第七話 「許し」
俺、ヴィルヘルムは天才である。
戦闘の天才でもなく。
短剣使いの天才でもなく。
針撃ちの天才でもなく。
幻術の天才でもなく。
毒学の天才でもなく。
闘気を操る天才でもなく。
気配を断つ天才でもなく。
体術の天才でもなく。
ひたすらに、暗殺の天才だ。
では暗殺における目標とは何か。
それは言うまでもなく対象の生命活動を止める事であり、しかもそれは出来る限り速やかに、出来る事なら密やかに行われなければいけない。
理想的な暗殺とは、必要最低限の動きで迅速に完遂されるべきものだ。
つまり先程ジェイとの間で繰り広げた派手な剣戟や闘気を使った体術的な意味での絶技は暗殺という観点からいうと無用の長物であり、暗殺者としての俺の真骨頂ではない。
あれは敵が闘気を使わないと倒すのに手間取る防御力と継戦能力を併せ持った元騎士だった上に、付与魔法による身体能力の向上を許してしまったが故の醜態である。
では、暗殺の天才たる俺が同業者に対して本気を出したらどうなるかというと…、
「…グッ!」
ーーまず、曲刀を正眼に構えていたデカ蔵が短く声を漏らして絶命した。
死因は左胸に掌打を撃ち込まれたことによる心停止。
勿論一流の彼は油断などしていなかった。エスシアと相対しながらも瞬きすらせずに俺を警戒していた。
だからこそそれを利用して、気配をその場に残しつつ気配を断って懐に入り込み、適切な角度で十分な衝撃を心臓に与えた。
気配を捉えることに長けた暗殺者相手だからこそ通じる奇襲であり、同じことをジェイに仕掛けたら普通に対応されていたはずだ。
寸前で俺自身に反応して防御しようとしたことは賞賛に値するが、闘気を使わずとも俺の『影踏』は短距離に限れば瞬歩にも引けを取らない速度だ。
結果として防御が間に合わず彼の心拍は停止した。
「イシッ…!」
次に、力なく崩れ落ちる相棒の名を仮面の奥の瞳を揺らしながら叫ぼうとしたチビ助が死んだ。
死因は額の秘孔に仮面越しで長針が刺さったことによる、やはり心停止。
右手にデカ蔵の心臓を穿った衝撃の反動を残しながら、左手で自分の体に刺さった針の一つを無造作に掴んで手首の力だけで撃ったそれは正確に急所目掛けて飛翔した。
相手の呼吸、心拍、室内の温度と湿度、扉から吹きこむ微妙な風が作る気流の層、それらを一瞬の内に計算して最高の一撃をドンピシャの急所に打ち込んだ。
最速というわけではない。
本来の彼女であればもしかしたらギリギリ避けられたかもしれないが、心を乱されて体が思わず硬直したその瞬きにも満たぬ須臾の隙が文字通り命取りになった。
自分自身の針が額に突き刺さり、彼女は死んだ。
俺が動き出してからここに至るまで二秒と少し。
毎度のことながら、手に残る嫌な感触に俺は思わず顔を顰めた。
ーー何故、命を奪うことはこれほど容易いのだろう。
彼らが一流の暗殺者になるために血反吐を吐くような鍛錬を積んだであろうことは想像に難くない。
本来無感情な筈の暗殺者が相棒の死で心が揺れてしまうほど深い関係性に至った経緯など想像もつかない。
業の深い職業ゆえ、彼等の歩んできた時間を一重に尊いとは言えない。
しかし、彼等にとっては深い意味のある時間だ。
良くも悪くも、人生丸々時間をかけて彼等はこの部屋に辿り着いたのだ。
そんな彼等の歩みを、たった一つの掌打が、たった一本の針が簡単に止めてしまう。
…それが一時的だとしても。
押し黙って考え込んでいた俺は、背後の二人のことを思い出した。
いかんいかん、何やら事情のある彼らをこれからどうするか考えなくてはいけないのだった。
「なあ、お前らこれからどうす…」
ーー拒絶。
それが振り返った俺の眼に飛び込んだ光景を端的に表現するに相応しい言葉だろう。
全身を固まらせてぎゅっと胸の前で手を組みながら瞳の奥に恐怖の色を滲ませるオリヴィア。
それを守るように体を動かしながらも全身を震わせているエスシア。
…そりゃそうなるか。
ジェイの時は少し苦戦してたからまだいい。
だがあの暗殺者二人を俺は簡単に殺してしまった。
無駄な力も気負いもなくあっさりと。
あまりにも自然な動きで躊躇いなく人間の生命活動を止めてしまった俺の姿が、日常の内に殺しが組み込まれている俺の素性を雄弁に語っている。
彼らには、俺は呼吸するように命を奪う怪物に見えているのかもしれない。
そして残念ながらそれは正しい。
「…いや、すまん。何でもない」
俺は二人に再び背を向けてデカ蔵を掴んで扉まで引きずっていき、ぐったりとしたチビ助も回収する。
元から分かってたことじゃないか。
暗殺者の世界にどっぷり浸かって何年も経つ俺がいきなり普通の世界に戻れるわけがないだろう。
普通の人が他人と関わる選択肢の内に挨拶するだとか手を振るだとかの要素が入っているのと同じ次元で、俺にとって「それ」は馴染み深いコマンドになってしまっている。
自由を手に入れたところで、いきなり過去から解放される訳じゃない。
仕方ないさ。
時間をかけて普通に戻っていけばいい。
今の俺はただの怪物なのだから。
ーーだが、普通に戻ったところで俺の罪業は消えるのか?
