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6.目眩 -Alone Picture→Our Memories-

悪夢を見ていた。

⋯⋯いや、これは違う。

目をつぶって、過去の記憶を思い出しているだけだ。


だから間違っても悪夢と呼んではいけない。

思い出すのは他でもない俺の罪で。

それに苦しむのは当然の罰だから。



銀のナイフを握りしめる。

痛いくらいに、両手で。

硬い金属の感触と、移った体温の温さが気持ち悪い。

それでも手汗で滑らないように、強く握りしめていた。


1歩、踏み出す。

倒れている”彼女”の元へと。

がちがちと歯が震える。

呼吸が浅く、視界は狭い。

それは倒れた吸血鬼への恐怖ではなく。

今から行う行為への、未来への恐怖心。


ナイフを振り上げる。

怯えながら。

躊躇いながら。

これが正しいのかは分からない。

けれど……俺は自分で選んだ。

この腕を相手へと振り下ろすことを。


数秒間で覚悟を決め⋯⋯。

振り下ろすその瞬間、”彼女”と目が合った。


それは初めて見る瞳だった。

見たことの無い表情だった。


そのとき、なんとなく分かってしまった。

自分が”彼女”に、心の底から恐怖されていることに。

自分が”彼女”の死神になってしまっていることに。


やめろ、やめろ。

想起している今の自分が、心のどこかで叫んでいる。

そんなことをしても無駄なのに。これはただの記憶でしかないのに。

それでも嫌だった。

それほどまでに怖かった。

この先を思い出すことが。


――刃が、振り下ろされる。


鈍い、音。

肉を突く音。

ぐちゃりとした血の音。

噎せ返るほどの鉄臭さ。

手に伝わる、気分の悪い感触。

刃が肉を切り分けるときの沈むような、骨を断ったときの跳ね返るほど硬い、心臓を穿ったときの潰すような感触。


命を、奪った。

この手で、奪った。


びくり、と”彼女”の体が跳ねる。

どこにも力なんて残ってないはずの体が動いたことに驚いて、思わず怯んでしまう。

けれど金縛りのように、手はナイフから離れない。怯えで強ばる体が離そうとしない。

ぐちゃりと傷口が抉られるその感触が、ただひたすらに気持ち悪かった。

声にならないなにかを吐き出している”彼女”の顔が、胸におぞましいものを抱かせた。


最期の瞬間⋯⋯。

絶命の瞬間。

”彼女”は俺を見ていた。

ナイフを握る俺の手を、抵抗するように、刃を抜こうとしているかのように掴む。

それは弱々しい様子とは裏腹に、手形がつくほど強い力で。

痛くて。

怖くて。

冷たくて。

けれど、確かに熱があった。

未だにこの手首から去らない、生々しい命の温度が。


そして”彼女”は。

消え入りそうな声で。

様々な感情が入り交じった声で。


『⋯⋯死にたく、ない』


ただ、最後にそう言って。

”彼女”は死んだ。


違う。死んだんじゃない。

俺が、殺したんだ。



それから何をやっても、その感触は手から消えなくて。

あの最後の表情が、死にたくないという声が、頭から消えることは無くて。


死者は恨んで化けて出ることは無い。

だからこれは、俺が勝手に背負った罰だ。

罪が償われる訳では無い。

死者に許される訳でもない。


ただ、俺が罪を忘れないために。

そのためだけに訪れる、消えることの無い罰。



「⋯⋯寝れねえな」


ベッドの上で上体を起こして、龍川芥はぽつりと呟いた。

時計は夜8時を示していた。

別に言葉通り眠れなかった訳では無い。

ただ昨日は色々はしゃいだせいで寝るのが遅かったから、起きる時間としては少し早い。

まだ眠気もあるし、少々だが頭も痛む。

だから2度寝でもしたかったのだが⋯⋯思い出してしまった。


忘れない、ということは”常にその事を思っている”という訳ではなく、”至る所に思い出す機会がある”ということだ。

普段は意識していなくとも、例えば何かを選ぶときだったり関連した行動を取る時には想起する。

「ああ、俺は罪人なのだ」と。

「奪わなくてもいいハズの命を奪ったのだ」と。


それは⋯⋯きっと大事なことだ。

少なくとも忘れるよりはずっといい。

だから、少々睡眠時間が少なくなるのなんて屁でもないさ。


