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暁の巫女 -月の女神2-  作者: 実月アヤ
後日談・番外編
63/66

公爵家の若奥様

 あなたには敵わない。


 ずっと前から、そんなこと知っていた。



**



 セインティア王国にて、二組の婚礼の儀が行われた夜。

 そのうちの一組の新郎であるアラン・フォルニール公爵は、急ぎ自宅へと向かっていた。


 国中の誉れであり、高嶺の花である王女を妻に迎えた彼に、近衛騎士団の同僚達から、羨望と嫉妬混じりの祝杯を重ね、彼にしては珍しい程に酒を呑んだ。酔い潰してやろうという魂胆だったのはわかっている。部下の企みならばともかく、王直属の第一部隊までもが悪ふざけに乗ってきたために、全てを無視するわけにもいかずに。多少の意地もあって返り討ちにしてやった。

 妻達はすでにそれぞれ先に宴を辞している。新妻には色々と準備がありますから、と意味深に侍女に囁かれて、思わず今すぐに妻を抱き上げて攫ってしまいたいと思ったのは、アランだけでは無いはずだ。

 そしてやっと王子が退室するその時まで付き合っていたのだが。


 今日から帰るのは、城に用意された彼の部屋ではなく、妻の待つ王都のフォルニール公爵家だ。馬車も待てずに馬を駆って帰り着けば。


「おかえりなさいませ、旦那様。ラドフォード、飲み物をお願い。リリアム、お召替えを手伝って差し上げて」

「「はい、奥様」」


……なんでこのお姫様は、家主の俺よりこの家に馴染んでるの?


 アランを迎えたのは、王女ではなく公爵夫人としての装いをしたセアライリア。彼女は使用人達に颯爽と指示を出す。しかも執事のラドフォードを始め、誰もが喜んで付き従っているのが、ありありとわかる。


「……セアラ様、溶け込みすぎじゃないっすか」


 ボソリと口にすれば、彼女はニッコリと微笑んだ。


「あら、子供の頃はよくお邪魔していたじゃないの。ラドフォードもまだ現役でいてくれて嬉しいわ」

「身に余る光栄です、セアラ様。あなたがアラン坊っちゃまの奥方となって下さって、我ら使用人一同も感激しておりますよ」

「坊っちゃまはやめてくれ、ラドフォード」


 アランの父の代から仕えているこの執事は、未だにアランやセアラが子供に見えるらしい。アランは頭を抱えて呟いた。それを見てセアラはニヤリと笑う。


「あら、あなただって呼び方が違うわよ、旦那様」


 言われて思い出す。先ほど『セアラ様』と呼びかけてしまったことを。

 アランは顔を上げて、彼女を見た。愛おしい金の薔薇に心からの微笑みを返す。


「──ただいま、セアライリア。俺の麗しい奥さん」




 入浴を済ませたアランは、一応は仕事の書類に目を通しかけたが、諦めて机の上へと戻す。今見てもどうせ頭に入らないのは分かっている。それなら明日に回した方が懸命だ。それに、今すぐに見たいのは、味気ない報告書などではない。

 自室から繋がる扉の取手に手を掛けて、彼は一瞬目を閉じた。


──緊張、してるのかな。らしくもなく。


 恋人でもあるセアライリアとの時間は過ごして来たが、もちろん結婚するまで一線は守ってきた。彼女は生まれながらの王女にして、聖国の高嶺の花だ。おいそれと手を出せるわけもない。主君であるラセイン王子のディアナに対する溺愛と暴走っぷりを見ていたって、自分に同じ真似が許されるとも思わなかった。──少々濃厚なキス程度は許して欲しいが。

 それがやっと、この手に。そう思うと、途端に心臓が騒ぎ出した。


「……っ、思春期の少年か、俺は」


 いつでも頭を占めている主のことすら今は忘れて、扉の向こうにいる女性を想って呟く。

 自分に苦笑しながら、扉を押し開いて。夫婦の寝室へと足を踏み入れたなら、ソファに座っていたセアライリアが顔を上げた。少し待たせてしまったせいか、メイドが用意したお茶のカップは空になっている。それに視線を向けて、彼女の側に立った。


