薔薇園の秘密・1
一同が城へ戻った時には、もう夕方になっていた。
異変を感じ取った城の者達は、けれど巧妙に客人や国民から危機を悟られぬよう立ち回り、平穏な日常を守りきった。戦いを終えた王子の近衛騎士達はひっそりと迎え入れられ、仲間達に温かな労いの視線と親愛を込めて肩を叩かれて。王子とアラン、魔法兵団長は王へと報告に呼ばれ、そのまましばらく極秘の会議が開かれた。
シーファとリティアは城に用意された客室へと招かれ、それぞれ他の者達も休息を取るよう王子に命じられて各部屋へと下がる。そしてセアラ姫とディアナは待ち構えていた女官達に捕まった。
「お二人は明日の主役なんですからね!傷一つ残さず、疲れも全て取り払ってぴっかぴかになって頂きませんと!」
張り切った彼女たちに身体の隅々まで磨かれ、癒しの効果のある魔法をかけられ、やれ美容に良い飲み物だと勧められ、髪は香油を振りかけられながら丁寧に梳かれる。美しい姫君達を飾り立てるのは彼女達の最大の楽しみであり、それが結婚式ともなれば下準備でもお祭り騒ぎになるのは仕方が無いのだが。
散々に弄られたディアナは、ひきつった微笑みでセアラ姫へと口を開く。
「……魔物退治のほうが、楽かも」
義妹になる彼女の言葉に、生まれながらの姫君は悠々と微笑んで、片目を瞑ってみせた。
「仕方の無い子ね。庭園のバルコニーへ出てごらんなさい。そろそろラセイン達の会議が終わる頃ですわ」
色とりどりの薔薇が咲き乱れる美しい庭園に面したバルコニー。ディアナは一人、そこへ出た。
先程まで魔物で溢れ、戦いの地となっていたフォルディアス湖は、今やどこにもその気配は無く、穏やかに輝いている。夕陽に照らされて、赤く染まる湖面はただ美しく、月の女神はそれを飽きずに眺めていた。
「──でしょう?」
ふと聴こえて来た微かな声に気づき、ディアナはバルコニーの下を見る。庭園にはセイと、ディアナの養父ディオリオが居た。
珍しい。二人は師弟関係というのもあって仲が良いが、騎士団の訓練以外で一緒に居るところはあまり見かけない。それが、城の薔薇園でとは。しかもディオリオの肩にはイールが留まっている。ディアナの傍に居ないと思ったら、何故彼のところに居るのか。
彼女は声を掛けようとして、ディオリオの固い表情に気付いて躊躇ってしまった。いつも飄々としている義父が珍しく、硬質な気配を纏っているのだ。庭園では二人と一羽の会話が続いている。セイが口を開いた。
「ちゃんと話さなければと思っていました。あなたは最初から僕とディアナを見守ってくれていた。この国にも戻って来てくれた。けれどあなたが本当はセインティアは娘を脅かす場所かもしれないと迷い、僕を見極めようとしていたのは知っています」
「ラセイン王子」
ディオリオはゆるりと首を横に振る。
「確かに僕はディアナに何度も助けられたし、彼女を危険な目にも遭わせた。それでも、ディオリオ。臣下としてではなく、僕の婚約者の父として乞う。──あなたの娘を僕に下さい」
王子、と呼んで本音を誤摩化すことなど許さない、真剣な表情でまっすぐに見つめるセイの瞳から、ディオリオは目を逸らせずに。かつて常勝将軍であった男は深く息を吐く。
「ディアナの力は成長するにつれて強くなっていた。放っておけば自覚も無いまま月の力に飲み込まれていただろう。俺には何も出来なかったんだ」
その堂々した体躯も、色気のある余裕そうな表情も、今はどこか色を失って。ディオリオは軽く目を伏せて続けた。
「まだ子供だったディアナに剣を持たせたのは俺だ。あいつの剣の腕は異常だった。戦ってるときのあいつは美しい獣のようだろう。本能で魔物の急所を知っていて、的確に倒す。俺も所詮セインティアの人間だ。そんなあいつの中に月の女神を見て、密かに歓喜したんだ。月の力の制御の方法も知らぬままに、俺は戦いを教えた。本当ならば無邪気に護られていれば良かった少女に、武器を与えた」
彼の拳がぐっと握り込まれた。
「けどな、そうやって俺はディアナを剣士としては一流に育てても、あいつの心を護る方法を何一つ教えてやれてなかったんだ。それは本当の強さじゃねえ」
その目に後悔を滲ませて、ディアナの義父は言葉を継ぐ。セイはただ黙ってそれを聞いていた。
「あの娘を変えたのはお前だ。ディアナはお前のために強くなった。だから感謝している。可愛い娘をよその男にやるのは悔しいけどな、でもお前でなきゃやらねえよ。──娘を頼む、ラセイン」
和らいだ瞳でそう語る彼は、間違いなく娘を愛おしむ父親で。軽口に紛れ込ませた本音にセイはしっかりと頷く。イールがディオリオの頬に羽を触れさせると、彼は白い鳥をあやすように撫でた。