「――アクタ、寝れないの?」


ふと、声がした。

同じベッドで眠っている吸血鬼の、耳触りの良い声。

振り向くと……紅い瞳と目が合った。


「……ガブ。起きてたのか」

「うん。なんだかイヤな夢を見ておきた」


俺の横で布団を肩まで被ったガブリエラが、起き上がろうとした俺の体をベッドに戻そうとしてくる。

一緒に寝ようよと言いたいようだが⋯⋯俺はそんな気分になれなかった。


「ごめんガブリエラ、ひとりで寝ててくれ」


彼女の眉尻が下がり、俺は少し申し訳ない気分になる。

それを振り払うように、ベッドの外側を向いた。


「⋯⋯どうして? どこか行くの?」

「いや、別に何処にも行かねえよ。⋯⋯ただ寝れる気がしないだけだ」


言いながら、自分の両の手のひらを見る。


……この手が、覚えている。

あの感触を。肉を突く感触を。

未だ手首に残る、あの生温さを。

こんな気分で何故、のうのうと眠れるのだろうか。


手のひらの感触を、手首の熱を忘れたくて自分の手首を指で撫ぜるのも癖になってしまった。

そしてその度……残り火に触れる度、記憶の中の”彼女”が囁く。


忘れるな。

もっと苦しめ。

地獄に堕ちろ。

それが当然の報いだ、と。


その声から逃げるようにベッドから立ち上がる⋯⋯と、何故かガブリエラも同じようにベッドから出た。


「お前、眠いんじゃないのか?」

「んー……そうだけど、でも寝れないと思う。こんなこと前にもあったから」


その表情はどこか翳っている気がした。

彼女にもあるのかもしれない。拭えない過去や、未来への不安が。

何も言えない俺の手を取って、ガブリエラはなにかを振り払うように言った。


「だから気分転換しよ」

「気分転換?」

「うん。”血の記憶”が教えてくれた。こういう時は、星を見るといいって」


”血の記憶”。

稀に吸血鬼は血を吸った人間の知識や記憶の一部を知ることがあるのだという。

詳しくは聞いてないし知らないが、まあ臓器移植とかの都市伝説みたいな不思議話と同じ雰囲気を感じる。

現代科学では解明できない、肉体に刻まれた記憶や人格というのか⋯⋯ま、俺なんかが考えたところで答えの出ない話だがな。


しかし「星を見る」ねえ。

随分とロマンチストだったんだろうな、そいつは。

でも⋯⋯悪くないな。


「そうだな。星を見に行くか」

「うん。私、いい場所を知ってる」

「⋯⋯あんま遠いとこはナシな。あと人の目があるとこもダメだぞ」

「大丈夫。すごく近い」

「ならよし」


そうと決まれば準備だ。

俺は棚から大きめのブランケットを取り出し、適当に畳んで抱えた。


「それは?」

「いや、夜は冷えるだろ。てか人間は寒がりなんだよ。毛布くらい持ってかないと」

「そっか。アクタ、私のぶんも」

「いや別1枚でいいだろ。これそこそこデカいしふたりでも入れるよ」


その言葉にガブリエラは一瞬面食らったような表情になり、その後少し俯きがちに顔を隠した。


「⋯⋯ならいらない。むしろ1枚がいい」

「ま、2枚持ってくのはめんどいしな。それより星が見える場所ってのはどこなんだ?」


俺が聞くと、ガブリエラは指を1本立てた。

そして言う。


「この上」

「⋯⋯はい?」




「なるほど、屋根の上か⋯⋯」


数分後、俺とガブリエラは屋根の上に居た。

屋敷の屋根は意外と平面が多く、滑り落ちる心配も無さそうだ。

ちなみに屋根の上まではガブリエラに抱えられて地面からひとっ飛びして来た。吸血鬼ってほんとデタラメだな。


よっこいせと適当に腰掛け、毛布を羽織る。

ガブリエラも俺の隣に座り、同じ毛布にくるまった。

あったけえ。持ってきて正解だったな。

ふたりでほーっと息をつき、あまりにタイミングが被ったので顔を見合わせて笑う。

半年一緒に居れば、そりゃ文字通り息も合うわな。


ひとしきり準備が出来たところで、夜空を見上げる。


黒い夜に点々と光る、白い小さな光を放つ星達。

視界の下端には世朱町の放つ光。

月は半月と満月の間の少々歪な円形で、雲ひとつ無い夜空に鎮座していた。


何処までも空は広く。

夜の闇は深く黒く。

星はさながら宝石か、はたまた奇跡の群れか。


改めて見る夜空は、初めて見るくらい綺麗だった。


……なるほど。