「まだ起きていてくれた?」

「あら、わたくしがさっさと眠ってしまっていたら、どうしていたの?」


 冗談混じりで問うアランに、彼女は悪戯めいた瞳で笑う。遠慮などいつも無いが、二人きりの時にだけ見せる、この柔らかな態度はまた違う。


 ずっと夢みることさえ許されないと思ってきた。一生想いを隠して、他の誰かへと嫁ぐ彼女を見送るのだと。

 主への忠誠心は真実だが、王女への恋心を見ない振りをする為に、ラセインを護ることに執着していた時期もあっただろう。何より、弟王子の幸せが彼女の願いだったから。


──けれどいま、セアライリアは俺の妻としてここにいる。


 未だにこれは自分に都合の良い夢なのではないかと思うことさえある。綺麗で優しい、彼だけの夢。

 確かめたくてその手を取れば、彼女の美しい細い指に結ばれた青いリボンが揺れた。アランに手を引かれて立ち上がったセアラに、夫となった青年は目を細める。


「そうしたら、一晩中あなたの寝顔を見てることにするよ。ずっとそうしてみたかったから」

「──っ」


 彼の言葉に美しい金の薔薇の頬が赤く染まった。いつものような軽口を返されなかったことに、アランはふと思い当たる。


──彼女も、緊張しているのか。


 いつだって毅然とした態度で、凛と咲き誇る薔薇が。今は彼の目の前で儚げに目を伏せていた。良く見れば金色の長い睫毛はふるりと震えていて、けれどアランの視線に無防備な笑みを返してくる。落ち着いた筈の心臓が、また大きな音を立てた。


「あなたはいつも俺を振り回す。そんなに可愛い顔をしたら、愛おしくて仕方ない」

「っ、振り回しているのは、あなたの方でしょう……」

「そうかな……?」


 蕩けるような甘い言葉と微笑みを浮かべて、アランはセアラの手を取ったまま彼女に唇を重ねた。

 彼の指が妻の青いリボンに掛かるが、習わし通りにリボンを解くのではなく、むしろ重ねた彼の指まで捕らえるかのように指を絡ませる。それと共に深くなってゆくキスに、セアラは苦しげに息を吐いた。

 彼女の肩からガウンを落として、アランはまじまじと妻の姿を見つめる。


「……こりゃまた、リエンカさんは素晴らしい仕事をしますね」


 光沢のあるさらりとした手触りのナイトドレスは、彼女の身体の線をくっきりと際立たせ、魅惑的なラインを描いていて。金糸の繊細な刺繍に縁取られた深いスリットから見え隠れする、陶磁器のような白い肌にも目を奪われる。けれど気品あるセアラが纏えば、その豪奢な金色の髪とアクアマリンの瞳が栄え、まさに金の薔薇そのもの。

 手を触れるのが恐れ多いくらいに、彼女は美しい。


「綺麗だよ、俺の金の薔薇。今まで見てきたどんな豪華なドレスよりも、俺の為に着てくれた婚礼衣裳とこのドレスが、一番あなたを輝かせてる」


 そっと囁けば、セアラは息を吞んだ。みるみるうちに顔が更に赤く染まってゆく。

 数多の賛辞を浴びてきたであろう絶世の美貌を持つ聖国の金の薔薇も、愛おしい夫からの褒め言葉には特別なものがあるようで。翻弄されるのが悔しくて、彼女はつい夫を睨みつけてしまう。


「ありがとう。なんだかあなた言動がラセインに似てきたわね」

「それは光栄。だけど──」


 アランは彼女の指先に口づけると、絡まったリボンを解いてセアラを抱き上げた。そのまま寝台へと向かうと、彼女をその上に降ろし、覆い被さるようにセアラの両手を押さえて顔を覗き込む。


「知ってた?ラセイン様より俺の方が、もっともっと、愛おしい奥さんをドロドロに甘やかしたいと思ってるって」


 アランの指に残る青いリボンに指を絡ませて。セアライリアはそれを聞いて幸福そうに微笑んだ。


「愛してるわ、アラン」


 泣きたくなるほどに、柔らかく甘い声。その声にもくちづけられたらいいのに。そう思い、代わりに唇にキスを落とす。


「愛してるよ、セアライリア」


 ほどかれた青いリボンがひらりと宙に舞って。

 甘い夜の始まりにひっそりと、絨毯の上に音もなく落ちた。





 婚礼から間もない数日後、フォルニール公爵夫妻はレウリシア伯爵邸の夜会に招待された。

 レウリシア伯爵夫人はアランの父の妹──つまり彼の叔母にあたる人で、若い二人の結婚祝いをしたいと宴を催したのだ。

 彼女には昔から親しく世話を焼いてもらっており、親族の中でもアランと仲の良い相手という事もあって、ぜひにと請われれば断る理由も無い──無かったのだが。宴が始まり、早々にアランは後悔していた。


