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2『お母さん・・・』

 ノイレンはいけないとわかっていながらつい足をむけてしまった。あの大きくて栄養たっぷり間違いなしの魚をあげた子の家へ。

「ちゃんとお母さんに食べさせてあげられただろうか。」

 つい自分のことを思い出してしまったために気になってどうにも確かめずにはいられなくなった。

 しかしこの街では自分はいわゆる"札付き"だ。もっとも大人たちが自分をどう思おうとそれはノイレンには関係なかったが、そんな自分と親しくしているところを誰かに見られたらあの子を良くない状況に陥れてしまう。それは避けたかった。

「大人は信用ならない」

 それがノイレンの口癖だ。


 ノイレンは周囲を警戒しつつあの子の家に近づいていった。周りに誰もいないのを確かめてからそっと窓から中を覗き込んだ。ダイニングのテーブルにあの子とお母さんが向かい合って椅子に座っている。お母さんの隣にはあの子よりも更に幼い子が1人。テーブルの真ん中には美味しそうに焼けたあの魚が尾頭付きのまま皿にでんと盛られていて、あの子が上手に取り分ける。

 3人の声は外にいるノイレンには聞こえないけれど、3人とも楽しそうに笑いながら魚の身を口に運んだ。病気だというお母さんは少しやつれているが元気がありそうだ。

『よかった』

 ノイレンはその様子を見ると静かにその場を離れた。彼女の心の中には晴れ晴れとした感情と、一抹の寂寥(せきりょう)がないまぜになっていた。ノイレンは人差し指で鼻をさすると走り出した。


 あの子の家からだいぶ離れたところまで走ったあと、ノイレンが当てどころのないやるせなさを胸に裏路地の壁にもたれかかって四角い空を見上げていると不意に声をかけられた。

「やべ、自警団だ。」

 ノイレンは脱兎の如く逃げ出した。

「待てノイレン!今日こそは捕まえてやる!」

「へへん!一昨日来やがれ!」

 ノイレンは足を緩めることなく自警団の連中を小馬鹿にしながら彼らを撒こうと角を右へ左へ頻繁に曲がって自分の姿をその視界から外していく。

 若干12歳の子どもといえどすばしっこさにかけてはノイレンに勝てる者はいない。ノイレンを子どもだと軽んじている大人たちは普段から追われる側にいる彼女のしぶとさを甘く見ていた。

 あっという間にノイレンの姿を見失ってしまった。

「くそっ、あのガキ逃げ足だけは素早いんだからな。」

「今度見つけた時はコテンパンにとっちめてやる。」

 肩で息をしながら自警団の団員たちが負け惜しみを言う。20歳を少し過ぎた体力のある青年たちだが情けない。

 ノイレンは身を潜めた物陰から自警団が追ってこないことを確かめると人差し指で鼻をさすって出てきた。

「まったく、しつこいんだからな、アイツら。」

 彼らに追いかけられるような悪いことをしているという自覚はあるが、「大人は信用ならない」から何事も自分の力でなんとかしなければ生きていけないと、ノイレンは自分に言い聞かせている。

 6年前の出来事が彼女にそこまで思い詰めさせた。


   * * *

 6年前、ノイレンのお母さんが死んだ翌日、キツイ香水の匂いをぷんぷんさせている父親が久しぶりに戻ってきた。彼の中で虫の知らせがあったわけじゃない。ふところが寂しくなっただけだ。しかし蓄えを入れていた小箱が空になっているのを見て激高、小箱を床に叩きつけてノイレンを探した。

「ノイレン!どこにいる、出てこい!」

 狭い家だがノイレンが自分を嫌ってどこかに隠れていると思い込み手当たり次第にあちこちの扉を開けて回る。最後に夫婦の寝室の扉を開けた。

「ここにいたのか!」

 ずかずかとベッドに近づいていき妻の寝ているベッドにすがるようにしがみついている娘の服の襟をうしろから掴んでぐいっと持ち上げた。キツイ香水の匂いがしみこんでいるが小綺麗な父親の服と、薄汚れて所々破れてほつれているノイレンの服がとても対照的だ。けれども父親はそんなことにも気付かない。

「おいっ!金はどうした?!お前が使ったのか?!」

 父親は襟を握る手に力を込める。ノイレンの首が締まる。ノイレンはうなだれたまま何も答えない。このままでは窒息させてしまうが、今やこの男は"キツイ香水を纏った女"以外に興味がなかった。妻の病状も娘の今日の糧も、そんなことは気にもとめないものになっていた。

