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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
後日談・番外編
64/66

薔薇園の君

──それは反則っていいませんか。


 例の薬の行方。



**



「これ、召し上がって頂けませんか。先日助けて頂いたお礼です」


 初々しく可愛らしい令嬢に、真っ赤な頬で、潤んだ上目遣いまでされて。恥じらいつつ、けれど差し出されたお菓子と思われるリボンを掛けられた包み。しかもあからさまな好意を示しつつも、口実は『お礼』と言われてしまえば。

 普通の男ならばまず断らないし、断れない。


 セインティア王国騎士団広報部・特別広報官であるレイトは、一瞬のうちに様々な思惑と少々の計算を巡らせて──にっこりと微笑んでそれを受け取った。


「ありがとうございます。私の仕事ですから、どうかお気になさらず」


 令嬢からの期待と熱の篭った視線をさりげなく躱して、何か言われる前に彼はその場をさっさと離れる。

 告白めいた言葉など何も受け取ってはいない。これはただのお礼だ──正しくは、言わせる暇など与えなかったのだが。

 広告塔という立場上、そして彼がセインティアの生まれではない以上、迂闊に立場が悪くなるような真似は出来ず、よって貴族の令嬢の好意を無下にする事は出来ない。しかし今の彼には唯一無二の恋人が居る。他の女性からの贈り物を、彼女との家に無神経に持って帰ったりするなど言語道断。数々の浮き名を流しただけあって、レイトはそういう部分では抜け目が無い。貰った包みを抱えて、彼はふむ、と視線を彷徨わせた。


さて、これをどうしてしまおうか──


***


「これ、召し上がって頂けませんか、アラン様」


 王宮の薔薇園で、レイトと同じ目に遭っている男性が居た。

 否──こちらの令嬢はもう少し強引だった。しかも外国から訪問して来ている貴族の令嬢で、強く咎められないのを良い事に、好き勝手に振る舞っている。彼はこんな調子で数日前から追い回され、ついに先程ここで捕まったのだ。


「いえ、勤務中ですので」

「先日助けて頂いたお礼です。どうかお一つだけでも」


 今ここで食べて欲しいと差し出して来るのは、美味しそうなクッキーだ。どうにか受け取りはしたものの、アランはそこから漏れる気配に冷や汗が滲む。


──キルス様、恨みますからね!


 じわりと滲む少量の魅惑魔法。クッキーに仕込まれているのは、キルスウェル謹製の媚薬で間違いない。といっても彼の技術であれば魔法ではなく、香料の調合で事足りるのだから、魔法を滲ませているのはアランが気付くようにとの配慮なのかもしれない。魔法の気配がなければ、うっかりと受け取ってしまっていただろう。

 アランには魔法が効きにくい。だから一つくらい食べても大した影響は無いかもしれないが──妻のある身で、そんなこと試してみたくもない。


「ええと」


 どうにか上手く逃れて──せめて目の前で食べずに済めば。そう思って口を開いた瞬間。


「ここは許可のない者の立ち入りを禁じておりますのよ」


 届いたのは怒りを抑えたように、わずかに低い声。弾かれたようにアランがそちらを見て目を見開き、令嬢はビクリと身を震わせて悲鳴混じりの声を上げる。


「セアラ様……!?」


 薔薇園の中、東屋の椅子に腰掛けてこちらを見ていたのは、豪奢な金の巻き毛の絶世の美女。アランの妻であるセアライリアだ。珍しくドレスではなく、ゆったりとした魔法兵団のローブを着ている。


「失礼致しました!」


 元王女が夫への横恋慕を目の当たりにして怒っているのだと解釈して、令嬢は青い顔をして走り去っていった。どうやらセアラの前でアランにちょっかいを掛ける程には、勇気も厚かましさも無かったようだ。宴での彼女を見ていれば、恐れを抱いていてもおかしくはない。