こりゃロマンチストになるわけだ。


屋根の上、忘我して上を見上げる頬を夜風が撫ぜる。

肺に染み渡る冷たい空気が気持ちいい。


そんな風に全身を夜に浸らせていると、隣のガブが呟くのが聴こえた。


「⋯⋯綺麗」


その瞳には、空の宝石達が瞬いていて。

綺麗なのはどっちだよ、なんて似合わない言葉を飲み込んで、俺は軽口を叩く。


「意外だな。吸血鬼なら星空くらい見慣れてるもんだと」

「そうだと思ってたけど。なんでだろ、いつもよりあったかい」


熱に浮かされたように、不思議なことを言うガブリエラ。


「あったかい? そりゃ毛布被ってるからじゃねえの?」

「⋯⋯そうかも」

「はは、なんだそりゃ」


他愛無い話で笑う。

お互いに夜空を見上げながら語る言葉は、どこか新鮮な感じがした。

空の広さに、全てがどうでも良くなるような。

夜の暗さに、苦しさが全て溶けてしまったような。

そんな感覚。

そんな錯覚。


「……そうだガブ、星座とか分かるか? 俺なんもわかんねえ」


ふと思いついたので、彼女の”血の記憶”に期待してそう聞いてみる。

それはきっと、夜空は見上げるだけじゃ勿体ないと思ったからだろう。

と、ガブは少し眉間に力を入れてから、ふるふると首を振った。


「⋯⋯私も知らないみたい」

「そっかー。まあ星座って凄い無理矢理つくったみたいな感じだし、しょうがねえかもな」


改めて上を見る。

近い位置にある星と星を繋げてみても、なんの形も見えてこない。

あーでもないこーでもないと架空の星座をつくることに躍起になっていると、隣の吸血鬼が再び口を開く。


「ねえアクタ、なんで人間は星を繋げて絵を描いたの?」


ふとガブリエラがそう聞いてきた。

頭上では星が瞬いている。

なんとなく指でなぞって、絵を描いてみようとして⋯⋯やっぱり何も見えなかったから、綺麗な答えは出せなかった。


「わかんねえけど。

もしかしたら誰かに知って欲しかったのかもな。自分の世界の見え方ってやつを」

「世界の見え方⋯⋯」


分かりにくい言葉だったか、と気づいて、俺は続けた。


「星を繋いで絵が描ける奴が居れば、それが出来ない奴もいる。

同じものを見たとしても、それについて感じることが皆同じとは限らない……いや、誰かと全くおんなじ感想を抱くなんてことは無い。

夜空を見てどう思うか。

これを聞いてどう考えるか。

千差万別のそれが”世界の見え方”ってことだ。

だから……伝えたかったのかもしれない。

自分の世界にはこんなものがあるんだよ、って」


人の心は目に見えない。

自分の考えていることを他人に100パーセント伝える方法なんてものは無い。

好意も悪意も自分の中では絶対のそれは、相手にとって幻想でしかなく。

同じ星空を見ていたって、どんな星座を創るのかも異なるように、俺たちは結局どこまで行っても他人同士だ。

きっと誰かと真に分かり合うなんて出来やしない。

本当の意味で孤独でなくなるなんて、絶対に有り得ない。


でも……もしそう願って祈って、どれだけ否定されても諦めきれなかった人が。

星に願いを掛けるように、自分の想いを星座に描いたのだとすれば。

自分にとっての世界を、誰かに伝えたかったのだとするならば。

⋯⋯それは多分、とてもロマンチックな考えというやつで。


「いや、ただ自慢したかっただけかもな。自分が描いた綺麗な絵を」


なんだか気恥ずかしくなった俺は、苦笑してそう言い直した。

誤魔化すようにガブリエラの方を見た俺に、しかし星空を見つめたままの彼女は言う。


「……わかるかも。私もたまに思う。私の心が見せれたらいいのにって」


そうして彼女は、自分の胸に手を当てながらこちらを見た。

紅い瞳の中に、星と俺の顔が写っている。

きらきらと瞬く光は……きっと、俺の目の中にも。


彼女は言う。

紡ぐように、抱くように……大切なものを、優しく此方に差し出すように。


「綺麗なものも、素敵なものも、溢れるくらいたくさん貰えたから。

宝石箱みたいなそれを見せて、”ありがとう”って伝えられたら。

それを、自分の心を、綺麗だって認めて貰えたら。

それはすごく嬉しいことだって思うんだ」


それは、一体誰に対しての言葉なのか。

俺は聞かなかった。聞く気にならなかった。

