嘘つきの獣
雲一つ無い快晴のこの日、ヴィルヘルムの「服を買いに行こうか」の誘いを受け少女と青年は、診療所では無く自宅にて朝食を食べていた。
この街、古都カナーゾムは高低差がある街の為、1階と2階に玄関、裏玄関がある建物が多い。しかし古都の中心付近は比較的緩やかで、その地域に住まうヴィルヘルムの邸宅は、平坦な地形を利用した通常の建物となっている。
大通りと広場に接する西棟を診療所、現在『フェレール歯科医院』として使い、東棟の裏通り側を自宅。それと資料置き場として使っている。
その昔、亡き父トーマスが勤めていた時は従業員を多く雇い、古都カナーゾムの人々の健康を支えていた。
10年も前の事。化物であるカインスティアによってヴィルヘルム以外の家族が殺された後は、自然と『フェレール診療所』は消滅していった。一人残った少年のヴィルヘルムは教会に預けられ、そこで化物を滅する術を会得し、いつしか“教会の槍”の中では一番の実力者となっていた──
「そういった過去が……ヴィルヘルムさんには有るんですね」
「あぁいや……。気分を害したのなら申し訳ない。朝食中に、こんな話を……」
「い、いいんです。私からこの建物について聞きましたから」
ルキアは診療所から自宅までの道なりを思い出す。
とは言え、西棟と東棟は繋がっていた為、そこまで観察出来た訳ではない。しかし東棟の自宅に入ると診療所の薬の匂いとは違い、心落ち着くコーヒーと彼の香りが印象的だった。
そして彼から話を聞き、かつては活気があったであろう薄暗く静かな病棟にも納得した。彼は本当に、心の底から化物達が憎い事も知った。
ヴィルヘルムが教会の槍を辞め一人診療所を引き継いだのも、従業員を雇わず個人で運営していたもの、その全てが人々を恐怖に陥れているカインスティアが原因だ、とルキアは思った。亡き父の遺志を継ぎ、かと言って化物による被害。それで被る喪失感をこれ以上得ないように──
とは言え彼の話を全て聞いたわけでは無い。きっとまだ、話したくない過去が彼にはあるだろう……
「ん? まだ調子悪い? 食事の手が止まっているけど……」
「だ、大丈夫です! 美味しいです!!」
ルキアは我に返ると朝食である麦のお粥を食べ始めた。
昨日はと違い卵と香辛料が入っていたので爽やかで食べ応えのあるものだった。
「そうか……。あ、明日からはパンにしようか?」
そう呟くヴィルヘルムに対してルキアは提案を断った。
「あの……。今の私は、建前上では歯科医院の従業員ですが……まだヴィルヘルムさんに対して恩返しが出来てません……。ですので……私に掛かる生活費は最小限で……。それも何時かお仕事として……」
「今は気にしなくて大丈夫だよ。このお粥はただ、食事に無頓着だった頃の名残というか……。じゃあさ」
青年は提案するように人差し指を振りながら言った。
「僕はあんまり食べ物に関しては興味が無くてね。そこで君が様々な物を食べ、気に入ったものを僕にスピーチして欲しいな。あれが美味しかった、これのココが好き、だとかさ」
「そんな……簡単な事で……」
「いやいや、僕にとっては重要さ。あー、じゃあ服を買い終わったらカフェにでも行こうか! おすすめしたい所があるんだ」
「……。はい、ヴィルヘルムさんが行くのならば、私は何処へでも……」
◇◇◇◇
「来たねヴィリー!! 帽子の手入れは行き届いているかい!?」
曲がりくねった裏路地を進んだ先。少しさびれた店に入るなり、椅子に腰かけ新聞を読んでいた白髪混じりの老婆は、ヴィルヘルムの愛称と彼の頭に乗る帽子を指差した。
それに彼は黒色のフェルトハットを持ち上げて軽く会釈した。その影から銀髪の少女がやや怯えながら出てきた。
その後、ルキアの服装。ヴィルヘルムから借りたであろうブカブカの白衣を見た老婆は、白く濁った眼鏡をクイと上げた。