 令嬢が去ったことでアランは安堵の息を吐き、けれど今日は家に居るはずの妻に怪訝な顔をして問う。


「セアライリア、何かあっ──」


 東屋に近づきかけて、足が止まった。彼女に違和感を感じて、アランは言葉を途切れさせる。


──違う。


 魔法の波動が。その頬のラインが。アクアマリンの瞳の深さが。浮かべる感情が。これは。この方は。


「な、な、なにしてるんですか、我が君ッ……!!!」


 アランは狼狽えて叫んだ。目の前に居るのが愛しい妻ではなく、主君である王子だと気付いて。

 美貌の王子は冷静に、けれどつまらなさそうに吐き捨てる。


「チッ、バレたか。我ながらそっくりだと思ったのだが」

「そっくりですよ!見事な美女っぷりですよ!クソ、一瞬完全に見間違えたじゃないですか、俺のときめき返せ!」


 道理で、『ローブ姿で座っている』わけだ。

 ラセイン王子は長身だ。優美でも身体つき──肩幅や鍛えた体躯は男性のもので、立っていたりローブを着ていなければ、一発で女性ではないことが分かってしまっただろう。しかし背中に流れる髪を下ろして巻いたあげく、化粧までしているのか、顔だけみれば双子かと思う程に似ている。先程掛けられた声だって、やや低めではあったものの話し方も声も姉に似せていた。


「とんでもない特技をお持ちで!女装趣味がおありとは存じませんでしたよ、おにーさんは!」


 動揺のあまりわめくアランを、セイは睨む。


「お前が最近、あの令嬢につきまとわれて困っていると聞いたから、僕がここまでしてやったんじゃないか。まさか本物の姉上を盾にするつもりはないだろう?」

「もちろんですよ!」


 セアラに喧嘩を売らせるつもりも買わせるつもりも無い。彼女を護りたいのであって、護ってもらうつもりではない。しかし。


「だからって、あなたがそんな格好までして」

「僕が好き好んですると思うか。……愛しい妻に頼まれては断れない」

「自分のダンナに何やらしちゃってんですかああ!ディアナ様ああ!!?」


 深い溜め息をつく主君に、近衛騎士は天を仰いで嘆く。どうせ主犯はまわりのお祭り好き侍女や、ハイスペックな白い鳥だろうが。尊敬する主君のとんでもない身体の張り方に、何だか涙が出そうだ。似合い過ぎるくらい似合っているから余計タチが悪い。その場で立ち尽くしたまま頭を抱えたアランに、セイは立ち上がってにじり寄った。


「何だ、不満か」

「ちょ、やめて下さい!そのご尊顔で俺と目線同じとかマジ凹む!っていうか近い!顔近い!頼むから俺に新しい扉を開かせないで下さい!!」


 赤くなったり青くなったり、忙しい顔色を自覚しながら、アランは悲鳴混じりに請う。

 アランの方がわずかにセイより身長が高いとはいえ、誤差の範囲内でしかない。いつもならば頭一つ分下にあるはずの、セアラと見まごう綺麗な顔がいつもよりずっと近くにあることに動揺して、彼はベンチに座り込んだ。


