1「お花の好きな、優しい子になってね。」
『聖剣伝説レッドソード』スピンオフ。
かの作では面倒見のよい姉御肌で竹を割ったような性格をしている女性剣士ノイレン。彼女がどんな生い立ちで剣士としてどう成長していったのか、その半生を描いた物語です。
私事で申し訳ありませんが週に一話~二話のペースで更新していきます。
夜の闇が溶け始めた東の空が更に明るくなり清々しさが地上を包む頃、朝市に活気が溢れてくる。通りの両脇にずらっと露店が並んでいる。焼きたてのパン、採れたての野菜、近くの川で獲ってきた魚などさまざまな食材が朝の空気と光に包まれてその魅力が一層際立っている。
魚屋の店先に肥えて栄養たっぷり間違いなしの大きな魚が一匹でんと置かれている。その魚を物陰から狙う鋭い眼光が一筋。
店主が他の魚を並べるため目を離した隙に矢の如く物陰から飛び出してきた眼光がその大きな魚を捕らえて飛び去った。
「あ!またお前か、待ちやがれっ!」
気付いた店主が怒鳴りながら追いかけてくる。
「へっ、待つヤツがどこにいるかってんだ。」
盗んだ大きな魚をこれ見よがしに頭上に持ち上げて、12歳にしては背の高い少女が店主を嘲笑いながら捨て台詞を吐いた。逃げ足が速い。いつものことだが、店主は追いつけない。この魚屋の店主だけでなく他の店の人たちもこの少女にかかっては泣きを見るしかなかった。
「ノイレン!!」
魚屋の店主が大きな声で少女の名前を叫ぶ。だがノイレンの姿はあっという間に小さくなって店主の視界から消えた。
朝市の立つ通りから3本ほど離れた裏通りにノイレンの姿があった。着の身着のままで小汚い。後頭部の高い位置で縛って垂らしている長い髪はごわごわだ。
「ほら、これお母さんに食べさせてやんな。」
ノイレンはそう言って盗んできた栄養たっぷり間違いなしの大きな魚をそこで待っていた近所に住むまだ幼い子にあげた。
「いいの?」
小さな子は遠慮しながらもその魚から目を離さない。
「ああ、これ食べればお母さんの病気も良くなるさ。ほら早く持って帰れ。」
ノイレンは周りに注意を払いながらその子を急かした。
「ありがとう!おねえちゃん。」
その小さな子は両手でその魚を抱えると笑顔で帰っていった。ノイレンは人差し指で鼻をこすると満足げな笑みを浮かべてその子が見えなくなるまで見送った。
「さてと、」
ノイレンは朝市のほうへまた足を向けた。今度は自分の朝飯を調達する気だ。
「今日は何にしようかな。」
にまにまと笑いながらどの店の何を狙うか考えを巡らす。
ほどなくして今朝2軒目の被害を被った店がでた。
ノイレンは人目につかない隠れ場所を街の数カ所に持っている。日によって場所を変え、追ってくる店の大人や自警団の目をかわしていた。
その隠れ処の一つに落ち着くと朝市で盗ってきた食べ物を腹に入れながら、魚をあげた子供とその母親のことを案じた。ノイレンはあの幼い子供に6年前の自分が重なってしかたなかった。
* * *
今いる街とは別の街タンブルでノイレンは生まれ育った。中央の広場から離れた街の外郭に近い場所に家はあった。
6年前。朝からよく晴れて空の青さが一層濃くなった日の昼下がり。
「ただいまー、お母さん見て!」
まだ小さいノイレンが手に持っているカゴを病床の母に嬉しそうに見せた。中には卵が3個とオレンジ色の綺麗な忘れ草が一輪入っている。その花とは対照的にノイレンの服は所々破れてほつれ、薄汚れていた。
「卵分けてもらえた!あとね、帰りに見つけたの、このお花。」
自慢げに卵と忘れ草を取り出してベッドに横たわるお母さんの顔に近づけた。
「お母さん?」
お母さんは目を瞑ったままノイレンの呼びかけに応える様子がない。しばらくお母さんの顔を見つめたあと母が珍しくぐっすり寝てるのに起こしたら可哀想だと、少しがっかりしながら卵をカゴに戻し、忘れ草を母の胸元に置いて台所へ向かった。
ここひと月以上母の眠りは浅くなっていて病気と寝不足でやつれが酷かった。だからよく寝ている様子に安心もした。
「卵焼き作るねー!」
器用に卵を割りながらお母さんのいる部屋へ声をかけ、鼻歌混じりに溶いていく。
お母さんが病気になるとノイレンは一生懸命に看病をした。一方彼女の父親は妻が病気になってからというもの滅多に家に帰ってこなくなった。最初のうちは妻の治療費を稼ぐために昼夜を問わず働いているからと称していたがその稼ぎで腕のいい医者を連れてきたことも、高価な薬を買ってきたこともない。むしろ不意に戻ってきては少ない家の蓄えから幾ばくかを持っていくだけだった。その父の服からはいつもキツイ香水の匂いがした。
父親が初めてそのキツイ匂いをさせて帰ってきた時、お母さんが病気になったというのに全く看病しないだけでなく、知らない"女"の匂いをさせていることにノイレンは泣き喚いて怒ったことがある。まだ子供といえど彼女はそれが"大人の女の匂い"だと直感した。わめきながら責めると父親は大きな音でテーブルを叩いて出て行った。
