RJ
『ベントラ・ベントラ・スペース・ピープル。遠き空の我らが友よ、応答願う。ベントラ・ベントラ・スペース・ピープル……』
というような、それっぽい台詞を呟くこともなく、礼理さんは無言のまま両手に持った二つの懐中電灯をチカチカと夜空に向けて点滅させていた。
土曜日の夜九時。俺と礼理さんと吉田は、ユーフォーの目撃多発スポットである某公園に来ていた。
いや、目撃多発スポットというのは礼理さんが言いだしただけで、俺も吉田も、ここがそんな噂のある場所だとは知らなかった。その道の人たちのあいだでは有名らしいのだが、俺はその道の人ではない。
ここは海に面したかなり広い公園で、一週するだけでも徒歩で十五分はかかる。そんな広さだから、高層ビルや繁華街の煌びやかなネオンが夜空を遮ることはない。落ち着いて空を観察できるという点では、なるほど、ユーフォーの目撃多発スポットだと言われるのもなんとなくわかる。
俺と吉田は、芝生が敷かれた広場に座り込み、礼理さんがユーフォーと交信するのを見守っていた。
前方に海が広がっている。波の音が心地よく、吹き抜ける潮風の匂いがどこか懐かしさを感じさせる。そしてユーフォーは現れない。
「ユーフォーと交信するのって、なんかこう、意外と地味なんだな。呪文とか唱えるのかと思ってた」
礼理さんが交信を試みて三十分が経つ。ただじっと待っているのに飽きてそう彼女に話しかけると、
「こんな地上でぼそぼそ喋ったって、UFOの中の宇宙人に聞こえるわけないでしょ」
と、マジレスされた。
「それじゃ懐中電灯の光だって届かないんじゃないのか?」
「これ強めのライトだから。それに周りが暗いでしょ。だから空からでも見えるよ。たぶん」
まあ、確かにこの公園は敷地面積に対して外灯の数が少なく、俺が想像していたよりもずっと暗い。ちょっと離れた先にある茂みなんかは完全に真っ暗で、夜に一人で散歩に来るには少し怖いくらいだ。
芝生の上で寝転がっている、眼鏡をかけているのに優等生にもインテリにもまったく見えないという独特の風格を放つ男――吉田が呟いた。
「トイレ」
「さっき行ったばかりだろ」
「I like トイレ! I like トイレ!」
「奇特すぎる」
なぜこの場に吉田がいるのかといえば、ユーフォー捕獲の切り札として俺が呼んだのだ。
吉田は中学時代、円盤投げをしていた。かつて円盤を投げていた男が、円盤を捕まえる。これほど運命的なことはないだろう。
そして吉田はいま、射撃部だ。
以前、テレビかなにかでクレー射撃という競技を見たことがある。ユーフォーに似た、高速で動く円盤型の的を撃ち抜くという競技だ。
俺は思った。
『じゃあ、円盤型の的ではなく、本物のユーフォーを撃ち抜いたら、バチクソにドデカいポイントが射撃部に入るんじゃないか?』……と。
当初、俺は吉田にユーフォーを銃で撃墜してもらう計画だった。それが射撃部の実績にもなると考えたのだ。
だが、それについて、吉田は以下のように反論してきた。
・安全面の問題で、基本的に高校の射撃部でクレー射撃はおこなわれない。
・部活で使っているのはビームライフルだから、そもそも実弾が出ない。
・仮に実銃を持っていたとしても、勝手に持ち出して発砲したら銃刀法違反になる。
・UFOを撃墜できるわけねえだろボケ。
・よって、小柴春海の作戦には無理がある。
くそ! くそ! くそ! 銃刀法! ここでもまた法律だ! ちくしょうが!
火薬を使おうと思えば火薬取締法!
ラジコンを飛ばそうと思えば航空法!
銃を扱おうとすれば銃刀法!
ぜ~~~んぶ、法!!!
なにが法だ! やってらんねえよ!