「お前の大好きな姉上の顔だろう。喜べ」


 彼の隣に座って、セイはちっとも面白く無さそうに呟く。その義弟の声音に、アランは指の隙間からちらりと王子を見て問うた。


「……ご機嫌斜めですね」

「誰のせいだ。たまには頼れ。僕にだってお前にしてやれることはある。こんな格好をするくらい恥とも思わないし、それで穏便に済むならどんな手段でも使ってやる」


 さらりと言われた言葉に、アランは苦笑して。


「……なんかすんげえ美女に、すんげえ男前な台詞を言われたなあ……」


 ぼそりと呟かれた言葉に、聖国の太陽たる王子は誰もが見惚れるような微笑みを浮かべた。


「まあディアナに感謝する事だな。僕の月の女神のお願いでなければ、僕もここまでやろうとは思いつきもしなかった」


 困ったように妻のお願いごとを受け入れる王子を思い浮かべて、アランは乾いた笑いを漏らす。


「やっぱり女神様は最強っすね……」


 でも、ディアナ様。これは反則ですってば。なにげに俺にまで大ダメージです。


「……ところで、我が君。ちょっとそのお顔で『アラン大好き♡』って言ってみてくれませ……痛い!!」

「蹴るぞ」

「もう蹴ってる!蹴ってます!」


**


 広報部へと向かおうとしたレイトは、前方に知っている背中を見つけた。長身に長い銀髪、白い杖を持つ魔導士──シーファだ。


「シーファ」


 声を掛けると、彼は振り返る。相変わらず氷のような整った容貌で、わずかに片眉を上げた。


「またか、色男」


 レイトの手にある包みを見たのだろう、シーファは表情は崩さぬままにからかうような口調で言う。彼が頼む前に、魔導士はそれに手をかざし、頷いた。


「異物は何も入っていない。魔法も無し。今回のはマトモらしいな」


 彼は令嬢に何かを貰えば、こうして検分してもらうのはいつもの事だ。それは城の魔導師だったり、こうして行きがかったシーファに頼む事もある。くれた相手に失礼かなと思う罪悪感など、最初の貰い物に惚れ薬を混ぜられて以来、あっさりと消えた。


「アンタだってモテるだろうに。こういうの、ないのか?」

「この城の中での私の二つ名は『破壊神』だぞ。城下ならともかく、ここで私に何かを渡そうとするものなど居ない」


 レイトの問いにシーファは尊大に答える。そういっても彼に好意を持つ令嬢も居ないわけではないだろうが、そもそも彼は王子の友人であって城の魔導士ではない。政治も出世も金もリティア以外の女性にも興味のない、この氷の美貌でどんな断り方をされるか考えたら、話しかけるのも恐れ多いのかもしれない。ふうん、と返事をするレイトに、シーファはニヤリと笑う。


「煩わしいなら一言言うだけで良い『幼女愛好者なのでお断りします』と」

「ちょっとそれやめろもう……」


 リルディカが小さいままであったなら、それも完全な嘘ではないが──否、リルディカだからこそ恋をしたのであって、決してそういう性癖を持っているわけではない。そして彼女が年相応の姿に戻った今、もう悪い冗談でしかない。

 彼はげんなりとしながら手の中の包みを魔導士へと差し出す。


「問題ないならアンタにやるよ。リティアが喜ぶんじゃないか?」


 魔導士の弟子の少女の名を挙げれば、シーファは素直にそれを受け取った。


「ちょうどディアナのところに居る。お茶請けに持っていってやろう」


 女性陣は甘いお菓子が大好きだ。きっと二人とも喜ぶだろうと思い、けれどふと顔を上げる。ブルーサファイヤの瞳が懐を探って、小さな袋を取り出した。


「ではこれをリルディカに。交換だ。私からならば、渡せるだろう?」


 袋の中身は綺麗な色をした飴玉だ。レイトはそれを受け取って、苦笑いを返した。彼が貰った菓子を他人にあげた意味を、正しくシーファが理解していると知って。


「アンタってほんっと、そういうとこ男前だなー」

「惚れるなよ、色男」

「……ロリコン疑惑の次は男色疑惑かよ……」


 どちらにしろ、城の廊下でコソコソとお菓子の包みを交換する、見目麗しい成人男性二人など、怪しすぎる。やや離れて侍女たちが頬を染め、キャアキャアとこっそり盛り上がっていたことに、幸いにも二人とも気付かなかった。





「あのヘラヘラ近衛騎士、しつこいお嬢さんに追っかけられてるって聞いた?」


 数時間前。

 王太子妃ディアナの部屋でくつろいでいた彼女自身と、夫のラセイン王子は、イールが発した言葉に顔を見合わせた。ディアナの相棒である喋る鳥、イールは白い羽を広げながら続ける。