「そういや一番うるさそうなお前さんが大人しいな、イール」
「ボクはもう、キラキラ王子を認めているから」
そう言った彼の言葉にセイが軽く目を見開く。イールは照れ隠しなのかフン、と呟いて。けれどハッと顔を上げた。
「……リベルザがやったことで、月の民の末裔であるディアナが誰かに責められたり、悪意をもたれたりすることはないよね?」
イールの心配は、セイには伝わっていたのだろう。彼もまた、何からもディアナを護るよう、アランに命じたのだから。
「セインティア王国は何度もディアナに救われた。僕の民に、月の女神を貶めるようなことは許しません。必ず僕が彼女を護ります」
アクアマリンの瞳に偽りもごまかしも無く、青の王子は誠実にイールへと答えを返す。それにやっと安堵して、イールはセイの肩へと飛び移った。
「キラキラ、せいぜいディアナを大事にするんだね。喧嘩したら、ボクとディオリオがディアナを連れ戻しちゃうから。アレイルも手伝ってくれるだろうしね」
「おや、それは怖いですね。そうならないように、いっそうディアナをベタベタのドロドロに甘やかすことにします」
「「ヤンデレ候補、怖い……!!」」
「心外ですね、ただ僕の愛しい人を可愛がりたいだけなのに」
「ベタベタのドロドロにしすぎて、原型留めないくらい溶けちゃうから!監禁軟禁拘束ダメ、絶対!!」
「いやだなあ、そんなことしませんよ」
「怪しい!怪しすぎる!」
「やっぱりうちのムスメやるの止めようかな」
「何を言うんです、男に二言はないのでしょう?宜しくお願いします、お義父さん」
「「怖ッ!!!」」
わいわいと雑談に変わった彼らの言葉は、もうディアナには届かなかった。バルコニーの床にうずくまって、彼女は泣いていたからだ。
義父と、相棒の深い愛情を知って。婚約者の決意を知って。
叔父であるディオリオが、父としてディアナを引き取ったことも。彼女の為に魔族と手を組んで、家族を取り戻してくれようとしたことも。イールが初めて会ったディアナに相棒だと言ってくれたことも。兄の記憶を隠しながら、ずっと傍に居てくれたことも。そしてそれを知りながら、その意志に沿おうとセイが一生懸命になってくれたことも。
ずっと彼女は愛されていた。大切にされていた。知っているつもりで、その重さは自覚していなかった。
「……父さん、イール……」
ありがとう、と呟きかけて、ディアナは涙を拭う。独り言で終わらせてはダメだ。本人達に直接告げるべきだろう。
だから彼女は立ち上がる。城内へと戻るその顔は、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
*
陽が沈む直前、空は赤から紺色へのグラデーションを描き、空には星が輝き出した。夜の訪れを感じ取り、精霊がその身体に光をまといながらふわりと舞う。
バルコニーに出て来たのは、亜麻色の髪の青年。彼はサングラスを外して胸元へ引っ掛け、代わりに煙草を取り出す。慣れた仕草で咥えて、火を着けようとして──パチリという音と共に、その先にひとりでに火がついた。
「銀の魔導士」
指を鳴らして小さな発火の魔法を使ったのは、彼の後からバルコニーに出て来た銀髪の美貌の魔導士だ。レイトは礼の代わりに煙草の箱を彼へと軽く上げる。シーファはわずかに微笑んでそこから一本取り出すと、彼の隣に並び立った。銀の魔導士が咥えた煙草には、呪文も指の一弾きも無く火が着き、レイトはまばたきをする。
リンデルファもキャロッド公国も魔導士があまり居なかったため、もともと彼に魔法の詳しい知識は無かった。けれどセインティア王国に来てから広報官として働き、ある程度魔導士についても学んでいる。その拙い知識でも『銀の魔導士』は特殊だ。高すぎる魔力、大抵の発動呪文も詠唱も、今は動作すらもなく魔法を使った。魔法兵団長のエルフォルニーでさえ、起動呪文は必要だというのに。
しかも度々イールからツッコミが入る、彼の発動呪文。普通は魔導士の出身や術の系統、自らを示す言葉などを組み合わせ、自分の魔力の流れを整えるのだが、シーファの「お仕置きタイムだ、馬鹿者め」はふざけているのかと言いたくなるようなものらしい。そんな起動呪文で高等魔法をバンバン使うのだから、さぞ高名かと思いきや──城での渾名は『破壊神』なのだから驚きだ。
魔法大国セインティアでは、魔法使いは大事にされ、高い地位を得る者も多い。それなのに宮廷魔導師になるでもなく、国に登録すらしていない。これほどの強大な魔力を持っていて。
──強大、だからこそ?