「いや婆さん、今日は帽子じゃ無いんだ。……この子の服を買いたくてね」
「ほー? 可愛らしい娘じゃ無いか? なんだいヴィリー、とうとう結婚するのかね?」
「違いますよ、悪い冗談はよしてくれ。……先の化物退治での生存者でね。何というか……訳アリなんだよ」
「ふーん、そうかい。粗方察したよ。じゃあ嬢ちゃん、採寸するから此処まで来て頂戴」
「あっ……はい!」
ヴィルヘルムの優しい後押しもあり、ルキアは招かれるようにカーテンの向こう側、試着室まで進んだ。
その後、採寸用のメジャーを持った老婆にルキアは、
「白衣……脱いだ方が良いですか?」
と小さな声で聞いた。
その一声で苦悩した老婆だったが『その人に合った服を提供する』という長年勤めたプロ精神に負け、申し訳なさそうにこう言った。
「悪いね。そうしてくれると助かるねぇ」
「はい。少し待っていてください」
ルキアにとっては白衣を脱ぐことは簡単だった。
それよりも、旧主の事柄もあり脱衣に関しては抵抗が無く、少女は服屋の老婆に対して傷だらけの肌を晒した。と、言っても下着のシュミーズを着ているが。
その下着から見える古傷こそ放置されているが、最近出来たであろう生傷にはヴィルヘルムが施した治療跡である包帯が巻かれていた。
「この時代に……こんな馬鹿な事があるのだな。さ、嬢ちゃん。さっそと済ませちまおうか」
「……はい」
熟練の老婆の手捌きによってメモ用紙に寸法を書き込んでいく。その度に「細いねぇ」と零す老婆であったが、10分もしない内に記録は完了した。
終了の合図と共にルキアは、薬の香りが染み込んだ白衣の裾に腕を通した。
試着室から出た2人は、店内を巡る様に服を見始めた。
この店には老婆一人きりの様でとても静かだったが、時折聞こえるヴィルヘルムの「この帽子良いな」の声がルキアの緊張をほぐしていった。
「あの坊やはね、父親の影響もあって大の帽子好きなのさ。それほどヴィリーにとって、家族は大切なモノだったんだ。しかもあの診療所はね、昔からここ等地域の憩いの場でも有ったんだ」
「帽子については初耳ですが……診療所については今朝、聞きました」
「そうかい? なら話は早いね。とは言え当時は……本当にワタシでも最悪な気分になったモンだよ。なんせ坊や以外の一家。父、母、妹の3人を喰われちまったんだから……」
「妹……!? それも……初耳です……」
「あぁ、敢えて言わなかったんだねヴィリーは。灰色髪の可愛い子でね……今頃生きていりゃあ、嬢ちゃんよりも数個上のお姉さんだね。当時の坊や等は14歳と11歳。今から10年も前の事だよ」
「11の女の子が……化物に喰われて死んだ……」
「あぁそうとも。こんな老婆だが、変わってやりたいモンだよ。教会に入っても最愛のバディを殉教させちまった。なぁ嬢ちゃん?」
「はい……」
老婆は数着、ルキアに似合う服を腕に掛け振り返った。
「嬢ちゃんの過去は壮絶なものだったのだろう。だけどね、ワタシは坊やを小さい頃から知っとる。なぁ嬢ちゃん、本当に我が儘だと思うが……坊やを支えてやってくんねぇか? 嬢ちゃんは何処か……妹のルイを……彷彿とさせるんだ」
「妹さんと……?」
「そうだとも。先の短いババアの戯言だと思っていて欲しい。当然、嬢ちゃんには断る権利があるからね?」
「こ、断るなんてそんな事……。私自身、ヴィるヘルムさんに助けて貰って……しかも良い待遇を……。ふ、不甲斐ない私ですが……任せてください」
「お嬢ちゃんは優しいねぇ。さ、勘定と行こう。……ヴィリー! 終わったよ!! 早く娘を迎えに来な!!」
「ぅえっス!?!?」
店内。ルキアからは見えなかったが、遠くからヴィルヘルムの声が上がった。
その後、足音を立ててフェルトハットの青年が現れた。