「レイトはうまーく躱してるみたいなのにね。ほんっと変なとこ要領悪いよね、あの『おにーさん』は」


 イールの言葉は辛辣だが、彼なりにアランを心配しているのはわかる。彼らは意外にも仲が良い。顔にかかる金色の髪を掻き上げ、セイは溜息をつきながら言葉を返した。


「なんだかんだ言ってアランは面倒見が良いですから。自分の首を絞めることにならなければ良いですけど」

「あら、あなたのためでしょう?」


 ディアナが苦笑いで夫へ言う。

 アランが他国の令嬢を冷たくあしらえないのは、ひとえに外交問題を──ひいてはラセイン王子のことを気にしているからだ。もし何かこじれた問題になれば、王子の公務にも支障が出る。令嬢の国は必ずしも脅威ではないが、魔導師を世界的に広めようとしているセインティア王国にとって、利のある国であることは確かなのだ。

 妻へと笑みを返し、セイは頷いた。


「令嬢は姉上を苦手とは思っているようですがね。姉上を呼び出す訳にもいきませんし……僕が代わってあげられるわけでもありませんし」

「……代わってあげられるんじゃないの?」


 ぼそりと呟いたのはイールで。彼はじーっとセイを見つめている。


「何ですイール、その熱い視線は。ディアナ以外にそんな目を向けられても困ります」


 そう言って王子は嫌な予感をひしひしと感じ視線を逸らしたが、白い鳥は無情にもにやりと笑った。


「──ねえ、キラキラ王子って、実はセアラ姫にそっくりだよね」


 ほらきた。


 セイは内心冷や汗をかきながら、隣の妻へ視線を送る。ディアナはきょとんとしていたが、お茶のお代わりを注いでいた侍女のリリーナがわくわくと追い打ちをかけた。


「まあ、イールもそう思います?私もラセイン様はお化粧栄えすると思いますの。きっとセアラ様にそっくりになりますわ」


 余計なことを!

 王太子はひくりと引きつる頬を自覚しながら、反論する。


「……体格的に無理があります。こんな女性では怖いだけでしょう」

「あら。座って、魔導師のローブをお召しになれば分かりませんわ。きっとお似合いでしょうねえ」


 リリーナ、お前はもう喋るな!

 そう言いたい気持ちを抑え、おそるおそる隣を見れば。


「……セイ」


 ああ、もう。この声だけで分かる。愛おしい妻が、可愛らしくキラキラした瞳でこちらを見つめていることなど。


「そうよ、セイがセアラ様のふりをして、令嬢を追い払ったら──」


 口では解決方法のように言っているが、その目は夫の女装を見てみたいという好奇心に溢れている。しかも妻のお願いに、彼が逆らえるはずもない。


「ねえ、セイ。きっと綺麗だわ」


王太子が盛大な溜息とともに天井を仰いだかどうかは──想像通りだろう。



「無理を言ってしまったかしら」


 先ほどのことを思い出しながら、ディアナは頬に手を当てた。

 けれど完成した『偽セアライリア』はとんでもなく美しかった。彼女を良く知るディアナも、近くでまじまじと見ない限り、違いが分からないくらいに。しかし首から下は立派に男性そのもので、「気持ち悪い!クオリティ高すぎるが故に気持ち悪い!!」とイールが叫んだのは、セイに気の毒だったがその通りだった。

 リリーナは嬉々として彼に化粧をして、魔導師からローブを借りて来て。あの薔薇園を通るようアランをそれとなく誘導したらしい。今頃は作戦が進んでいることだろう。


「王宮の人たちって面白いですね」


 身も蓋もない感想を述べたのは魔導士リティア。今日の講義を終えて、ディアナのところへお茶に呼ばれたのだ。


「リティア、迎えに来たぞ。ついでに土産だ」


 彼女の師、銀の魔導士シーファが部屋に入って来て、彼女達へ綺麗にラッピングされたお菓子を差し出す。中身が焼菓子と判断して、リティアはぱっと顔を輝かせた。


「お師匠様、ありがとうございます!」


 彼女はそれを受け取って、ディアナへと差し出す。一緒に食べましょう、とにっこり笑う彼女へ、ディアナも嬉しそうに頷いた。侍女が彼女から受け取って「ではお皿に出しますね」とリボンをほどく。