その騒ぎを聞きつけたお母さんは起き上がるのも辛いのにノイレンの元までやってきてそっと抱きしめてくれた。
「お父さんなんてもう要らない。あんなやつ帰ってきても家に入れてやるもんか。」
幼心にそう決めた。
ノイレンはお母さんのために自分の食事を我慢してまで母に滋養を取らせようと近所の人たちに色々と聞いて回り、少ない家の蓄えをそれに費やした。時間を見つけては教会に母の全快を祈りにも行った。
日が傾いてあたりが柔らかい紅い光に包まれ始めた頃、卵焼きを乗せた皿を両手で持って母の様子を見に行った。
「お母さん、起きた?」
卵焼きはすっかり冷めていたけど、鼻を近づけると美味しそうな匂いがした。ノイレンの腹の虫が鳴る。
「お母さん。」
お母さんはノイレンが帰ってきた時に見たままの状態で目を瞑っている。胸元に置いた花もそのままだ。さすがにノイレンも嫌な予感がした。
ノイレンは卵焼きの皿を枕元に置くと、小さな手をお母さんの頬にそっと当てた。
冷たい。
ノイレンの手が震えてくる。
「お母さん!お母さん!」
ノイレンは両手で母の体を大きく揺さぶった。胸元に置いたオレンジ色の忘れ草がぽとりと布団の上に落ちた。
昼間ノイレンがお母さんのために底をついてきた蓄えの残りを全部握りしめて滋養を求めに行っている間に、お母さんは娘の帰りを待つことなく旅立ってしまっていた。
『行ってきます、すぐに帰ってくるからね』
出かける前に声をかけた時お母さんはかすかに微笑んでくれたのに。帰ってきた時なぜ気づかなかったのか、そう考えるとノイレンは悔しくてたまらなかった。
最後のお別れを言えなかったノイレンはお母さんの布団に顔を埋めるとわんわん泣いた。
泣き腫らして真っ赤になった目で冷たくなった母の傍らにすがる彼女の脳裏にお母さんとの思い出がしゃぼん玉のように次々と浮かんでは弾けていく。
「お花の好きな、優しい子になってね」
お母さんは摘んできた花を食卓に飾りながら口癖のようにノイレンにいつも言っていた。だからというわけではないけれど、常に花のある暮らしの中でノイレンは草花の好きな子どもに育った。とりわけオレンジ色の花がお気に入りだった。またそれと同じくらい草花に寄ってくる虫や小動物にも興味を示した。
ある時など虫への好奇心が高じて家の外から中まで砂糖で道を作り蟻を招き入れたことがある。ノイレンはありんこが隊列をなして行進する様子が楽しくて、その横にしゃがみ込んでいつまでも眺めていた。もちろんあとでお母さんにこっぴどく叱られた。
おしとやかとは程遠い快活な性格から外では近所の男の子たちともよく遊んだ。街に駐留している騎士団に憧れていた男の子たちが"騎士団ごっこ"をするときはノイレンの姿もいつもその中にあった。敵味方に分かれてチャンバラをやると誰が相手でも負かすまで食い下がっていくほど負けん気も強かった。
そして夕飯を食べながらその日の出来事をお母さんに話して聞かせるのがノイレンの日課。お母さんは虫の話のときは引きつった顔をしていたが、それ以外は終始にこやかな笑顔で黙って聴いてくれた。
そのお母さんがもう話を聞いてくれない。いくら話しかけても微笑んでくれない。ノイレンはお母さんの笑顔が好きだった。母の優しい笑顔を見ると安心感を覚えた。
病気でやつれてやせ細ったお母さんの笑顔は以前のようではなくなっていたけれど、それでもノイレンは心が満たされた。お母さんに滋養をつけてもらうため自分のご飯を後回しにしておなかが減っていても母の笑顔を見ると我慢できた。
そんな献身を始めて半年が経とうかという今日、全てが泡となって消えた。
散々泣き散らしたノイレンの目にはもう涙さえも浮かばない。全てが枯れ果てた。摘んできたオレンジ色の忘れ草を母の亡骸に供えるとその傍らでただただやつれた死に顔を見つめているだけだった。
* * *
朝市で盗ってきた物を食べ進めながらノイレンはお母さんのことを思い出していた。あれから6年経ったがあの時ほど泣いたことは他にはない。これから先も多分ないだろうとノイレンは思っている。
腹ごしらえを済ませるとノイレンは周囲を警戒しつつ外に出て建物に囲まれた四角い空を見上げた。深い青さが彼女の全ての感情を吸い上げていく。あれ以来泣こうと思っても涙が出てこない。空を見つめる彼女の頬に爽やかな午前の光がキラリと触れていった。
次回予告
街に住む似たような境遇の幼い子どもについ同情して、自分の母を失った時のことを思い出したノイレン。献身的な看病も甲斐なく母を失った彼女の身に更なる不幸が降りかかる。
君は彼女の生き様を見届けられるか。
次回第二話『お母さん・・・』