ということで、俺の当初の予定はすべて崩れた。だが俺はすぐにプランBを思いついた。そしてそのプランもまた、吉田の力が必要だった。こいつの存在がすべての鍵なのだ。
「はぁ~、ちょっと休憩!」
礼理さんが芝生に座り込み、光の消えた懐中電灯を地面に放り出した。
「礼理さん、休むの?」
「うん」
「じゃあ次は俺が考えてきた作戦を試してみてもいいか?」
「……そうだね、次はそっちの番でお願い。ちょっと腕が痛くなっちゃって」
と、礼理さんは苦笑しながら両手を振ってみせた。四十分近く懐中電灯のスイッチを連打していたのだから、そりゃ腕も痛めるだろう。
俺は近くで寝そべっている吉田に言った。
「吉田、そろそろ始めるぞ」
「RJ」
「RJってなんだ」
「ごめん間違った。OK」
「なにをどう間違ったんだ……」
「どっちもアルファベット二文字だから……」
理由になっていない。OKとRJを間違える人、初めて見た。
吉田はむっくりと起き上がると、スーツケースを引きずりながら、暗闇の濃い茂みの奥へと歩いていった。
「吉田くん、どこ行ったの?」
「準備だよ」
「なんの……? いや、いいけど」
吉田の準備が整ったら、俺のスマホに連絡が来ることになっている。それまでは待機だ。
なにをするでもなく、時間が過ぎていく。
ジョギングをしている人が視界の端を横切っていった。それっきり、自分達以外の人影は現れない。
海が広い。水平線が、薄い暗闇の中に滲んでいるのが見える。これほど遠くまで見通せる場所に座っているのに、人影はまったく見当たらず、近くで礼理さんが一人座っているだけ。
薄闇だとも、薄明かりだとも言える夜の中に、最近まで知らなかった女の子とたった二人、取り残されている。
なんだか、自分の生活の延長線上のどこにも存在しない、知らない世界に来てしまったような気がした。現実感がない。
風の音が聞こえる。月明かりに照らされた海面が、まるで大きな生き物が深呼吸をするみたいに、穏やかにうねり続ける。
静かだ。そこに気まずさは感じない。だけど、その静けさに身を委ねるのがなぜだか怖くなって、何か喋ろうかと思ったのと同時に、礼理さんが口を開いた。
「ねえ、なんで小柴くんは歯ブラシを飛ばすのが好きなの? まだ聞いてなかったなって」
訊かれて、一瞬返事に困った。それについて、言いたくないというわけではないのだが。
「……言ってもわからないと思うぞ」
「聞かないほうがよかった?」
「じゃあ、なんで礼理さんがユーフォーを追いかけてるのか教えてよ。俺もそれ、聞いてない」
礼理さんは困ったように眉をひそめながらも、口元には笑みを浮かべていた。
「たぶん、言ってもわかんないと思うよ」
「お互いさまじゃん」
そうして、二人して笑った。遠くの波の音がかき消されない程度の、ほんのささやかな笑いだった。
そこで会話を終わらせてもよかったとは思う。
でも、まあ、続きを話してもいいかという気分になった。
「昔、歯ブラシが飛んでるのを見たんだよ。光がすげー綺麗でさ」
「……へえ?」
「歯ブラシって歯を磨くためのものだろ? それが空を飛ぶってさ、わけわかんないじゃん。歯もブラシも空を飛ぶのに全然関係ないのに。そんなひとつも合理的じゃない、まったく意味のないものがこの世にあるんだ、あってもいいんだって思ったらほっとしてさ」
俺は礼理さんの方をちらりと見て、すぐに目を逸らした。
「だから、俺は歯ブラシを飛ばすんだよ」
説明になってないか。でも、これ以上言いようがないんだから仕方がない。
何かリアクションが欲しかったわけでもないから、俺は返事を待たずに、彼女の顔も見ず、「次、そっちの番」と促した。
拒否されるかもしれないとも思ったけれど、十秒ほど間があったのち、彼女は「小柴くんほどうまく言葉にできないけど」と、前置きをした。
「私はさ、なんだろう。なんて言ったらいいんだろ。想像もできないような世界が、どこかにあってほしいのかも。うん、そう、自分の知っている世界と全然違う世界が、どこかにあったらいいなって思うんだよね」
自分の気持ちをひとつひとつ確かめながら進んでいくような、ゆったりとした口調だった。
