ゴミ処理屋2人。生存者1人。
はるか昔から人々は恐れた。
人と言える理性を失くし、神の教えに背き、己の快楽の為に血肉を漁る存在。
民を堕落に導く悪魔。鋭い爪で臓腑を掻き出す人狼。血を啜り下僕を増やす吸血鬼。突然発生した、死体を繋ぎ合わせた巨漢。
そんな闇夜に紛れる化物共の総称『カインスティア』を滅する部隊こそが、教会によって編成された専門部隊。“教会の槍”である。
こと教会内では、カインスティアの事を蔑称で『ゴミ共』と呼んでおり、たまに、時折、街の人々は彼らの事を『ゴミ処理屋』とも呼んでいる。それは勿論、いい意味で…
美しい月が静まり返った街を照らす中、2人の男は吸血鬼が出現したといわれる屋敷にて武器を振るっていた。
「ヴィルヘルム。どうだそっちは?」
「あぁ、終わったよ。しかし……」
三角帽子と黒いコート。雨と血を防ぎ払う為のマントを鎖で止め纏っている。
しかしそのマントも最早意味が無く、ヴィルヘルムの装束は血にまみれ、特に右手に持つ教会にて祝福された銀の剣、その切っ先からはポタポタと血の雫が床に落ちていた。とある富豪の屋敷にて、吸血鬼と戦い勝利を納めた結果である。
吸血鬼狩りの折、バディについたヘンリーは富豪の敷地。別棟の礼拝堂の奥で直立不動のヴィルヘルムの方に駆け寄った。
聖書の一部を模したステンドグラスからは、青白い月光によって幻想的に礼拝堂を照らす。その影、彼の視線の先には銀髪の少女が倒れていた。
「なっ!? ……。珍しいことも有るもんだな。教会の槍……化物狩りの部隊に入ってから今まで……生存者なんて居なかったのに」
そう言ったヘンリーは、吸血鬼の下僕である食人鬼の返り血で濡れる手袋を外し、少女の顔に手を近づけた。
「息は有る。……目立った傷も無いし、噛み跡……食人鬼の特徴も無いように見える。しかし酷いな」
「あぁそうだな。……少し診てみよう」
冷たく呟いたヴィルヘルムは、彼女のみすぼらしい服を手で退かし、白い肌を露出させた。
その白く透き通るような肌には多種多様の傷跡が彫り込まれてあった。その傷の一つ一つをヴィルヘルムは言い当てた。
「やけど、切り傷、擦り傷、薬傷……それにタバコの焼き印。大方、治ってはいるが……あまり良い待遇はされていなかった様だな。……だが良かったな少女。お前の主は理性の無い獣、その食人鬼と成って死んだ。ザマぁねぇ事だ」
「相変わらず口がワリィなヴィルヘルム……。しかしだ、薄暗いのによく見えるな? 流石は名医トーマスさんの息子だ」
「よしてくれ。今の僕は、儲け無しの歯科医だ。……。……この子を良く診てみよう、手を貸してくれヘンリー」
「おうよ相棒!!」
そして二人の青年は少女を持ち、広い机の上に静かに置いた。その後、ヴィルヘルムによって診察が始まった。
今までの化物退治に関して、この様な禍災の中での生存者は一人として居なかった。皆、食われるか、下僕として理性を失うか、恐怖狂乱し自殺──そのどれかであった。
しかし彼女は生きている。全身をくまなく見た所、吸血鬼の歯跡や特徴は無く、ただただ痩せ細り、体に傷を残した少女という事だけが分かった。
「さて……どうするか、だな。教会に運んでも良いが……どうだろう。曰く付き、しかも奴隷と来たものだ。最悪、殺処分となるかも知れん。なぁ──」
ヘンリーはヴィルヘルムの方に向き続けて言った。
「お前の診療所で寝かすのはどうだ? ……最悪この少女が化物と成っても、お前の実力……。部隊の中では一番の強さのヴィルヘルムならば、難なく滅せられるだろう?」
「良い案だが……部隊については『元』だ。今は離れている身。僕は、教会の部隊には所属していないよ。ただの『雇われ』だ」
「へいへい、そうでしたー。……だがな、何時までも俺たちは、お前が戻ってくるのを待っているからな。……傷が癒えたら戻って来てくれたら嬉しい」
「きっと──それは無いだろうな。僕は、とっくの昔に神への信仰を捨てている。最早、教会には戻れんよ」
「良く言うぜ。お前ほど敬虔な信徒は居ないだろうさ」
「それはどうかな?」
そう呟いたヴィルヘルムは銀髪の少女の頭を優しく撫でた。