「答えろ!」

 怒り心頭の形相で迫るその男をノイレンは恨みを込めた険しい目できつく睨みつけた。

 泣き腫らしたあとの充血した目でそんな視線を向けてくる娘の態度に流石にこの男も異変を感じとり、ベッドに横たわる妻に視線を落とした。妻の顔を見たのは何ヶ月ぶりだろうか。ノイレンのあんな視線がなければ病気で寝たきりの妻のことなぞこれっぽちも気にかけることはなかっただろう。

 男はようやく妻の死を悟った。

「ふん、死んだのか。」

 すると男はノイレンを床に投げ捨てるように放して家から出ていった。


 しばらくして男は戻ってくるなり、

「いつまでそうしてるんだ、こっちに来い!」

 そう言ってノイレンを家から連れ出した。キツイ香水の匂いがノイレンの鼻に突き刺さる。さっきよりも匂いが強くなっている。お母さんの側を離れたくない彼女は必死に抵抗したが大人の男の力には勝てなかった。

「いやだ!行かない!」

「駄々こねてるんじゃねえ!」

 ノイレンはポニーテールをつかまれて引きずられていく。その男の手を振り払おうとした拍子に母の枕元にあるお供え物になってしまった卵焼きを載せた皿に手がぶつかり、皿ごと飛んで床に散らばった。その卵焼きの一片を男の靴が踏みつけていく。ノイレンの目にはお母さんと自分がこの男に踏みにじられたように映った。男はそれに気付くこともなくぐいぐいとノイレンを表へ向かって引きずった。ノイレンはみるみる遠ざかる母の亡骸へ向かって「お母さん!お母さん!」と思い切り手を伸ばして助けを求めて叫ぶ。母の胸元に供えた忘れ草のオレンジ色がノイレンの目に焼き付いた。


 家の前には一台の馬車が待っていた。

「さあ、早く乗れ。」

 男はノイレンの口に猿轡(さるぐつわ)をし、さらに逃げ出せないよう彼女の背丈より長い丸太に縛り付けて馬車の荷台に放り込むと、丸一日かけて知らない遠い町へ彼女を連れていった。

 御者台にはあのキツイ香水を纏った女がいた。女は荷台に転がるノイレンを一瞥しただけであとは"物"扱いしてきた。男はその隣に座って楽しそうな笑顔を女に向けて手綱を握る。

「ねえ、どこへ行く気?奴隷商や娼館ならこの街(ここ)にもあるじゃないの。」

 女が男に尋ねる。

「ここじゃダメだ。前からあちこちに売り込んでたんだが、ガキすぎてどこも買ってくれねえんだ。10歳はいってねえと使い物にならねえんだと。」

 男が忌々しそうな(つら)で答えると、女はそれ以上はその話題に触れなかった。

 馬車に揺られながら2人の会話を聞いていたノイレンはショックを受けた。父親は元気で健康な他所(よそ)の女と遊ぶために病身の妻と看病をする娘に嘘をついて家に帰らなかっただけでなく、遊ぶ金ほしさに自分を売り飛ばそうとしていたと知り愕然とした。まだ幼くて奴隷商や娼館という言葉は分からなかったけれど、実の父親に母娘(おやこ)で裏切られただけでなく、”物扱い”されていたのだ。ノイレンはお母さん以外の大人への嫌悪を増幅させていった。

『ううう〜っ!』

 猿轡のせいでまともに喋れないノイレンがうめき声を上げて反抗すると、

「うるっさいわねっ!!」

 女が手近にあった小物を手に取りノイレンに向かって投げつけた。小物が(したた)かに足に当たった。

『あうっ!』

「あら、()()なんか変な音立ててるわ、アハハ。」

 女が面白がって男に荷台を見るよう肩を叩く。

「おい、売れる前に傷つけるなよ。」

 男が女をたしなめた。

 ノイレンは荷台に転がったまま2人を睨みつけながら声にならない声を絞り出していた。

『お母さん・・・』

 ノイレンは母の胸元に供えた忘れ草のオレンジ色を思い出していた。

次回予告

妻の病気をきっかけに家族を捨てた父親によって遠い町に置き去りにされたノイレン。

人間不信に陥ったノイレンは唯一面倒を見てくれる神父にさえも心を開かない。

自分1人の力で生きていこうと心に決めるがノイレンはあまりにも幼かった。

君は彼女の生き様を見届けられるか。

次回第三話「神よ、私は無力です。」

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