「オーダーメイドは時間が掛かるからね。適当にコレ、持ってきな」
「うぉ、そんなに沢山……。良いんですか婆さん?」
「誰かに来てもらわないと勿体ないだろう? そんな臭い白衣なんて着させて……女の子を何だと思ってるんだいヴィリー!?」
「それしかサイズが合うものが無かったんですよ……。それで、幾らですか? 手加減してくれると嬉しいです……」
「ッ!? ヴィルヘルムさん!! それなら私……!!」
ルキアは声を上げた。
しかし少女のか細い声は老婆の一声で掻き消された。
「お嬢ちゃんから貰ったよ。さ、もうお行き。こんな所で愚図愚図していると客が入ってこないんだ」
「チッ……相変わらず口がワリィババァめ……」
「何か言ったかい? ヴィルヘルム?」
「いえ何も」
老婆から代用の服を5着もらっい、一旦荷物を置きに自宅に戻った。
その後ルキアは、慣れない服を着る為にヴィルヘルムの手を借りた。
「すみません、こんな事まで……」
「大丈夫さ。コルセットは慣れるまで辛いだろう? ほら……ここに紐を通すんだ」
「あっ……上手くいったようです。ありがとうございます」
「いいよ。で、次は……ポケットだね。腰に固定するんだ。……そうそう。で、ペティコートだ」
「ほぉ……。女性は沢山着込むんですね……。初めて知りました」
「あはは、そうだね。特にこの国の場合、その様式の服装は誇りでもあるんだよ」
「誇り……?」
ルキアは顔を傾かせた。
そんな少女にヴィルヘルムは青色基調かつ、美しいレースで飾られているドレスを被せた。そして言った。
「あぁ、人が人らしく生きる。服による様式美、それこそ我ら古都に住まう人々の誇りなのさ」
◇◇◇◇
「最初は動きにくいと思ってましたが……案外いけますね」
「そうだろう? それと、この地域は気温が中々上がらなくてね……。いつまでも君に白衣だけを着させることは苦しかったんだ。……寒かったろう?」
「いえ……。私は前から“そう”でしたから……」
「そうか」
人通りが多い表通りはルキアには苦痛か、と思ったヴィルヘルムは裏路地を経由し、行きつけのカフェへと向かう。
陽の光が建物によって遮られたこの道は、冷たくジメジメしていたが人の気配はまるでなく、青色のドレスを着込んだ少女を落ち着かせた。
「これから行くカフェはね」
ヴィルヘルムはルキアを先導しながら口を動かした。
「コーヒーがとても美味しい、と有名なんだ。それとお菓子もね」
裏路地を出、人がまばらに居る通りに出る。その道中、街行く人達はヴィルヘルムに一声掛けていた。
ルキアは「頼られているんですね」と言ったが「父と一族が築いたものだよ」と青年は返した。
6分程歩き、路地裏ほどでは無いが細い道に出た。飲食店が並ぶその通りには、食欲をそそる美味しそうな香りが漂っていた。
少し歩きヴィルヘルムは、古い店のドアを開けルキアの入店を促した。店の中はとても良い香りで充満し、漂うコーヒーと甘いお菓子の匂いがした。そこに──
「よぉ相棒!! 来ると思っていたぜ!!」
店の奥、そこで手を振る金髪の青年が居た。
ヴィルヘルムと同じような服と帽子を着込み、彼の足元には取手を付けた木箱が置いてあった。
「……。外のテラスで休憩しようか」
「え……? あの人は……ご友人なのでは、無いのですか?」
「人違いだろう。行こう」
「えっ……はい、そうしましょう」
「え!? は!? ちょっと待ってよ!! 愛しの相棒、ヘンリーが待っていたんだぞ!?」
◇
ヘンリーはコーヒーを再注文し、ヴィルヘルムとルキアはエスプレッソを注文した。勿論ルキアはコーヒーなど飲んだことが無い為、ただヴィルヘルムと同じものを注文したに過ぎなかった。
ヴィルヘルムはこの店の店主と仲が良いらしく、軽い雑談と目当てのコーヒーを貰うために店内に入っていった。