彼の行動をヘンリーは瞬時に理解した。この少女は、かつてのヴィルヘルムのバディ。殉教した彼女の雰囲気をどこか纏っていた。
目の色、声色こそ不明だが、その整った可愛らしい顔付きと、銀色の美しい髪はヘンリーでさえ彼女を彷彿とさせた。
「ヴィルヘルム。一応言っておくが、彼女はもう」
「あぁ知っているとも。分かっている、分かっているよ。もう全て終わった物語だ。彼女が亡くなっているくらい、現実を受け止めているよ」
彼の放った言葉は真っ赤の嘘だとヘンリーは見抜いた。そして彼は
「……相棒」
と、小さく返した。
それしか返す言葉が見つからなかった。
少しの沈黙の後、この重たい空気を換えようとヴィルヘルムは陽気に話し始めた。
「じゃあ僕はもう行くよ。あ、それとヘンリー」
「ん? なんだ? 相棒……?」
ヴィルヘルムは少女を背負いその後、少し先の床を指差した。それを追うようにしてヘンリーは視線を動かす。
そこには壊れた短銃の残骸が散らばっていた。到底、修復不可能と思われるぐらいにバラバラに……
「あの吸血鬼にやられた、僕は悪くない。……新品よろしく!」
「はぁ!? お前!! 教会に居た時もそうだったが、物の使い方が雑なんだよ!!! アレ一丁でどれ程の金が掛かる事やら……! お前はもう、壊れることの無い鉄塊だけ使ってれば良いんだよ!!」
「まぁまぁ……いいじゃねぇかよ……。吸血鬼は倒せたし……身内で死んだヤツは居ねぇし……」
「……まぁいい。報酬の用意が出来たら、短銃と共に持って行ってやる。その代わり1ヶ月間、俺への診療代は全てタダにしろ」
「舐めんなよ、せめて3割減だ」
「はぁ……」
ヘンリーは眉を押さえ顔を振った。
「分かった分かった。なら3割減で飲んでやる……。明日……いや、今日の予約は……」
「今は月・火・木・金しかやってません。今日は水曜日、定休日です。残念でした」
「殺すぞ」
「あはははは。ああ、笑った笑った。じゃあ正真正銘、もう帰るとするよ。一応、この子のカルテを報酬支給の際に渡す。何か問題が有ったらすぐ相談するからな」
「おう。元気になったら助手としてでも使ってやれば良い。……このご時世だ。俺たち以外、何処もかしこも人手は溢れているからな」
「まぁそれについては、彼女と要相談するよ。温かい助言をどうも」
ヴィルヘルムは三角帽子を取り、ヘンリーに軽い挨拶をしてから礼拝堂を後にした。深夜ともあって通りには馬車は一つも走っていない。
北にある島国では蒸気機関車たるものが発明され各国で猛威を振るっているが、この街は高低差があり、きっと適さないだろう。
すこし待てば教会からの馬車が来るだろうが……この際、歩いた方が早い。
背中から少女の命の灯が伝わって来た。その小さな火が消えないように慎重に、そして足早に、月の明るい光を浴びながら男は帰路に着いた。
◇◇◇◇
夢を見た。
父に、母に『棄てられた』ことを。
冷害による不作と格差拡大によって、家も無く金も無くなり、父は、母は、私を『裏切った』。
銀貨20枚。それが私の全て。私の価値であった。
そこからは地獄の始まりだった。
心を折られ、殴られ、侮蔑された。反骨精神を失くす為だと分かり切っていたが、ついに心折れた。そして気づいてしまった。
何も考えず、何も感じず。自身を心を持たない人形だと思わせた方が断然、楽になるという事を。
しかし私を買う者が現れて以降、まるで地獄の業火に焼かれるような生活であった。
目を閉じていても音が脳に響く。
耳を塞いでいても匂いが脳を刺激する。
鼻を塞いでも痛みが脳を刺激した。
その全ては事細かく脳裏に刻み込まれた。
その中でも特に『臭い』による記憶が強かった。
人の肉が焼ける臭い。
肺に残留する重たいタバコの臭い。
肌を溶かす薬品の臭い。
血の臭い。
しめった部屋のカビの臭い。
黒く濁った肉片と野菜カスが浮いた味の無いスープの臭い。
……。
……。
その全ての臭いが、少女の心臓を強く動かし、目を、脳を覚醒させた。