 そんな時、部屋の扉が開いて、賑やかな声がかけられた。


「ちょっとちょっと聞いて下さいよ~ディアナ様!俺、ラセイン様に弄ばれましたああ」


 言葉の主は言わずと知れたアランで、大袈裟に嘆いてみせる彼を長い脚が後ろから蹴り飛ばす。


「人聞きの悪い。ダメージ具合は僕の方が大きいだろう」


 部屋に入って来たセイは、巻かれた髪をうっとうしそうに結びながら冷たい視線を向けた。


「あ、その視線ヤバい。うちの奥さんの顔でその顔やめて下さい!変な快感が!」

「死ね、変態」


 一連のやり取りに目を丸くしていたリティアは、遅れてあっと声をあげる。


「ラセイン王子!?うわああ凄く綺麗です!セアラ様そっくり!」

「そうでしょう?綺麗よね!」


 リティアとディアナに純粋な感動を示されて、セイは困ったように微笑み、「ありがとう」とセアラの声で返すサービスまでしてみせた。きゃあきゃあと喜ぶ女性陣に、シーファは愉しげに王子へと視線を送る。


「結構ハマっているではないか。絶世の美女だな、ラセイン。口説いていいか」

「やめて下さい、あなたまで!」


 友人にからかわれ、王子は侍女から奪い取った濡れた布でごしごしと化粧を落とす。そうすれば不思議と、いつもの美貌の王子にしか見えない。そうして賑やかなお茶会が始まり、わいわいと話に花を咲かせていたが、しばらくしてシーファがリティアを伴って帰っていった。今日は新しい魔法開発実験があるらしい。


 異変はその後すぐに起こった。

 お茶菓子を食べていたディアナが、俯いて「ん……」と呟いたのだ。彼女の様子がおかしいことに気づき、セイは妻の顔を覗き込む。


「ディアナ?」


 呼びかけに彼を見上げたディアナの顔は真っ赤に染まり、瞳は潤んでいて。先ほどまで普通だった呼吸も少し乱れている。


「どうした?具合が悪い?」


 セイが彼女の額に手を伸ばし、その指先が触れたとたん、ディアナはびくりと身を震わせた。


「……っ、セイ」


 その瞳を向けられた瞬間──セイの表情が固まる。


「──アラン。お前、さっきの菓子どうした」


 主の様子を心配そうに見ていた近衛騎士は、彼の声にハッと顔を上げた。あたりを見回し、蒼白になる。


「な、無いっ。俺ここに置いておいたはず……!」

「え?そちらも先ほど銀の魔導士に頂いたお菓子ではなかったのですか?一緒に出してしまいましたが」


 アランの言葉にリリーナが口元を押さえて、困惑気味に言った。


 媚薬入りの菓子。


 どうやら間違って、アランが貰ったあの菓子を、他の菓子とともにトレイに出されてしまっていたらしい。口にしたのはディアナだけだったのだろう。シーファとリティアは──魔導士なので薬を分解する術式などお手の物なのだろうから、今は気にしない。


「アラン、出て行け!」


 セイの鋭い声に、アランは「御意!」と叫ぶように応えて立ち上がる。ついでに「何でボクが!」と叫ぶイールを掴んで、リリーナと共に駆け出て行った。王子はそっと妻の肩を支えて隣に座る。その軽く触れた手にすら、彼女はビクリと身を震わせた。


「セイ……私、変なの。熱い……」

「大丈夫。すぐに収まる」


 リリーナが疑いも無く出したなら、人体に有害なものではないはずだ。この場合は『毒物』であって、精霊である侍女に、媚薬は『有害なもの』に含まれない。けれど、目の前の愛おしい女神は確実に王子の目の毒で。

 宮廷医師か魔導医を呼ぶべきなのは分かっているが、こんな妻を誰にも見せたくない。上気する肌も濡れた瞳も、今までに目にしたことがある。けれど。


「セイ……」


 何の拷問だ!