「本当にお美しい。公爵お一人のものになるなどもったいない」

「金の薔薇が手折られる日が来るとは。高嶺の花と諦めるのは早かったのでしょうか」


 祝いの言葉に紛れさせ、やたら貴族の若者達が彼の美しい妻へと声を掛けて来るのだ。

 王女様であった時には恐れ多くて近寄りがたかった聖国の金の薔薇も、今や公爵夫人。その美貌にはなんの陰りもなく、気品溢れる姿は王女であった頃と変わらないが、周りは肩書きが変わるだけで大胆になれるらしい。アランの目を盗んで、少しでも親しくなろうとするのはまだ穏やかな方で、人妻である彼女へ火遊びを打診するような不届き者までいる始末。

 結果、彼は妻にぴったりと寄り添い、鋭い視線と、足りない時には辛辣な皮肉でもって相手をやり込める羽目になった。


「まさか『虫退治』に煩わされる日がこようとは……」


 主と同じような苦労をすることになるとは思ってもみなかったアランは、大きく溜息をつく。否、もちろんセアライリアが大変に魅力的なのは周知の事実としても、今までは触れるなど恐れ多い高嶺の花、崇拝の対象だったのだ。しかも貴族相手なのだから、てっとり早く拳や剣で黙らせるわけにもいかない。

 彼の隣で微笑む美しい新妻は、アランの恨みがましい声にクスクスと笑った。


「あらあら、それはあなただけの悩みではなくってよ?」


 どういう事かと彼女を見れば、セアラは遠巻きに見ている貴族の令嬢達を示す。


「今までラセイン第一で女性など当たり障り無くあしらっていたあなたが、結婚ですもの。手が届きそうと思われても仕方ないわね。未婚のお嬢さんたちはまだ群れてきゃあきゃあ言っているだけだけれど、手練手管に長けた奥様方は手強そうだわ」


 艶めいた意味ありげな視線を送ってくる貴婦人は今までにもいたが、確かに今日はあからさまだ。けれどアランは妻の腰を引き寄せて、その耳に囁く。


「あなたより魅力的な女性なんて居ない。誰に言い寄られても興味なんてないさ」


 パッと赤くなった頬を押さえて、セアラはじとりとアランを睨みつけた。その視線は「ラセインみたいな事を言って」と言いたげであったが、恥じらいに潤んだ瞳では全く迫力がない。いつも気高く姫君そのものの振る舞いをする彼女の、彼にしか見せない可愛い一面に、アランは思わず微笑みかける。

 蕩けるような笑顔を向ける彼と、その腕の中で恥じらう妻の、何人たりとも入る隙間もない甘いやりとりに、周りは嫉妬やら羨望やら何とも言えない表情を浮かべ、そそくさと離れていった。


「見せつけてくれるねーフォルニール」


 彼に声を掛けたのはラセインとセアラの従兄弟である、キルスウェルだ。以前ラセインに成りすまして騒動を起こした事はあるが、今は事業の方に集中しているらしい。大きな厄介事を持ち込む事も無くなったのだが。