飛び起きるように上体を起こした少女は、ドキドキと跳ね上がる胸を押さえた。全身には冷や汗が浮かび、息は上がり「ハァハァ」と浅く早く呼吸をしていた。
そこに──
「もう大丈夫だ、落ち着いて。深く、深く呼吸をするんだ」
その男の声と共に大きな手が背中を摩る。
今までの臭いとは違う。消毒液の様な独特の香り。そして、何処かで嗅いだ懐かしい匂い。
パニックになっていた脳が現実を認識し始めた。真っ白な視界はだんだんと輪郭を認識し、かつての悪臭は此処には無いものだと少女は感じた。
「いいぞ、そのままゆっくり……。鼻から息を吸って……長く口から吐いて……。3秒間吸って、10秒間息を吐く様に……」
「──、──────」
「あぁ、ここにはもう君の敵は居ない。もう大丈夫だ。安心して呼吸をするんだ」
◇
陽が地平線から顔を出し、空が明るくなり始めた。
窓の外では人の活気が湧き始め、新しい一日が始まろうとしている。
そんな中ヴィルヘルムは、息が整った少女に声を掛けた。
「落ち着いた? ご飯は食べれるかい?」
「……」
呼吸が整い、正常に視界が映る様に為った少女は、椅子に座る青年を見た。
黒色のすこし癖のあるボサボサな髪、藍色の目。少しやつれた頬に薄っすらとクマが伸びている。服装は白衣を着ており、そこからは独特の薬に香りを放っていた。
少女は自身の身体に違和感を抱き、続けて視線を移す。見える箇所しか分からなかったが、最近主人によって受けた傷に包帯が巻かれていた。
「あ……自己紹介を忘れていた……。僕はヴィルヘルム・フェレール。ここ、フェレール診療所の主……今は歯医者をやっているんだ。君は?」
ヴィルヘルムは優しく少女に言った。
それに触発されるように、銀色の髪の子は口を開けた。
「る……ルキ、ア……。ルキアって……言います」
「ルキア……良い名前だね。シラクサのルチア、きっとそこから名前を貰ったのだろうな。君は南の出かい?」
「あ……すみません、分かりません。ずっと屋敷に、いましたから……」
「そうか……悪いね、嫌な事を聞いてしまった」
「いえ……!! そんな事は……」
ヴィルヘルムは椅子から立ち上がり
「朝食を持ってくるよ。少し待ってて」
と、部屋を出てキッチンに向かった。
そこには予め少女の為に作った料理が鍋に入っており、温め器に入れるまでは、そこまで時間はかからなかった。
「僕が作った。毒は入っていないから安心してお食べ」
医療用のベット。そこに、食事や書き物をする際に使われるテーブルを設置し、机上へ食事を置いた。
麦を使用したお粥、野菜を小さく切ったポトフ。以上2品をお盆に置きヴィルヘルムは差し出した。銀色のスプーンを持ちルキアは、最初にお粥の皿を手に取った。
精白された麦は高価な為、普段買っていない。その為この粥の色は少々悪いが、ヴィルヘルムが胸を張って出せる自信に満ちた一品となった。そしてそれ少量すくい、ルキアは口の中に運んだ。
一口、また一口とスプーンを動かす腕が止まる気配が無い事を知ると、青年は胸をなでおろした。
その時であった。
少女の美しい青い瞳からは一際大粒の涙が溢れ出した。緊張が解けた所為なのだろう。
何日もマトモな食事を与えられなかったルキアにとって、この料理は心温まるものだった。
「あぁ、それと飲み薬も服用して欲しいんだ」
そう言ったヴィルヘルムは飲み薬と温かいお茶を持ってコンとお盆の上に追加するように置いた。
そして彼は事の経緯をゆっくりと話し始めた。
数年前、対カインスティア戦の専門家である“教会の槍”に所属していた事。現在は亡き父の遺産である診療所にて歯医者をしている事。
しかし近年、化物の出現が増え応援要請に応えている事。そして──
「君を見つけた。血の海の中、吸血鬼の配下である食人鬼が蠢く中……君は生きてあの地獄を抜け出した。本当に運が良いよ」
「あの──」
食事と薬を飲んだ少女は、口ごもりながら言った。
「私はこれから……どうなるんですか……?」
「しばらくは僕の診療所に居て貰う。理由は、傷を癒すのと……さっきも言ったけど、君という存在は本当に前例が無いんだよ。万が一の為、もし君が化物に成った時に早急に殺せるように……だな」