 甘い声で彼の名を呼ぶディアナに、手を伸ばしてしまいそうになる自分を必死で抑えた。高められた彼女の熱を鎮める方法など分かっている。夫婦なのだから躊躇うこともないのだろうが、後で彼女が落ち込むであろうことを考えると──非常に気が進まない。


「ディアナ……」


 キルス、後で絶対殴る。一発では足りない。まわし蹴りと踵落としも追加してやる。ああそれから、こんなに可愛らしいディアナを一目でも目にしたアランも、記憶が飛ぶまで殴っておかなければ。

 やや八つ当たり気味の物騒な思考を綺麗な顔に隠しながら、セイはディアナの背を抱き締める。


「ねぇ、これって……」

「アランが貰った菓子に媚薬が入ってたんだ」

「そんな、セイ……」


 腕の中で震える彼女は、自分の状態を把握したのだろう。泣き出しそうな声で彼の名を呼んだ。それがまた色っぽくて可愛くて、王子の理性を容赦なく削ってくれるとは知らず。


「ん」


 彼女は思わずといったようにセイへと縋り付いて、その顔を見上げた。媚薬に侵された彼女こそ、セイにとっては媚薬そのものだ。じわりと頬に熱が集まるのを感じながら、王子はディアナへ呟く。


「ああ、もう。そんな風に可愛らしい顔を向けないで」

「セイ、お願い……」

「っ、だから、それは駄目……僕はあなたからの誘惑には弱いんだ」

「これ……どうにかして……ラセイン」

「──ッ、後で泣いても謝らないからな!」


 ええい、どうにでもなれ!


 冷静沈着な王子など、愛おしい妻の前では吹っ飛んだ。彼女の唇へと自分のそれを重ね、貪るように深く深くキスを交わす。いつも恥ずかしげに応えてくれる彼女が、積極的に彼の首に腕を回してきたのにも、更に煽られて。


 嵐のようなキスの中、彼は妻が苦しげに彼の肩を叩いたのも気づかず──。



「──ディアナ。……ディアナ?」


 腕の中の重みが増したことに、はた、と気づけば。酸欠になったのか、ぐったりと彼女は気を失っていて。

……このまま眠らせておけばきっと、薬の効果は消えるだろう。が。


「……そ、それは反則……!」


 あっさりとコトを中断された夫は、わずかな安堵と盛大な失望に、涙目でがっくりと項垂れてソファに突っ伏した。

 後々目が覚めたディアナは凄い勢いで彼に謝り──何についての謝罪かはともかく──その夜は寝室から出してもらえなかったという。




 勤務時間が終わって、魔法兵団の棟から出て来たリルディカに差し出されたのは、小さな包みだった。


「お疲れ様」


 差し出したのは亜麻色の髪の青年──彼女の恋人だ。


「なあに?」

「飴玉。シーファに貰った」


 彼女の問いにレイトはさらりと答えたはずが、リルディカは複雑そうな顔をする。


「本当にシーファから?私だってちゃんと分かってるから、気にしなくて良いのよ?」


 リルディカはレイトがご令嬢達からささやかな贈り物をされている事を、ちゃんと気付いていた。ちょっとモヤモヤする気持ちはあるが、彼の外見と立場では仕方ないことは分かっている。それにささやか以上のものは受け取らないようにしていることも、それをリルディカの目に触れないようにしていることも。


「本当に、シーファからだよ」


 彼女の気遣いにレイトは微笑んだ。

 ああ、良かった。嘘ではない。貰った経緯は言わぬが花、けれど少なくとも嘘をつかずに済んだ事に小さくホッとした。


「ご褒美には甘いものだろ」


 リルディカがそれを受け取ろうとする前に、レイトは包みの中から取り出した飴玉をひとつ、彼女の口へと入れる。途端に広がった柔らかな甘さに、思わず笑みが溢れたリルディカだったが、その様子を満足げに見守る彼に気づき、思わず頬を染めた。