「どう?我が社謹製の媚薬。安くしておくよ?」

「結構です間に合ってますほんとにもうどっか行け」


 大きくはない厄介事なら未だに持ってくる彼に、アランは一気に言い放った。

 そんなものを受け取ったら、隣で冷たい笑顔を浮かべているであろう妻が一生口を聞いてくれなくなる。しかしキルスはニコニコと爆弾発言を落として来た。


「じゃあ忠告。さっき君のファンて貴婦人2人ほどに売ったから、女性から出される飲み物に口付けない方が良いよ」

「アンタ本当に余計な事を……!!」


 思わず拳を握りこんでしまったアランに、セアラは同情的な眼差しを向ける。


「ラセイン王子なら騙されたフリして平然と口にして、だけど奸計には乗らず、ちゃっかりディアナちゃんとのめくるめく夜に有効活用しそうだけど」


 キルスはにやりと不敵な笑みを浮かべて言った。アランは一瞬考え、けれど首を横に振る。


「我が君はそういう真似はしませんよ。あれで結構純情なんですから」

「じゃあ君は?」

「生憎そんなものに頼らずとも、妻への愛で溺れそうですから」


 さらりと答えてから、ハッと腕の中へと視線を落とせば、セアラはますます顔を赤くしてじろりと二人を睨んだ。


「いい加減になさい、二人とも。わたくしは見世物になるつもりはなくってよ」


 人前で何を言ってるんだ、という意味を込めて言われた言葉に、アランはつい「すみません」と謝ってしまう。こういう時はつい、主従の関係を引きずってしまうのだ。咎める瞳に、仕方ないわねという色を混ぜて苦笑するセアラの表情に見惚れながら、彼は更に妻を引き寄せて。けれどふと、眉を上げた。


「まさかその媚薬、貴族の馬鹿息子とかには売ってないでしょうね」

「それこそまさか、だよ」


 セアラが卑劣な者のターゲットにならないかと心配しての問いだったが、さすがにキルスは従姉妹を危険な目に遭わせるつもりはないらしい。やんわりと否定して、アランへと笑いかける。


「君を陥れようとする馬鹿息子は居るみたいだけどね。まあ、君なら障害にもならないんだろうけど、うっとおしいだろうし。金の薔薇の伴侶にふさわしいと証明してみせるといい」

「──え?」


 キルスの面白がるような瞳とその言葉に、明らかな含みを感じて、アランは彼の真意を問おうとし──“ガシャーン!”という、ガラスの割れる大きな音に振り返った。

 目で事態を把握する前に、近衛騎士の鍛え上げられた反射で、咄嗟にセアラをその背に庇う。続いて目の奥にじわりと湧いた不快感に、魔法の発動を感じて、そちらへと顔を向けた。


──風系統の攻撃魔法。上級。2時の方向。発動まで3秒、攻撃対象はここ──俺かセアライリア。


 望んだわけではないが、彼の魔法感知能力は非常に高性能だ。発動呪文の最初の音を聞き取る前に、身体がその情報を教えてくれる。


──発動者は准魔導師。距離、20メートル、障害物無し。


 魔法が発動する前に取り押さえる時間はない。

 アランは咄嗟に、傍のテーブルに並んでいた銀食器の中からナイフを掴む。他の無害な招待客には誰にも当たらないと確信して、腕を振って投げた。それは柱の影でまさに攻撃呪文を唱えかけていた魔導師の肩に刺さり、相手は呻いて呪文を中断する。


「アラン!」


 扇の形をした簡易杖に魔力を滲ませ、セアラが夫を呼んだ。何も言わずとも、その場の人々に防御魔法を掛けてくれる彼女に頷き彼は走る。一気に魔導師の傍まで近づき、不届き者目がけて回し蹴りを放った。

 パーティに帯剣はしないのはマナーだ。王宮であれば近衛騎士として武器も持つが、今日は公爵として来ているために『ちゃんとした』武器など持ってはいない。ならばと手っ取り早く足を出す。


「叔母上のパーティーにはふさわしくない輩だなぁ」


 彼の蹴りに壁際へ吹っ飛んだ魔導師を追いつめながら、彼は周りを見回した。

 この魔導師一人の犯行であるはずがない。貴族かその付き人でなければここには入れないが、貴族であればアランには魔法が完全に感知されることなど分かっているはずだ。自分で手を汚すはずが無い。


「アラン!なんてこと。あなた怪我は!?」


 レウリシア伯爵夫人が駆け寄ってくる。弾かれたように他の人々も悲鳴や怯えの声を上げ始めた。騒然とする人々は多すぎて見極めきれず、舌打ちしそうになった彼に、パチンという澄んだ響きが聴こえる。


「わたくしの夫を傷つけようとした愚か者は誰かしら」


 決して荒ぶってもいず、大きな声でもない。しかしその美しい声は広間に響き渡り、あたりは静まり返った。

 扇を手のひらで鳴らし、ついと顎を上げたのは、絶世の美女。磨き抜かれたアクアマリンのような瞳が、冷たい炎を湛えている。結い上げられた金の巻き毛が精霊の光に煌めいて、彼女自身が輝いているかのような光をまとっていて。その場の誰もが言葉を失った──彼女の夫でさえも。


