 それを聞いたカディンは真っ赤っかになって卒倒した。

 ”あなたを見ている”と言われ愛の告白と勘違いしたらしい。その後カディンが団員たちによって医務室に運ばれたのは言うまでもない。

次回予告

上には上がいる、そのことを心に刻みつけたノイレン。トレランスたちがシェヒルに帰還するまであと3日と迫ったある日。騎士団では訓練の成果を見るべく模擬戦闘訓練が行われた。馬に乗ることすらできないノイレンには全く出番がない。騎士団の皆が戦う様を見ながら勉強する。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第二十七話「もっと技術を磨いてから出直しなさい。」

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