レイトの心にふとかすめた思い。途端に腑に落ちる。シーファの弟子は彼以上に特殊で強大な魔力を持っているらしい。魔法大国だからこそ、その力を欲しがる者は多いだろう。
「この国は、あんたらには生きにくくないのか?」
ふと溢れてしまった言葉に、銀の魔導士は軽く笑った。吐き出した紫煙の向こうに、意外にも穏やかなブルーサファイヤの瞳がある。
「ラセインとディアナが居れば、私もリティアも大丈夫だ。──リルディカもな」
──見透かされた。異質な力をもつこの魔導士とその弟子を、巫女の力を持つリルディカと重ねてしまったことを。
レイトはわずかに熱を持った頬を誤摩化すように、視線を逸らす。
「……だろうな」
「お前はどうなのだ?」
シーファはクスリと笑って質問を返した。その流し目は同性と言えども色気に満ちていて、それでいて確か歳は変わらないはずなのに、兄のような視線を寄越してくる。
「俺は……リルディカが居れば、どこでもいい」
レイトはゆっくりと言葉を選ぶ。
「一度は失った。あいつを信じてやれなくて、犠牲を払わせたことすら気付かずに。責め続けて、でも心のどこかで俺の存在を刻み付けたくて、たくさん傷つけた」
リンデルファの姫君。裏切りの巫女と蔑んで。
「償いたいと思ったのは本当だ。けれどそれ以上に幸せにしたいんだ。俺の手で」
やっと、お互いの幸せが重なったのだ。どちらかが犠牲になるのではなく、どちらかが傷つくことでもなく。同じ未来に希望を見いだした。
「それにさ。俺は結構、ここの国の奴らを気に入ってるみたいなんだ」
セインティア王国に来てから。ラセイン王子に仕えるようになってから。まわりの人々が──特にアランとディアナが、レイトとリルディカに心を配っていてくれた。
そして、あの湖で。セインティアの騎士達と共に戦い、背中を預けることに、少しも躊躇いのない自分に気づいた。それほどに、信頼しているのだと。もうここに、自分の居場所があるのだと──。
そして、それはやはり、リルディカの居場所でもあるのだ。
「……きっとヴァイスは、気づいていたんだろうな」
レイトとリルディカを解放し、セインティアに預けた公主は、最初からこれを見越していたのかもしれない。
「結局、リルディカのことを一番考えていたのは公主だったのかもな」
レイトの独白を、シーファはただ黙って聞いている。
「それでも、もう負けるつもりはない。俺が、リルディカを守っていく。この国で」
「良いのでは無いか。お前がそう思うなら、巫女姫もきっと同じだ」
シーファが深く微笑んで、そう言った。と、からかうような口調で続ける。
「あの幼い姿でも欲情できたのだからな、レイトはリルディカにべた惚れというわけか」
「ちょ、それ人聞き悪い!欲情とかそんなんじゃ……いや、キスはしたけど!だいたいあんただって、弟子とイチャイチャ……」
「私はお前と違って素直なのでな。いつでもどこでも愛情表現をすることに余念がない」
「素直!?あんたが素直!?あと、時と場所は選べ!見せつけられるこっちが致命傷だ!」
二人の応酬は続き、すっかり暗くなった空に青年達の年相応な笑い声が響く。
実はバルコニーの下の薔薇園では、魔導士の弟子である少女と、また自らを子供の姿に変えた巫女姫が、顔を真っ赤に染めていた。ちょうどお互い恋人を捜して、偶然庭園で会ったのだが、上からの会話に姿を見せることが出来なくなってしまったのだ。
「……リルディカ、愛されてますね」
「あなたもね、リティア……」
二人はしばらく顔を見合わせて。それからクスクスと笑い出す。気恥ずかしさと嬉しさと、恋人への愛情を実感して。わずかな甘いひとときを共有した乙女たちは、仲良くそっとその場を離れたのだった。