「ねぇ、だあれ?わたくしの夫を攻撃するよう、あの魔導師に命じた愚か者は」


 そしてセアラは優美な指で掴んだ扇で、ある一人の貴族の青年を差す。


「あなた、随分顔色が悪くってよ。まるで──隠していた悪事を暴かれた者のよう」


 はっきりとした声音に、彼はますます顔色を変え、周りは事態を悟ってざわめいた。

 魔導師を警備兵に任せ、アランは妻の元へと戻る。しかし彼女は彼の背に庇われるのを拒んだ。青年貴族は縋るようにセアラを見つめ、卑屈な笑みを浮かべて口を開く。


「何をおっしゃるのです、セアラ姫。俺……わ、私は何も」

「わたくしはセアライリア・フォルニール公爵夫人です。あなたに姫と呼ばれる覚えなどございませんわ」


 しどろもどろに弁明しようとした彼に、セアラはぴしゃんともう一度扇を打ち鳴らした。青年はどうにか言い逃れようとしたが──真実を見通す元王女の視線にたじろぐ。わずかに迷い開き直ったのか、彼女の隣にいるアランを睨みつけて声を上げた。


「我らが金の薔薇!あなたにこんな男など似合いません!魔法も使えぬ成り上がり騎士など──」

「おだまりなさい」


 アランが眉を顰める前に、セアラの声が響く。


「魔法も使えぬわたくしの夫に、剣術で一度も勝てたことなどないくせに。彼の目から魔法を隠すことなどできぬくせに」


 王国主催の剣術大会は、ある程度の貴族であれば誰もが参加したことがある。そしてアランが出場してから今まで、剣で勝てたのはラセイン王子ただ一人だ。


「アランをわたくしの夫にと求めたのはわたくし自身の心です。そして彼をわたくしの夫にと認めたのはこの国を統治する両陛下であり、次期王であるラセイン殿下。先ほどのあなたの言動は王家への叛意と見なされても仕方ありませんわね。わたくし、つい怒りに我を忘れて陛下への報告を大袈裟にしてしまいそうです。

──まあわたくしの最愛の夫は、逆恨みなど恥知らずな真似が出来る小物ごときに、害されるような騎士ではありませんから、陛下には笑われてしまうやもしれませんけれど」


──キレてる。うちの奥さん、完全にキレちゃってる。


 つい背筋が寒くなりそうなアランの目の前で。笑顔であるのに怒りを帯びていると分かる、恐ろしい程に美しい彼女の顔から目が離せないまま、青年はガタガタと震え出す。


「も、申し訳ありません……!」


 悲鳴のような謝罪に、レウリシア伯爵夫人が蔑みの目を向けつつ警備兵を呼んだ。それを見届けながら、アランは大きく息を吐いた妻の腰を引き寄せ、そのこめかみに唇を押し当てる。