敢えて考えないようにしていたことが頭を過りその場から逃げるように立ち去ろうとした俺の歩みを、遠慮がちな声が止めた。
「…あの」
「だ、駄目よオリヴィア!」
声を掛けられて反射的に立ち止まった俺は、振り返ることすらしなかった。
いや、出来なかった。
もう一度あんな眼で見られたら、とても耐えられない。心が折れてしまうかもしれない。
だから臆病な俺は振り向けなかった。
「駄目なんかじゃないです!正直心の底から怖いけど、でも駄目なんかじゃない!」
「オリヴィア、ね?良い子だから言うこと聞いて…」
「良い子にしてましたよ今までも…。でも、もう誰も私を守ってくれない」
「私が、私がいるじゃない!私がこれからも守るわよ!」
「…もちろんエスシアには感謝してます。貴女だけが立場を捨ててまで私の味方になってくれた。でも、きっとこのままじゃその貴女まで死んでしまいます」
「…ッ!」
「彼ほど強い人が味方してくれたら、私達二人とも無事にアリステラに辿り着けるはずです。違いますか?」
ここまでの二人の関係は推測しか出来ない。
騎士としての立場と、哀れな少女への同情と。
比較したときにどちらをとるか。
この問題は繰り返し繰り返し女騎士を苛んで来て、その全てにおいて少女を選んできたのだろう。
そしてその度に失うものが増えていく。
最後まで少女を選び続けたとして、果たして握りしめた剣一本で守り抜けるか?
その四面楚歌の旅の終点に安息の日々は来るのか?
「…ふぅ。それに、エスシアも分かっているはずです」
「何が分かるってのよ、アレは…」
「あんなに悲しそうな顔をした人を、私が放っておける訳ないじゃないですか!」
え?!
俺そんなに構ってちゃんオーラ出してた?!
嘘だろ、恥ずかしっ!
いや、完全なポーカーフェイスだったはずなのに。
「ねぇ、ヴィルヘルムさん。教えてください」
「…何だよ」
「その二人を連れて行って、どうするつもりだったんですか?」
「それを聞いてどうするんだよ」
「いいから答えてください」
俺は前を向いたまま背中から投げかけられる声に答えた。
「…まだ心臓が止まって間もない。大きな外傷もないし、問題なく蘇生できるはずだ」
背後で、ぱーっと明るい雰囲気が広がったような気配がした。
「ほら、全然駄目なんかじゃないでしょう?ヴィルヘルムさんはちゃんと優しい人です」
後ろから誰かが近づいてくる。
俺の聴覚がその足音を少女のものと殆ど自動的に教えてきた。
「実はあの元騎士の人をあなたがその、殺しちゃったところ地下室から覗いてたんです」
一歩、二歩、三歩。
おずおずと、しかし着実な足取りで少女は俺に歩み寄る。
「あの時も、蝋燭の光に照らされて見たあなたの顔はなぜか悔しそうでした。あんなに悪い人が相手なのに。だから本当は、誰も殺したくないんですよね?」
それは、誰にも言われたことのない言葉だった。
俺の心など誰も分かってくれないと思っていたし、分かってもらってはいけないと思っていた。
師匠や知り合いの暗殺者ギルドの構成員はもちろん、仲の良い妹弟子さえも平気で命を他の何かと天秤にかけてしまう。
そんな世界で生きてきたから。
いくつもの命を奪ってきたから。
「その時、私の思い込みかもしれないけど、あなたと私は似たもの同士だと思ったんです。着たくない罪を着せられて、その罪から逃げることすら許されない人なんだって」
いつの間にか足音は背後に迫っていた。
完全に俺の間合いで、後ろを向かずとも命を奪える距離。
しかし、それすら踏み越えて彼女はもう一歩進んできた。
「あなたは悪くない。何も悪くないんですよ」
とん、と柔らかい感触を背中に感じる。
想像よりずっと熱い体温がじんわりと広がり、少し早い鼓動が伝わる。
そして、しなやかな腕が俺を優しく拘束した。
「私はあなたを許します。もしもあなたが自分を許せなくても、代わりに私が許します。他の誰かがあなたを許せないなら、その分私が許します」
ああ、それ以上はやめてくれ。
俺は悔いなければならないはずの罪から逃げて、考えないようにしたんだ。
あえて浅薄な思考で自分を染めて、薄っぺらい「自由」という言葉で自分自身を騙して。
こんな俺が許されていいはずがないんだ。
「だから、もう泣かないでヴィルヘルム」
熱い液体が一筋、眼から溢れ落ちていた。
チビ助の針に未知の毒でも塗ってあったのか、とひどく的外れな事を一瞬考えて。
それから、それが涙だと気づいた。
そして、なぜ彼女は分かったんだろうと不思議に思った。
泣いていると言う事実に動揺して、心を平静にしようとして失敗して。
その他色々な感情が渦巻いて、何故だか体がガクガク震え出した。
彼女は何も言わずに、抱きしめる力を少しだけ強めた。
その日、俺は初めて会う年下の少女の腕の中で声も出さずに泣き続けた。
転生して十五年。
生まれて初めての涙は、中々止まってくれなかった。
この作品のメインヒロインは天然かと思ったら強かで、計算高いと思ったら優しい、でもやっぱりちょっと悪どい。
そんな性格の子です。