カフェのテラス席にて残ったルキアとヘンリーは、小さなテーブルを囲み椅子に座っている。この間、会話などは一切ない。しかしその沈黙を破ったのはヘンリーの方だった。
「何というか……あぁ。大丈夫らしいね」
ルキアは直感的に思った。この人は自分の傷の状態を憂いているのでは無く、化物の手下に成っていない事に憂いているのだ、と。
テラスに向かう前に軽く聞いた話だと、彼は化物退治のプロフェショナル“教会の槍”の部員。あの忌まわしき屋敷に出没した吸血鬼を滅するべく、ヴィルヘルムと共に向かい自身を救出したという。
少女にとっては命の恩人の一人なのだが、ヘンリーが向けるどこか冷たい目からは、殺意にも似たものを感じた。それからヘンリーは三口しか残っていない、冷たくなったコーヒーを一口含んでから言った。
「俺にはヴィルヘルムの心境は分からねぇ。だけどなぁ、孤児院からの仲だからよ。何となく察する事は出来る」
「そ、それは……」
ルキアは恐る恐る聞いた。ヘンリーは少女の顔を見て表情を緩めた後、
「あぁゴメン。別にキミに怒っている訳じゃ無いんだよ」
と残ったコーヒーを飲み干した。そしてコーヒーを褒めるかのように数度小さく頷いた。
「ただアイツ。ヴィルヘルムに怒っているんだよ」
「え? どうして……ヴィルヘルムさんを……」
「アイツは嘘しか言わないからだよ。本当の事は隠して、自分一人で苦しめば良いと思ってやがる。ルキアちゃん、キミを見て俺はこう思ったんだよ。アイツは自身の事を『何も話していない』ってね」
「……そうですね」
少女には思い当たる節が有った。
服屋の老婆が語った過去と、ヴィルヘルムの過去の話の乖離。それはまるで「貴方は何も知らなくても良い」という優しさとも解釈できるが、眼前のヘンリーには「信頼されていない」というように映っているのだろう。
「ヴィルヘルムさんの……妹さんについても、この服をくださったご婦人が話してくれました……」
「あー、あの婆さんか。そうだよな……。あの婆さんはヴィルヘルムが赤ん坊の頃から知る……。そもそも、フェレール家の御針子だったからな。あの事件の心境は想像を絶するものだっただろう」
「どうりで……。ヴィルヘルムさんの事を愛称で居た理由が分かりました。あっ!?」
ルキアは早朝の食事。その時にヴィルヘルムがさり気なく言った言葉を思い出した。
その一言が現在、カフェに居る最大の理由でもあった。そう、彼は……
「すみませんヘンリーさん。ヴィルヘルムさんって……どうして食事に対して関心が無いんですか?」
「あ──あ。……それはね」
ヘンリーの表情が急に曇った。しかしルキアは、それでも聞きたかった。
命の恩人であり、心から信じる、と決めた人の秘密を少しでも知りたいがために──
「彼は──ヴィルヘルムはね……」
コーヒーカップを口に運んだヘンリーは、その中身が空だと分かると軽く舌打ちをし、ため息の後に口を開いた。
「アイツは人であって人じゃない。かと言って獣であって、獣でも無い。……人の理性がある獣? ……理性ある化物……カインスティア……?」
なんども言い直し、金髪の青年は真っすぐな眼差しで言った。
「アイツは化物に取り憑かれたんだよ。最愛のバディが殉教した戦いの最中に──。元々ヴィルヘルムの化物狩りの腕は確かだったが、取り憑かれて以降、不動の地位となった。だけどね、取り憑かれて以降、人の感覚が崩れた、って言っていたんだ。それでもなお、彼は街の人の為に化物を狩り続けた……」
「えっ……。人の、感覚ですか……?」
「そうそう。例えば『味覚』。嗅覚は良いらしいが、味覚が無いんだとさ。だから『甘い』『すっぱい』『苦い』などは分からないんだとよ。ここのカフェのコーヒーを好んで飲むのはただ単に『他の店よりも香りが良いから』だとさ」
「だから……なんですね」
そう呟いた時だった。ヴィルヘルムが