俺が彼女と過ごしたのは、所詮吸血鬼の長寿の中の半年間で。


もしかしたらガブリエラは、俺以外の誰かからも沢山貰ったのかもしれない。

本当は俺は、彼女に何一つ”大切”を与えてやれていないのかもしれない。


優しさや幸せな思い出も。

彼女の中にある輝かしいものは……醜い俺なんて関われないものなのかもしれない。


けれどそれは……彼女の綺麗な心は、確かにこの星空のように。

ひとつの星が欠けても出来上がらない、とても美しいものだろうから。

その星のひとつひとつを創ったのが誰なのか⋯⋯そんなことは、どうでもいい事だ。


だから俺は聞かなかった。

誰に、なんて無粋なこと。

ただ……少しだけ痛む胸の奥の感情に、気付かないフリをして。


と、急にガブリエラが空に指をさした。


「⋯⋯アクタ、あれ!」


キラリ、と光の軌跡が夜空を彩る。


流れ星か。


ガブリエラが「見た?」と視線で聞いてくる。

俺は彼女の目に「ああ」と目で返事をして、また空を見た。

そこにはもう流れ星は無かったが⋯⋯でも確かにそれがあったことを、俺たちはしっかりと覚えていた。


「なあガブリエラ」

「なに?」

「人間はな、流れ星に願い事をするんだ」


夜空を見上げて流星を思い出しながら、言う。


「知らなかった。でも、どうして? 流れ星なんてぜんぜん見れないのに」

「んー、滅多に見れないからじゃないか?」

「⋯⋯よく分からない」

「はは、そっか」


俺は、願い事なんて責任転嫁の1種だと思ってた。

自分だけでは背負いきれない願いを、他の何かに肩代わりしてもらうのだ。

神様に祈って成功しなけりゃ神様のせいで、星に願って失敗したら星のせい。

でも今は⋯⋯奇妙なロマンチズムに浸っていたからか、全く違う答えが降って出た。


「流れ星を見たってことは、きっとそれは普通に過ごすより覚えてる思い出になるハズだ。

そういうのに願いを掛ければ、沢山思い出せるだろ?

そのとき叶えたかった願い、今も叶えたい願いのことを。

きっと、それが理由だよ」


人間は弱い。

どうしても叶えたい願いだって、常に心の真ん中に置き続けておくことは出来ない。

どうでもいいことに固執してしまって、つい忘れてしまうこともあるだろう。

でも、流れ星に願えば。

流れ星を見たことを思い出す度に、願いのことも思い出せるだろうから。

もしかしたら、最初に「星に願いを」と言い出した人は、そう考えたのかもしれないな。


そう思っていると、俺の言葉を噛み砕いただろうガブリエラが言う。


「……私。私ね。

アクタと流れ星を見たこと忘れない。

きっとこれから、何回も思い出すと思う。

だから、私も流れ星に願い事する」

「へえ。なんてお願いするんだ?」


好奇心にまかせて聞いてみると、彼女は毛布の中で俺の手を取りながら答えた。



「今日のこと、こんな日があったこと。

ずっと忘れませんように」



柔らかい指が、ひんやりとした手のひらが。

俺の手にこびり付いた消えない感触を、少しの間だけ忘れさせてくれた。


⋯⋯く、はは。なんだそりゃ。

思いっきり堂々巡りじゃねえか。

笑いながら⋯⋯けれど、思う。

そういうのも、なんとなくアリだな、と。


「……そうだな。俺も流れ星に願うよ」


だから……触れた手を、握り返す。

指先どうし、少しだけ。

普段は絶対にやらない振る舞いも……広い夜空が、美しい星が、許してくれるような気がしたから。



「どうかガブリエラの願いが叶いますように」



未来永劫、彼女の心の中にこの美しい夜空があるのなら。

俺が隣から去った後も、今日という日を覚えていてくれるなら。

それは何とも言い難い⋯⋯ロマンチックな未来な気がした。


俺たちはただ手を繋いだまま、星空を見上げ続けた。



過去の罪は忘れられないけれど。

決して忘れるべきではないけれど。

それでもたまに、今日のような美しい日も思い出せれば。

それはきっと、悪いことではない気がする。





ちなみにこの後ガブが寝落ちして俺が降りれなくなり、2時間ほど高所の恐怖に耐えながら1人しりとりに興じることになったのは⋯⋯まあ、完璧に蛇足だし詳しく語らなくてもいいだろう。

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