「地球の人類とは全然違う、自分の持ってる常識とか価値観とかが全部どうでもよくなるような、自分が固執しているものなんて宇宙の隅っこにあるちっぽけなものなんだって思えるような、そんなものがあったら、そんな世界を知れたら、私はすごく……すごく楽になれると思う。だから、UFOを追ってる」
そこで言葉が途切れ、沈黙が降りてくる。
正直に言って、なぜ『だから、UFO追ってる』ことになるのか、俺にはわからない。それを理解するには、まだ彼女のことを知らなすぎるのだろう。
俺はひとつだけ尋ねる。
「礼理さん、その話、誰かに言ったことある?」
「あるけど」
そう言って苦笑する。
「どういう流れだったのかな、中学のとき、仲のいい子に一度だけ話したんだ。でも、すごく微妙な反応をされたから、それっきり人に言うのやめちゃった」
「俺もそう、似たようなもんだよ。『歯ブラシを飛ばす』って、なんてすごいアイディアなんだって思って、最初は布教しまくったんだよ、周りに。そしたら全然思ってた感じのリアクションが返ってこなくて、あれってなった。そのギャップがなんか面倒くさくなってきて、だんだん人に言わなくなった」
「じゃあ、なんで私にその話をしてくれたの?」
と、今度は礼理さんが尋ねてくる。
「なんでだろう。それを言ったら、礼理さんだってなんで話してくれたの」
「さあ」
礼理さんは他人事のように首を傾げたあと、ふと思いついたように真上に指をさした。
「月のせいじゃない?」
「月?」
「満月の日は犯罪率が上がるって都市伝説、あるでしょ? 満月は人をおかしくするんだよ」
そうなのかと思い、俺は頭上を見る。
「今日、満月じゃないじゃん」
「細かいね。人と月のサイズ感の差を考えたらさ、三日月も満月も一緒だよ。人に与える影響力なんてさ」
「めちゃくちゃなこと言うな」
だんだんわかってきたが、この伊十川礼理というオカルト研究部員、ユーフォー以外のオカルトに対してはだいぶ適当というか、冷めている。
「小柴くんはすごいよね」
「……え?」
急に話が変わったように感じて、俺は一瞬反応ができなかった。
見ると、礼理さんは真顔で俺を見つめていた。
「どうした、急に」
彼女は微笑んだ。そこには自嘲めいた色があった。
「だってさ、小柴くんは自分でラジコンを作って、部活で結果を出して、実績を作って、居場所も確保してるでしょ? それなのに、私は」
――私はさあ、何をやってるんだろ。
そう呟いて、礼理さんが空を見上げた。つられて俺も視線を上げる。
光を放つ飛行物が夜空を横断していく。
一瞬「あっ」と声を上げそうになったが、よく見ればそれは未確認飛行物体などではなく、明らかにただの飛行機だった。
まだ吉田から連絡は来ない。時刻は夜の十時を回っていた。
「そういえばこんな時間だけど、出歩いていて大丈夫なのか?」
「補導されないかってこと? 平気だよ。この公園、ほとんど見回りなんてこないんだから」
「そうじゃなくて、女子がこんな時間にうろついていていいのかってことだよ」
この日の予定を立てたのは礼理さんだから大丈夫なんだろうとは思っていたけれど、いざこの時間になってみると、ふと心配になった。家族は何も言ってこないのだろうか。
ちなみにうちは問題ない。あの人たちはもう、自分の息子たちに何も言わなくなってしまった。
礼理さんはさらっと言った。
「大丈夫だよ。気にする人なんていないから」
「ん?」
いない、という言い回しに引っかかりを覚えた。
「いないってなんだよ」
「そのままの意味」
「一人暮らしってこと?」
ああ、そういえば弁当を自分で作っていたしな、と勝手に納得しかけた瞬間、礼理さんは「ははっ」と短く笑った。ひどく渇いた、温度のない笑い声だった。
「一人暮らし、してみたいよ。どうせ私はいないほうがいいんだから」
はあ、とため息をつきながら、彼女は自身の膝に顔を埋めた――と思いきや、ぱっと顔を上げて、涼しげな顔で言った。
「ごめん、いまの冗談」
……無理がある。冗談には聞こえなかった。
いまの話は、どう受け止めたらいいのだろう。聞かなかったことにすればいいのだろうか?