「お待たせ」
と、お盆の上に2つのコーヒーカップと、皿に乗るイチゴのショートケーキを持って来た。
「俺もコーヒーをもう一杯、貰ってくるとしよう。あー、相棒。お前の足元にある木箱。それ、お前がぶっ壊した銃の換えな? 大事に使えよ?」
「仕事が早くて助かるよ相棒」
ヴィルヘルムが椅子に座ると同時にヘンリーは立ち上がりカフェの入り口、ドアに手を掛けた。入室する際、ルキアに対してウィンクを一つした。『ごゆっくり』と言いたげな表情からの動作であった。
先程のヘンリーの話も相まってルキアは緊張した。コーヒーとお菓子の味を、味の分からぬヴィルヘルムにどう伝えようか、と──
異様な喉の渇きを覚え少女は、エスプレッソを一つ口にしたが、口内を駆け巡る苦味によって「ゥウッ」と小さな悲鳴を上げた。
それを見たヴィルヘルムは笑い
「貸しな」
と、少女が持つ少し大きめの器を受け取った。
その後、盆の上にあるハチミツ・砂糖をスプーンで混ぜ溶かし、牛乳を入れ鈍い橙色と化したものをルキアに差し出した。
「当初、僕らの国の人々にはコーヒーの苦味が合わなくてね。このように砂糖、牛乳を入れたカフェオレを好んで飲んでいたそうだ。まぁ、キミのはエスプレッソがベースだからカフェラッテだけどね……」
「これが……カフェ……オレ?」
「カフェラッテ」
「……カフェラッテ」
「そうそう」
少女はヴィルヘルムによって姿が変わったコーヒーを一口飲んだ。そして驚いた。
エスプレッソ特有の苦みは抑えられ、しかしそれでも香りは高く、それを包む優しいミルクに、甘く舌を誘うハチミツと砂糖。その全てが絶妙に組み合わさったソレは、たった一口でルキアの好物へと昇華させた。
美味しい、の『お』を言おうとしたところで少女は口を閉じた。もっといい言葉を、恩人に届くような言葉を、と──。しかしここ数年、暗い監獄の様な場所にいたルキアには、それに見合う言葉が見つからなかった。
それを察したヴィルヘルムは、青色のドレスの娘に声を掛けた。
「美味すぎて声も出ないだろう? ここのカフェ、マスターのコーヒーは絶品だ。たっぷりと、この雰囲気を味わおう」
「……はい、ヴィルヘルムさん」
彼は2度3度、エスプレッソの香ばしい香りを楽しみ飲み始めた。その後、テラスから青い空と街並み、道行く人を眺める。
鮮やかな赤色のマントを羽織った子供連れの親子が賑やかな声を上げて通りを行く。それをシミジミと見ながら彼は微笑んだ。
「ヴィルヘルムさんは……この街を守っているんですね。立派な人ですね」
「……果たしてどうだろうな? 化物を狩る僕は……もうとっくの昔に化物に成ってしまっているのかもしれない」
またしても彼は本音を隠して言った。
ヘンリーの事もあり、彼の自虐の意味をルキアは理解したが、その追及はしなかった。
「いいえ、ヴィルヘルムさんは優しい『人間』ですよ。……私が保証します!」
「はははは……。そうか、僕は人間か……。ならば、理性ある人として、この気持ちの良い日を満喫しようか? な、ルキア」
「はい、そうしましょう! ……あ! ヴィルヘルムさん、このケーキを半分こしませんか? 少し大きくて……全部を食べられそうにありませんから」
「? あ、あぁ。ちょっと待ってな。マスターから取り皿を貰ってくるよ」
こうして2人で分け合ったケーキは小さくなってしまったものの、ルキアにとってはこの上ない程に幸せを感じた。
空は雲一つない快晴の下、2人はカフェでの休憩を満喫した。
この幸せが何時までも続く様に、と少女は噛みしめた。
◇◇◇◇
あれから3日後の夜。
ヴィルヘルムは教会からの依頼を受け、カインスティアの狩りに出た。
革製の黒色の装束を纏い、三角帽子と銀の剣。40㎝程の短銃を持ち、教会の馬車へと乗り込んだ。