「……私はもう幼い子供ではないわよ」

「幼女扱いなんかしてない。ただ──可愛いなと、思っただけだ」


 ぽろりと溢れた素直な言葉に、リルディカよりも先にレイト自身が驚き──照れたように口を噤む。

 最近はこんな事が増えて来た。レイトの、颯爽と女性をあしらう色男っぷりは変わらないが、リルディカに対してだけふと、不器用だった昔の彼のような顔を見せる。

 棟から出て来た同僚達が、「このバカップル!見てる方が恥ずかしい!」と冷やかしていくのも、もういつもの事だ。

そしてそんな彼の隣で、幸せそうに微笑むリルディカを見て──


……ああ、この笑顔を見たかっただけなんだ。


 何よりも彼の心を浮き上がらせるのは。愛おしさを溢れさせるのは。

 もっと、リルディカのそんな顔を見たい。その一心で、彼は呟く。


「……なあ、それ、そんなに美味い?」

「え?ええ」


 レイトは素早く周りを確かめて、リルディカの手を引いた。柱の影に隠れて彼女を囲い込むと、素早く唇を触れさせ──彼女の舌から丸い飴玉を奪い取る。


「んっ、レイト!」


 真っ赤になるリルディカににやりと微笑みを向けて、彼は口の中で飴玉を転がした。


「本当だ。甘いな」

「っ!」


 彼女はパクパクと文句を言いたげに何度か口を開けたが、してやったりといった顔のレイトに結局は口を噤んで、赤く染まったままの頬を押さえる。そんなリルディカの様子に、彼はクスクスと笑った。愛おしい恋人の困った顔さえも、とてつもなく可愛く見えるなんて、どっちが子供なのかと笑われそうだ。

 レイトに一矢報いたいリルディカは、悔しげに口を開いて。やがてふと思いついたように、彼へと言葉を掛けた。


「レイト。シーファにお礼を言っておいてね」

「ああ、分かってる」

「……近頃、美貌の銀の魔導士とイケメン広報官の、禁断の関係についての女官考察が」

「こんなところまで汚染済みか!なんて感染力だ。腐った思想に惑わされるなリルディカ!」

「……まあ、たとえ誰が相手でも、私はもう諦めたりはしないけれど」

「──っ……!」


 不意を突かれ、今度はレイトが言葉を失った瞬間。リルディカは彼を引き寄せ、その舌先から小さくなった飴玉を奪い返した。


「リルッ……」


 驚きながらも、レイトは彼女の腰を強く引き寄せて、もう一度深く口付けようとした、が──


『我は暁の巫女。しばし偽りの姿を映せ』


 魔法の呪文を唱える、悪戯めいた響きを含んだ彼女の声と。ふわりと舞う薄紫の髪。女性らしい優美な腰は華奢な薄さに。彼の頬を包んでいた手は小さなそれに。愉しげに細められた瞳は、途端に視界の下へと降りていった。

 柱の陰から出たそこは、薔薇園で。レイトの伸ばした手の中を薄紫の髪が滑っていき、代わりに艶やかな薔薇の花びらを掴む羽目になった。


「……リルディカ」

「飴玉のご褒美は、やっぱり子供に似合うわよね」

「……今いいとこだったんだけど!続きは!?それ反則……!」

「あら、この姿の私に何をするつもり?また幼女趣味と言われるわよ」

「疑惑再び!?……く、したたかになったな、リルディカ……!」


 小さな少女の姿になって勝利を確信する恋人を前に、レイトは空になった両手で顔を覆って。そこを通りかかった女神の相棒イールに、「ほんと爆発したら。バカップル」と言われるのはすぐ後のこと。



……本当に、それは反則です。






番外編2「薔薇園の君」end.

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