「では……私はもう、あの時の様な痛みは……」
「あぁ、僕は人間の君には危害を加えない。それは神に誓う」
まぁ、君の傷は完全には治っていないから薬が沁みる事はあるけどね、とヴィルヘルムは付け足した。
それでも彼女、ルキアにとっては十分すぎるものだった。
その際にふと疑問が生じ、銀髪の少女は質問した。
「私の主人は──あのヒトは……どうなりましたか……?」
「死んだよ」
ヴィルヘルムは冷たく答えた。そして
「吸血鬼に血を飲まれ人以下の獣に成って死んだよ。あぁいや、そもそも我が国の法も守れぬ愚か者だったがな。……そうそう」
と近くにあった書類が積んである書類の中から一枚、紙とペンを持って来た。
幸いにも少女には読み書きが出来た。それ故に、青年が置いた『契約書』の内容を理解できた。
内容は『フェレール歯科医院』の雇用契約書であった。
「字は……読める?」
「読めます。……ですが、これは?」
「君をここで一時、雇うって事だ。今の君は、僕が監視してなくちゃいけないからね。だからと言って奴隷の様には扱わない。……この国では普通に犯罪だし、何よりも脱税で捕まるなんざ嫌だからね」
「犯罪……脱税……?」
「あぁそうだ。君の前の主人は、れっきとした犯罪者だ。そういう意味では、しっかり法で裁かれて欲しかったが……。ま、因果応報。苦しみに満ちて死んだのは間違いないだろうね」
「そうですか……。あの……ヴィルヘルムさん……」
「何だい? なんでも答えるよ」
「あ、あの……、貴方は……」
ルキアは少し震えながら言った。
「もう一度、聞きますが……い、痛い事を……してくれません、よね……」
「あぁしない。信用してくれ、とは今は言わない。なんせ初対面だからね。だが……誠意と尊敬を以ていつか勝ち取ってみせよう」
ヴィルヘルムはかつてのバディ。殉教した彼女が自身に言ったセリフを真似るように、微笑を浮かばせながら言った。
その姿を見たルキアはペンを手に取った。そして契約書に腕を伸ばす。
「ここに……サインすれば良いんですか? ヴィルヘルムさん……」
「そう、そこに──。もし君が何も問題が無い事が分かり、仕事を変えたいなら……僕が責任をもって斡旋する。父のパイプがまだ生きていてね……その点は安心して欲しい」
「……はい」
そしてルキアは契約書にサインした。
これで彼女は『フェレール歯科医院』の従業員となった。しかし容態を鑑みて、医院は1週間の休みとする事となった。
この日は要療養とし、薬と温かい食事を摂り早めにルキアをヴィルヘルムは寝かせた。
途中、悪夢によって夜に目覚めたルキアだったが、ベットの隣にて椅子に座り、足と腕を組み寝ているヴィルヘルムを見た。
月明りによって部屋は薄暗いが、時計を見るには十分だった。深夜2時──
彼は最初に診療所で目覚める時も、こうやって椅子に座っていた事をルキアは思い出した。すると何故か、悪夢にうなされ震えていた身体が徐々に冷静になっていく。
この人は私を守ってくれている?
それとも、化物となる可能性が有る私を狩る為に近くに居るのか?
疑問は尽きなかったが、自身の身体に丁寧に巻かれた包帯が確かな現実だとルキアは思った。
枕に頭を沈め、温かい布団を掛け直す。この様にベットで眠るのは一体、いつ以来なのか……
この部屋に充満する薬の匂いにも慣れて来た。
「やめろヘンリィ……ぼくには……ミルクと砂糖は、いらない……ぉえ」
摩訶不思議な悪夢にうなされるヴィルヘルムを見たルキアは声を殺して笑った。その後、静かに上体を起こして彼の頬に手を伸ばした。
「貴方を信じても良いですか?」
勿論答えは返ってこない。しかしルキアにはそれだけで十分だった。
そして朝、目覚めるまで悪夢は一切見なかった。
窓から差し込む光は、上体を起こしたルキアと椅子で器用に眠るヴィルヘルムを温かく照らす。その光の下にルキアは視線を移した。
美しい青色の空だ。この日はきっと、一日快晴なのだろう。
お疲れさまでした。
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