帰れるのが午前4時過ぎだから寝ていて、と青年は言っていたが、ルキアは起きて待つことにした。
オイルランプの火が揺れる。時刻は4時16分──
重くなった瞼を擦りルキアは時計を見る。
「もう時期、帰って来てもいい頃だと思うんだけど……」
そう言った時だった。外から馬車の音が聞こえた。
きっと彼が帰って来たんだ、と歓喜したルキアはドタドタと階段を降り、裏路地に接する1階の玄関を開けた。ルキアの予想は的中しており、馬車はフェレール家の邸宅の前に止まった。
しかし現実は、少女の思い描く物とは大いに離れたものだった。
馬の荒い息と共に、ヘンリーの慌てる声が少女の耳をつんざいた。化物の血で染まったヘンリーは、1体の獣人の腕を肩に組み、ゆっくりと馬車から降りて来た。
その獣人は怪我が酷く、左腕は肩付近から千切れ、絶えず口から真っ赤な血を垂らしていた。
「えっ……!? ……ど、どうすれば……!?」
ルキアには瞬時にその獣人がヴィルヘルムだと見抜いた。頭に乗る三角帽子と、血と混ざった彼の匂いがそう判断させた。
「……。……。わりぃ、しくじった……」
「お前はもう黙れ……! ルキアちゃん、この馬鹿野郎を診察台に寝かす……。手伝ってくれ」
「あっ、はい!!」
ルキアは玄関のドアを開き、2人を入れた。その後、ルキアには用途不明だった長椅子の様な物……診察台に彼を乗せたヘンリーは、ドッと近く椅子にもたれ座った。
少女は急いで桶に水を張り、白い布と包帯、消毒液を持って来たが、それではヴィルヘルムの大怪我をどうこう出来ないと分かると彼に近寄った。
怪我は失った右腕だけでなく、横腹は何か鋭い爪の様なもので割かれた痕跡があり、そこからは白い肋骨と深紅の血が流れていた。
寝巻姿。リネン製のシュミーズを着ていたルキアだったが、彼の流れる血を止めようと手を伸ばした結果、純白の服に赤い斑点が付いた。
これが正しい治療方法だとはルキア自身も分かっていた。しかし痛みで苦しむヴィルヘルムの姿を見て冷静さを保てなかった。そこにヘンリーは掠れた声で言った。
「大丈夫だ。理由は分からんが……相棒は獣に憑かれてから自己再生力が吸血鬼……程では無いが、人間越えしている。半日も寝かせとけば治るだろうよ」
「そ、それは……!」
ルキアはヘンリーの肩を掴み揺さぶった。
「本当ですか……!?」
と、何度も聞きなおした。
ヘンリーもまた怪我を負っているのか、痛いから辞めてくれ、と懇願す中
「本当だ……。相棒の傷は……寝てれば治る……。だから、辞めてはくれないか……? ぐあぁあぁあ……」
その言葉が届いたのかルキアは、ヘンリーの肩を放しヴィルヘルムの方に振り向いた。
診察台で横になっているヴィルヘルムは、先程よりも呼吸が楽そうだった。
しかし血はまだ流れて居た。ルキアは彼の近くに椅子を置き、鋭く黒い爪が目立つヴィルヘルムの右手に触れた。そして神に祈った。
彼の怪我が、苦痛が、一秒でも早く消え去って欲しい、と──。ただひたすらに……
呪いこそあれど、神に他人の事を祈るのはルキアにとって初めてだった。
その甲斐もあり青年が目を覚ましたのは、太陽が高く上がった昼間のことであった。
私がコーヒーが好き過ぎるあまり、エスプレッソを追加しました。
エスプレッソは水蒸気による圧力で抽出する味の濃いコーヒーで、その手法は1901年に開発されたようです。その後のパリ万博(1906年)によって広く浸透しました。
ですので小説、時代の辻褄が合いませんが、スルーしてやって下さい……。なんなら近代のコーヒー文化や菓子類も色々と書きたいんだ……(´;ω;`)
よろしくお願いします。。。
※溜め書きを全て投稿しましたので、これからは通常通りとなります。ハーメルンさんにて他作品交え投稿していますので、興味が有りましたらお越し頂けると嬉しいです。