「随分と嬉しいことを言ってくれたな。俺をあなたが求めたとか、最愛の夫だとか」


 氷のような瞳には、正直怖れを抱いてしまうけれど。それが自分のためならば、喜びしか感じない。

 セアラはアランの顔を見上げて困ったように言う。


「つい頭に血が上ったのよ。本当の事だから恥ずかしくないわ、とラセインのように言えたら良いのだけど──やっぱり恥ずかしいわね。……何よ、ニヤニヤして」


 広げた扇に隠された頬は、怒りのせいだけではなく、赤く染まっていた。ただそれを愛おしく感じて、アランは柔らかく微笑む。


「いやあ、王女時代のツンデレ加減が、いーい感じにデレ方向へ転がってきたな、って」

「この馬鹿!どうせわたくしは高飛車な可愛くない元王女よ!」


 からかわれたと感じて、セアラは扇の陰で口を尖らせたが。思いのほか、甘い夫の笑顔に目を見開いた。


「あなたは誰より気高く美しい女性で、俺にとってはとんでもなく可愛い奥さんだよ。セアライリア」


 端正な顔を惜しげもなく蕩けさせて囁く彼に、美貌の妻は見とれながら呆れ声で呟く。


「……なるほどね。あなたがラセインに似たのではなくて、ラセインがあなたに似たのね。諸悪の根源を発見したわ」

「どーゆー意味ッスか!?」



**



「先日の宴では、随分と派手な騒ぎがあったようね」


 数日後の公爵家の庭園では、優雅にお茶会をする四人の貴婦人の姿があった。一人はもちろん公爵夫人である、セアライリア。


「お義母様のお耳にまで届いておりますの?困りましたわね」


 さして困ってもいない口調で笑いかけた彼女の向かいに座るのは、アランの母、イルリーデ。明るい栗色の髪を結い上げた、歳を重ねてもどこか可愛らしい夫人だ。


「セアラ様の素敵な啖呵、私もその場で見たかったわ」


 イルリーデは儚く見える容姿で、なかなか癖のある性格をしている。

 彼女はアランの父、魔導師エルク・フォルニールと共に、セインティア国王がまだ王子であった頃から傍に仕え、冒険者さながらに各国を回って、魔導師の地位向上のために活躍した女傑だ。彼女を抑えられるのは夫エルクだけだと言われているくらい、武勇伝は多く──それは未だに続いている。


「お恥ずかしいですわ」

「あら、とっても格好良かったとお聞きしてよ。私達の可愛くない弟も、すっかりあなたに骨抜きではありませんか、セアラ様」


 セアラの両隣に座るのは、アランの姉であるエマーリアとリーリア。

 彼女たちは双子で、アランとは10歳近くも歳が離れていて、早くに嫁いでしまったためにフォルニールの家から離れていた。しかも弟は近衛騎士、王子の側近。任務に忙殺される日々で、姉達との仲は特に悪いわけではないが、自然と疎遠になってしまっていて。一方で母と父は強い力を持つ魔導師であるため、魔法感知能力のあるアランからは少し距離を置くという方法を選択した。

 もちろんアランもそれが両親なりの精一杯の愛情だと分かっている。だからこそ彼は両親を尊敬しているし、愛してもいる。しかしそれ故に、フォルニール家は全員が離れて想い合う家族だった。

 アランが幼い頃から王子と王女に執着し、彼らを護ることに打ち込んだのは、こうした生い立ちがあったからかもしれない。


 ところが、彼の結婚によって状況は一変した。

 義理の妹は女性同士の付き合いと称して、義母と義姉を公爵邸に招き、頻繁にお茶会を開く。時にはエルクも招いて食事会を開くのだ。もちろん会話の中に、国の中枢に関わる情報交換という目的も含まれてはいるが、しかしそれ以上に。


「ただいま、セアライリア。母上、姉上方、いらしてたんですか。相変わらずお喋り好きな方達だ」


 穏やかな微笑みで、彼女達のテーブルへ近寄ってくる、青年公爵。彼の顔を見た途端、姉達はにやりと微笑んで軽口を叩き出す。


「あらあ、良いではないの。あなたの自慢の若奥様と話すのは、私たちにとっても喜びなのよ。そつのない可愛くない弟より、可愛い義妹ですわ」

「そうですわ。あなたにはもったいないくらいのこんな素敵なお嫁さんを貰えたくせに、私たちの楽しみまで邪魔したら罰が当たりますわ。いっそ爆発しろなのですわ」

「……ひどい言われようなんスけど」


 新婚である弟は、妻のために毎日帰宅する。こうして早く帰れることすらある。以前は城に住んでいるも同然で、滅多に屋敷にも帰らなかった彼。たまに訪れる姉達どころか、同じ屋敷に住んでいるはずの両親ですら、なかなか会えなかったというのに。今両親は二人きりで郊外の別邸に住んでいるが、別居している今の方が頻繁に集まるくらいだ。

 からかいの笑みを浮かべたその裏で。自分が嫁いだ頃には幼かった弟の、現在の立派な姿に、姉は人知れず安堵の息を漏らしながら。そして、彼女達の想いに気付いている彼もまた、妻にだけ聴こえる程の声で、小さく呟く。


「ありがとう、セアライリア」


──あなたには敵わない。


 こんな瞬間、心を占めるのはたった一言。


──愛してる。


 そして返された微笑みに、気付いた。彼女もまた、音にせず同じ言葉を口にしていると。


 エメラルドに輝く彼の瞳の先で。

 金の薔薇は美しく、優しく──彼のために咲いていた。






番外編・「公爵家の若奥様」end.

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