――どうせ私はいないほうがいいんだから。
俺は礼理さんと知り合ったばかりだ。彼女のことはまだほとんど何も知らない。
だが、彼女の言動に違和感を覚えることは少なくなかった。
たとえば、彼女が『伊十川』という名字が嫌いだから、それで呼ぶなと言ったこと。考えてみればこれは少し変わっている。
自分の名前が嫌いというケースはそう珍しくもないと思う。俺だって「春海」という名前は爽やかすぎてあまり好きではない。
単なる好き嫌いのレベルを遥かに越えたような、耐え難い名前――いわゆるキラキラネームが問題になることもある。もしも『超絶ゴミ太郎』が自分の名前だったら、絶対に改名したいし、その名前で呼ばれたくない。
しかし、名字が嫌いというケースはあまり聞いたことがない。もちろん、世の中には名乗るのをためらうような変わった名字だってあるのだろう。
だが『伊十川』は字面も響きも、どう考えたって奇抜ではない。はっきり言って平凡だ。呼ばれたくないほど嫌いになるほうが難しいと思う。
おそらく礼理さんが嫌っているのは『伊十川』の音や読みといった、表面的な部分ではないのではないか。表面的な部分が嫌いじゃないのだとしたら、彼女が嫌っているのは……。
違和感を覚えたのは、名字の件だけではない。礼理さんは弁当を毎日手作りしていると言っていた。それについて、すごいなと俺が言うと、彼女はたしかこう返してきた。
「面倒なのは最初だけだよ。慣れると楽しいよ」
ということは、慣れるまでは楽しくなかったし、最初は面倒だったということだ。そんな弁当作りを、なぜ彼女は始めたのか。
一人暮らしならそういうこともあるだろう。だが、先ほどの会話から、彼女は一人暮らしではない。
いろんな家庭がある。何が常識だとは言えない。しかし、高校生が自分の弁当を毎日作るというのは、多数派ではないはずだ。
家族がいるのに、まだ高校生の彼女は、なぜ自分の弁当を作るのか。
誰も用意してくれないからじゃないのか?
まあ、この辺までは、俺の勝手な深読みかもしれない。先ほどの彼女の不穏な発言がなければ、そこまで気にしなかったと思う。
だが、深読みでもなんでもなく、「これは明らかに変だ」と思った言動がひとつだけある。
「礼理さん、警察に電話する癖あったよな?」
俺が初めて礼理さんと会った日と、その翌日、彼女が突然警察署に電話をするというくだりがあった。
日を跨いで二度もやっている。あれは一時の気の迷いや冗談なんかじゃない。
「あの変な癖、なんだろうなって思ってたんだ。いたずらであれ、本気であれ、警察に電話するのって、だいぶ覚悟がいると思うんだよ。あんなに軽々しくできることだとは思えない」
あのときただ見ていただけの俺が、思わず止めてしまったほどだ。
「しかも110番じゃなくて、警察署に直接電話してたよな?」
「…………」
否定してこない。礼理さんは黙ったまま俯いている。
ここから話を進めるには勇気がいる。俺は一度だけ息を深く吸んでから、再び問いかけた。
「もしかして、警察に電話するの、慣れてるんじゃないのか?」
つまり、警察に電話をしなきゃいけないようなことが、何度も起こっているということじゃないのか?
礼理さんは何も言わず、一瞬だけ俺の方を向いた。その顔からは表情が消えていた。
これ以上、踏み込んでもいいのだろうか。
いや、たとえ踏み込んだとしても、ここから先はたぶん、俺にはどうすることもできない可能性が高い。
それでも――この手の話は、俺は無視できない。
覚悟を決める。
そして、彼女に言う。
「礼理さんの家、大丈夫なのか?」




